第5話 進むも地獄、戻るも地獄
全国には、
「自殺の名所」
と呼ばれるところが、いくつもある。
「樹海」
と呼ばれるところなどは、
「一度入ったら、必ず迷ってしまう。磁力の関係から、一度入り込んでしまうと、抜け出すことはできない」
ということであった。
こういうところは、全国にいくつもあり、一つは、富士山の麓あたりに集中しているという。
そうやって、他のところを見ると、その共通性というのは、
「火山」
ということであり、
「火山系の石が、磁力を狂わせるのかも知れない」
と言われていた。
これは、
「限りなく信憑性がある」
と言われているが、本当の証明というわけではないようだった。
ただ、一つ言えることは、
「樹海」
と呼ばれるところの下には、
「花崗岩のようなものが、下を這うようにして伸びている」
と言われているのだ。
そんな、
「石のうえに乗っかっているようなところに、森ができるというのも、実際にはおかしなことなのだろうが、どこの密林にも負けないほどの森がそびえているのは、それだけで、不思議なことだ」
といってもいいだろう。
石という言葉を聞いて、思い出すことがあった。
それは、
「石ころ現象」
というのだが、この言葉が、正しいのかどうか分からないが、この意識は、皆ひそかに持っているようなのだが、誰も口にしないという、こちらも不思議なことの一つでもあったようだ。
「石ころ」
というのは、たとえば、
「河原などに落ちている石ころは、そこに石ころがあるという意識は持っていたとしても、その石ころを、意識するということはない」
というものである。
もちろん、この感覚は石ころに限ったものではなく、他のものにも言えることだが、石ころを意識するというのは、
「石ころに、そういう力が備わっているからだ」
といえるからではないだろうか。
それも、
「なぜ石ころなのか?」
というのは、誰もが裏で認めているという、
「暗黙の了解」
なのではないかといえるのであろう。
「もし、自分が石ころになれたとすれば、それは、まるで、透明人間の原理に近づくことができるのかも知れない」
とも考えられる。
この、
「石ころ現象」
というものは、
「奥に入れば入るほど、曖昧なものになっていくのではないか?」
といえるのではないだろうか?
さすがに、
「自殺の名所」
というもので、
「進むも地獄、戻るも地獄」
ということで、気が付けば、どこにいるのか分からなくなっているのが、
「樹海」
というところなのだろう。
「自殺の名所」
としては、樹海よりも、もっとメジャーなものとしては、
「断崖絶壁」
と呼ばれるところである。
こちらも、樹海とは、大いに共通点があるというべきか、
「長年にわたって、自然の力で、石というものが、断崖絶壁と言われる、
「自然現象」
を作り出したということであろう。
ただ、こちらは、火山に関係があるわけではなく、そこにあるのは、海であり、打ち付ける波によって、石が積年によって、変形していき、最終的に、断崖絶壁を作り出しているということであろう。
この場合の、
「最終的」
というのは、今の時代を中心に考えるからであって、今度数千年と経っていくと、形をまた変えるかも知れないと考えられるからだ、
ただし、それも、
「地球というものが、存在していれば」
ということで、逆にいえば、
「人類や、他の生物は死滅していて、自然だけが残っている」
という、それこそ、
「国破れて山河在り」
の、
「山河」
ということになるのであろう。
そういう意味では、このような、
「断崖絶壁」
だけではなく、前述の、
「樹海」
にだっていえること。
こちらも同じような自然現象で作り上げられたものであるから、
「自然現象」
と呼ばれるもの、いや、それだけではなく、
「人工的に作られたものは、人類が滅亡したとしても残っているのか?」
それとも、
「自然現象が、なくなってしまったことで、人類が死滅するのか?」
ということは、そのどちらについても考えられることだ。
いや、もっといえば、
「自然現象に関係なく。人間が自ら作り上げたものが、ブーメランとなって、人類の滅亡に拍車をかけることになる」
というのかということだ。
それは、
「文明の利器」
と言われるもので、考えられるものとしては、
「フランケンシュタイン症候群」
というものに基づいた、
「ロボット開発」
によるものであったり、すでに開発されているもので、今では、
「パンドラの匣」
と称されるという意味での、
「核兵器」
などというのが、その一つではないだろうか。
さらに、もっと恐ろしいものとして、
「実際にあったのではないか?」
と言われる、
「バイオテロ」
である。
「故意か、自然現象か、どちらかに構うことなくできあがった、ウイルスによって、人類が死滅してしまう」
という、SF小説っぽい話ではあるが、一番恐ろしく、さらに、信憑性があるものだ。
最後には、苦しんで、人がバタバタと死んでいくのを見るのは、生き残った方としても地獄である。
