第2話 釣鐘

 S県には、面白い話が伝わっている。少し恐怖のお話なのだが、その話は、少し怖いので、街の人だけが知っているようなことであったが、どこから知れ渡ったのか、大学の研究チームがその話を聞きつけたようで、近くの民宿に泊まって、数人の大学院生とともに、教授と称する先生もやってきていた。

 時代としては、こちらも、高度成長時期の、世間では、公害問題などが問題になっている。昭和50年代の前半ということであろうか。この大学の研究チームの専攻は、

「民俗学研究」

 ということであった。

 そもそもこの話の最初は、戦時中というから、昭和10年代にさかのぼることになる。

 かつての戦争というのは、日本という国が、最終的に、軍部の指導の下、

「自給自足の資源」

 というものを求めての、東南アジアへの進行が、米英蘭を刺激しての戦争ということになっている。

 相当、端折っていえば、そういうことになるのだが、それまでの歴史をどこから説明しないといけないのかというと、

「たぶん、ペリー来航にての、砲艦外交による開国」

 にまでさかのぼることになるのではないだろうか?

 つまりは、鎖国をしていた日本に対し、戦艦で、東京湾沖から、

「開国しないと、砲撃する」

 と脅かされての、交渉だったのだ。

「幕府が弱腰」

 ということで、各藩や、朝廷は、幕府を非難したが、一歩間違えれば、その時、そのまま砲撃されていて、江戸が占領でもされてしまうと、国家の存亡すら怪しくなってくる。

「アメリカの植民地」

 ということになり、その後の歴史はまったく変わっていたかも知れない。

 ただ、そこで日本は、何とか、

「不平等条約」

 を結ぶことで、植民地化は、開脱がれたが、

「領事裁判権」

「特殊関税」

 などと言った不平等な条件が、条約にある以上、

「名目上は、植民地ではないが、従属されているという意味で、属国に近かった」

 といってもいいだろう。

 最初こそ、

「尊王攘夷」

 ということで、

「天皇を奉り、外国を打ち払う」

 ということが言われていたが、その主たる藩が、外国と起こした問題の報復を受け、まともに、被害に遭ったことで、

「外国を打ち払うというのは、不可能」

 ということで、今度は、

「尊王倒幕」

 が叫ばれるようになり、

「新しい時代は、幕府を排して、天皇中心の、中央集権国家を作る必要がある」

 ということで、まずは、

「徹底的に幕府を潰す」

 という時代を作ったのだ。

 この時代において、幕府はすでに財政面でも、政治力でも、完全に限界に来ていた。そのため、長州と薩摩などの強力な藩が、結集して、朝廷を動かし、幕府を倒すということになったのだ。

 そもそも、長州、薩摩といえば、

「関ヶ原」

 の時からの、

「島津、毛利両氏による、昔年の恨み」

 というものも含まれていたのかも知れない。

 それを思うと、

「明治維新」

 というのは、歴史で習ったほど、正当性のあるものなのかというのを疑問に思っている人は少なくないといえるだろう。

 そして、新政府が目指すものの最終的な目的としては、

「欧米列強に、追い付け追い越せ」

 であったのだろうが、そのためには、それまでに諸外国に結ばされた、

「不平等条約の撤廃」

 というものが、大切になってくるのだった。

 そして、まずは、国内の改革が一番なのだが、相当な混乱があったのは、事実であった。

 何といっても、

「封建制度」

 という、武家中心の時代から、

「天皇中心の中央集権国家」

 を作ろうとするのだから、欧米を研究し、近代化を進めることで、新しい時代を建設するということになるのだろう。

 実際に、議会や憲法を制定し、いよいよ、近代国家として生まれ変わった日本は、克明を、

「大日本帝国」

 とすることで、

「産業を興して、国を富ませ、さらに、兵を強くすることで、国家の安全保障を行う」

 という意味での、

「殖産興業」

 あるいは、

「富国強兵」

 をスローガンに、新たな日本が生まれたのであった。

 その頃日本は、

「ロシアの脅威」

 を感じたことから、日本と同じように、鎖国をしていた、

「朝鮮を開国させる」

 ということを、かつて日本がされたと同じ、

「砲艦外交」

 によって成し遂げた。

 そもそも、朝鮮は、鎖国というものをしながら、清国に従属していた。

 いわゆる、

「冊封」

 と呼ばれるものであったが、そんな朝鮮を開国させたということで、日本は次第に朝鮮の内政などにも、次第に関与し始める。それによって清国を刺激し、朝鮮問題において、日本と清国がバチバチであったのを、まるで、川の両岸から、朝鮮という魚を釣り上げようとする、日本国と清国の様子を、遠くの端の上から眺めている、ロシアという構図を、フランスの風刺画で有名な、ビゴーが描いたことは、実に有名であった。

