「悪魔の紋章」という都市伝説

森本 晃次

第1話 絵画

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年11月時点のものです。とにかく、このお話は、すべてがフィクションです。疑わしいことも含んでいますが、それをウソか本当かというのを考えるのは、読者の自由となります。


 一人の青年が、大学アルバイト斡旋所で見つけてきたバイトが、

「博物館のアルバイト」

 だったのだ。

 このお話は、十数年前のお話であるが、基本的には、その当時の目線で書いているが、たまに、今の時代のことも書いている。

 ただ、それは、あくまでも、

「今の時代を引き合いに出す」

 ということでの客観的な言い回しになるので、そのあたりは、ご了承をお願いするに至る。

 今年に入って、斡旋所で、博物館でのアルバイトが結構あった。そのほとんどが、

「会場設営」

 であったり、

「撤去作業」

 というものだった。

 さすがに、美術品を扱える立場にはいないので、展示品を置くための、

「スペースづくり」

 ということで、設計図を基に、ただ、自分たちが動いているだけだった。

 そんなアルバイトは、ほとんどが夜中にやっているので、シーンとした中で、乾いた空気と、さらに、換気が悪いせいか、誰も何も言わないという状況だった。

 とりあえず、マスクをつけての作業であったが、やはり夜中の時間というと、

「普段は寝ている」

 と思うだけで、何か、自分だけがまわりから取り残された気分になってくるのだ。

 まわりに、同じように作業している人はたくさんいるのにである。

 ただ、時間的には、夜中なので、その分、給料が少しいいということではあるが、

「少々くらいであれば、別に関係ない」

 と思えるのだった。

 彼は、名前を瀬戸口といい、近くの?大学の2年生だった。アルバイト斡旋所には、一年生の頃からよく来ていて、学生でごった返しているその場所は、カオスになっているのであった。

 その頃の大学生のアルバイト斡旋所は、確か、

「学生相談所」

 という名前だった。

 今がどういう名前なのか分からないだろうが、昭和の時代は、まだすべてがアナログの時代で、それはそれで面白かったのだ。

 アルバイトが決まる仕掛けも、今から思えば、面白かった。

 掲示板と書かれているところに、いろいろな求人が貼られていて、そこには、番号が付けられている。

 そこに記載されているのは、

「定期か、日雇いなのか?」

 というところは、どちらかに丸がしてあり、さらに、その下には、その

「日時」

 が書かれているのである。

 そして、その下には、会社名が書かれていて、アルバイトにさせる業務内容と、会社の概要が書かれている。

 その下には、今度は、

「応募要項」

 である。

「男子のみ、女子のみ、どちらもいい」

 などというものだ。

 これは、それから、20年もすれば、求人というものに、

「男女の記載、年齢の記載も禁止」

 ということになった。

 それは、

「男女雇用均等法」

 というものが成立したからで、何しろ昔というと、女性社員も皆正社員であったのに、女性社員にだけ、お茶くみやコピーという雑用を全部やらせて、その分、給料は女性よりも安いというのが、当たり前だった、

 女性の中には、

「四年制大学を出ると、就職とかも不利になる」

 といって、わざと、短大に行く人が多かったりしたが、それも、男女が平等ではなかったからだろう。

 昔はまだ、

「スチュワーデス」

「看護婦」

「保母」

 などという言葉を使っていた時のことである。

 そもそも、

「言葉を変えればいいというものなのだろうか?」

 ということであるが、

「形から入る」

 という人も結構いるので、そのあたりが、問題なのではないかと思うのだった。

 そして、応募要項の下には、いよいよ、金額提示がされているのだ。

 例えば、

「日割り:5,000円」

 であったり、

「時給:700円」

 とかいうことが書かれていた。

 そういうものの下に、番号が書かれていて、それが、求人番号ということになるのであった。

さらにその下には、

「求人人数が書かれていた」

 ということである。

 いくら、10人が応募したとしても、結局は、3人しか募集していなければ、あとの7人は、いけないということになるのだ。

 応募する方の学生は、あらかじめ、会員登録のおうなものをしておく必要がある。確か無料だったと思うが、学生証などを身分証明として登録していくことになるのだ。

 そして、登録票なるものを交付してもらい、それが、その人の、

「身分証明書兼応募用紙」

 になるのだった。

 そこで、応募方法であるが、大きな棚のようなものがあり、その棚に、学生の応募用紙を入れる形になるのだが、その時に、入れる場所には番号が振っていあり、それが、そのまま求人番号ということになるのだった。

