モノローグ(桜井)

     ◯


 一限が終わると同時、あの大馬鹿連中が揃って席を立つ、当に連中とはこの事。柳のクラス、一Aに向かう気だろう。もちろん目的は和訳のメモ取り。別にセコいとか言うつもりもないけど……ちょっと困る。私も柳とはさっきの話の決着がある。だから連中は正直邪魔なのだけど……仕方ない。連中を呼び止め、私が先陣きって一Aに向かった。


 おう柳、ちゃんと和訳メモしたか?と、私の背後から連中がしゃしゃり出た。……ああ一応……って、桜井も答え合わせなんて珍しい、とか言っている柳。

 柳の机にはまだ課題プリントが出しっぱなし、もちろんプリントは英語Ⅱの英会話の方。それにしても粗末な課題プリントよね……と、机からそのプリントを取り上げて柳に言ってやったら……

 だよな、その写真のアメリカ人、白人だから白黒コピーで真っ白だしアフリカ人の方は逆に真っ黒だし……と、私に同意している。私が粗末と言ったのはプリント画質の事じゃないけど。でも、また柳がどうにも看過出来ない事を口にしたものだから、その写真の白人を見つめながら柳に異議してやる。


 この白人がアメリカ人? だからさっきから言っているけど、柳は海もそうだし、アメリカも全く分かってないのよ。白人って一口に言ってもアメリカ人、フランス人、ユダヤ人、色々いるけど?と、柳に振った。

 柳は少し間を置いた後、……でも大体白人って言ったらアメリカ人だろ、とか言っている。これだから話にならない。

 だから柳、アメリカで暮らした事もないから白人は大体アメリカ人とか、そんなアバウトな答えになるのよ。現地のアメリカ人に見せたなら、この写真の白人が同じアングロサクソン系の白人でも、少なくともアメリカ人じゃなく、ヨーロッパ人だって思うかも知れない。もちろんこの写真だけが手掛かりじゃ、ただの聞きかじりで知っているなり理解しているのと同じ。柳が海だのアメリカだのをテレビや本とかで知っているだけなのと同じ様にね。でも現地の人が「実際に」この写真の白人と会ってみれば、自身と同じアメリカ人なのか他所者なのかの違いはある程度見抜けるんじゃない? さっきの海の違い(日本海と大西洋の違い)にしても、今の白人の違いにしても結局は同じ事。私がこう言うのも癪だけど、それは「理屈」じゃないわ。でもれっきとした「根拠」はある。だって直に経験した事に嘘なんてないから。アメリカに実際に行って、見て、体験して、暮らしているから、アメリカ人と他所のヨーロッパ人とかの微妙な差異にとても敏感になれるって事よ。理屈じゃないとは言っても、柳がテキトーに言っている、白人イコールほぼアメリカ人だ、とは正当率が全然違うのよ。こっちはリアル(本物)なんだから。ファンタジーが偽物とまでは言わないけど、妄想と一緒にはしないで欲しいわね?


 柳は、……である。だが、やはり半分納得、半分不服の表情だ。柳は少し考え込んだ後、こう尋ねた。

 じゃあさ、桜井はこの二人、白人Aと黒人Bの名前とか姓、大体の想像が出来るのか? 自分も何となく写真の印象から思い浮かべたんだが、やっぱり海外経験のある桜井に比べたら的外れな名前にしかなってないのかなあ……

 私は、柳の話がズレ始めている事に気付きながらも、少し興味があった。適当に命名されてしまった白人の「A」と黒人の「B」、確かに私にも人物に対する名前や姓の勘みたいなものはある。あの女性はおそらくメアリー系か?とか思ったりするのはよくあるし、実際当たっていた事もあった、まあ統計的にメアリーやマリアがよくある名前だったから……というのもあるにしても、そういう統計的にも割り出せる、その普遍的な名前感覚が海外経験で身に染みているから当たってしまったとも言える。少なくとも、柳の当てずっぽとは比較にならないだろう。

 因みに、故サッチャー元英首相はサッチャー以外の姓など考えられない?わね。こればっかりは特に合理的な理由はないけど、ね。


 面白そうじゃない柳、じゃあどっちがもっともらしい名前を白人Aと黒人Bに命名出来るかテストしてみない?と、私は課題も問題もない課題プリントに、白人の「A」と黒人の「B」にもっとも相応しい名前を入れるという問題を提案した。

 柳はというと、……名前かあ、欧米人の名前と姓、どっちが姓でどっちが名前だかよく分からなくなるんだよな。片やジェームズ・ワトソンがいるかと思えば、片やデビッド・ジェームズとかいるし、この人ジェームズが名前?なのに何であの人はジェームズ姓?なの??……とか何とか言っているので、別にこの際もう何だっていいわよ……名前でも姓でも好きな方で、と言ってやった。 ……逆に私の方がテキトーになって来た。


 ……そうしたらいきなり、この白人Aは「アルフォート」だと、柳は自信満々に即答した。

 ……しばらく私は沈黙した。アルフォート……そんな名前あったか? ありそうな名前だけど……少なくとも私は聞いた事がない、ん?けど何か聞いた事がある……?

