第14話 八王子カエデの追憶2
もう一人、語るべき人物がいる。
五月雨シオンだ。
彼女と私が出会ったのは3年前。たったの3年前なのだ。それ以来ずいぶんと時間を共有してきたせいでとうていそれだけの付き合いとは思えない。
ちょうど春だった。
私はコウの母親に呼び出され、再婚するつもりだという話を聞かされた。なぜ私に言うのか、とは思ったものの、心からの祝福を述べた。
さらにコウの母親は恐る恐る言った。「向こうにはコウと同い年の娘さんがいるんだけど……」。
私は机を叩き割った。だってそんなのありえない。光源氏のごとく丹念に育ててきた幼馴染をどこぞの女が横取りしていこうというのだ。
そのあとの記憶はない。私はどうにかこうにか自室へ戻り、気づけば電子の海に氾濫する義妹系のラブコメに低評価をつけまくり、幼馴染系のラブコメに高評価をつけまくった。そして気付いたのだ。幼馴染が負けヒロインであることのなんと多いことか!
どうやら幼馴染はかませ犬に過ぎないらしい。私は五月雨家宛てに匿名で幼馴染が勝つ漫画を送りつけてやった。
振り返って思えば義妹というだけで良からぬ関係に発展するなどと考えていた中二の私はとても幼く(ある意味でマセているが)……
しかし、口先では再婚を祝った。コウの母親がずいぶん苦労したのは知っていたし、再婚相手は金持ちらしいので、私にやめてと言う権利なんてないのだ。
私が再婚の予定を知った数週間後にコウはその事実を知ったらしい。例によって彼は私に打ち明け、私は初耳なふりをした。
そのことはほどなくしてクラスにも広まり、男子はコウを羨ましがって持て囃し胴上げまで行い、私の味方になってくれた女子はそれを冷ややかな目で見ていた。学校史に残る冷戦の幕開けである。
コウはかっこつけて「興味ねえし」みたいにほざいていたが、鼻の下はこれでもかと伸びていた。
そしてその日がやってきた。
義父と義妹が引っ越してくるらしい。それがコウとの初対面のようで、普通事前に顔合わせの食事くらいするもんじゃないのかと疑問に思ったわけだが、私は自室から双眼鏡を構えて五月雨家を監視していた。
片手には銃――のレプリカである。私はスナイパーの気分で家の前の路地を見下ろした。
コウとコウの母親が玄関から出てくる。
すぐに黒く輝く高級車が道路に止まった。
二人の人間が降りてくる。顔に自信をみなぎらせる男、それから俯いたままの少女。
少女は髪もボサボサで化粧のけの字も知らないようで、終始地面を見ていた。
このとき私は拳を高く掲げた。勝利の雄たけびが一階の両親の耳にまで届いたとか。
しかし邂逅の日は気持ちいいままでは終わってくれなかった。
義父はあろうことか少女を残して車で走り去ったのだ。コウの母親は少女の背中を押して家へと連れていく。
コウはいつもより間抜けな顔をしていた。いつもも間抜けな顔だが。
若干の違和感を残して観察を終える。
数時間後、コウからメッセージが届いた。
――妹が部屋に閉じこもって出てこないんだけど。
複雑な心境だった。登場したライバルの弱さをただ喜ぶことはできなかった。
家庭っていうのはどんなものであれ問題を抱えているものだ。完璧な家族なんて存在しない。そしてひとり親の家庭は――普通よりも重たい事情を抱えている場合が多い。
私は五月雨家を間近で見てきたから、中二のガキにしてはよく理解していた。
翌日、コウは私に全てを相談してくれた。少女は引っ越しなのに何も荷物を持っていなかったこと。少女は与えられた部屋に一度入ったきり出てこなかったこと。名前はシオンというらしいこと。
シオンは同じ中学に転向してくる予定であったが、数日経っても顔を見せない。クラスメイトは転校生がくるはずだったことを忘れかけていたが、私とコウは違った。
コウの母親と義父はやり取りをしていたらしかったが、その内容を私たちに教えてくれることはなかった。
シオンがやってきてから一週間が経過したある日。
その日はコウの母親が夜勤で、コウとシオンは二人きりになる。
私は気が気でなかった。コウによく言い含めておいた、変なことしちゃだめよ、と。コウは真面目な顔で頷いて、絶対しないと約束した。
夜、スマホがピコンと通知を鳴らした。それは私がコウからのメッセージにのみ設定している通知音だ。
スマホに飛びついて確認する。
――突入する。屍は拾ってくれ。
犬のおまわりさんが敬礼するふざけたスタンプが添えてある。
あのバカはいったいぜんたい何をするつもりなのか!? どうせくだらなくてつまらなくて笑えないことをやらかすつもりなのだ。止めなくては!