 時間内に、自分が選んだ求人と同じ番号のところに、自分の応募用紙を入れるのだった。

 だから、当然、

「二つ同時に応募するなどということはできない」

 というのは当たり前のことだった。

 選ぶ時は、いろいろと考えないといけない。それが、

「優先順位」

 というもので、

「いけるところがまず第一条件」

 というのは当たり前のことだが、あとは、

「金銭の高いもの」

「きつくないところ」

「応募が殺到しないところ」

 などと、優先順位に困るところがある。

 その場合は、その時の自分の状況にもよるだろう。

「どうしてもお金が必要な時」

 あるいは、

「金銭問題よりも、ちょっとした小遣い稼ぎでいい」

 という場合、

「暇なので、バイトでもしようか?」

 という場合によって、その目的がまったく違うのだから、当然、優先順位も違ってくることだろう。

 だから、今回の場合は、一番最後のところになるだろう。

「別に、お金に困っているわけではないから、バイトでもしよう」

 というくらいの軽い気持ちだったので、それほどきつくないアルバイトにしたのだった。

 アルバイトで、

「誰もがきつい」

 というものの代表例が、

「引っ越しのアルバイト」

 ということになるだろうか。

 こちらは、とにかく重たいものをもって。トラックと部屋を何度も往復しないといけない。さらには、重たいものは数人で運ぶことになり。一番脂ののった年齢でも、かなりきついのであった。

 その分、給料は十分に高い。時給という意味でいけば、他のバイトより、100円、いや、200円くらい高かったりする。しかも、客によっては、配送員一人一人に、

「ご祝儀」

 というものをくれたりするのだ。

 だから、引っ越しのアルバイトは、結構割に合うもので、金銭が最優先の時には、まず、引っ越しのバイトがあるかないかを探すのだった。

 春と秋には、結構引っ越しが多い。それは、転勤の時期ということでそれは当たり前だが、引っ越しセンターによっては、一日に二軒の引っ越しに駆り出されたりすることもある。

 ただ普段は、

「一軒終われば、そこでお開き」

 ということで、一日中ということでの契約であっても、終わってしまったのだから、日東として、満額もらえるというのは、引っ越しのアルバイトのメリットでもあったのだ。

 今回のアルバイトは、そんなにお金が必要ではなかったので、気軽に行けるところを選んだのだった。

 ちなみに、先ほどの、

「学生相談所」

 でアルバイトを決める順番の続きであるが、自分の行きたいところのケースに、決められた時間までに札を入れることで、時間がくると、今度は、相談所の係員の人が出てきて、決定するまでの対応を行うのだ。

