第28話 ダイニング、3人で〇〇〇
夕食前。
キッチンでは二人が賑やかにおしゃべりしながらカレーを作っている。
俺はといえば、自室に戻って天井とにらめっこを楽しんでいた。
催眠が消えて落ち着いた今こそ向き合うべきことがある。
ここ数日でいろんなことがあった。
催眠なんかは小事に過ぎない。大事なのはカエデとシオンだ。俺は二人から好きだと言われ、キスをして、そのままでいる。
カエデは「返事が欲しいわけじゃない」と言っていたが、それは本心ではなかった。俺には分かる。カエデは「俺も好きだよ」と言って欲しいのだ。
シオンも同じ。あいつはもっとストレートだったが、嘘でもいいから好きと言ってなんて……シオンには似合わない言葉だ。
俺たち三人の関係性は後戻りできないところまで変わってしまった。
カエデもシオンも互いを思いやるあまりに変化を望んでいないようだ。それは理解できる。一人を選ぶということは一人を選ばないということなのだから。
しかしそれに甘えていいのか?
さっきのように二人と交互にキスなんて……だめだ。
催眠を解くためだという免罪符が無かったら俺は自分を許せないだろう。
だめだめ。キスはやっぱりだめだ。
俺は答えを出さなくてはいけない。女を二人侍らせてキープするなんて、その道の先にあるのは破滅だ。
一生今の関係を続けることなんて不可能。いつか決定的に傷つけるのだ。なら傷が浅いうちに決めなくては。
カエデか、シオンか。
選択するときが迫っている。
そしてDIOだ。DIOはいったいどちらなのか。やつは賢く立ち回っていて証拠を掴むことができない。
DIOにはとても世話になっている。どちらを選択するにしても正体を暴く必要があるだろう。
「コウくん、ご飯できたよー」
スパイシーなカレーの匂いが階下から上ってきている。……面倒な悩みは後回しだ。
全ての考え事は手品のように消え去り、俺は階段を下りる。
ラフな部屋着に着替えた二人はエプロンをつけて朗らかに笑い合っている。なんて可愛くて尊いのだろう。まとめてチュッチュしたい。――はっ、待て、今最低なことを考えてしまった。これではだめだ。
落ち着こう。心を鎮めるのだ。
二人の指示に従って食器やらを並べる。カエデはこっちで夕食を食べるらしい。滅多にないことだ。
何か特別な日だっただろうか。誕生日はまだまだ先だし……
思い当たらねえな。とりあえず頷きながら飯を食っておこう。場の流れに身を任せるのだ。
「お鍋を運んでくれる?」
「熱いから気をつけて」
重たいカレーの鍋を持ち上げる。いい匂いだ。シオンの作る飯はうまいのである。
食欲をそそる匂いを肺いっぱいに吸い込みながらカレーを運搬し――
床にはなぜか濡れた箇所があった。何かがこぼれたのを拭いていなかったのかもしれない。
俺の足は正確にそこを踏み抜いた。
そこから先はスローモーションだ。
つるりと滑る俺の足。体のバランスが崩れていく。
「あ」
「あ」
カエデとシオンは揃って声を上げた。俺とばっちり目が合った。
背中から倒れ込んでいく。鍋は水平を保てなくなってひっくり返った。
ルーは鍋から飛び出し、じゃがいもやにんじんが宙を舞う。
やってしまった……
そう思った瞬間。
“あの感覚”がやってきた。
違和感は探すまでもない。俺は両足でしっかりと立っていて、床の水は拭き取られている。台無しになるはずだったカレーは一滴もこぼれることなく鍋の中に戻っていた。
「助かった……」
俺は顔を上げた。
カエデは信じられないものを見たという表情をしている。シオンは理解できずにまばたきを繰り返しているようだ。
二人の顔を見ると笑いが込み上げてくる。どちらかがDIOのくせに、なんて白々しい!