そういう意味で、このバイオテロというのも、
「進むも地獄、戻るも地獄」
ということになるのであろう。
自殺の名所としての、
「断崖絶壁」
と言われるところで、
「下を見てしまうと、その時点で、平衡感覚を失ってしまい、谷底に一直線に落ちてしまう」
と言われそうな断崖絶壁であるが、
「なぜか、そんな恐ろしいところに、つり橋が掛かっている」
ということであった。
そのつり橋」
というのは、
「いつ誰が作ったのか?」
ということである。
見ているだけで恐ろしいそんな場所に、どうやら、少なくとも、明治時代からはあったであろうこの橋は、
「どうやってつけられたのか?」
ということである。
「どうして明治時代からあったのかというのが分かったのか?」
というと、明治年間の白黒写真が残っていて。そこに、つり橋が架っているからだった。
ただ、これは、断崖絶壁に限らず、キャンプ地などの田舎の、開発されたところにも、昔から、つり橋が架っていたということは分かっているので、それを思えば、そのつり橋がどういうものかということは、どこでも同じことであり、そこには、
「昔の人の、並々ならぬ知恵というものがあった」
ということになるのであろう。
それを考えると、
「今の時代においての科学力は、本当に先人による知恵の底力が結集されたものではないか?」
と感じるのは、無理もないことに違いない。
考えてみれば、日本人というのは、先人に、偉大な人が多かったというのは、その科学力や学問が、
「学校というものが、寺子屋以外には存在しなかった日本において、世界水準だったものがたくさんある」
というのもすごいものだといってもいいだろう。
それが、
「算術」
であったり、
「物理学の世界」
などにも言えることであった。
そもそも、江戸時代というのは、日本では、
「鎖国中」
だったではないか、そんな時代に、オランダから蘭学として、そして、中国からの朱子学というものが入ってはきていたが、それら発明は、どちらかというと、
「日本独自の発展」
といってもいいだろう。
子供たちが、今の受験戦争においての、算数の試験問題のようなものを作って、それを、神社などに、奉納しているというのだから、それは、すごいものだといっても過言ではないだろう。
日本という国が、明治以降も、弱小国であったにも関わらず、
「日清戦争」
あるいは、
「日露戦争」
に勝利できた要因の一つに、
「日本人独自の発想」
というものが大きかったというのは、間違いではないに違いない。
日本人というものが、どれほど優秀な人種であるかということは、
「江戸時代の算術」
ということから見ても言えることであろうが、無理矢理開国させられ、当初は、
「尊王攘夷」
ということで、
「外国人打ち払い」
という発想だったものが、
「四国連合艦隊」
による、
「関門海峡砲撃事件」
であったり、
「薩英戦争」
などというものがあったことで、主力の藩が、
「外国にはかなわない」
ということで、
「外国に追い付け追い越せ」
とばかりに、それまでは、外国勢力を受け入れるしかなかった時代から、
「不平等条約改正」
ということで、真剣に、
「殖産興業」
であったり、
「富国強兵」
という状況を作り上げるということで、国家がすべて、そっちの方向に動き出した時、ある意味、
「明治維新が終焉を迎え、近代国家としての、大日本帝国が成立した」
といってもいいだろう。
そんな中で、
「憲法制定」
「帝国議会の制定」
さらには、
「陸海軍の整備」
というものができたのが大きかったであろう。
日本は、
「立憲君主の国」
ということでの足場固めができ、そこから、世界に進出していくことになる。
ただ、その
「世界への進出の第一歩」
というのは、
「安全保障の確立」
ということであり、その仮想敵国として、どうしても無視できないのが、
「ロシアの存在」
ということであった。
そのために、絶対に不可欠だったのは、朝鮮の独立と、日本の影響力によって、
「防衛線を築く」
ということだったであろう。
そのため、
「砲艦外交」
によって、朝鮮を開国させ、それは、
「まるで日本が、アメリカに開国させられた、あの時と同じだ」
ということであった。
ただ、その時、宗主国として君臨していた、
「清国」
というものの存在が大きかったということで、結局、
「清国、日本、それぞれの権益が衝突し、韓国内にての、2度にわたるクーデターにより、結局、日清戦争に発展した」
というのが、
「歴史の流れ」
というものであった。
日清戦争というのは、日本の圧勝であったが、ここから大日本帝国の、世界の舞台への進出がはじまるということになるのであろう。
日露戦争は、日清戦争のようにはいかない。
いくら、
「東洋一」
と言われる、
「眠れる獅子、清国」
ということでの戦争、しかも、日本にとっての、全面的な最初の対外戦争だったわけで、勝利したというのはすごいことではあったが、ロシアが相手ということになると、そうもいかない。