 ………………!

 しばらくして、ハッとした。スーパーやコンビニでよく見かけるチョコレート菓子の名前だ。ビスケットの上に帆船を象ったチョコレートを重ね合わせた菓子だ。何度か食べたなあ……しかし、何でアルフォート?

 ………この時、何かヘンな予感がした。柳が、こうした奇妙奇天烈な事を言い出す時のそれだ……そして最後に私が柳の何かに気付いて……

 その変なナニかに気付きつつも、その予感を取り払って切り出す。……柳、アルフォートだという理由は何? これはテスト、問題なんだだから、多分そんな感じがしたから……とかでは点数にはならないでしょ。最低限の根拠は必要よ。

 すると柳は、この課題プリントの写真を見れば分かるだろう、と言う。白人男性、白いカジュアルなカラーシャツに細身のタイと身なりは良い。顔立ちはスッキリ端整だが、何故か優しく甘いマスクなのだ、恐らく目元や口元に柔らかな表情が見え隠れするからか。腕時計も着けているが、その文字盤のサイズや身なりの兼ね合いからしても高級さを連想させる。総じて一般女性から見て、この白人を一言で表せば、「白馬の王子様」か。そう、優し気でハンサムってだけでなく、貴族的な雰囲気があるのだ。


 ……再び、柳が答えた「アルフォート」という名前が、何故か自然と思い起こされた。私は、鉄の女……故サッチャー元英首相はサッチャー以外の響きなど考えられないという根拠のない確信があるが、このアルフォートという名前にも、そういうものを感じた。アルフォートという響きはこの白人男性の特徴を完璧に捉えている?


 それで桜井は何て名付けた?と、柳の声でハッと我に返る。

 ……私は、ウィリアム……と、少し歯切れ悪く答えた。この白人男性に関する情報は英会話の内容と、写真だけである。しかし、英会話の内容は平易な日常会話(やあ、気分はどうだい?今日は良い天気だね)、こんな会話で人物像を探るなんで阿呆らしいので無視した。やはり柳同様、写真の印象だ。私の中で、ウィリアムは比較的平凡な名前だが、印象の良いイメージはある。無難な優等生的な感じか。逆にこの白人男性に全く似合わない名前としては、ジャック、ジェームズ系だ、私の中では、やや不良的なイメージがあるし、特にジャックさんには申し訳ないけどウィリアムより育ちが悪くてヤンチャ、ヤンキーっぽい気がする(ごめんなさい、悪気はないです)。ウィリアムという名前に、私はまあまあ自信があった、アルフォートという響きを聞くまでは…… ただウィリアムという響きは、この白人男性に特有のノーブルな雰囲気までは捉えてきれてはいない気がする……一般的な上品の域に留まるというか……


 ……ウィリアムかあ、成程ねえ、うん……照れるなあとか柳は言いながら(ハア?)、じゃあ黒人Bは?と、私に聞いてきた。


 黒人Bは、スミスかな……と、私は特に自信も不安もなく、アバウトな感じで答えた。だってスミスは欧米人で最もよくある姓の一つだ、柳はこの黒人をアフリカ人とか勝手に言ってるが。ただアメリカ人かアフリカ人かは別として、私の中では黒人というとスミスのイメージ、いや割合が多い気がする。黒人でスミス姓の著名人がちらほら脳裏に浮かんだからかも知れないが、客観的に見てもスミスという答えに同意する人はある程度いるのでは? これまたアバウトな憶測だけれども、それだけ一般的な名前だって事。良くも悪くもフツーとしか言い様がない。柳の名前が山田太郎だったとしても、まあ通用しなくはないみたいな。それより気になるのは柳の答えだが、……ポール・スミスって黒人だったっけ?スタン・スミスは白人だろ?とか言っている。いつもこうだ……こちらの主旨を何も分かってないから、たまに苛つく。


