詩潟志々乃は立ち返る

 ちゃんとわかってくれるかな。

 中学三年生の詩潟志々乃うたがたししのはそんな期待を大人に寄せる。

 

 目の前には担任が座り、隣には私の母親が座っている。

 中三の夏休み直前での面談だから、私なりに真剣に自分の考えを伝えるつもりだ。

 

 お題はもちろん進路について。

 勉強は苦手で、友達のいないダメな私だったけど、私なりに一生懸命考えた。

 それを二人に伝えることにする。


 子どもの時から歌うことが好きだったから、歌手になりたくなったこと。


 それを踏まえて進路を決めるなら、軽音部のある高校かつ学力の低い私でも入れる高校一択で、そこに狙いを絞ってること。


 私立だけど、奨学金制度もあるから。別に親に迷惑もかけないこと。


 私の話を聞いた目の前の大人二人は大きく溜め息をついた。


 母親は定時制に通わせると言ってる。バイトさせて家計を助けさせたいらしい。母子家庭だからってのはわかるけどさ。そのために奨学金借りるって言ってるじゃん。


 「簡単に言うな」「バンドがやりたいなんて初めて聞いた」「夢や理想を語る前に、成績をもう少しなんとかしなさい」「落ちる可能性だってあるんだぞ」

 大人二人が寄ってたかって、子どもの考えを頭ごなしに否定する。


 私がこれから頑張るからって言ったところで、誰も私の味方をしてくれない。

 応援してくれるなら頑張るつもりだったのに。

 勇気出してやりたいこと言ってみたのに。

 これだから大人は嫌いなんだ。

 

 

 

 三者面談が終わると、母親は私を置いて車で先に帰っていった。

 同乗して一緒に帰らなかった理由は簡単。

 私が良い子じゃないから。

 成績は学年で最下位だし。性格も根暗だし。母親の機嫌を取るのも苦手だった。


 ちょっと前にお姉ちゃんが家出した。お姉ちゃんは、勉強も運動もできるし、とっても優しい。自慢のお姉ちゃんだった。あの母親相手にしても、ヒステリックを上手くなだめて、カウンセラーのような役割を果たしていた。


 でも、もういない。


 その喪失感からくるイライラを母親は私にぶつけるようになった。

 ご飯を作らなくなった。私を無視するようになった。きっと今日の面談も煩わしかったに違いない。


 

 せめて友達とかいればよかったんだけど。

 親から愛されてないから、自分の愛し方なんてわからない。

 だから友達も作れなった。全部大人が悪いんだ。

 


 西陽が強く指す住宅街をゆっくり歩きながら、心の中で言い訳を原材料にした文句をばら撒いた。

 そうでもしないと狂ってしまいそうだったから。


 公園が見えてきた。七月下旬の暑さの中だけど、家に帰りたくもないから、ちょっとだけ寄り道をしてみる。


 見渡すと小学生や、同じ中学のカップル。子連れのママさん。たくさんの人がいて楽しそうにしていた。


 みんな悩みなんてなさそうでいいな。


 あんなふうに楽しい人生にしたかった。

 あんなふうに愛し合えるような関係が欲しかった。

 あんなふうに優しいお母さんがいればよかった。


 目の前の幸せステレオタイプな現実世界は、私にとって悲しみを生むものでしかない。

 やっぱり帰ったほうがいいな。逃げる決意をして立ち上がり、公園を去ることにした。楽しげな人達に背を向けて出口に向かう。


 すると綺麗な女の人が目に映る。


 その人は木陰のベンチに腰掛けて綺麗な金髪を風で揺らしていた。手元には文庫本。騒がしい公園だと言うのに、本と向き合うその姿から、彼女の強い意志を感じる。


 目の保養にいいなと思ったけど、留まる気はない。


 だって知ってる人だから。

 私の学校の教員。アレナ・イワノフ。


 私はこの人がとにかく気に入らなかった。


 金髪高身長で胸がおっきい外国人。なのに担当科目は国語と、とにかく情報量の多い女教員。


 外国人が国語教師?きっと両親は金持ちで道楽で日本に来て、居心地が良かったから教師になったんでしょ?


 おっぱい大きいし、とても綺麗だから、あなたはたくさんの人に愛されてきたんでしょ?

 

 そんな恵まれてるんだからさ。つまらない授業をしても愛想が悪くても、平気でいられるんだよね。だから私の同級生はあなたの悪口いっぱい言ってるよ。


 嫉妬心で作り上げたレッテルをひたすら貼り付けた。こんな人と一緒にいると、自分が惨めな人間だと思い知らされて悲しくなる。だからこの人が嫌いだった。

 

