モノローグ (柳)
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四月十四日、朝七時、今朝の朝食……「パン」と出た。朝食はご飯(和食)にするか、パン(洋食)にするか。半欧米化した今日の日本ならではの二者択一。自分の家も、その例に漏れず、毎朝の朝食にご飯が出されるか、パンが出されるか、その比率は本当に半々だ。他所の家でも同様なのかも。
小学生の頃、社会科の授業だったか、米と小麦の国内消費量の割合が資料テキストに載っていた、米:小麦が、(2:1) くらいで推移しているか……あれ、半々(1:1)ではないのか? ……ああ、夕食は大抵ご飯であるから米に追加で一ポイント還元してやると…米:小麦(2:1)だ、まあその通りだな……と、強引に資料データと自分の感覚を一致させてホッと一安心。……社会科が得意で数学が駄目な人間(自分)とは、残念ながらこんな思考しか出来ないのだ。
そのついでにもう一つ、コンビニへお菓子を買いに行った時だ、梅おにぎり一個とチョコパン一個を買っているお客さんを見て、(その食べ合わせはない、プラスマイナス矛盾した味覚だ)と、頭で思いつつも、その光景には違和感など全くなく、日本のお店ではそれがむしろ普通といった感である。店内を見渡せば、おにぎりとパン各々の品数は、やはり半々程度、ご飯派とパン派が対立して存在(ご飯派1:パン派1)すると言うより、どちら派でもない(ご飯派0:パン派0)のが今日における一般的な日本人なのか。どちら派でも「ない」……無い……つまりゼロ(0)。……そうか、さっきの光景に違和感が全くなかったのは、ご飯(1)とパン(1)が相対の状態(1:1)を克服する形で互いにプラスマイナス相殺(0:0)された故に±0になった、ゼロ(無)に違和感など感じられる訳がない。
……これでもう分かったと思う、社会科が得意だと数学が駄目な理由。xやyに数字を代入せず、ご飯やパンに数字を代入して、何でもかんでも日常の社会現象を感覚的に理解しようとする。だから社会科が得意なタイプは、社会に出ると理数系より駄目扱いされるのよ……と、これは自分の意見ではなく、分析して論理的に理解するタイプであろう桜井がそう笑って言ったのだ、この自分の得意科目が社会科であると知った上で。お陰で社会に出るのが不安になってしまった……何か矛盾している気もするが、やはり社会(世の中)とは、大人がよく言う様に理不尽だからなのだろうか? 新聞の社会面もそれを裏付けるかの様に物語っている。法律が支配する法治国家なのに、毎日が理不尽な事ばかりである。
それはそうと……そう言えば、桜井の家では、朝食だけはほぼ毎日パンだと言っていた。それを聞いて、やっぱりそうだろうな、とは思った。つまり、そういう感じの家なのだ、あそこは。
そんな訳で今朝の朝食は、丁か半か、表か裏か……で「パン」と出たのだった。今朝の自分にとって重要なのは、ご飯なら裏(外れ)で、パンなら表(当たり)だという事。何故パンなら当たりなのか、もちろん理由はある。
パンは今トーストしている最中、その間に冷蔵庫からママレードの瓶を取り出すと、親が何か言いたげな目で、自分と、ママレードの瓶を、交互に見ている。呆れたとも困ったとも見て取れる微妙な表情、そんな表情をするのは良く分かる。そう、このママレードは親がいつもスーパーで買って来るそれではないからだ。
話は一週間以上前に遡る。自分の家では、朝食はご飯か、パンか……その比率は半々だと言ったが、パンに塗るジャムの種類、これにもある程度比率があり、ストロベリー:ブルーベリー(3:2)、やはりジャムと言ったらまずストロベリーであるが、それだけでは飽きるので中継ぎにブルーベリーを加えて、ジャムのローテーションが組まれている。もちろんジャムの種類はフルーツの種類だけ存在すれども、やはりイチジクやマンゴー等のジャムは助っ人外国人投手みたいな一時的な存在、こうしたジャムが物珍しさでやって来ても定番化する事はまずない、これも他所の家でも同様だろう。結局ジャムなんて、最終的には赤コーナー……王道のストロベリー、もしくは青コーナー……ライバル?のブルーベリーとの二者択一に落ち着くのだが……ちょっと待って欲しい、何か忘れているだろう。