 まず、求人番号順に裁くことになるのだが、それが、定員に対して、求人が同じか少なければ、その人たちはすべて、

「合格」

 ということで、そのまま、紹介状をもらうことで、手続きに入るのだ。

 しかし、求人に対して応募が多ければ、そうはいかない。どうするかというと、基本的には、

「抽選」

 を行うのだ。

 抽選を行って、合格者は、前述と同じように、紹介状をもらうのだが、もし、不合格になったとしても、そこで終わりではなかった。

 今の手順が粛々と、最後の求人番号まで行われると、そこからは、

「2回戦」

 ということになる。

 もう一度、いけなかった人が、応募できるという、

「敗者復活戦」

 ということになるのだ。

 つまりは、決定した中でも、

「求人の数に比べて、応募数が少なかったところは、まだまだ空きがあるということになる」

 ということは、

「再度、敗者復活戦ということになる」

 ということだ。

 求人番号で、もうすでに決まったところは、ケースを元に戻さず、ケースがあるところだけは、応募ができるという形になったのだ。

 だから、応募の箱に向かって、学生が、再度決められた時間までに、自分のカードをケースに入れていく。

 今度は、決まった人はほとんど帰ってしまったので、残った人は数少ないだろう。

 そうなると、ケースの数も少ないし、あとは早いというものだ。

 中には、その、

「敗者復活戦にも敗れた人もいるだろうが、時間的にはそこでタイムアップとなることが多い」

 という。

「たまには、3回戦目も」

 ということがあるらしいが、あくまでも、基本は2回戦まで、そうなると、

「人気があるところは結構競争率は激しいが、人気のないところは、とことん人気がない」

 ということになるだろう。

 学生たちは学生たちで、情報共有をしていて、

「あそこだけは、やめておけ」

 などという学生の間での暗黙の情報共有があり、結局、誰も、行かないというところが結構あったりする。

 そういうところは、金銭的な面でもそうなのだろうが、相手の会社に、

「気に食わない人がいる」

 ということが多かったりする。

「職人気質」

 と呼ばれる人であれば、どうしても、

「気が荒かったり、自分が一番正しいと思うのか、考え方を押し付けるという人は、今も昔も、一定数はいる」

 ということであろう。

 だから、

「実際に求人があっても、応募がない」

 というところは毎回同じで、そういう会社は、

「なぜなんだろう?」

 とその理由をまったく分かっていないところが多いということになるだろう。

 そんな中で、比較的求人も多いが、応募者も多いのが、

「引っ越し」

 というものと、

「会場設営」

 というアルバイトである、

 会場設営というところは、

「博物館や美術館」、

 さらには、

「コンサート会場」

 における設営を、監督のような人の指示に従って、行っていくだけである。だから、自分の場所というものもあるわけではないので、ある意味、

「何人かいなくなっていても、別に分からない」

 ということでもあった。

 同じ会社に何度も言っていると、そのパターンが分かってくるというもので、大体は、

「最初に点呼を取ると、あとは、昼休みと、昼からの始業を告げるのであるが、その時はいちいち点呼は取らない」

 ということだ。

 だから、最後に点呼を取るのは、給料をもらう時で、

「その時になればいればいいだけだ」

 ということで、ほとんどの時間、どこかに抜け出して、遊んでいる輩も数人くらいはいただろう。

 会場の人も、アルバイトが抜け出しているなどということが分かるわけもない。さらに、分かっているとしても、自分の仕事に集中しているので、そんな余計なことを問題にして、自分たちが叱られるというようなリスクは負いたくないだろう。

