第16話 ようやく二人の心が通じ合ってきたか
「京子先生、まだ帰って来ないな」
夜の九時を過ぎたが、先生はまだ帰宅してこない。
やっぱり、お産は時間かかるんだろうな。今まで気にもした事なかったけど、大変なんだろう。
医師や看護師でもない俺に手伝えることもないので、帰りを待つ事しか出来ないので、リビングでテレビを観ながら時間を潰す。
俺は何をやっているんだろうな……というか、何がしたい? 将来の夢は?
子供の頃の夢はなんだっけ……そうだ、プロ野球選手だったかな。
ちょうどプロ野球の試合をやっているチャンネルを見て思い出したが、小学生の頃はそんな物に憧れて、野球を始めたが……野球の才能もなく運動神経も並以下しかなかった俺には無理な話だとすぐに思い知らされ、中学に入る頃にはそんな夢も完全に忘却の彼方になっていた。
それから惰性で野球を続けて、勉強もそれなりに頑張ったつもりだったが、結局大学は二流かFラン手前レベルの所しか受からず、就活の時も大手を何社か受けたが、全て書類落ち。
何とか就職した会社もとんだブラック企業で、結局一年半くらいで辞めて、現在無職と……今までの人生を改めて振り返ると情けなくなってくるな。
負け組も良い所だけど、そんな俺をエリートの女医さんである京子先生が好きになるとか有り得ないって。
「じゃあ、何で俺と?」
結婚しろとか迫っているんだろう? まさか財産目当て……な訳はない。
一年半しか働いてない今の俺はそんなに貯金もないし、実家だって別に金持ちじゃないからな。
うーん、彼女の考えていることがわからない。
俺がコンプレックスを拗らせすぎているのかもしれないが、常識的に考えてなあ……。
まあ、こんな事を考えていても仕方がないか。
一人なので、辛気臭い事を色々と考えてしまったが、今は京子先生がいつ帰ってきても良いように、俺が起きて留守番する事だな。
幸いな事に、昼間はずっと寝ていたので、今は全く眠くないので、京子先生がいくら遅くなろうとも起きていられそうだしな。
数時間後――
「ただいま。すみません、遅くなっちゃいました」
「おかえりなさい、先生」
日付が変わったころになって、京子先生がようやく帰ってきたので、すぐに玄関まで出迎える。
「夕飯、食べますか? レンジで温めますけど」
「すみません、先にシャワーを浴びたいんですけど、いいですか?」
「シャワーですね。どうぞ。風呂場掃除はしていますので」
「ありがとうございます」
京子先生はかなり汗を掻いていたようで、帰ってくるなり、すぐに浴室へと向かい、シャワーを浴びに行く。
難産だったのかな……やっぱり、産婦人科の医者って大変なんだな。
髪もちょっと乱れていたし、相当動き回っていたのは、見ただけでわかった。
「はあ……さっぱりしました。あ、まだ起きててくれたんですね」
「はい。夕飯、温めますね」
「ありがとうございます。あー、やっぱり英輔さん、とってもお優しいんですね」
「はは、これくらいしか出来ませんので」
先生が風呂から出て来たので、夕飯の残りをレンジで温める。
ついでに足りないといけないので、ご飯も炊いておいたが、まあ食べなくても明日、俺が食べれば問題はないな。
「ああ、わざわざありがとうございます。本当に助かりますわ」
「いえ、これくらいは……遅かったんで、心配したんですけど、急患があるといつもこんな感じなんですか?」
「はい。難産の時もありますし、帝王切開だったり、何か持病を持っている人の場合はもっと大変だったりしますので……今回は、自然分娩で無事に出産できたので、良かった方ですわ」
ああ、出産だって患者によって、色々あるもんな。
命に関わる事だから、京子先生だって失敗は絶対に許されない立場なんだし、疲労も相当な物なんだろう。
「ふふ、ちゃんと待っててくれて嬉しいです」
「先生が大変な時なのに、寝てられませんよ」
「気を遣っていただきありがとうございます。ああ、やっぱり英輔さんはお優しい方ですわね。私の目に狂いはありませんでしたわ」
「え? そ、そうですかね……」
目に狂いはないって言い方は少し気になったが、買いかぶり過ぎじゃないかなあ。
あんな姿を見られたら、どうにか応援したくなっちゃうよ。
「ごちそうさまでした。すみません、もう寝ますね。明日も仕事なので」
「え? 明日もいつも通り、出勤なんですか?」
「はい。明日も朝から患者さんの予約が入っているので、休んではいられませんよ。医者って、こういう仕事ですよ」
急患が入って出勤があっても、代休とかはないんだな。
うーん、当然と言えば当然なんだろうけど、医者って半端な覚悟じゃ出来そうにないな。
「片づけはやっておきますから、ゆっくり休んでくださいね」
「まあ、ありがとうございます。では、おやすみなさいませ」
温めた夕飯を何とか完食し終えた、京子先生は笑顔で俺にそう言い、寝室へと向かう。
笑顔を向けてはいたが、やはり疲れは隠せなかったようで、ちょっと足取りが重い感じがしていた。
「ふう……これで良いかな」
洗い物も全て終えて、俺もそろそろ就寝する事にする。
まあ、昼間に爆睡しちまったので、大して疲れてはいないのだが、今となっては良かったかもしれない。
「ぐっすり寝ているな」
寝室をちょとっと覗くと、先生はもう熟睡しており、邪魔しないようにそっとドアを閉める。
京子先生だって、ここまで想定はしてなかったかもしれないけど、先生のサポートが出来るようになれると良いなと思いながら、眠りに就いたのであった。
翌朝――
「あ、おはようございます、京子先生」
「おはようございます。まあ、今日は早かったんですね」
「はは、先生も昨夜は大変だったじゃないですか。朝食の準備、今、出来ましたから、どうぞ食べてください」
「ありがとうございます。ふふ、本当に助かりますわ。朝から英輔さんの手作りの朝食を食べれるなんて、とっても嬉しいです」
そんな事を言ってくれるだけでも作った甲斐があったなあ。
まあ、トーストとベーコンエッグに牛乳という、何の変哲もない朝食なんだけど、あんまり凝った料理も出来ないので、これで勘弁して欲しい。
「いただきます。うーん、美味しいです」
「ありがとうございます」
そうやって美味しく食べて貰えると、やっぱり嬉しいなあ。
家事のスキルは特に高い方ではないけど、一人暮らしで料理をちょっとやっていたのが今となっては役に立っている。
「ご馳走様でした」
「おそまつさまでした。片付けもやっておきますね」
先生も食べ終わり、食器の後片付けを始める。
京子先生が少しでも楽になれるなら、これくらいは頑張らないとね。
「はい。ふふ、もう宜しいですかね……英輔さん、これをどうぞ」
「何ですか、これは?」
「家の合鍵です。何か用があって外出をしたいときは、お使いくださいね」
「え? いいんですか?」
「はい」
京子先生が俺にこの部屋に合鍵を渡してくれたので、驚いて呆気に取られてしまう。
「ええ。今まで不自由な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。私も英輔さんの事を信じないといけないなって思いまして。あ、でも変な気は起こさないでくださいね」
「あ、ありがとうございます……」
思いもかけず、外出の許可が出てしまい、感激のあまり泣きそうになってしまう。
おお、先生も俺の事を信用してくれるようになったのか……今までヤバイ人だと思ったけど、なんか気持ちが通じ合った気分だ。
京子先生も悪いとは思っていたんだな……俺も彼女にもっと信頼されるように頑張らないとと、思ったのであった。
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