世界でも有数の大国であることに間違いはないので、そのための、準備も万全を期さなければいけなかった、
何とか日本は、事前準備で、
「日英同盟の締結」
などを成功させることで、
「戦争ができるだけの基盤を作っての戦争」
となった。
しかし、実際には、作戦はうまくいかず、いたずらに、犠牲を出し続けるのが現状だった。
しかし、陸軍が何とか、旅順を攻略し、旅順艦隊を撃滅することができたことで、日本は、バルチック艦隊」
を迎え撃つことができるのだ。
しかも、バルチック艦隊が日本に来るまでの間、日英同盟のおかげで、艦隊は、ほとんどの港からの、物資供給や、食糧支援を受けることができず、日本に到着した時には、すでに、疲弊した状態であった。
それだけで、日本は、
「半分、勝った」
といってもいいくらいで、そこからの、海戦で日本が勝利したわけだが、この勝利の影には、
「下瀬火薬」
というものと、
「伊集院信管」
という新兵器が、活躍したことを、知っている人は、それほどいないだろう。
これも、日本の科学力であり、技術力である。
そんな新兵器まであるのだから、日本海海戦というものが、半日で、
「日本の圧勝だった」
というのも、納得できるというものである。
それを考えると、
「やはり日本人の発想力というものはすごいものがある」
ということであろう。
そんな歴史を持っている人間なのだから、
「断崖絶壁に、つり橋を架ける」
などということも、一見不可能に見えるが、やりこなせたのは、案外と、普通のことだったのかも知れない。
さらに、日本の建築文化として、
「城郭」
というものがある、
鎌倉時代に建設されるようになり、戦国時代には、防御の柱として脚光を浴びてきた。
「お城」
という文化。
それは、日本における建築文化の象徴ともいえるもので、天守に注目が集まりがちだが、実際には、石垣や櫓など、実際の防衛施設に、城が難攻不落だと言われる秘密が隠されたりしているではないか。
それを考えると、
「日本の文化の象徴が、お城だ」
といってもいいだろう。
その充実した構造、そして、それゆえの美しさと壮大さ。それが、日本文化が世界に誇るものだといってもいいだろう。
つり橋の技術がどのようなものなのかというところは分からないが、何といっても、鎌倉時代から、戦国にかけてと、わずか300年くらいの間に、急激に発展したお城という文化は、日本の、科学力の礎といってもいいのではないだろうか。
そんなことを考えてみると、
「日本という国の技術力はすごいものがあった」
といえるわけで、大日本帝国において、どのような政府が形成されていくのかということを考えると、もう少し、まともな国になっていてもよさそうなのだが、
「大東亜戦争」
というものの敗戦、
さらには、
「新しい日本国の形成」
ということであれば、まったく、
「過去の歴史」
というものから、少なくとも政府は、
「何も学んでいない」
ということになるであろう。
それを考えると、大日本帝国というものが、確かに軍国主義で、最後は、
「軍の暴走」
があったとはいえ、少なくとも、今の政府の人間よりも、
「国を憂いていた」
ということには違いないだろう。
それを、
「大日本帝国」
というものは、間違いであった。
などという意識があって、それを信じている人は、ある意味、
「平和ボケによる、お花畑にいる人たち」
といっておいいだろう、
少なくとも、歴史の流れを、
「黒船来航」
あたりから勉強をしてさえいれば、そんなひどい話になることはなかったに違いない。
そういう意味で、今の日本というのは、連合国、いわゆる、
「戦勝国」
によって、
「都合よく作られた民主国家という名目を持った日本」
ということになるのだろう。
それこそ、
「仮面をかぶった仮面舞踏会のようなものだ」
ということで、今の政府要人というのは、戦後からみゃう脈と受け継がれている、
「悪魔の紋章」
という仮面をつけているのかも知れない。
そんな悪魔の紋章を、今の世界において、
「いかに、悪魔の紋章に見せないか?」
ということが問題なのだろうが、やっていることは、完全に、
「悪魔の所業」
であり、それをいかにごまかすかということが、今の政治家なのだろう。
しかし、ごまかし切れるものではない、ほころびはどんどん出てくる。
それでも、生き残ってこれているのは、一定数の、
「熱狂的な支持者」
というものがいるからであり、
さらに、日本人の、
「政治離れ」
というのが顕著だからであろう。
だから、
「若者に選挙に行かれては困る」
というのが、今の政治家たちである、
なぜなら、
「年寄りの支持が、今の政府を支えている」
といってもいいだろう。
しかし、そのわりに、今の老人に対しての国家や、会社というのは、あまりにもむごい仕打ちを行っている。
このままいけば、
「姥捨て山の復活だ」
といってもいいんおではないだろうか?