 まさにその絵のような状況において、結局、二度の韓国内の、

「クーデター」

 を経て、朝鮮に駐留していた日本と清国の間で、戦争が始まってしまったのだ。

 主戦場が、朝鮮半島だったというのも特徴的で、実は、その後に起こった日露戦争でも、奇しくも、同じようなところで戦闘が起こったというのも、面白いところであったのだ。

 結局、日本は、その

「日清、日露」

 と言われる戦争に勝利し、

「明治弱小日本」

 と呼ばれた国が。ロシアに戦争で勝ったということで、日本は、世界の列強に、並び立つことになったのだ。

 もっとも、性格に言えば、

「どちらの戦争も、相手国が弱っていた時期の戦争だった」

 というのも、日本には幸運だったが、

「日清戦争は、大勝だったといえるが、日露戦争は、薄氷を踏む勝利」

 ということになる。

 日露戦争においては、結局、どちらの国も、

「戦争継続が不可能」

 というところでの、講和条約だったので、

「結局。戦争賠償金が取れない」

 ということで、日本は、どうしようもない状態での、講和条約だったのだ。

 それを知らない国民は、暴徒化して、

「日比谷公園焼き討ち事件」

 というものを引き起こした。

「浅はかだ」

 と言われるかも知れないが、果たしてそうだろうか?

 国民とすれば、

「せっかく、国家を救ったといっても、たくさんの兵士が戦死しているのだから、戦争に勝利したのだから、賠償金を得るのは当たり前のこと」

 ということで、怒っているのであった。

 それも、時代の流れからすれば、当たり前のことであろう。

 国民の怒りを買いながらも、日本は、世界から一目置かれるようになり、不平等条約も、そのほとんどが改正され、そもそもの、明治維新がやっとここで、目標を達成したといってもいいだろう。

