第3話 背中の痣

「悪魔の紋章」

 と呼ばれるものの中には、人間の身体に宿るものもある。

 よく言われるものとして、

「人面瘡」

 などと呼ばれるものがある。

「妖怪・奇病の一種。体の一部などに付いた傷が化膿し、人の顔のようなものができ、話をしたり、物を食べたりするとされる架空の病気」

 と言われていたりする。

「悪魔の紋章」

 としては、一番まことしやかなものではないだろうか?

 確かにオカルト色が豊かで、

「都市伝説」

 としての素質は十分であろう。

 いかにも、現代の探偵小説や、ホラーなどで使われそうなものであり、その由来や、根拠も曖昧なものである。

 だが、それは、逆に言えば、

「あまりにも、奇抜すぎる発想であることから、今度は昔からの伝承の中にも出てこないほどだということで、逆に、都市伝説としてしか、理解されないものだ」

 ということになっているといえるのではないだろうか。

 この話が伝わるのは、

「釣鐘伝説の村」

 から、かなり離れたところであった。

 地方としては、同じ部類のところにあるところであったが、県も違えば、距離も結構はなれているので、

「まったく違う伝説」

 ということで、ほとんどの人は、

「そのどちらも知らない」

 という伝説であろうが、知っている人がいるとしても、

「どっちかは知っていても、どっちかは知らない」

 ということで、

「どちらも知っている」

 という人は皆無に近いだろう。

 どちらも、最近湧いてでたような話だということもあり、奇抜すぎて、

「笑われるのがオチ」

 ということで、

「口にすることも憚る」

 と言われているのであった。

 ただ、前章における、

「釣鐘」

 の話にしても、今の時代、戦時中に、供出されたことで話題になったことだというだけで、

「悪魔の紋章」

 ということになれば、実際の話は、昔からあったことなので、都市伝説としては、

「その根拠があいまいだ」

 ということから、いわれるようになったのだろう。

 ただ、この程度の根拠であれば、もっと曖昧なものが、伝承として残っているところも結構あるだろう。

 その違いに言及することもなく、そのどちらも、

「いかに考えるか?」

 ということに至るわけであり、それが、根拠として、実に都合よく使われかねないというのは、それだけ、都市伝説という言葉自体が、曖昧なものだと言えなくもないだろう。

 そんなことを考えていると、

「人面瘡」

 の話も、どこまでが伝説で、どこまでが、怪奇現象なのか、その境目が、根拠に結びつくのかどうなのか、それが問題である気がするのであった。

 こちらの話には、さすがに大学の研究チームが来るようなことはなかった。それだけ、ある意味、

「どこにでもあるような話だといってもいいのかも知れない。

 そnお身体に浮かんだ、

「人面の痣」

 であるが、一番言われていることとしては、

「血が濃い」

 ということからの、禍だと言われているようだ。

 要するに、

「近親相姦」

 と呼ばれるもので、昔から、

「よくない風習」

 と言われている。

 特に、

「近親相姦による妊娠によって、子供に障害が起こる可能性が高い」

 ということで、

「近親相姦は、禁忌だ」

 と呼ばれることが多い。特に、近親相姦により生まれた子供が、実は、同じ父親の女性をそれとは知らずに愛してしまい、

「自分には、親のけだものの地が流れている」

 ということで、その親たちに復讐しよう」

 とする探偵小説があったりした。

 しかし、本当に、近親相姦というのは、悪いことなのだろうか?

 確かに、宗教的にも許されていないことが多かったりする。

 ただ、これは、

「血のつながりが濃くなる」

 ということに焦点を当てた考え方であり、特に、

「輸血すら許さない」

 という宗教からみれば、

「近親相姦などありえない」

 といってもいいだろう。

 実際に、近親相姦というのは、昔は、「むしろ普通だった」

 といってもいい、

「日本では、かつては、歴史上、近親婚と呼ばれるものが実際にあったりしている」

 基本的に、近親婚として、

「三親等以下の結婚はできない」

 ということで、

「おじさんと娘」

 という関係はできないが、

「いとこ同士」

 ということであれば、結婚できるのだという。

 そもそも、その根拠はどこにあるというのか、医学的見地なのか、法的根拠なのか全くわからない。

 しかも、

「近親相姦で生まれた子供に、障害が多い」

 ということの根拠が実際にあるのだろうか?

