第27話 深刻な問題

 そうして四つ授業をこなし、迎えた昼休み。


「んー、やあっと昼休みだ。碧、それじゃあ……碧?」


 恵那ちゃんが声を掛けてくれるけれど、どこか遠くに感じる。

 それほどまでボクは、絶望に打ちひしがれていた。


(授業……何一つ分かんなかった……!!!!!!)


 今日は現代文、英語、数学、古文の順番だった。授業の中でも特にメインどころと呼ばれる教科だったのだけど……どれもレベルが高すぎてついていくどころの話ではなかった。

 三ヶ月ほど学校に通っていないというブランクもあるし、そもそものレベルが違いすぎて、多分二年に入った段階からずっと大きく差がついていたんだろうと思い知らされた。


 これ、学長先生のおかげで入学はできたけれど、試験とかのタイミングで退学にさせられるんじゃないだろうか……だって、この調子じゃ二桁だって夢のまた夢だろうし……。


「恵那さん。あーちゃん、どうしたの?」

「なんか、放心状態になっちゃってる」

「あーちゃん、おーい」


 きょこが頬を突いてくる。けれど、応える気力がない。あるのは絶望だけ……。


「きょこ、恵那ちゃん……二人に出会えたこと、一生の宝物にするから……」

「えっ、それどういう……って、あーちゃん!? 死んじゃ駄目ぇ!」


 ボクの様子からやんごとなき事態を察したのだろう。きょこは冷たくなったボクの体を暖めるように抱きしめてきた。ああ、生命の息吹が流れ込んでくるみたいだ……現金なことに、ボクは少し元気になった。



「そっか……授業が分からないかぁ……」


 購買(寮の食堂とは別)でお弁当を買い、三人で机をくっつけてご飯を食べる。

 他の子達も一緒に食べたそうにしてくれていたけれど、ボクのやんごとなき状態を見て、遠慮してくれた。いきなり気を遣わせて申し訳ない……。


「実は、あまり大きな声じゃ言えないんだけど……ボク、学長先生のご厚意で入学できるようになって。それまである事情で三ヶ月くらい学校に行ってなくて……」

「ある事情?」

「それは……ごめん、ちょっと言えないやつ」


 申し訳なさに肩を落とすボク。

 親身になってくれているのに、やっぱり性転換のことは言えない。あまり公言しないようにとは言われていたからというよりも、元男だとばれて嫌われたくないという方が大きかった。

 まだ自分が女性であることを百パーセント受け入れられたわけじゃないのに卑怯だって思うけど……二人を騙すような罪悪感を抱きつつ、どうしても言いたくなかった。


「無理に聞いたりなんかしないわ。ごめんね、あーちゃん」

「ごめん……」

「二人が謝ることじゃないよ。全部ボクの問題だから。それに、今一番の問題はやっぱり授業が分からないってことだし……」


 一応自分で教科書とかは見たりしていた。でも、先生から習うのと一人でやるのじゃ当然全然違う。ボクがやっていたのはタダの暇つぶしでしかなかった。


「あーちゃん、私で良かったら、勉強教えてあげよっか?」

「え……! でも、迷惑かけちゃうんじゃ……」

「ううん、迷惑なんかじゃないわ。私、あーちゃんの力になりたいの。授業について来れなくて、つらくて学校辞めちゃうなんてなったら、後悔してもしきれないから。……それにあーちゃんの為だったら、むしろご褒美よ。一緒に勉強できれば、その分一緒にいられる時間が増えるってことでしょ?」

「きょこ……」


 ぎゅっとボクの手を握り、まるで痛みを分かち合うみたいに優しい笑顔を向けてくれるきょこ。


「京子ならきっと最高の先生になってくれるよ。なんたって彼女はアタシ達二年生の成績三位だから」

「えっ、すごい!」

「あはは……あーちゃんに誇るなら、一位の方がカッコ良かったと思うけど……でも、勉強は得意って自信はあるの! 美也子にもよく教えてあげてるし。私は毎日だって大丈夫だから!」

「勉強を教えるって意味じゃ、アタシは役に立てそうにないかな。人に言えるほど得意ってわけじゃないし……でも、もしも碧が息抜きしたくなったらいつでも言って。バスケだったらいくらでも付き合えるから! ……まぁ、部活が無いときに限っちゃうけど」

「きょこ……恵那ちゃん……」

「そして毎晩寝る前のマッサージであれば私にお任せを。姉様の疲れもストレスも全て取り去って極上の眠りを提供することを誓います」

「百合……って、百合!? いつの間に!?」


 いつの間にか百合が教室にいて、ボクに後ろから寄りかかってくる。

 きょこと恵那ちゃんも驚いていて、教室もざわついていて……みんな、今まさに気がついたらしい。なんてステルス性能だよ、うちの妹は!?


