モノローグ(柳)
◯
一A 四限現代社会
英語でも数学でも桜井には絶対敵わないが、現代社会なら自分の勝ちである。が、桜井に言わせれば、それこそ自分が馬鹿?だという証明なのか……
日本史にしろ地理にしろ、社会系の科目だけが得意、それは裏を返せば理数系が駄目であるという訳である。それで頭脳明晰ではないという事実をひた隠そうとするのだが、桜井の前ではそんなのは無意味である、教師ですら教養のなさが露呈してしまう程なのだ。だから開き直って、こうして素直に馬鹿丸出し出来るのかも知れない。
しかし、英語で桜井に勝てる人間など、当の英語教師を含めてもいない筈だが、私の負けね……と、あの負け知らずの、当の桜井が言ったのだ。もっとも、あれが英語の勝負と言えるのかは置いておくにしても、だ。
……そうなのだ、以前に桜井を感服させたり納得させた事なんて、たった一度もないのだ。いつも自分が感服させられる、桜井は「凄い」と。
自分は今、桜井の何に勝ったのか? ただ白人Aと黒人Bにきちんとした名前があったなら……そんな他愛もない話をしたつもりだった。それが一方的に名前当てクイズみたいな勝負に持ち込んだのも桜井なら、勝手に負けを認めたのも桜井だ。しかも本当に重々しい顔で敗北感を滲ませているのだから、ますます分からない。あれがそんなに重大な勝負だったとでも?
そんな事より、自分にとっての重大事は何であったか……そう、「海」だ。そして桜井の、あの話ではなかったか。……自分は海を見たことがないけど常識としては知っている、でもそれは知っているつもりなだけ、海なんて少しも理解していない……それを桜井にズバリ指摘された事だった。自分でも一応は分かっていた、生来からの盲人でもないのに、海すらまだ一度も行って実際に見たこともないのだ……それが普通の人間としてどれだけ未熟であり稚拙であるのかを。誰もが出来る当たり前の事が出来ない「情け無さ」……「それ」は桜井の前に出て終いに感じる「それ」なのか?……自分が無(
ゼロ)に等しい存在に成り下がるみたいな……
でも、人間誰しも完璧ではない。何でも出来る訳がない。得手があれば不得手があったって良いではないか。「海」が駄目なら……その対は「山」であるが、子供の頃は近くの山によく登った、坂戸山という標高六百メートル程度の山、初夏の山開きの頃になるとよく登った。山をこの目で見たことがない人はまずいないだろうが、それでも実際に山へ行き登山した人はどの程度いるだろう。自分は海の事を気にする度に、同い年の東京の人だってどうせ山登りなんてしたことないだろう、海に行った事ないなんてそれと変わらないだろ?などと都合よく考えていた。
以前、テレビの全国ニュースで各地のゴールデンウィークの賑わいが放送されていた時、東京の高尾山という標高六百メートル程度の山が紹介されていた。それを見て、え?山?どこに山?と思ってしまった記憶がある。山道は完全に歩き易く舗装され、山道と言うより参道である。険しさは何処にもなく、山頂には何と売店がズラリ。
八海山を筆頭とする越後三山……それらに連なる山々に四方八方囲まれて暮らしている山男?の自分からしたら、この山は「山」ではない、高尾丘とさえ呼べるかどうか……そう、行楽地だ、高尾ハイランドみたいなネーミングの。事実、そのテレビニュースでも観光名所として紹介されていた気がする。
そんなある意味平和なニュースの数日後、ゴールデンウィークで長野アルプス登山に来ていた都内の職業会社員の誰某が遭難とのニュースが流れた。そのヘリコプターからの上空映像を見て、これが「山」なのだと再認識した。空から俯瞰して見る山とは、人間が想像する以上に恐ろしく巨大な存在だった。山と比較したならば、人間など米粒どころか無に等しい。捜索が極めて困難なのも頷ける。
だからこそ桜井に言われた、自分が海をこれっぽっちも理解していないという事……それがどういう事なのかよく分かるのだ。つまり自分はビーチの雰囲気を演出した健康ランドの温水プールで海水浴した気になっている、小さな人間だって事だ。
海は「大きい」が、自分は「小さい」人間。結局、これだ。……いや、名前は「大きい」のだが、実際は「小さい」……それが、自分。名前負けとは、よく言ったものだ。海の様に「大きい」桜井の前に出て、自分は何かが「小さい」と知る。何故だろう……
桜井は自身の事を「私」と呼ぶ。当に英語の一人称、大文字の「I」そのものだ。柳こと自分は、こう「自分」と呼んでいるが、自分こと「私」なのであるから……結局英語でも「I」である。英語に変換したら同じであるが、桜井の「I」の前では、自分は小文字の「i」に成り下がってしまう?みたいな。桜井に出会ってから、いつしか芽生えたこの感覚。自分は他人と比べたりしても、あまり引け目を感じる事はなかった。自分が他人より秀でているからではなく、自分は自分、他人は他人、所謂マイペース……そんな考え方だから。他人……それはあの別格な存在、桜井に対しても同じだ。別に桜井に負けても悔しくはないのだ。……ただ、桜井に対しては、個人的な優劣や勝ち負けみたいな感情とは違う何か……基本的な力、パワーの規格そのものの違いを感じてしまうのだ。象と蟻が相撲を取ったって、勝負にはならない。1トンと1ミリグラムでは力勝負としての比較以前に土俵が違うだろう。とにかくその桜井のパワーの前では、自分のパワーは決して逆らえない様な……重力の前では、地面から決して逃れられないみたいな。そんな自分の「存在感」さえ霞んでしまう重力みたいな圧倒的なパワー…… 桜井から感じられる、あの圧倒的な力の正体は何なのだろうか……