 この場合の根拠というのは、どれだけのものをいうのだろうか?

 三親等以下ということは、

「いとこ同士くらいの血液の関係であれば、劇的に、障害者が生まれる可能性が低くなる」

 ということのなるのだろうか?

 つまりは、

「根拠」

 というものの証明が、必ず何かとの比較ということであれば、それぞれの根拠を、どのあたりから示すかによって変わってくる。

「今の時代だけで、本当に根拠となるのか、過去からずっとその調査資料が残っていて、それとの照らし合わせであるというのか、もし、そうでないとすれば、根拠だと言い張ることはできないだろう」

 そんなことを考えると、

「都市伝説における根拠というものの実証性は、どこからくるものなのか?」

 といえるだろう、

 それがどこからくるものなのか。その判断は難しいといえるだろう。

 身体にあざができる子供が生まれるということで、、

「よく言われていること」

 というのか、昔から、各地に伝わる伝説の中に多いという意味で、これも、都市伝説の一つのようにも言われていたのが、

 何か、精神的にショックなことや、ショッキングな場面に遭遇すると、生まれてきた子供に、赤痣が残るなどということが言われたりするというのであった。

 実際に、そういう話があることで、それだけ、

「妊娠中というのは、精神的にも不安定で、気を付けなければいけない時期だ」

 ということになるという。

 小説の中でも、

「子供にあざがあるので、表に出すことができず、しかし、ウワサだけが先走りして、蔵の中に、化け物を飼っているというような根も葉もないうわさを立てられ、いまさら、それが自分の子供だと言えずに、ジレンマに陥った母親が、最後には苦しんで、苦しんだ挙句に、気が狂って、子供を殺して、自分も自害する」

 というような話が伝わっているところがあるというのを聞いたこともあったが、どこまで本当なのか、分かったものでもなかった。

 精神的にショッキングなことが、どのように伝わっているのか、それを考えると、

「案外、元々は違う話であっても、年月が経って、時代が移り変わっていくうちに、次第に似た話になり、最初から同じだったのではないか」

 というような話になるかも知れない。

 微妙な違いは目を瞑ったとすると、結局、その違いというのは、

「どれだけの伝承を紡いでいるか?」

 ということを考えさせるものとなるであろう。

 そういう意味で。

「同じだと思われていた話にも、違いがあるように、今のおとぎ話として伝わっていることで、どこか、辻褄が合わないとされるような話の微妙な違いの出所は、そもそもの話が微妙に違ったからだ」

 ということで、逆にいえば、

「それぞれで伝わっていた話というのも、実は、一つであり、その一つの話は、辻褄の合わないことなどない、そういう意味で、根拠がしっかりしたものだったのかも知れない」

 と考えられる。

 ということは、

「根拠の曖昧な都市伝説」

 というものも、元は、どこかで一つだったものが、それぞれの地域で違った形で伝えられたものが、またおとぎ話などで再編成されそうになる時、曖昧なまま紡がれたことで、結局は、曖昧になってしまったということで、おとぎ話に収めることができず、口伝されたものが、それぞれの街で、

「都市伝説」

 として伝わったのではないか?

 というように考えることもできるのではないだろうか?

 それが、都市伝説の正体であり、それを教えてくれるのが、

「おとぎ話になれそうで、なれなかった」

 という、無数に存在するであろう。それぞれの村や街に残る伝説を総称して、

「都市伝説」

 というのであるとするならば、

「都市伝説こそ、根拠というものを複数持っていて、その結論というものを、どこまで、正確に、いや、どこまでたくさんの伝説を持っているかということで決まる」

 といってもいいのではないだろうか?

 そんなことを考えると、

「都市伝説と口伝」

 というものは、それぞれの村を一つ一つ探してみるのも、民俗学ともいえるのではないか?」

 ともいえるだろう。

 今の時代にも、

「百物語」

 であったり、数多くの知られざる伝説というものが、

「恐怖話」

 として語られるのも、それらの伝説が、

「無限に広がっているものとして、それこそ、無限が、都市伝説そのものなのではないか?」

 といえるのではないだろうか?