「お昼休みなのですから、当然姉様に会いに来ますが? くんかくんか……ああ、半日授業を乗り切った姉様の香り……とても素晴らしいです。どうでしょう。姉様も一年生になって私と一緒の席で授業を受けるというのは。姉様はしっかり勉強をやり直せる。私は姉様の香りに包まれ幸せな時間を送れる……まさにウィンウィンでは?」

「ゆ、百合ちゃん?」

「これ、本当にあの天海百合さん……?」


 引いてる! きょこと恵那ちゃんが引いてる!!


「はい、正真正銘、天海百合ですよ。姉様の愛妹であり、姉様という神に運命を弄ばれた愛の奴隷でもあります」

「あ、愛の」

「奴隷……」

「百合、二人をからかうな」

「はい、姉様。京子先輩、中津川先輩、失礼致しました」


 百合は大人しく冗談を認め、二人に頭を下げた。

 恵那ちゃんは面識なさそうだけど、きょこも驚くんだな……ボクにとっては馴染みある百合の謎言動だけれど、冷静に考えたら全然意味分かんないし。


「姉様、お話は聞かせていただきました。当初は私が二年生の授業範囲を先取りし、姉様を支えようと考えていましたが……確かに姉様の為を考えたとき、京子先輩から教えていただけるのならば、それ以上の適任者はいないものと考えます」

「お前は参謀か何かか?」

「囁き妹です」


 記者会見とかでカンペ的な助言をする謎の人物!?


「ささやか囁き激マブ妹です」

「盛るな盛るな!」


 ささやかな盛り方じゃない!


「今夜もベッドを濡らして待ってますね」


 それを言うなら枕だろ! ……と、口に出してツッコむのはぐっと堪えた。


 百合は見事な囁きっぷりで、彼女の発言はボクにしか聞こえてないみたいだったし、余計な誤解は避けるべきだ。というかマジでベッド濡らして待つってなんだよ。怖いなぁ。


「なんか、元気戻ったみたいね」

「え?」

「さすが百合ちゃん。あーちゃんのツボ、分かってるんだ」

「はい。姉様は私の手のひらの上です」

「あははっ、頼もしい子だなぁ!」


 まさか、百合がずっと悪ふざけをしていたとは思うまい。

 まあ、そんな彼女のおかげで一瞬でも絶望感を振り払えたのだけど……。


「でも、きょこ。すごく迷惑をかけると思うけど……お願いしていいかな。お礼は必ずするから」

「あーちゃんの為ならなんだってするよっ!」


 むんっと気合いを入れて頷くきょこ。

 いや、本当に、昨日会ったばかりだってのに、どうしてこう優しくしてくれるんだろう。彼女から悪意は感じないけれど、普通だったら裏に何かあるんじゃないかって怖くなるレベルだと思う。


 まあ、妹の美也子ちゃんと仲の良い百合からお墨付きが出ているんだからボクが疑うような話じゃないけれど。


「恵那ちゃんもごめん。今日はやっぱりそういう気分じゃないから……」

「うん、次の機会を待ってるよ。バスケは逃げないからね」


 まぁ、ずっとボールを触っていないボクの腕は大分落ちていると思うし、期待してもらうほどじゃないと思うけれど……でも、ありがたい。


「それじゃあ午後の授業をなんとか乗り切って……今日からさっそくお勉強会ってことでいいかしら?」

「うん、よろしく頼むよ、きょこ」

「うんっ!」


 まるで自分のことのように喜んでくれるきょこに、なんとか勉強でも良い成果をだして、もっと喜んでもらいたい……ボクはそう自分を鼓舞するのだった。

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