私は部屋着のまま五月雨家の玄関まで飛び出し、鍵を突っ込んだところで停止した。
約束を思い出したのだ。コウは絶対しないと言ったので、きっとしない。私は部屋に帰った。
二時間くらいして連絡があった。
――カレーを食わせたんだけど、吐いてしまった。甘口にするべきだったかも。
少し悩んで私は返す。
――きっとうどんとかお粥とかにするべきよ。
――そんなの作ったことない。俺と母さんは健康だけが取り柄だぜ。
――教えてあげる。
――ありがと。……部屋の中が独房みたいだったんだ。引きこもって何してるのかさっぱり分からない。漫画もパソコンもスマホもないんだ。
――何かの病気なのかもね。
――とりあえずありったけの漫画を部屋に突っ込んでみたんだ。読むかな。
――よくやったわ。
私が匿名で送っておいた漫画もシオンの部屋に移送されたはずだ。それはウイルス。出会う前から幼馴染が正道だと洗脳できる。
結局何事もなくその日は終わった。
次の日の学校で私は詳細を聞かされた。コウはずいぶんと新しくできた妹を心配しているようだった。
彼にとって漫画は宝物である。少ないお小遣いと私の両親への肩もみでお金をため、コツコツと収集してきたのだ。それを渡したということはそれだけ気にかけているということ。
コウの母親は連日で仕事らしく、またコウとシオンは二人きりだ。二人がどうこうなることを心配はしていなかったが、うまくやっているのかは心配していた。
夕方、私は両親と3人で穏やかに夕食を食べていると。
突然コウが飛び込んできた。
頭を床にぶつけている。私は目の前で人間がそれをするのを始めて見た。ドラマの中にしか存在しないものだと思っていた。
土下座だった。
コウは言った。
「おじさんおばさん、千円ください」
両親は顔を見合わせる。コウがこんな風に何かをねだってくるのは初めてだった。いつも両親が半ば押し付けるようにして渡すのが常だったのだ。
「どうして?」
「ジョジョの二巻を買いたいんです。妹が続きを読みたいって」
両親は目を見合わせ、財布から一万円札を取り出してコウに握らせた。
コウは両親に何度も頭を下げ、私を見ることもなく出ていって、すぐにオンボロの自転車で街の方に駆けていく音が聞こえた。
お母さんが「コウはいい子ね。カエデにはもったいないかも。逃がしてはだめよ」と言うので、私は恥ずかしくなって顔が熱くなるのを感じた。
その日の夜、コウから連絡があった。
――明日からしばらく学校休むわ。起こしに来なくていいぜ。
棒人形が「さみしくなるぜ……」と呟いているスタンプが添えられている。
ありえない! 私が毎朝毎朝どんな気分で起こしに行ってやっていると思っているのだ!! 学校休むから来なくていいだと!? なんという恩知らず!