 だから、抜け出している人がいたとしても、いちいち目くじらを立てるようなことはしない。

「まあ、しょうがかいか」

 ということで見守るしかないのであった。

 それが、一般的な、

「会場設営のバイト」

 ということであり、瀬戸口青年は、結構このアルバイトには来ていたが、今のところ、抜け出そうとは思ったことがなかった

 というのは、

「もし、早く終わって、給料を渡す時間が早まったちして、結局給料がもらえな変えれば。何しに来たか分からない」

 ということであるが、それだけの問題ではない。

 なぜなら、

「お金を渡すときに、その本人がいなかった」

 というわけである。

 要するに、

「その人は、会場から抜け出していた」

 ということが露骨に分かるわけである。

 うまくやって、見つからなかったのであれば、それで問題ないのだろうが、ここまでハッキリと分かってしまうと、彼らも、

「会社に報告しない」

 というわけにはいかない。

 ということは、

「次からは、その会社の会場設営のアルバイトにはいけない」

 ということになり、下手をすると、

「学生相談所にもチクられてしまい、次からブラックリストに載るか」

 あるいは、

「しばらく、応募ができない」

 という制裁を受けるかも知れないということであった。

 それを考えると、

「目先の楽さに目がくらんで、下手なことはしない方がいい」

 と考えるのであった。

 実際に、過去にそんな人がいたのか分からないが、スマホはおろか、ケイタイもない時代である、誰かが、

「もうすぐ終わるから帰ってこい」

 というような情報を流すことも不可能だ。

 もっといえば、こんなことが続くと、ひそかに戻ろうとした時、入口で見張り番をしている人がいるかも知れない。それが怖いのだった。

 だから、怪しい態度をとるわけにはいかない。

 しかも、もし自分が、そういうことになってしまうと、監視も厳しくなり、募集も減るかも知れない。

 これは他の人にも迷惑をかけるということで、あまりいいことではないだろう。

 それを考えると、

「やつらが、やっていることは、本当に考えなしなんだな」

 と思うのだった。

 しかし、アルバイトでやるには、これほど楽なことはない。指示は全部してくれるし、ただ、それに従っているだけだ。

 瀬戸口は、アルバイトをするのにも、好き嫌いというか、向き不向きということで、

「立ち仕事」

 のようなことは苦手だった。

 というのも、例えば、

「販売の仕事のように、同じ場所でずっと立っていて、ただ、声を挙げて、いらっしゃいませという言葉を連呼するようなのは苦手だった。足がすぐに棒のようになってしまって、時間がなかなか経ってくれない」

 それがダメだったのだ。

 以前、一年生の時、3日間、スーパーの日曜日塗場で、販売の売り子のバイトをしたのだが、誰かが買ってくれるどころか、人がめったに通りかからないようなところに販売所を設置するものだから、耐えられなくなり、一度、立ち眩みを起こしてしまったことから、結局、最終日は、

「すいません、今日は無理です」

 といって、一日分のバイト代をふいいしたのであった。

 最初がそれだと、あとはトラウマになってしまい、結局、

「販売系のバイトはできない」

 ということで、それ以降、まったく手を出さなくなってしまったのだ。

 それを考えると、

「肉体労働の方がいい」

 ということで、

「引っ越し」

 であったり、

「会場設営」

 などのバイトに結構行くようになったのだ。

 その方が、時給も若干高いし、

「願ったり叶ったり」

 ということであった。

 そんなことを考えていると、

「今回の催し」

 という看板のような板が運ばれてきた。

 それを見ると、思わず目を引いた言葉があったのだが、それが、

「悪魔の紋章」

 という言葉であった。

 言葉自体も、おどろおどろしいのだが、何かゾッとするものを感じたのは、以前読んだ本の中に、

「悪魔の紋章」

 というタイトルの、探偵小説があったのを思い出したのだ。

 その話が、どういうものだったのか、細かいところまでは覚えていないが、どちらかというと、サスペンスタッチの、探偵小説だったような気がする。

「探偵と犯人の行き詰まる攻防」

 ということで、意外と少年少女に人気があった。

 昔であれば、マンガになったり、さらに昔なら、紙芝居などでやっても面白かっただろう。

 ある意味、

「勧善懲悪」

 ということで、人気作家になった先生で、実際には、

「ジャブナイル」

 と呼ばれる、少年モノを晩年には書いていたようだった。

 中には、猟奇的なものもあり、本格的なものもある、ある意味。

「オールラウンドの作家」

 だったのだ。

 実は、その作家の小説で、最初に読んだ話が、その、

「悪魔の紋章」

 だったのだ。

 あれは中学時代だったか、探偵小説が好きなやつがいて、その友達に勧められて読んだ本だったが、それなりに楽しかった。

 作家もたくさんいる中で、実際に、読みやすい作品でもあったし、作家の書き方も、探偵小説のわりに、分かりやすかったのは、少年向けの作品を多く手掛けているからなのかも知れない。

 その小説における、

「悪魔の紋章」

 というのは、確か指紋だったような気がする。

 それを思い出すと、

「内容のわりに、少しおとなしく感じたのは、指紋を使ったトリックのわりには、指紋の不気味さを表に出していなかったからだ」

 と感じた。

 しかし、読んだのが中学時代だったから、余計に、そんな風に感じてしまったのだろう。この話をもう一度、大人になって読み返すと、結構面白く感じた。それは、やはり、内容が本格派探偵小説で、理論立てて描かれていることが、