 だが、日本が、世界に出ていったことで、さらに厳しい状況に置かれていくというのも仕方がないことだったのかも知れない。

 そもそも世界情勢が、目まぐるしく変わっていったり、民族主義を抱える欧州などでは、国家の存亡のために、いろいろな

「同盟」

 が結ばれたことで、

「一つの国が戦争を始めると、その国と同盟を結んでいる国も宣戦布告をしなければならない」

 ということから、

「一つの火種が世界大戦を引き起こす」

 という懸念が、現実になったのが、第一次世界大戦であった。

 そこから、先は、さらに、混沌とした時代が続き、その間に、

「敗戦国であったドイツの動向」

 あるいは、

「株の大暴落に端を発した、世界恐慌」

 さらには、

「ソ連による、社会主義化、ドイツ、イタリアによる、ファシズムの台頭」

 などといういろいろな問題と、日本の国防のための政策として行われた、

「満州事件から、満州国建国」

 という既成事実を、列強が否定したことで、日本は、

「国際連盟を脱退」

 ということで、孤立化してしまったことも大きな影響があり、結局、

「日本は、ファシズムと結託するということになり、いよいよ、戦争へのカウントダウンが始まった」

 といえるだろう、

 中国との、

「宣戦布告鳴き全面戦争」

 に突入していた、大日本帝国は、経済制裁を受けたことで、

「自給自足のできない」

 ということでの、致命的なことにより、

「このままでは、どうしようもない」

 ということになり、結局、アメリカに誘い出されることとなったことで、結局、

「陸軍によるマレー上陸作戦」

 と同時に、

「海軍によるハワイ真珠湾攻撃」

 というのが、引き起こされる形になり、アメリカの思惑通り、

「日本を戦争に引きずり出したことで、アメリカも自国の議員を納得させ、やっと、世界大戦に参戦できるようになった」

 というのが、

「歴史の真実」

 ではないだろうか。

「まんまと戦争に突入させられた日本は、引きずり出された時点で、正直、負けは確定していた」

 といってもいいだろう、

 軍による、

「図上演習」

 においては、

「万に一つの勝利もない」

 ということで、一縷の望みとしては、

「最初に連戦戦勝によって、相手国の戦争反対論を引き起こさせ、講和条約でいい条件で和睦する」

 という作戦しかなかったのだ。

 しかし、戦争嫌気どころか、真珠湾においての、宣戦布告が遅れたことで、アメリカ国民の、

「反日感情」

 を逆なでしてしまったことで、日本という国は、その時点で、

「先を見失ってしまった」

 といってもいいだろう。

 それが、大日本帝国の、

「破滅への道」

 だったのだ。

 結局、最後は、占領していた太平洋を、どんどん、アメリカに奪還され、各地で、

「玉砕」

 という形での、必然的な、

「全滅」

 ということになり、どんどん追い詰められていく。

 アリアナ諸島を取られた時点で、日本のほぼ全体が、爆撃機の射程範囲内ということになり、毎晩のように、日本のどこかで、大空襲が起こり、焦土と化していったのだ。

 何といっても、大日本帝国は、

「絶対に降伏はしない」

 という考えがあり、地上戦になっても、

「国民が最後の一人となっても戦う」

 というような、

「日本本土が、玉砕」

 ということになったことだろう。

 それでも、最終的には、

「無条件降伏を受け入れた」

 一つは、

「天皇の裁可」

 ということもあったし、

「原爆投下」

 ということも、大きかっただろう。

 しかし、一番の問題というのは、

「ソ連の参戦」

 ということであった。

 そもそも、ソ連とは、

「不可侵条約」

 というものを結んでいた。

 だから、日本は、そのソ連に、連合国との間の講和条約の仲立ちをお願いしていたのだった。

 それが、

「最後の望み」

 だったのだが、そうもいかなかったようで、結局、日本は、

「ソ連に裏切られた」

 という形で、無条件降伏を受け入れるしかなかったのだ。

 ソ連は、

「火事場泥棒」

 ともいえるが、かつて、戦後のことを話し合う連合国首脳うによる、

「ヤルタ会談」

 で、事前に話し合われていたことだった。

「ドイツが降伏して、数か月の間に、ソ連は、日本に宣戦布告する」

 ということだったのである、

 だから、ソ連とすれば、

「連合国内における、ヤルタ会談の約束にしたがっただけだ」

 ということになるのである。

 日本は降伏したが、当初あった、

「日本の分割統治」

 が行われなかったのは、幸運だったといってもいいかも知れない。そんなことになれば、

「日本は、戦後ドイツの二の舞」

 ということになるだろう。

 これが、ざっと、

「開国から、大日本帝国の興亡」

 というところであろうか。

 もちろん、

「大東亜戦争の敗戦」

 というものが、大日本帝国の滅亡ということになるのだが、最後は、実際にはひどいものだった。

 戦時中などは、

「治安維持法」

 というものによって、国家総動員にそぐわない人間は、どんどん排除するということで、

「戦争反対論者」

 あるいは、

「社会主義勢力」

 などは、完全に迫害され、特高警察なるものから迫害を受けていたのだ。

 そんな時代の国民生活は、食事においては、

「配給制」

 ということで、食料などは、ほとんどない時代であり、さらに、戦争が泥沼化していくと、今度は、

「兵器を作るための、物資が足らない」

 ということから、起こったのが、

「金属類回収令」

 というものだった。

 家庭にあるいろいろなものを、政府が徴用できるというもので、特に金属類の徴収ということが行われたのだった。

 そんな中で、金属類としては、家庭からは、鍋やフライパンなどのものが、国家に徴用というと聞こえはいいが、

「接収される」

 ということで、それこそ、断れば、

「非国民扱い」

 というものをされて、特高警察の拷問が待っていることになるかも知れないのだ。

 それが、

「国家総動員法」

 であったり、

「治安維持法」

 というもので、つまりは、急ピッチで、

「戦時体制になった時、いかに、政府や軍が、戦時体制を維持できるか?」

 ということが、最優先だったということが分かる。

 しかし、それは、今の平和憲法の下、言い方は悪いが、

「平和ボケ」

 をしている、今の国民には、分かるはずのないことであるに違いない。

 それが、分かっているのか、いないのか。

「大日本帝国は、無謀な戦争に突き進んで、結局は、国民を戦争熱に賛同させておいて、今度は戦時中には、情報統制などをして、国民の戦争への高揚心だけは、絶やさないようにしながら、いかに、戦争を継続していくか?」

