第3話 診断結果、異常ナシ
「異常はありませんね」
「異常しかないんですが!?」
女医さんからの診察結果は、まさかの異常無しだった。
あの後、ボクの悲鳴を聞きつけた母さんはボクの姿を見て、思い切り面を食らい固まってしまった。当然のことなんだけれど、大の大人が取り乱す姿は中々衝撃的で、ボクも半ばパニックになってしまったのだけれど……そんなボクらを救ってくれたのはやはり百合だった。
ボクと母さんの動揺っぷりに逆に冷静になったのか、百合は母さんに理路整然と状況を説明した。
そして、いくつかある、ボクと家族にしか分からない思い出をベースとしたクイズを解くという、まるでマンガみたいなイベントを通して、なんとか鏡の中の美少女=ボクであるという証明が果たされた。
いや、まぁ……正直ボクとしては、否定されて欲しかった現実だけれど。
状況を把握した母さんは、目の前の女の子が息子であると認めた上で、じゃあ実際ボクに何が起きたのか知るため、病院に掛かろうと提案した。
けれど、こんなこと何科に相談すればいいか分からない。
なので、一旦母さんの知り合いのお医者さんに個人的な悩み的に相談してもらい……すると、その状況について何か分かるかもしれないということで、急ぎ予約を取ってもらった。
そうして、とりあえず今日は学校は休み、母も仕事を休み、なぜか百合まで学校を休み、三人揃って病院に行くことに。
ちなみに服は百合から借りた。酷い屈辱だ。女の子になって体が縮んだ影響で、百合の服はちょっとぶかぶかで、でも胸の辺りは詰まって感じた。
「…………」
百合は怖い顔をしていた。
そして、診察を受け……今に至る。
「もちろん、男性が女性になったという異常はあります。しかし、それとは別に、なにか体の疾患や障害、合併症の類いは見られないということです」
「そ、それで、兄様は治るのでしょうか?」
「まずは碧さんに起きた状況について説明いたしましょう」
女医さんはそう言ってキーボードを叩く。
PCのモニターに、『突発性性転換現象』と表示された。
「碧さんに起きた現象はこれです」
「現象……病気ではないのですか?」
「現時点では病気としては認定されていません。細かい話ではありますが……」
女医さん曰く、近年僅かではありつつも、ボクのように突然、性が入れ替わる現象が世界各地で見られるらしい。
情報が少なく、一部メディアで報じられたことはあるにはあるらしいけれど、殆どが眉唾の域を出ないというか……世間的には浸透していないらしい。実際ボクらも耳にしたことがなかったし。
この現象に遭った人間に共通しているのは、睡眠から覚めた時、本人にも気が付かない内にそれが行われているということ。体質や遺伝子などの共通点は未だ見つかっておらず、その予兆も全く明らかになっていないということ。
その事例がごく僅かしか存在しないため、その転換する瞬間や過程を記録した資料は一切存在していないということ。
「…………」
あまりのことに百合も言葉を失ったようだった。
数万人、いや数百万、数千万人に一人の確率で降りかかる現象……それがまさかボクに起こるなんて。
「この現象については社会的に大きな混乱を招きかねないことと、何よりも碧さんのような現象に見舞われた方の安全と尊厳を守るため、我々一部医療関係者や政府の人間などにのみ情報共有が行われています。偶然私にご相談頂けたのは不幸中の幸いと言いますか……いえ、そう言ってはいけませんね」
女医さんは困ったように溜め息を吐いた。
先ほどから、このボクの身に起きたことを現象と言い張ることといい、どうやらこの性転換が悪いことだと認めたくない……認めてはいけないような雰囲気を感じた。
近年性別関係の問題がややこしいことに関係しているのかもしれない。学校でも先生から、男女問わずさん付けされる感じのヤツに似た話というか……よく分からないけど。
「そう不安にならないでください。確かに我々は碧さんに起きた現象についてまだ多くを知りません。しかし、碧さんのサポートは万全に行わせて頂く所存です」
そう、女医さんはボクの両手を握って微笑みかけてきた。
正直、ドキッとしてしまう。だってこの人美人なんだもん! ついこの間まで男だったボクには心臓に悪い! 心なしか、白衣って色っぽいというかさぁ……!
「簡単な診察では健康そのものでしたが、念のため、もしもお時間に問題がなければ、この後碧さんには精密検査を受けていただければと思います。それと今後のサポートに関しては……そうですね、日和さん、検査中にお時間を頂いてもいいですか?」
「わ、分かりました」
まだ多少混乱しつつも、しっかり頷く母さん。
うん。難しい話はボクには分からないし、母さんが代わりに聞いてくれるに超したことはないな。
これからボクは検査を受けて……一応、他に何か深刻な病気が見つかったことは無いって言うけど…………ん?
「…………」
ふと隣を見ると、百合が黙って俯いていた。
その表情はどこか不安げで……ボクは思わず彼女の肩を叩く。
「百合、どうした?」
「兄様……」
百合はボクを見た後、じっと目を閉じ――開ける。
その目には、何か決意めいた光と、逆に何か怯えるような暗さがあった。
「あの、先生。私からも一つお伺いしてよろしいでしょうか」
「ええ、どうぞ」
「兄様ではなく、私が聞くのは間違っているとは思うのですが……」
百合は一度ボクに視線を向けつつ、それでも我慢できないといったようにその言葉を絞り出した。
「兄様は、治るのでしょうか」
「っ……!」
ボクと、同時に女医さんが息をのむ。
それはボクが無意識に、たぶん女医さんが意識的に避けていた話題だったからだ。
「……現状は、一度転換した性が戻ったという例は発見されていません」
「それって……」
本当ならボクがしなければならない質問を妹にさせてしまった。
そんな自己嫌悪に陥る暇も無く出された回答に、絶望感がこみあがってくる。
戻れない。もう、男性には戻れない。
そうかもしれないと思いつつ、直視できなかった現実が、目の前に広がる。
「ですが、それはあくまでまだ事例が足りないというだけかもしれません。性転換した人が二度と性転換しないという答えも出てはいません。ですから……」
女医さんが若干語気を強くしつつ言葉を並べていく。
けれど、ボクは何を言っているのか、殆ど聞くことができなかった。
その言葉の殆どがボクを慰める為のものだと感じつつ……けれど一方でその慰めがとても残酷に思えて、ただ俯き、拳を硬くして耐えることしかできなかった。
これは病気ではなく、現象。
けれど病気だったら良かった。病気なら、治す方法だってあったかもしれないのに。
起きてしまったことは、変わらない。誰が仕組んだのか、最初からそう定まっていたのか、ボクなんかには何も分からないけれど……。
ただ、どんな理屈も、ここにいない誰かを守るための誤魔化しも、何もかも意味が無い――事実はただ一つだけ。
ボクはもう、男には戻れない。
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