第2話 放課後の教室、カエデと〇〇〇


 夕陽差し込む放課後の教室。


 開いた窓から運動部の声が飛び込んでくるので、俺は窓とカーテンを閉めた。


 ぐっと暗くなる。


 カーテンを透かす西日がまるで間接照明みたいに柔らかい光となって、ほんのり赤いカエデの横顔を照らした。


 綺麗な顔だ。


 すっと通った鼻筋、桜色の小さな唇、艶やかな黒い髪。見惚れるほど美しい。


「それでわざわざ改まって呼び出してまで話したいことって……なに?」


 冷たく責めるようなじとりとした眼差し。


「大事な話だ。――質問っていうか」


「そう。友だちを待たせてるから手短にね」


 興味ないですと言わんばかりの口調だ。目を合わせてくれない。 


 だが俺は知っている。


 呼び出す旨のメッセージを送ってからずっと手鏡で前髪を弄っていたことを。

 友人に香水を借りてまで匂いを気にしていたことを。

 最寄りのコンビニに走ってブレスケア商品を買い、コンドームは迷った末に買わなかったことを。


 この幼馴染はそういう女だ。


 さらに俺は知っている。


 ベッドの下に山のようなエロ同人誌――それも幼馴染モノばかりを溜め込んでいることを。

 某エロ動画サイトの俺のアカウントに勝手にログインして性癖チェックをしてくることを。


 たいていのことは知っているし、気づく。幼馴染だからな。


 最近のマイブームはエロ動画サイトのお気に入り欄にカエデに似た女優を追加したり削除したりして反応を窺うことだったのだが……それも今日までになるのかもしれない。


 俺は一歩前に踏み出した。


 カエデが半歩下がって、我が身を守るように腕を組む。


 その目の端に浮かぶのは緊張、期待、ほんのちょっぴりの恐怖。


 胸の下で腕を組んでいるせいで豊かな双丘が強調されてしまっている。俺が大事に成長を見守ってきた大きくて綺麗なおっぱい。


「話したいことは――分かってるだろ?」


「……おっぱいに語りかけるのはやめて」


「…………ごめん」


 でもおっぱいが悪いよ。そう思いつつも、強大な引力に抗って視線をそこから引き剥がし、カエデの黒い瞳を見つめる。


 気を取り直して。


「話したいことは――分かってるだろ?」


「なによ」


「今日の英語の試験だが……シオンは英語が苦手だ。あいつはいまだにbとdを書き間違える。pとqもだ。あいつじゃ俺の解答用紙を埋めることはできない。つまり――カエデ、お前が時間停止能力者だ」