 ということが大切だったのだ。

 それがたとえ、

「玉砕」

 ということになっても、それでも、戦争を継続させる。

「最後のゴール」

 というものが、まったく見えなくなっているにも関わらず、最後には、

「日本という国を。どこに導こうというのか?」

 ということが定まっていない状態だから、それは、

「国家の滅亡を招いたのは、日本政府や軍に他ならない」

 といっても過言ではないだろう。

 万が一、何かの間違いで、戦争に勝利でもしていれば、この国は将来においてどうなったか分からない。

 もっといえば、世界は、まったく違った時代を生きることになるに違いなかったといえるだろう。

 そんな時代においての、

「金属類回収令」

 であったが、その時は、国家も、なりふり構わぬ状況で、どんな罰当たりなことでも、関係ないとばかりに、お寺にまで、

「釣鐘の供出」

 を命令するくらいであった。

 それが、何になるかというと、戦闘機になり、弾になりということになるのだろう。実際には、鋳つぶされて、終わりということで、それも、

「愛国心」

 という言葉で、正当化しておいて、逆らえば、

「事案維持法」

 を使って、何をされるか分かったものではない。

「まさか、寺を潰す」

 とまで言わないだろうか?

 昔から戦とかになれば、関係なく、神社であろうが、お寺であろうが、燃やされることは往々にしてあっただろう。

 しかし、さすがに寺に関しては、燃やしてしまって、それが後の遺恨ということになったこともあった。

 しかし、それはあくまでも、その時代に、

「寺社の力が強かった」

 ということであり、

「寺社を先に潰しておかなければ、その勢力に、邪魔されてしまう」

 として、先制攻撃ということはあったというものだ。

 しかし、言い訳はいくらでもできるだろうが、

「寺社を攻撃する」

 ということは、罰当たりなことではないだろうか?

 それを考えると、戦時中の、

「釣鐘の供出」

 というのはやりすぎではないだろうか?

 結構たくさんの人がそう思っていたかも知れないが、それを、

「罰当たり」

 と考えるのは、誰であっても同じこと、

「本当の罰が当たっても知らないぞ」

 と、誰もが感じていることだろう。

 戦争は、当然のごとく、敗戦ということになり、供出した釣鐘も残っていなかった。

 釣鐘としても、本来は、

「平和のため」

 だったはずなのに、それが、形が変わると、戦闘機や鉄砲の弾になるのだ。

 こんな理不尽なことはないに違いない。

 だが、それは、他の金属すべてにも言えるのではないだろうか。

 フライパンにしても、鍋にしても、

「人を殺傷する兵器にされる」

 などということを、夢にも思わなかっただろう。

 人間が生きていくために必要な台所用品の一つとして作られたのだから、

「人間が命を毎日つないでいくために使われる」

 という、

「人間のためのものである」

 ということで、それが、戦争の弾にされてしまうというのは、本当に、どうしようもないということになるのであった。

「国家というものが、人間を縛る」

 というのが、結果として、

「国家の末期だ」

 と考えれば、国家の興亡というのは、ある意味、分かりやすいというものなのかも知れない。

 供出されて、鋳つぶされた釣鐘が、その後、戦闘委や、弾になったのか分からない。

 ただ、軍需工場では、生産できるだけ生産していただろうから、

「鋳つぶされたのであれば、すぐに武器になっている」

 といっても過言ではないだろう。

 伝説というのは、そんな

「罰当たりな所業」

 というものに付きまとうのではないだろうか?