力……行動力や実行力、決断力とかいう能力の差は確かにあると思う、桜井を見ていると、つくづくそう感じる。監督にしろ社長にしろ首相にしろ……上に立つ人間ほど、その能力はより大きくなのだろうか。それは無意識の内に理解はしていた。そうした力を備えた人間……桜井さんを知っているから。もちろんあの桜井の事ではない。桜井は三年程前にこっちにやって来たのだから昔から知っている訳じゃない。日本全国に十人十色の桜井さんがいらっしゃるのは当然だが、この辺では多い姓でもあるから、緑色の桜井が来てから一層ややこしい。その下の名前で呼べば怒るし……何でも向こうではグリーンは人に対して使うと、青臭いとか青二才の意味合いがあるとか。成程。
その某桜井さんであるが、この辺りに地盤の本営があったので親世代からしたら城主の様なな存在だったのだろう。昔は戦があれば圧倒的な強さであったという。
戦国時代は昔の話でも、現代に於ける天下統一の戦と言えば、もうお分かりだろう。とは言え……ここ地元新潟の武将(政治家)を挙げるなら、その昔は言うまでもなく上杉謙信であるが、現代では誰か? そう、その天下すら取った圧倒的な実力、知名度からして、まず以て田中角栄元首相である。その角栄氏の「日本列島改造論」……この田んぼと畑しかない魚沼に新幹線を、しかも二駅に渡って走らせるなどという非現実的な事、そうは問屋が卸さない。それでも「越後湯沢駅」はまだ分かるが……苗場スキー場は全国区だし、温泉街であるのは川端先生の「雪国」で周知の通りだ。……しかし、「浦佐駅」……自然豊かで良い所なのは間違いないですが……他に何があったか……ここで新幹線を乗り降りする人がどれだけいるのかは分かりませんが。更に謎なのは、何もないこの浦佐駅前に角栄殿の銅像が場違いの様に建立(君臨)されておられる事。これは一体何を意味するのか。とにかく、非現実的な事をを実現せしめるには、不可能を可能たらしめるには「圧倒的な力」が必要なのだ……と、頭で考えなくともこの銅像を目にするだけで子供でも無意識に理解出来てしまうこの凄さ。政治家は嘘つきだとも言われるが、嘘も実現してしまえば本当なのだ。つまり当選したらしたで選挙公約が果たされない嘘つきと呼ばれる政治家は、結局は現実にさせるだけの「力」がなかったと。
一国の大臣にまで登り詰めたあの某桜井さんの力すら霞んでしまう様な、圧倒的な「(権)力」……これを「凄い」と言わず何と言うのか。
そんな「凄い」人物伝ではあるのだが、日本の歴代首相とかには何故かあまり興味を示さない桜井。なのに、かつてのこの地元の名士……某桜井さんには関心があるらしく、やたら自分に聞いて来る。桜井が政治に興味あるのは何となくは知っていた、サッチャー元英首相の話とか一方的に話して来るから。以外な一面があったものだ。だがよく考えてみたら、桜井が興味を示した政治家は某桜井さんとサッチャー女史だけである。何故だろう、同姓(桜井)だから妙に意識しているのだろうか?いや同性(女)だからか? ならこの二つを足したらどうなるのか??
「女」の政治家、「桜井」の誕生……
……桜井、まさか本気ですか? ……いや、確かに桜井には「そうした力」は総て兼ね備えている。元々桜井は知力、体力、精神力など基本的能力が突出しているのは言うに及ばずである。(桜井に唯一足りない力があるなら女子力くらいか……) だが、「行動力」「実行力」「決断力」等々……そうした力は一学生の日常生活で垣間見る事などなかなか難しい筈なのだが……桜井を見ているだけで「そうした力」は十分過ぎる程に分かる?のだ。それはもう、傑出した人物が身に纏う風格として……
なら、「そうした力」……更に言えば、それらを束ねた「総合力」とは、最終的には「権力」に変わるのだろうか。それより下の小さな力が束になっても敵わないのか。
日本のトップは総理大臣だか、一国の頂点に立つのに並の能力では到底務まる訳がない。外交、経済、軍事、カリスマ性、ゴルフ?……等々、あらゆる能力、手腕が要求されるに違いない。この国における総ての事柄を扱い処理するのが総理大臣なのだとしたなら、あの桜井にはその資質があるのかも……
そう、どんな難問、奇問だろうと総ての事柄を最終的には何とか理解してしまう、あの「総理解」としか言い様がない、卓越した問題解決能力……桜井が答えられなかった問いなど果たしてあっただろうか? 桜井のソレは単なるIQみたいな理解力という「力」だけでは推し量れないのだ……が、そもそも「力」とは何なのか?