 そんな都市伝説の中での近親相姦という話は、先ほどの、痣というものに関係があるという伝説も残っていたりする。

 特に近親相姦というと、宗教的な話であったり、医学の話。さらには、倫理にかかわるという、昔からの問題にも、どこかで立ち向かう必要があるものとして考えるべきものではないだろうか?

 そんなことを考えていると、前述の、

「都市伝説が伝わることで、最初は同じだったのもが、一度別れる形になって、さらにまた一緒になる」

 というような仕組みの間に、その発想が膨らんでくるということにもなると考えると、そこにあるものは、

「また新しい、都市伝説を生む」

 ということではないか?

 ということは、

「近親相姦」

 という一種の都市伝説も、

「何か違うものに変化し、それぞれの場所で、それぞれの進化を遂げることで、最終的に一緒になった時に、何か別の神話を生むことになる」

 といえるのではないだろうか?

 そうなると、それが、

「身体にできた痣」

 といってもいいと考えると、身体にできた痣というものは、

「何かのショックによって生まれるもの」

 というのと、

「近親相姦によって生まれる、障害のようなものだ」

 と考えることで、この一つの事象に対して、二つの、あるいは、それ以上の発想が生まれるということになるのだとすれば、

「都市伝説というものは、さらに、分裂する機能があり、さらに、それが、似たパターンで形成されている」

 と考えると、

「近親相姦と、身体にできた痣」

 という発想は、

「別の都市伝説を生んでいるのではないか?」

 と考えられる。

 そこで、その都市伝説が何かということを考えると、そこで浮かんできたのが、

「悪魔の紋章」

 という発想である。

 これは、突発的に生まれた発想だと自分では思っているが、その根拠というものが、どこから生まれたのかということが、自分では分かっていないということになるのだった。

 だが、

「悪魔の紋章」

 という発想が、

「身体にできた痣」

 というものを、禁忌なものとして捉えるならば、その発想に、

「近親相姦」

 というタブーを思い浮かべるのは、無理もないことであろう。

 ただ、そもそも、近親相姦というのは、昔からあるもので、昔は、それほど禁忌なものだという発想だったのだろうか?

 実際に、法律的に禁止なものだったのかどうかというのは、そもそもが、

「強制的なものだったのか?」

 ということや、

「異常性癖の一つ」

 と考えるのであれば、犯罪の一つだったといってもいいだろうが、あくまでも、罪としては、倫理的なものであり、そこに絡んでくるものが、

「宗教」

 だとすれば、

「立ち入ることのできない」

 というものを宗教という倫理だとするならば、

「近親相姦によって、障害が生まれる」

 ということであれば、

「悪魔の紋章」

 というものは、人為的に作られたものではなく、倫理的なタブーから生まれたものだとすれば、それこそ、

「悪魔という言葉にふさわしい」

 といえるのではないだろうか?

「身体に残った痣」

 を持っている人というのは、母子家庭に多い。

 というこちらも、何の根拠もない都市伝説を聞いたことがある。

 これは、きっと、

「近親相姦」

 という禁忌から、その子は、ひそかに生まれ落ちて、母親と世を忍ぶように生きてきたのではないか?

 と思われる。

 中には、血液型の違いから、父親が、その子のことを、

「自分の息子ではない」

 ということが分かって、奥さんの不貞を理由に、離婚を申し込んだとすれば、

「母子家庭」

 というのもありえることだ。

 しかも、その不貞が、奥さんの中で、近親相姦であるといううしろめたさがあれば、

「離婚を言い渡されても、それを受け入れるしかない」

 という、大きなジレンマに陥ることになってしまうことであろう。

 それを考えると、近親相姦というものが、

「一度犯してしまった過ちを、拭うことはできない」

 ということになり、

「自分が呪われている」

 という思いから、呪縛を拭い去ることができなくなってしまうだろう。

 しかし、

「近親相姦」

 というものが、果たして本当に、

「禁忌なものだ」

 といえるのだろうか?

 昔でいえば、

「障害者が生まれる」

 ということで、たとえば、

「指の本数が足りない子供が生まれる」

 などということを言われ、中世などでは、

「悪魔の子供」

 などと言われ、

「忌み嫌われる」

 ということになったに違いない。

 何しろ、中世などでは、

「魔女狩り」

 などという、何の根拠もないと、今では言われているものが行われていたもではないだろうか?