「大人の小説」

 を思わせるのだ。

 実際に、同じ小説を、

「少年用」

 ということで出していたが、同じ文章なのか分からないが、もし同じ文章だと、

「少年には分からないだろうな」

 と感じたものだった。

 そんな小説のタイトルが、

「悪魔の紋章」

 だったが、その名前は、別の作家の、話の中にも出てきた。

 探偵小説であることに違いはなかったが、内容としてはまったく違う。

「悪魔の紋章」

 の正体も、まったく違っているし、ただ、

「どちらの小説も面白く、甲乙つけがたい」

 といってもいいだろう。

「しょせん、素人読者が、プロの作品を批評するなどおこがましい」

 といえるだろうが、プロや、作家業界からすれば、

「作者の意見を真摯に受け止めて、素直に、改善の余地とする」

 と考えている人も多いだろう。

 要するに、

「ファンを大切にできないプロは、作品もなかなか売れない」

 ということだろう。

 それだけ、

「読者を自分のファンだ」

 と感じることで、

「いい小説を、これからも書いていける」

 という姿勢に繋がっていくというものだ。

「プロというものは、油断をすると、すぐに、上から目線になってしまう」

 といってもいいだろう。

 それを考えると。これは、小説家だけに限らず、プロと呼ばれる人は、同じような考えを持っていないといけない。

 ということになる。

 確かに、

「プロが作品を作る時は、プロの気概を持っていないといい作品は作れないだろう。しかし、できた作品に対しては、謙虚でなければいけないし、プロとしてのプライドを天秤にかけるとどちらが沈むか、それによって、売れるかどうかも決まってくるのかも知れない」

 と感じるのだった。

「自分はプロではないので、えらそうなことは言えないが、それくらいのことは思っておかなければいけないだろう」

 ということであった。

 そんな小説を思い出していると、ここの博物館の今度の催し物が、

「悪魔の紋章」

 であると知ると、昔のことを思い出してきた。

「そういえば、数年前に、悪魔の紋章という絵に、盗作の疑いがあるということを聞いたことがあったな」

 ということを思い出した。

 それが何なのかということをその時は分からなかったが、思い出してみると、そこにあるのは、

「何やら、双子のようなものだった」

 ということである。

 双子というと、昔から、あまりいいイメージがなかった。

 ある村の言い伝えとして、子供に、双子が生まれると、片方は、

「絶対に早死にする」

 ということであった。

 そして、生き残った方は、実に賢い子であり、

「死んだ片方が、生き残った方に乗り移って、一人で二人分を生きているんじゃないか?」

 と言われあものであり。その分、片方は、

「幸せに暮らすことができる」

 ということであった。

 早死にした方が、

「かわいそうだ」

 という考え方もあるが、この村ではそうではない。

「かなり供養を施しているから、生き残った方に、その魂が宿っているというだけで、ひょっとすると、時々、もう一人が表に出てきているのではないか?」

 というのであった。

 しかし、性格が似すぎているので、死んだ人間が出てきても、誰にも気づかれない。それを、村人は、

「いいことだ」

 というのだ。

 ただ、それは、村人の勝手な発想であり、都会の人だったり、昭和という現代の人が考えると、

「死んでしまって、自分の個性を出すことができない」

 というのは、実に気の毒なことで、もう一人の身体を借りて生きているということは、本当であれば、屈辱的なのに、そんなことを感じることもなく、ただ、黙って従っているだけというのは、本当に死んでしまったということになるからであろう。

 そう思うと、

「もう一人の身体に乗り移ってしまったことで、自分が表に出てくる時は、身体に何かおかしなものが浮かび上がってくるのではないか?」

 と感じると、

 それが、いわゆる、

「悪魔の紋章」

 ではないかと思うのだ。

「悪魔の紋章」

 というのは、この双子という関係性において、相手が人の身体に乗り移ってでも生きていこうという気持ちの表れだとすれば、身体に出てくる、

「悪魔の紋章」

 というものは、

「双子ならでは」

 ということになるのだろうと感じるのだ。

 その作品を盗作するなんて、

「なんて罰当たりなのか?」

 とも考えられるが、

「盗作することによって、もう一人の自分を表そうとする」

 という考え方は、本当は、悪いことどころか、むしろ、

「死んでしまったもう一人の供養という意味で、表に出てくることを、悪くないと思わせるためのことではないか?」

 と感じさせることであった。

 それを思うと、瀬戸口は、

「そういえば、この悪魔の紋章と呼ばれるものがどんなものか分からないが、初めて見るものではないように思えてならない」

 ということであった。


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