 気付かれる前にここから離れよう。私は公園に背を向けて歩き出した。


 「詩潟志々乃さん」


 声で呼ばれて、返事をしそうになったけど、聞こえないふりをした。

 けど無駄だった。彼女に背を向けて歩き出しても彼女は気付くと私の目の前に立ってたから。


「教師を無視するなんて、ひどく機嫌が悪いんだね」

 アレナ・イワノフは透き通った青い目で私を見つめる。


「わかってるなら、どいてください」

「道を塞いでるつもりはないけど?」


 イタズラっぽく笑う顔にドキッとして、私はその場に立ち止まる。学校では無表情なのに。そんな顔できたんだ。


「何か悩んでるんだね」

「知ったふうな口聞かないでください」

「三者面談で、こっぴどく叱られたんだから機嫌も悪いか」

「まあそりゃ。察しもつきますよね。この時期に成績の悪い生徒が不機嫌な顔してるんだから。それわかったぐらいでイキらないでください」

「被害妄想もあり。重症だね」

「いいえ。事実ですから」


 さっさとここから離れたい。その一心でコミュニケーションを取ると、語気がどんどん荒くなっていった。


「ねえ詩潟さん。一つ訊いてもいいかしら?」

「何ですか?」


「この人たちをどう思う?」


 公園にいるたくさんの人たちを指差して、言い放つ。かなり厨二病っぽい発言だったけど、私にも思うところがある。でも、ありのままを答えるなんてできるはずなかった。だから言葉を選ぼうと頭を働かせたけど、何も思い浮かばなかった。


「さっき、羨ましそうに見てたよね。あの時、あなたが何を考えてたのか…知りたいんだ」

「羨ましそうって…わかってるじゃないですか」

 



「じゃあ。私が問うからイエスかノーで答えるんだ」

そういうと、無理やり肩を組まれて、身体を引っ張られた。めちゃくちゃ力が強くて、ガサツな行為なのに、彼女の良い匂いが漂ってくる。なんかむかついた。

 人だかりから少し離れたベンチに座らされる。肩は組んだまま、問答が始まった。


「羨ましかったのか?」

「はい」

「寂しかったのか?」

「はい」

「悔しかったのか?」

「はい」

「辛かったか?」

「はい」


 彼女は私の目を見て、質問を投げかける。何もかも見透かしたような、澄んだ瞳をこっちに向けて。

 いちいち思案するのが面倒くさかったから適当に肯定を続ける。もちろん視線は合わせずに。


何なの?この時間。


「不安だったか?」

「はい」

「孤独だったか?」

「はい」

「絶望したか?」

「はい」

「失望してるか?」

「はい」


 

ああ。これは洗脳ってやつだ。マインドコントロールだ。

 無気力、無表情、無愛想を体現したようなこの人の、学校では見たことのない節介焼きな行動に関心が湧いてきたけど



「心が痛かったか?」

「はい」

「一人ぼっちだと思ったか?」

「はい」

「泣きたかったか?」

「はい」

「悔しかったか?」

「はい」


でもいかんせん長すぎる。イラついてきたから、返答をやめた。あと質問適当になってんじゃん。前半と被ってきてるって。


「いい加減にしてください。もういいですよね」

「ああ。充分だ」


 肩組みをやめて、彼女は立ち上がった。


「どうだ?少しは気が楽になったか?」


 なんだ。負の感情を吐き出させる民間療法で、満足気になってるだけか。やっぱりこの人もくだらない大人なんだ。


「まあ少しは」

「そりゃ良かった」

「じゃあこれで失礼します。ありがとうございました」


 私も立ち上がって、彼女に背を向けた。


「君は勘違いをしているね」

「何がですか?さっきのやり取りで先生は充分わかってくれたんですよね」


「ああ。でも君は


「変な家庭環境で育って、周囲とは馴染めない。大人も助けてくれない。孤独だよな。だから、ここにいるような赤の他人を見るだけで苦しかったんだろ」


「そうですよ。わかってますし。だから何もかもが悲しかったんです。これでもう満足ですよね」



「違う。詩潟。君はな…悲しんでるんじゃない。


 意味深な言葉が胸に引っかかる。

 それは鎌のような鋭さで、釣り針のように局所を狙う刃物だった。


「…どういうことですか?」

チクリと痛かったけど、会話をするのに支障はない。


「知ってた知らずか。君は怒りを抑え込んでいたんだ。そうやって漏れ出た感情を悲しみだと錯覚してるんだよ」


「それの何がいけないことなんですか?」


「大半の人間はね、自身の怒りを風化させて、悲しみに変えることを美徳としている。そんなものは弱さの証明に他ならないのにね。けど…君は違う。学校で初めて見た時からずっと、君の目は怒りと憎しみを灯していた。だからその時思ったんだよ。この子は強い子だってね。そんな強い子が悲しみに暮れるなんてしちゃいけない」


 刃物が胸に食い込んで、血が流れ落ちる。血の温もりが心地よくて、私は言葉を失った。



「だから今日は君に声を掛けたんだ。そしたらさ。驚いたよ。まさか自分が怒り狂っていることに気付いてなかったんだからね。君は強者なのに、弱者のフリをしていたんだ」



「悲しみは何も生まないが、怒りは確かな力を生むんだよ。だからこれからは、その怒りと憎しみを振るって生きていいんだ」




 刃物が私の胸を抉り切ると、私の世界から音が消え去った。風の響きも、人の喧騒も。


「もう何も我慢しなくていい」


 そして。彼女の声だけが私の世界の音になった時、私は泣いてることに気が付いた。



 気付かないフリなんて出来なかった。




 先生の腕の中。この小さな世界があまりにも優しい場所だったから。

 


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