品揃えの悪いスーパーであっても最低限これだけは取り揃えてあるジャムの三本柱と言えば、先発ストロベリー、中継ぎブルーベリーであったが、ならば抑えは……そう、ママレードである。すっかり忘れていた、なので正確にはストロベリー:ブルーベリー:ママレード(3:2:1)、である。この使用比率からも分かる通り、自分の家ではママレードはあまり出番がないのだ、先発が好調なら中継ぎの登板も減るだろうし、中継ぎが踏ん張れば抑えの出番はない……それ故の(3:2:1)、1(存在)ではあるから、0(無)ではないのがママレードにとっての唯一の救いかも。もはや登録抹消寸前のママレード、それでも別に構わなかった……今までは。たまに暑い日や、それ程パンを食べたいとも思わない日は、何となくさっぱりしたママレードがあれば、と思う程度だった。詳しくは知らないが、スーパーのジャムの売れ筋だって似た様な比率だろう? また適当な事を言ってしまったが、少なくともママレードが一番とは思えない。自分にとってママレードとはその程度の代物だったのだが、今では違う。ご飯には梅干しなら、パンにはやっぱりママレード、なのである。何故であるか……その経緯を辿る。
正直ママレードは他のジャムに比べて味も色も存在感が薄くはないか……これが以前における自分のママレード評であった。 ブルーベリーなど、肝心の味よりもまず色からして濃厚である。あれは青(ブルー)ではもちろんないし、青紫ともニュアンスが違う様な……ほとんど黒に近い、色彩が煮詰まった深みがある。それに比べママレードは淡く薄い色合いに違わず、味わいもさっぱり……と言うより、はっきりしない味と言った方が近い。
しかし、である。ママレードは「甘さと苦味」のある味わいらしい。台所にあるレシピ本の中の一冊、ご家庭で出来る手作りジャムの作り方、それをたまたま手に取りページをあてもなく巡っていたら、「ママレード……オレンジ果肉の自然な甘さとピール(皮)の苦味を生かした味わい」だそうである。
……分からない。「甘い」はまだ分かる。甘いも何も砂糖が入っている、甘夏の甘さには鈍感でも砂糖の甘さくらい味覚音痴でも分かる。しかし「苦い」だろうか? 「甘くて、さっぱり」なら分かるのだが……いや待て、そもそも「さっぱり」とはどんな味だ? 「甘い」「苦い」「塩っぱい」「酸っぱい」……分かる。「さっぱり」…………さっぱり分からない。
さっぱり分からない……だからはっきりしない味と結論を下すのも自明の理。さっぱり分からないのは、親がいつもスーパーで買ってくるママレードのせいなのか、それとも自分が味覚音痴なのだろうか。後者だとしたらどうやって味覚音痴だど自ら知る事が出来るのか? ……それは分かっている、自分以外の誰かとの比較だ。誰かとは誰か、親か?あのママレードを買ってくる味覚音痴?の親か? 比較するには適当だとかいい加減ではない正確な基準が必要であるから……それを満たす人間が誰かなんてもう決まっている。家庭科の調理実習(魚のムニエル)の仕上げすら塩と胡椒を少々……なんて匙加減など微塵も許さず、ムニエル等のフランス料理に合わせるなら洋風の仕上げに相性の良さがあるロレーヌ岩塩0.3g、胡椒は素材(白身魚)の淡白さを生かしてホワイトペッパー を軽く一振りに留める事……と魚のムニエルを公式化し、食卓塩と卓上コショーを適当に振って淡白な魚の味わいをやたら塩っぱく、そしてブラックペッパー入りのブレンドコショーなものだから白身の表面を黒い粒々で剃り残しの髭の様に汚く仕上げた家庭科教師の面子を丸潰しにしたその誰かとは桜井、そして桜井の前に出て、終いに感じるあの気分……と言うか感覚?か、あれをまた味わってしまうのか……などと思いつつ桜井に尋ねた時の事——
桜井は、なら一体どんなママレードを使っているのか?と返して来た。親がいつもスーパーで買ってくる二百円だか二百五十円だか、大体そんな値段のママレード、などとかなり適当に答えてしまった。「スーパー」と「二百円だか二百五十円」……この程度の情報ではどんなママレードか分からないと思い、言い直そうとした矢先、分かったわ、と桜井が即答した。え?としか声が出なかった。あの程度の情報で一体何が分かったのか?