「釣鐘が戻ってこなかった」

 ということは、結構、寺の人たちにとっても、街の人たちにとっても、心の中に、想像以上の遺恨を残したようだった。

 田舎町のことだったので、空襲というものからは逃れられたということもあり、農村部はある程度無事であった。

 そのおかげからか、

「食糧も何とかなっている」

 といえるだろう。

 逆に都会から、食料調達に、

「物々交換」

 で、食料をもらいにきていた。

 世の中は、戦争に負けた時などの

「お定まり」

 ということで、いわゆる、

「ハイパーインフレ」

 となっていた。

 これは、

「物資が究極に不足している」

 ということで、

「いくらお金を持っていても、物資がないので、役に立たない」

 ということで、

「貨幣価値は、地に落ちている」

 というのが、ハイパーインフレであった。

 だから、いくらお金を持っていたとしても、紙くずに近いわけで、食料をお金で調達するなどというのは、不可能だったのだ。

 そのため、時代が進むと、物資の調達は、

「やみ市」

 などというところからの調達でしかなくなってくる。

 戦後も、戦時中よりさらに、物資が不足していて、食料も、配給制ということになり、それも、ほとんど食料にもならないものが、たまに配給されるという程度だった。

 今では聞いたことのないような言葉で、

「栄養失調」

 というもののせいで、毎日のように、

「人がバタバタと死んでいく」

 ということになった。

 途中で、

「闇物資などというものを使わずに、国家の配給だけでやっていく」

 という信念を持った著名人がいたが、結局、その人も、

「栄養失調」

 で死んでいったというような時代である、

 待ったなしで、生きようと思うと、

「何をしてもかまわない」

 というような、無法地帯での生き残りは、サバイバルという様相を呈していたといっても、過言ではないだろう。

 それが、戦後日本という時代だった。それでも、この街は比較的よかったということで、そこまで栄養失調を出すということはなかったのだ。

 時代というものは、皮肉なもので、

「日本を平和国家にする」

 という占領軍の使命で、ますが、

「武装解除から、軍の解体まで」

 ということが行われたら、それから数年で、朝鮮戦争が勃発したことで、日本の基地が前線基地となり、さらには、

「兵器の量産」

 ということで日本は、復興への足がかりであったり、それ以降の、特需に向けてのきっかけになったりしたのだった。

 それが、警察予備隊を作り、やがて自衛隊への流れを作ることで、平和国家の裏に、怪しい影が潜んでいるということになったのだ。

 その頃から、この土地では、都市伝説のようなものが叫ばれ始めた。

「それは、この街で、急に、精神疾患からか、狂ったかのように、発狂寸前になり、暴れるように、死んでいくという病気のようなものが流行った」

 ということであった。

 それは、当時としては、世間では珍しくないもので、

「栄養失調になる寸前の状態で、気が狂ったかのようになる状態から、死んでしまう人は、若干数いた」

 と言われている。

 だからといって、そんなにたくさんの人がいるわけではないのに、おかしいということで、その頃から、まことしやかに言われ出したのが、

「釣鐘に描かれていた絵の中に、悪魔の紋章が描かれていたので、それを鋳つぶすことになった罰当たりな行為に対しての報復だ」

 ということであった。

 その絵柄がどのようなものだったのかということを知っている人は、少ない。実際に見たことがあるという人も、それを再現して描くというのは、不可能だという。

「かなり複雑で、まるで、家紋のような絵だったから、それを再現するのは難しい」

 ということであった。

 絵心がある人ならまだしも、この街に、絵心があるというような人がいるはずもなく、もっとも、それが分かったところで、どうなるものでもない。あくまでも、ただの都市伝説でしかない。

 ということだったのだ。

 だから、人が死んだといっても、そのことを誰が、この、いわゆる、

「「悪魔の紋章のせいだ」

 といって、信じてくれるだろうか?

「気が狂って死んでいった」

 というのが、栄養失調のせいだというのは、こちらも、迷信のたぐいに違いなかったが、それでも、

「悪魔の紋章」

 という説よりも、よほど説得力があったので、怪しいことではあったが、

「栄養失調による死亡」

 という方が、まだ、よかったということで、この、

「悪魔の紋章」

 という説も、ほぼ、掻き消されたかのようになり、それだけに、迷信のたぐいは、口にするのは、タブーだということになったのであった。

 ただ、

「人の口に戸は立てられない」

 ということもあり、

「都市伝説」

 として、一人歩きをしているのであった。

 それも、ある種の

「オカルト研究会」

 と言われるところでは、実際にあったことであるかのように、

「まことしやかにささやかれていた」

 ということであった。

 そんな都市伝説において、S大学の、

「民俗学の研究チーム」

 というものが、この話に飛びついたのは、ある意味、

「必然であった」

 といっても、過言ではないだろう。

 要するに、民俗学というものと、都市伝説とでは、ある意味、相対的なものである。

 そもそも、民俗学というのは、

「村々に伝わる、昔からの伝承であったり、言い伝えのようなものを研究するというのが、その筋であるが、都市伝説というのは、同じ伝説でも、現代風の恐ろしい話を、あたかも昔からあったことのように言われるもので、それが、どちらかというと、根も葉もない。つまり、根拠があいまいな上で広がったものだから、余計に、昔からあったかのように言われることで、その根拠を植え付けようと考えているのかも知れない」

 ということであった。

 だから、民俗学を研究する人間には、都市伝説というものを、無視しては、研究できないといってもいいのではないだろうか。

 自分たちが、都市伝説というものを研究することは、その土地の研究には切っても切り離せないことだと思っているからであった。


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