 それこそ、悪魔の子供は、そのまま、その存在自体が、

「悪魔の紋章」

 といえるのではないだろうか?

 そんな歪んだ考え方が、都市伝説となって、

「悪魔の紋章」

 と言われるようなものになったのではないかと考えると、

「生まれてきた子供に、障害がなければ、悪魔の紋章ではないということになる」

 近親相姦の事実があり、障害者が生まれたということであったとして、それがたまたま、障害者だったのだということで、確定的に言われただけなのかも知れない。

 とにかく、

「近親相姦」

 というものを、悪魔の仕業として、確定することで、やめさせようという考えでもあったのだろうか、もしそうだとすれば、あくまでも、それは健常者の考え方であって、たまたま障害を持って生まれてきたこともの側からすれば、悲惨でしかないのである、

 そうなると、

「世の中というものが、どのようなひどいものなのか?」

 ということをいかに受け取るかということになるのであろう。

  身体に痣というものが、時々、動物の姿をしている人がいるという、その人の性格がその動物と同じような感覚になるというのは、どこかで聞いた話だったが、

「それこそが、都市伝説ではないか?」

 といえるだろう。

 実際に、今までの都市伝説の中でも、

「一番信じがたいことではないか?」

 といえるもので、それ以上に、まるで、逆のことが起こったように、愉快に感じられることもあった。

 身体にできた痣の動物が、笑ったかと思うと、精神状態も楽しく感じ、逆に、笑いごとでもないかのように、急に冷静になれば、痣の動物も、無表情になるのだ、

 無表情になると、まったく顔を歪めることがない分、そのまま顔が、まったく動かないことで、

「元々が何の動物なのか、分からなくなってしまうかのようだ。

 最初は、明らかに何かの動物だったのに、急に普通の痣に変わるのは、一人だけのことではなく、この痣が身体にある人は皆そうだった。

 だから、親子間でそういうことが遺伝したり、同じ村人の間では、同じ修正があるかのようだった。

 それを思えば、この、身体に痣があるとされる村の人が同じだということは、

「この村全体が、一つの家族のようではないか」

 ということになる。

 そう考えると、

「この村の元祖は、、近親相姦だったのではないか?」

 と思うのだった。

 そもそも。この村には、どれだけの人間がいたというのか。少なければ少ないほど、元々が、同種族ということになり、元々が、

「近親相姦でできあがった村ではないか?」

 と思えるのだった、

 だから、その人たちに、同じ特徴が見えるのは、

「村全体が、皆尾内ところから始まっていると思うと、近親相姦を疑うのは、あたり和えのことであろう」

  そういう意味では、

「別に七不思議というわけではない」

 といえるだろう。

 七不思議というのは、理解不能で、さらに、恐怖が募るべきものとして考えられる。

「都市伝説とどこが違うのか?」

 と言われるが、

「都市伝説というと、とにかく曖昧なもので、現代に起こったものである。七不思議というのも、基本的には、学校内部の七不思議だったりするものは、現代といってもいいだろう」

 といえる。

 七不思議というものは、さらに理解不能だと思うのだが、曖昧さは、都市伝説よりもないかも知れない。

 そんなことを考えていると、

「この動物の痣の奇妙さは、七不思議なのか、都市伝説なのか?」

 と考えさせられる。

 実際には、どっちなのか?

 ということを考えると、

 都市伝説というものを、いかに考えるかということから始めるべきなのではないかと思うのだった。

 親の遺伝が、痣になって現れるとして、その痣の下は、近親相姦だったのではないかと思うと、

「痣というものが、悪魔の紋章ではないか?」

 と思わせるのだった。

 都市伝説において、果たして、

「悪魔の紋章」

 というものが、どれだけ存在しているのか、分からなかった。

 さらに、その

「悪魔の紋章」

 というのが、背中の痣に限定されているというのは、そもそもが、

「背中にしか、浮かぶものではない」

 ということだからなのだろう、

 今回の、

「動物の痣」

 という七不思議は、時代的に、

「いつだ」

 というわけではなく、ずっと昔から今でも続いていることだったのだ。


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