全ての力には大小の幅がある。昔、日本はアメリカに負けたそうだ、力の大小で敵わなかったから。自分が生まれる以前の昔の事だけど、その力の大小差は今も変わらない、ニュースを見れば分かる。より権力があるのはアメリカだ。
けどある日、日本がアメリカに勝った?みたいな昔の記事を見た。日本の力が大きくなった訳でもアメリカの力が小さくなった訳でもないのにだ。
この太陽系の現実世界における無力以外の全ての力(武力や権力、思考力、腕力、気力、魅力……等々、以下略して総合力)は「アナログ」という力だ。よくアナログは連続かつスムーズで、デジタルは不連続かつカクカクなイメージはあるが……
このアナログを力で見た場合「大小の幅」がある。はっきり言って、総合力としてのアナログ(大小の幅の差)では日本はアメリカに当分勝てないのだろう。一朝一夕で力の差なんて縮まらない、「ローマは一日にしてならず」だ。
でも、ファミリーコンピューターの中の世界……仮想の世界では、現実世界にあった全ての力の大小がないのだ。当然だ、その仮想世界を支えているのは太陽系ではなくファミコンなのだから力なんて概念すらないのだ(しかしファミコンを支えているのは太陽系だろう?といった、そういう次元の話ではないのだ)
ファミコンはコンピューターだから、根本的には「アナログ」という概念がない、そういう話である。あるのは「デジタル」という概念だけ。大小の幅ではなく、「1(存在)」と「0(無)」の2つのみ、1が大きくて0が小さいのではない、存在するか、無か。
太陽系では桜井は大きく、自分は小さい。ファミコン系では桜井は存在し(1)、自分は存在しない(0)……そう考えるとより恐ろしいのはコンピューターや、そこから生まれるインターネットの世界だ。この世界は太陽系だからそんな心配は無用なのだろうか。ならばどうして桜井の圧倒的な力の前で……自分は存在しないに等しいと錯覚してしまうのか? ある意味この世界もまた、見方を変えたなら……
結局、日本がアメリカに勝ったというある昔の記事とは、テクノロジーの一分野で日本が優位に立った……というだけの話。日本がアメリカに勝てる訳がないのだ、だからその勝負の場に日本だけがいて、アメリカはいなかった、そんなニュアンスが感じられた。日本は主要先進国の一つと言われるが、海外の大国と力の大小で競い合って台頭したと言うより、日本だけやたら勝手に独自の新規格や新技術を生み出して、小さいまま1(独自)の存在感だけは異様に増していったみたいな……そんな所だろうか。小さいと言えば……コンパクトディスクことCDなんて、あれは欧州と日本の二大エレクトロニクスメーカー主導だが、実質は世界のフィリップスが技術のソニーに乗っかった形とも取れるし、逆から見て世界標準を目論む日本企業からしてもそう。六十分程度の再生時間が限界のアナログレコードより遥かに小さく、それを上回る再生時間と音質。大は小を兼ねるなんて、デジタルからしたら逆なのか。島国の小国にして経済の大国、それが日本……いやジャパンなのか。とは言っても、実際の国力は、アメリカからの小麦粉で日本食のうどんを作っていたりする、そんな小さな国。最終的に本気で喧嘩したなら、本当の意味での大きな国はやっぱり……
だから自分は桜井と同じ土俵に上がっても仕方ない、海はいい加減そろそろこの目で見ないと恥ずかしいのだが、海外なんてそう気軽に行けやしないと考えてしまうのが自分。そんな行動力も欠けていれば、語学力もないから足踏みしてしまうのだ。桜井の指摘、自分は海もアメリカも、何も分かってない……その通りなので反論の仕様もない。それでも桜井と同じ理解の仕方が出来ない代わりに、自分だけのモノの見方で何かを掴むしかない。
海にしろ、アメリカにしろ、何にしろ……実際に、直に、見聞せずとも……その本質だけは手中に収めるモノの見方、理解。そんなのがあれば桜井の前でも小さく感じずに済む……いや、自分は「存在」するのだろうか?
……でも、そうしたら桜井はどうなる? あの桜井に対して、「凄い」とすら感じなくなってしまったなら、自分にとって桜井の存在など……
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