「分かった」という言葉、これが他の人間なら「分かった、スーパーの安物ね」で終わり。言われなくても分かっています、スーパーの安物なのは。しかし桜井という人間はそうした分かり方はまずしない。何と言うか、話の本質を的確に捉えた上で全体を正しく理解してしまうのだ、普通の分かり方や理解の上を行く様な……「総理解」とでも言えるみたいに。
桜井が言うには、ママレードはイギリス、スコットランド発祥だそうだが、一般的な日本のママレードと海外のそれとでは使っているオレンジの品種なども異なるし、そもそも嗜好だって作り手や各国それぞれにあるのだから、それなりに味も違うらしく一概には言えないらしい。今使っているママレードの味が疑問に思うのなら、メーカー物じゃない工房のジャムとか、もしくは一度海外の……本場欧州辺りのママレードを買ってみたら?だそうだ。
しかしここは日本だぞ、と言い返したら、上から目線——と言っても決して自分を見下す様な不快な態度ではなく、けれど年下に見ている様な先輩気取り——で、色々教えてくれた(が……その前に、欧州に行かずとも日本でも買えるわよ、欧州の輸入品がね、と前置きされて、いかに自分が海外に対して盲目であるかを再認識させられた……)。 ママレードの輸入品について始まった話は、やがて欧州各国の風土や文化、海外貿易、商社、為替レート…等々と、河川の本流からあらゆる方向に支流が派生して行くかのようにどんどん広がった。
痛感した。桜井は凄い。確かに色々な事を知っているから凄い。でもそれだけなら学校の教師は皆凄い、となるが……もしこのママレードにまつわる話が桜井ではなく教師のものだったら、おそらく話について行けなかったと思う。話が発展し過ぎて結局ママレードの話だったのか経済や文化の話だったのかすら分からずに聞き終えただろう。桜井が本当に凄いのは、これだけ多岐に渡る話をしているにも関わらず本筋から脱線させずに、気が付けば各話題が一つの主題へと繋がっているのだ。
欧州各国の文化、海外貿易、商社、為替レート、それら全ての話は本流であるママレードの輸入品の話に繋がる支流である。決して飛び飛びに話をしている訳ではなく、ママレードの輸入品の話が途中から川の流れの支流の様に途切れなく欧州各国の文化の話に流れていく……話の内容は変わっても、自分にはママレードの輸入品の話が続いているだけの様に無理なく頭に流れていき……そして再び本流に合流して話の内容が総括されて行く……分かりやすいを通り越している、分かろうとしなくても、無理しなくても、上流から下流への流れが自然の法則であるように、ただただ下流にいる自分へと流れていく。おまけに語り口も同様に淀みなく流暢、大人顔負けとはこの事だ。だからこそ桜井は凄いのだ。へえ、スゴいね、といったニュアンスではない。畏怖にも近い、本当の「凄さ」を桜井には何処かしら感じられる……
で、スーパーのパンコーナーで五百円硬貨を握り締めている自分。為替レートに関する事まで流れ着いた桜井の話だったが、この句読点の如く丸い五百円硬貨こそが桜井の話に一旦のピリオドを打ったのだった。ではその流れを振り返よう。要約すれば以下の通りである。
そこそこ大手の会社が扱っている輸入ジャムなら普通のスーパーでも結構置いてあるし、フランスのボンヌママン(?)やサン・ダルフォー(?)辺りなら珍しくもないわよ、輸入品は確かに割高になるけど、余程の円安でもない限り大手取り扱いはまず安定価格だから五百円玉一枚で十分でしょ?