「おい、見たろ今の。時間停止能力だよ。お前らのうちどっちかが時間停止能力者――DIOだ」
シオンは頬を掻いて笑った。
「すごいもの見ちゃった…… コウくんの言ってたことは本当だったんだね。わたしは時間は止められないから――カエデちゃんがしてくれたのかな?」
カエデは首を横に振る。
「私じゃないわ。……催眠術に続いて時間停止なんて……頭が痛くなりそう。――シオンがやったんじゃないの?」
カエデとシオンは視線を衝突させた。
俺はほくそ笑むのを我慢できない。こうなってしまえば知らぬフリで躱すことはできない。
「どっちだ。どっちかが嘘をついている。自分で分かってるだろ? そろそろ白状するときがきたようだな」
「カエデちゃんでしょ? わたし、まったく心当たりがないよ」
「シオン、嘘はやめなさい。時間停止能力があったって研究機関に突き出したりしないから」
「時間停止なんかできたらテストぜんぶ満点になってるよ。違うって。――もしかしてカエデちゃんが賢いのってそういうこと?」
「はあ? 宿題を教えてもらっている立場でよく言えるわね。このムッツリスケベ。コウの前でだけあざとく振る舞ってるくせに」
「なななに言ってんの? それ今関係なくない?」
俺の笑みは一気に強張った。喧嘩か? 二人はたまに喧嘩するが、俺はいつも板挟みにされるのだ。
「まあ落ち着けよ。な? 仲良くやろうぜ」
「「黙ってて」」
二人に鋭く睨まれる。こ、こわい……
カエデはシオンに向き直りナイフのような眼差しを突き刺す。
「二人だけで話しましょうか」
「かかってこいや! ――コウくん、温かいうちにカレー食べてね」
「またあざとい」
二人は言い合いをしながら二階へ消えていった。俺はカレーの鍋を持ったまま立ち尽くす。
▼△▼
俺は一人で食べるわけにもいかず、椅子の上で正座をして二人を待った。
こういう時は大人しくしておくに限る。そしてなるべく優しく接するのだ。二人の喧嘩は最長で一週間続いたことがある。それほど長くならないことを祈ろう。
なんでこんなことになってしまったのだろう。丸く収めてくれ、DIOよ……
二人は十分くらい後に戻ってきた。
仲直りはできたらしい。険しい雰囲気は消え去っている。
「お待たせ」
シオンがとことこキッチンに走ってカレーを温めなおす。
カエデは俺の隣にふんすと鼻を鳴らしながら座った。
恐る恐る尋ねる。
「……どうなった?」
カエデは前を向いたまま口を開いた。
「私たち二人のどちらかが時間停止能力者――DIOよ。私は真実を聞いた。でもどっちがDIOかは言えないらしいわ」
なんだそれ。どうなってる? シオンがDIOなのか?
シオンがキッチンから声を飛ばす。
「なんだか言えない事情があるらしくて。だからコウくんには秘密」
「…………?」
俺はカエデのほっぺをつねった。
「おい。カエデがDIOなんだろ? 観念したらどうだ」
「違いますけど」
「ならシオンがDIOか?」
「さあ? そういうことになるんじゃない?」
「シオン! DIOはお前だってよ!」
「わたしじゃないよぉ。カエデちゃんがDIOだってさっき話してくれたのに」
なるほど。俺は理解した。
DIOはもう一方を抱き込んだらしい。もう一方は正体を知っておきながら、俺に教えてくれるつもりはないと。
二人のどちらかがDIOであることは確定した。そして二人ともが真実を知っている。
つまり俺が問い詰めるのは片方でいい。口を割りやすいのは――カエデだ。
俺はカエデの手を握った。
「カエデ。こっちを見てくれ」
「……何よ」
言葉にはしない。目で愛を伝える。カエデは手足をもじもじ動かした。
「だから何?」
「教えてくれ。こっそりでいいから。お礼もする。何でも言うことを聞くよ」
カエデは期待するように喉を動かした。視線が俺の体の上を這い回る。
「なんでも?」
「なんでもだ。……カエデにされて嫌なことなんてない。どんな性癖でも受け入れるし、むしろそれが俺の望みだ」
「……どうして性癖の話になるわけ? えっちなことと決まったわけではないでしょう」
「えっちなことなら二回まで聞いてやる」
「に、二回も……」
カエデは舌で唇をぺろりと舐めた。ぞくりとするような目つきだ。俺は被捕食者でしかないと自覚させられる。
しかしカエデは首を振った。
「だめです。教えられない」
「なんでだ」
「それも秘密」
「……おっぱい揉むぞ」
「揉めば?」
「くそぅ!」
「カレーできたよ! お皿を持ってきて!」
俺とDIOの戦いは振り出しに戻った……わけではない。
すでに腹を決めた。DIOの特徴や性質も理解している。罠を仕掛けるのだ。
ふと、"あの感覚"。
唇にキスの感触が残されていた。そして手にはマジックペンで「ヒミツ♡」とある。
DIOめ、いい度胸だ。すぐに正体を暴いてやる。俺を侮っていることを後悔させてやるのだ。
その時はもうすぐそこまで迫っている。そして俺は選択することになるだろう。
物語の終わりは近い。神の啓示でも受けたかのように、俺は確信していた。
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