「な、なんのはなし?」


 カエデ眉を寄せて当惑を露わにした。


「さっぱりわけがわからないわ」


「シラを切るつもりか?」


 実を言えば、俺にも確信があるわけではない。成績優秀者の答案を丸写しすればシオンにだってあの解答用紙を作ることはできるからだ。


 だからこれはカマかけである。


 ずいっと前に出る。


 カエデはまるで同じ極の磁石みたいに離れようとして、すぐに背後には壁しかないことに気付いた。


 距離がいっそう狭まる。すでにお互いのパーソナルスペースの範囲内。


 家族や恋人にしか許されない距離感だ。


 でも俺たちは生まれてからずっと一緒だった。不快感なんてまったくない。


「コ、コウ?」


 カエデの手がそっと俺の胸に添えられる。でもそれは拒否するためではない。


 むしろシャツを掴み引き寄せるようにすらして――


 したのか、あるいはさせられたのか、俺はカエデの背後の壁に手をつき、息が混ざり合うほど顔を近づけた。


「これは俺たちの将来に関わる大事な話だ。だから嘘をつくな」


「さっきから何言ってるわけ……?」


 カエデは首を振って恥ずかしそうにうつむいた。足元に落ちた視線は行き場なく彷徨っている。


「おい。カエデ」


 その白い顎に手を置く。ぐいと持ち上げてやれば、その視線はついに居場所を見つけたとばかりに吸着して、俺の目をまっすぐに見つめだす。


「は、はぃ……」


 先細りして消え入りそうな声。


 白磁のような頬がこれでもかと赤く染まっていた。黒髪の隙間からちらつく耳も同様だ。


「嘘ついても分かるからな」


「は、はぃ……」


「吐け」


 カエデは思い悩むようにぎゅっと眉を寄せた。ついでに目蓋もおろし、ポケットから素早くリップを取り出して唇に塗りたくる。


 なにしてんだこいつ。


 つややかに輝く唇。見ただけで弾力と瑞瑞しさが伝わる。カエデはそれを差し出すように寄せてきて――


「おい」


 カエデのほっぺたをつねる。想像以上に柔らかいそれをにぎにぎと揉む。


「いた」


「なんでキス待ち顔になるんだ。大事な話をするって言ってるだろ」


「え、えぇ? 壁ドンと顎クイされたら100パーセントキス……じゃないの?」


「ちがうっ!」


 こいつの頭の中はドぎついビビットピンクだ。ムード作って迫ればすぐに白状するかと思ったが……失敗した。


 カエデは俺の手をぎゅっと握って上目遣いでぼそり呟く。


「ごめんなさい……」


「いいんだ」


「……ありがと」


 カエデはそう言って、今後はブレスケアの黄色い玉を口の中に放り込みガリガリ噛み砕いて、唇を割り開く。目を閉じた。


 そっと伸ばされるのは――真っ赤なべろ。


 それは交わる相手を求めてピクピクと震えている。硬さを持つほどに尖らされたそれが俺の唇に届く、その寸前。


「おい」


「いた」


「ディープキス待ち顔になっただけじゃねえか」


「……べろちゅーしたいってことじゃなかったの?」


「違います」


 カエデはこてんと首を傾げた。


「したくないの?」


「したいです。――違うッ! そんな話じゃない! 俺が言いたいのは……時間停止してるのはお前だろってことだ!」


「何言ってるのかわけわかんない。時間停止って……エッチなビデオの見すぎでしょ」


 目を逸らしてモジモジ体を揺らすカエデ。


 まだ認めようとしない強情っぷりに、怒りがこみ上げてくる。よくもそんなことをほざけるもんだ。


「お前なあ…… あのサイト・・・・・の俺のアカウントのお気に入り欄に『時間停止して幼馴染をヤリたい放題。ついには両思いだと分かってイチャラブ三昧』とかいう新作を追加したのはカエデだろ。何がエッチなビデオの見すぎ、だ。鏡見てみろ」


「はああああああっ!? なんでそのこと知って……ッ! 私じゃないもん!」


 カエデはぽかりと俺の胸を叩いた。


「まったく身に覚えがありませんっ」


 潤みだす黒い瞳。羞恥と恐怖で表情が歪み、まばたきが何度も連続して長いまつげが震える。


 あまりのビビリっぷりに申し訳なくなってしまう。しょうがないので助け舟をだそう。俺がしたいのはこんな話じゃない。


「やっぱり勘違いかも。俺が自分で追加したような……」


「そうに決まってるでしょっ! 自分の性癖を私に押し付けないでよ」


 そう言ってこいつは胸を撫で下ろした。……バレずに済んで一安心してるのか? 今ので「バレてなかったセーフ」だと思ってるのか? アホすぎないか?


 ……まあいい。それは前からだ。


「この件は置いておこう。また今度じっくり話し合う必要があると思ってる」


 カエデにバレたくない性癖だってある。その度に新規アカウントを作るのだが、こいつはどういうわけか次の日にはそこすら黒髪幼馴染で染め上げてくるのだ。そういうわけで現在の俺の某サイトのアカウントはすでに十三代目。


 ふと気付いた。それも時間停止能力のせいなのか? 能力を使って俺のメールアドレスとパスワードを入手しているのか?


 ふむ、これは問い詰めてやらねばなるまい。


 細い両肩を掴めば、カエデは覚悟を決めたように頬を引き締めた。


「なあ、カエ――」


 唐突に"あの感覚"。時間停止が起こったのだ。


「チッ」


 なんだ。いったいなんだ。DIOは時を止めて何をした。


 違和感を探す。


 カエデはいる。異変は……ない。あたりを見回す。異変は……ない。


 カエデが口を開いた。


「コウ……? い、いつの間にか服を……? なんて早着替え――」


「クソがッ!」


 気づけば俺は上裸になっていた。


 シャツも肌着もどこかへと消え去っている。春ではあるが時刻は夕方、じわりとした寒さが侵食してきて思わす肌をさすった。


「ディオォォォオ! ついにやりやがったな!」


 こんな直接的に干渉してくるのは初めてだ。俺に存在がバレてやりたい放題してやるというわけだろう。


 とうてい許せることではない。時間停止能力なんて――ズルいぞ!!!


 突然大声を上げた俺に目を丸くしながらも、カエデの視線は俺の体のある一点に突き刺さっていた。


「コウ……」


 乳首にピリピリとした刺激。痛みと快感を混ぜ合わせたようなじれったさ。


「乳首すごい立ってるんだけど……?」


 よく整えられた爪先がカリカリカリと俺の乳首をいじっていた。すぐにパシンとはたき落とす。


「触らないでくださいっ!?」


「……急に脱ぐそっちが悪いじゃんッ!」


「お前だろーっ!? お前が時間を止めて服を脱がせて乳首にイタズラしたんだろッ! この変態!」


 この変態。その言葉にカエデは跳ねるみたいに一際大きく身を震わせた。


「よくわかんないけど……時間停止プレイがしたいの? なら付き合ってあげる。でも学校はダメ。家に帰ろ?」


「白々しいこと言ってんじゃねえ! あんまり適当なこと言ってるとほんとに押し倒――」


 ガラガラ。


 大きめな音を立てながら教室の扉が開いた。


 まずい。見られる。


 俺たちは慌てて口を閉じて体の距離を離すが、俺は上裸だ。変態のそしりを免れることはできない。また変な噂が立っちまう。


「あれ? カエデちゃんもいる!」


 振り返って見やれば、そこにいたのは金髪碧眼の輝くような美少女、シオンだった。


「シオンか。助かったぜ……」


 そして彼女は――俺の制服を手に持っている。なぜお前がそれを……?


「コウの制服が廊下に落ちてたから拾ってあげたよ。はいどうぞ」


「…………」


 そう言って丁寧に畳まれたネクタイ、ジャケット、シャツ、肌着を渡してくる。


 廊下に落ちていただと。廊下に落ちていただと。そんなわけないだろう。


「暖かくなってきたから脱ぎたくなったのかもしれないけど……あんまりよくないよ? 私とカエデちゃん以外の女の子に肌を見せつけるのはセクハラだからね。以後気をつけるよーに」


 ニコニコと微笑むシオン。

 いじらしくモジモジしているカエデ。


 手の中にある制服は間違いなく俺のものだった。呆然として2人を観察するが、俺の目には彼女らの本心は映らない。


 どっちだ。どっちが嘘をついている。


 どっちだ。どっちがDIOだ。


「舐めやがって――ッ! すぐに当ててやるから覚悟しとけッ!」

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