……いや、こんな簡単な話ではなかった。イギリス式朝食、所謂イングリッシュブレックファーストは紅茶にママレードトースト、ハムエッグ、ソーセージ等々ボリュームが……日本で用いられている夏ミカンや温州ミカン等に対して欧州でのビターオレンジの品種は……昨今は中小の貿易商社が多いから大手輸入代理店以外にも同じ物を並行輸入したりする会社があるから各社で仕入値が変わってしまって小売値もバラバラ……等々、もっと込み入った話も色々していたのだが、自分にとって肝心な箇所をこんな簡単に要約できるとは。小学校でよく図書館で本を一冊選び読書しなさい、そして本の内容をノート五ページに要約して次の国語の時間に提出しなさい……なんて宿題がよく出されたが、あの時の苦労は何だったのか。本を選ぶセンスの欠如か、それとも今では小学時より知的に成長したからか……いやどちらも違う、特に後者はもっと違う。やはり桜井が凄いからだ。自分よりずっと……
そんな思いを五百円硬貨に重ねて握り締めながらジャムの陳列棚の一番上、お客様目線からかなり上、手を伸ばしてギリギリ届く所にそれはあった。白地に赤のギンガムチェック模様の蓋の上にうっすら埃が積もっていた。少なくとも1ヶ月以上売れていないに違いない。そもそも目線というか、少し離れて俯瞰して見なければ視野に入らない場所にあるのだ。自分の目線とほぼ同じ高さの所に、親がいつも買ってくるジャムが並べられている。何か陳列物の目線の高さとステータスの高さが比例している様なこの感じ……桜井の前に出て自分が感じる「何か」と「同じ」様な気もしないではないが……けどやはり「違う」と思う。「同じ」と勘違いしてしまったのは、自分と比べれば桜井がそういう育ちの人間だからだろうか…… 都会っ子だの田舎っ子だの言っても「同じ」ヒトとしての人間なのだ、……そういう類の「違い」なら気にはしない。桜井からも飄々としてマイペースな奴と評されるが。自分の性格として、表面的なレッテルや体裁みたいなモノはあまり気にならないのだ……が、そんな本質的な差異がない上辺だけのモノなら、別にあの得体の知れない凄いと言わしめる「何か」を感じられる訳でもなく気楽に受け流せるのだが……(もちろん桜井は日本人離れしているとは言え、ヒト、人間であるのは間違いないのだが……念の為)
しばらくそんな思いで目線の先にある見慣れたジャムを見つめていたら……あっ!(ah!)と突然頭の中で合点が行った。そうか、桜井は何気にこのジャムについても言及していたのか……その事にようやく気付く。自分の家にあるジャムがスーパーの二百円だか二百五十円の安物だと答えた時だ。桜井は、分かったわ、とさらりと言った。もうこの時点で桜井は「総理解」していたのか……
桜井は、輸入ジャムの話の中で為替レートや内外価格差の話に自然と流れて行ったが……その中でこう言っていた。……その二百円だか二百五十円のブルーフラッグ(?)のジャムを安物って言うけれど、それだって海外に持って行けば日本で言う所の「舶来品」よ、つまり関税だの何だのでそこそこの値段にもなるでしょ? まあ向こうで売れるか好まれるかは別としてね。本当の安物とはね、ワンコインで売る事自体を目的として作られている様な代物よ、それが美味しい不味いはもちろん別としてね。
それを聞いた時、自分は安っぽい(チープな)人間では決してない、むしろ自分みたいな人間は海外でこそ頭角を現す(まあ向こうで売れるか好まれるかは別としてね)、そう言われた気がしてただ浮かれてしまっていた。話の解釈を完全に誤っていたのだ。今、目の前にあるジャム、そのジャムの蓋にある青い旗マークを見て、桜井の言う「ブルーフラッグ」のジャム、その意味を理解した。日本でジャムと言えば、まずこの青い旗マークのジャムだろう? ブルーフラッグなどと英語で婉曲して表現する辺りが、流石は海外経験豊富な桜井らしいが、それに比べ今頃になってブルーフラッグを和訳し終えた自分……(そんな人間が海外でこそ頭角を現すって?)……頭の中で桜井の声が聞こえた気がする。 ……だけど、それだけの事で、あっ!などと合点が行ったのではなく……(ah!)そう……何かまた別の発見を……
この見慣れた青い旗マーク、これが何故だか急に目新しく見えるのだ。何と言うか、この青い旗マークのブランド、日本のメーカーなのに日本風でないと言うか……むしろ西欧風と言うか…… 青地の三角旗の真ん中に星印(☆)……よくよく見ればこれってアメリカの星条旗(あの左上の四角い青地に☆が五十程ある、当にあの箇所)に似ている様な…… 桜井がブルーフラッグなどと英語で表現したから、余計に欧米かぶれっぽく感じてしまうのも一因だが…… でも待て、何だって桜井は「ブルーフラッグ」なんて回りくどい言い方を……少なくともこの自分相手に伝わり易い表現ではないとは分かっていただろうし、無駄に捻りを効かせた辺りも腑に落ちない。いくら英語がネイティブ並みだからって、わざわざあの桜井がそう口にしてしまう必然性なんてあるのか? あの桜井にしては野暮な英語を口にした様な……