 それでスミスに対するあちらの答えに妙にドキドキする訳だけど…… 自分はこの黒人は「ガーナ」だと思うな、と柳は言った。

 ……一瞬、沈黙。ああ、アフリカの「ガーナ」ね……と、一秒もかからずに解釈した。……その一瞬から少し間を置いてから……また次の一瞬、またしてもハッとした。そう、これもアルフォートと同じく、チョコレート菓子、板チョコの名称だ、赤いパッケージのミルクチョコと黒いパッケージのブラックチョコ(因みに私は黒のブラック派だわね)。……にしても、アイツはチョコ菓子の事しか頭にないのか、それともただの偶然なのか? それより一つ気になる事を柳に聞く。ガーナ共和国っていうアフリカの国は当然知ってるのよね?社会科……地理とか得意でしょ?

 すると柳は、ああ……確かにアフリカにそんな国あったなあ、アフリカのあの辺の国って知名度低いけど嫌らしく強い気がするよな……フランス、イタリア、イングランドとかには及ばないど、日本とか微妙なランクの国が相手だと途端に牙を剥いてくるみたいなさ……

 サッカーの話なんてどうでもいい。でも、アフリカにそんな国あったなあ……だなんて呑気に言っているくらいだ、少なくとも柳はガーナという名前を、「黒人」→「アフリカ人」→「ガーナ(共和国)」という演繹で以って論理的に導き出している訳ではないのが分かった。しかし、チョコレート菓子との因果関係も分からない、やはり偶然なのか?

 ガーナ……か。私は、少し動揺しつつも、写真の黒人男性を改めて詳細に観察してみた。欧米系黒人か現地アフリカ系黒人かの判別は、私には無理かも。

 やや野生的ではあるが、カラーシャツを着用している点では、それなりに現代的、文化的生活に馴染んでいる印象だ、決してマサイ族みたいな土着的印象は強くはない。特徴的なのは顔立ちだ、かなり面長である。その為、全体的には、隣の白人と身長が同じ割には高く見えるというか伸びやかな様な……そこが微妙なのだけど、スラッと高いではなくニョキッと伸びた感じか。長ネギではなく胡瓜みたいに。少なくともこの顔からは、スミスという響きは連想し難いかも、と思えた。ガーナ……確かに若干の野生味、面長でヌッとした感じ、アフリカを連想させる言葉だから黒人にしっくり来るのは反則めいているけど、やはり名前の響きがこの黒人の特徴を捉えている。(……そして最後はチョコレートの色がトドメを刺した。そりゃそうなるでしょうよ、と言いたい。)


 …………少し長めの沈黙で間を置いた。そして一言、私の負けね、と柳に言った。

 (私は言い訳は嫌いだ、女々しいから。私は負けず嫌いだ、男勝りだから。)

 だからこそ、その一言は私にとって、重い一言だった……


 ……しかし何故アルフォートにしてもガーナにしても、チョコレート菓子の名称なのか? じゃあ仮にそんな名称のチョコレート菓子がなかったら、私の勝ちだった? あれが偶然でないなら、発想の仕方が私と柳とでは違っている事になる。今の場合だとどうだろう?

 私の場合は、どちらかと言えば経験則に基づく勘だった、柳よりは海外経験豊富だし、外人というものをそれなりに分かっているつもりだ。柳の場合は、経験則は無理、ロジックでもない……ならやはり勘しかないのか? 私の勘は先の通り経験則に基づくけど、でも柳は名前の響きと写真の印象をうまく一致させている、勘と言うよりイメージだ。名前の響きは頭の中のボキャブラリーから引き出すとすれば、仮にチョコレート菓子のカテゴリーにアルフォートやガーナがなければ、別のカテゴリーからそれに代わる言葉の響きを探しだすのか? 例えばアルフォート的な洗練されたスマートな響きの言葉がなければティッシュブランドのカテゴリー(クリネックス、エリエール、スコッティ、ネピア……etc.)から。ガーナ的な泥臭いアーシーな響きの言葉が見つからないなら香辛料のカテゴリー(ガラムマサラ、オレガノ、ターメリック、バジル……etc.)から当たりを付けるとか? そもそも私と違って、既存の人名から発想などしていないのだ。……そう、聴覚(言葉の響き)や視覚(写真の印象)を有機的に結び付けて発想する感じ、一般的ではなく芸術的みたいな……えっ、……「芸術的」? それって……

 一瞬、その言葉に驚く。


 この言葉は、さっき柳に言った、負けの一言よりも、もっともっと私にとって重いものだ……

 そして、私が、「ウィリアム」や「スミス」の様に、無難で、よくある「一般的」な存在に思えてしまった……

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