姥捨て山というのは、
「貧しい農村などでは、食い扶持を少しでも減らすため、ある程度の年齢に達した老人を、山に捨てにいく」
という風習である、
これは、フィクションではない、実際にあった話であり、その内容は、映画になったりしたではないか。
それこそ、発想は、
「人柱に近いものではないだろうか?」
確かに、これは、昔のおとぎ話の時代のことだといってもいいのだろうが、明治以降になっても、ちょうど、満州事変前夜の日本は、
「昭和恐慌」
と、凶作が一緒に襲ってきて、農村部では、
「娘を売らないと、あすから食っていけない」
というような状況になっていて、実際に、
「人身売買」
というものが普通に行われていたといってもいいだろう。
そんな時代において、大日本帝国が、何もできないでいたが、そこで、関東軍が考えたことが、
「当時、満州では、さまざまな事態が起こっていて、結局、最後には、日本の食糧問題も一緒に解決するということで、最後には、満州での、軍事行動を起こし、最終的に、満州全土を征服する」
という行動だったのだ。
そのために、自作自演の爆破事件を引き起こしたわけだが、それも、中国による反日運動が究極の状態を迎えていたため、計画の実行は、必要不可欠だということになったのだろう。
そして、満州を、占領し、併合するということにしてしまうと、
「列強の不信感を買う
ということで、
「独立国家を形成し、そこには、清国最後の皇帝、愛新覚羅溥儀を擁立することで、あくまでも、日本の属国ではない」
というポーズをとったのだが、国連に提訴した中国側の要請で、調査団が作られ、
「国連による調査」
が入ったのだ。
そのおかげで、
「満州国は、日本の自衛のためではなく、自作自演だった」
ということになってしまい、多数決では圧倒的多数で、満州国は、否認されてしまったのだ。
そこで日本は、国連を脱退して、いよいよ、世界的に孤立の道を歩みはじめ、結局、
「ドイツ」
「イタリア」
と結び、
「ファシストとの協調を深めていった」
ということであった。
日本という国は、それだけ
「どうしようもないところまで追い詰められていた」
といってもいいだろう。
満州を占領して、日本から、たくさんの移民を受け入れて、そこで、新しい開発をさせるということに関しては成功したのだが、実際に、何かを開発できるだけの資源が眠っているわけではなく、
「満州は、王道楽土の、五属共栄の土地だ」
ということであった、
ここでいう、五族というのは、
「満州民族、漢族、超背にン族、蒙古民族、そして、日本民族」
ということであった。
日本人は、実際に、そうやって、いろいろと関東軍や日本政府の思惑に乗せられて、満州に渡り、
「酷寒の台地で、食物もほとんど育たず、豊富だと言われている鉱物も、正直、まともに使えるものもない」
というではないか。
それこそが、
「満州国の闇の部分」
といってもいい部分で、これも、一種の、
「悪魔の紋章」
ということで、考えられるものだといえるんおではないだろうか。
それが、
「進むも地獄、下がるも地獄」
自殺の名所としての、
「最初の一丁目」
ということになるのであろう。
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