私はすぐに部屋を出て五月雨家へと向かい、団地全体に響くくらいの音で玄関を叩いた。
すぐにコウが出てきた。
「どうしたどうした」
「こっちのセリフですけど。しばらく休むってどういう意味?」
コウはニヤリと笑った。
「ヤツにインターネット上の無料コンテンツを摂取させるつもりだ。すぐに中毒になるだろうよ。令和で助かったぜ」
コウはノートパソコンを持っている。彼の持ち物の中には私の父のお下がりが多くあって、ノートパソコンもその一つだ。
「ゲーム、小説、一ヶ月の無料サブスク。なんでもあるからな」
「でも……学校を休まなくたっていいでしょう。放課後もあるし夜もある」
「昼の間一人にしろっていうのか?」
「…………」
「そんな顔するなよ」
「なら私も休む。それでいいでしょ」
「それはだめ。おじさんおばさんに怒られるし。それに内申点が悪くなるぜ。いい高校に行くんだろ?」
「…………コウも一緒に行くのよ」
コウは肩をすくめた。
私はずっと黙ったまま突っ立っていることしかできず、コウは手を引いて私の部屋まで連れていってくれた。
次の日、私はコウを起こしにいかず、コウは学校に来なかった。
結局、コウは半年も学校に来なかった。
でもその間、私とは毎日会って話した。
私が初めてシオンと会話したのは四か月くらい経ったときだった。コウはシオンに私を紹介して、私にシオンを紹介した。
そのとき、シオンの髪はやはり無造作に伸びたままで、服もへんてこりんなのを着ていた。
コウは私にシオンの服をネットでいいから選んでくれと頼んできたので、私たち三人は小さなノートパソコンを囲んでいろいろ見て回った。服のお金はコウの義父のカードで支払った。
私は家からシャンプーとトリートメントとリンスとコンディショナーと化粧水と乳液と櫛とドライヤーを持ってきて、シオンを風呂に入れた。
風呂上がり、私は目を疑った。
輝くような美少女がそこにいたのだ。眩しい金髪、澄んだ青い瞳。どれも私は持っていない、クラスの誰も持っていない特別なものだ。
自らの手で、とんでもないものを生み出してしまったのかもしれない。
綺麗な服を着たシオンは風呂上がりすぐにコウに寄っていって、
「コウくん、どうかな?」
「いいんじゃない。見違えるぜ」
「えへへ」
もじもじ体を揺らすシオン。コウは興味なさそうにソファに寝転んでゲームをしていた。その隣に座った青い瞳が熱を帯びてコウを見つめている。女の勘ってやつがビービー警報を鳴らしていた。
私は悟った。これはとんでもないライバルだぞ、と。
それから私は放課後毎日五月雨家に入り浸った。
シオンとはすぐに仲良くなれた。
だって彼女とは大きな大きな共通点があったのだ。年頃の女の子にとっては最も重要なことがらで、でも私たちはまだ幼かったからそれを巡って対立はしなかった。
それにシオンは可愛くて仕方がなかったのだ。いつの間にか妹のように感じていた。
私とシオンは二人きりになるといつもコウについて話した。お互いのいなかったときについてのコウの情報を共有するのだ。
といってもシオンは四六時中コウと一緒にいたので、シオンは主に現在のコウについて、私は過去のコウについて話した。
色んなことを話したが、シオンは自分の過去については語らなかった。私も聞かなかった。
すぐに親友になった。
コウは仲の良いクラスメイトを家に招いてシオンを紹介していき、重要人物との顔合わせを済ませたあと。
二人は登校してきた。
今でも覚えている。
シオンが教卓の前に立っていて、コウは私の隣で不安そうな顔をしていた。
シオンは大きく朗らかな声で自己紹介した。男女関係なくみんなが目を奪われた。
「五月雨シオンです。よろしくお願いします。好きな料理は――カレーです。好きな漫画はたくさんあります。ゲームも好きです。コウくんの妹で、カエデちゃんとはお友達です。よろしくお願いします」
温かい拍手が起こる。
私はこっそりため息をついた。
あーあ、シオン、なんて可愛いんだろう。私はすっかり惚れてしまったのだ。
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