桜井は英語ペラペラだが、普段それを決して表には見せない、そういう人間だ。ひょっとしたら桜井はもっと他の何かを「分かった」上で、敢えてブルーフラッグと婉曲したのかも……桜井は凄いからなあ……何処まで分かっているのか想像出来ない。……でもアメリカの星条旗に似ているという自分の発想は、案外的を得ているのかも……もしくは当たらずとも遠からずといった所かも……これについては分からず仕舞いだが、いつも桜井頼みの自分にしては頑張って理解した方だろう。機会があればまた聞いてみるか……既に桜井は総理解しているのだろうから……
……しばらくして我に帰る。そうだった、自分はそのブルーフラッグのジャムを買いに来たのではない。再び目線を上に向け、手にしたそのママレード、白地に赤のギンガムチェック模様の蓋が目印の、フランスのメーカーの商品……このスーパーに置いてある唯一の海外メーカーのジャムである。が、奇遇にも台所のテーブルに掛けてある塩ビのクロスも、このジャムの蓋と同じ柄だなんて……布団ならペイズリー柄、クロス(布生地)ならギンガムチェック柄なんてのは定番だが、まさかこのジャムの蓋にも何か関連した象徴的な意味があるのか? さて桜井は何と言っていたか……どれにするか迷ったら値段も手頃なソレでいいんじゃない?みたいな事は言っていたが……まあ恐らくは偶然だろう。またブルーフラッグ同様に長くなるから敢えて深く追求はしまい。
これしか海外メーカーのジャムはなかったので迷うまでもなかったが、最後の最後の最後まで桜井に道案内してもらった気がした。桜井が先に手回しして、自分が迷わない様に他の海外メーカーのジャムを買い占めていった、そう思わせる程に。けど結局は田舎のスーパーでは海外メーカーのジャムの需要などあまりないのだと思いつつ、瓶の蓋の埃を手で拭き取った。
確かに五百円で少しお釣が来る価格である。思ったより安いとは言えども、目線を再び下に戻して見ると……例のお馴染みのママレードの価格ラベル「超特価198円」が目に入ったその途端、高値に感じてしまう。賞味期限が近づき、見切り品超特価198円辺りまで値段が下がるのを待ちたい気分にもなったが、それは気が遠くなるほど先だったので諦めてレジに向かった。今年の誕生日すらまだ先なのに、再来年の誕生日頃までとても待てない。
さて、このママレードを購入した翌朝の七時過ぎ、眠気が抜けない状態のまま台所のテーブルに向かうと朝食のパンが用意されていた。珍しく三日連続である。珍しい、と寝言のような声で呟くと、あんたが明日の朝は必ずパンにしろって言ったんでしょ、と、半分不機嫌そうな親の声で少し我に返る。ああ、そうだった、昨日買ったママレード、あれを試すのだった……。一旦、自分の部屋に向かい、戻って来る。手には例のママレード。(……)沈黙して見つめる親がいる。
台所に居る第一の人物、父親は確かに無口な人物だが、新聞を目の前に広げて読んでいるから自分など見つめられる訳がない。ここまで言えばお分かりの通りである、第二の人物は察しはつくだろう。残るは第三の人物(自分)しかいないので自明である。因みにに第四の人物がいるとすれば、それは兄弟になるのだが、高校を卒業して現在は実家を離れて進学という名目のモラトリアム。そう、この場には存在しない。第一の無口な沈黙、第二の何か小言を言いたげな沈黙、(第三の何か気不味い沈黙)、第四の不在の沈黙……
(自分以外の)三つの沈黙が聞こえるという、妙な感覚。「沈黙」とは無音だから唯一つの「沈黙」しかない筈なのに、頭では「沈黙」「沈黙」「沈黙」とそれぞれの無音が自分に訴えている様な、この妙な感覚。ああ、妙な感覚って程度で良かった……と、今自分で思っているのが分かる。さほど気にもせずに、すぐ忘れるからだ、その感覚がしぶとく付きまとうことはない。けれど、これが奇妙な感覚レベルになると……自分はそれを確かめようと不可思議な行動に出る。
以前の事である……自分は「緑」はそこそこ好きな方だと言った時、桜井は「緑」はそんなに好きでも嫌いでもないかも、と言った事があった。何の話をお互いしていたのだろうか?単に色の話だったか?いや、あっちの色の話か?色と一口に言っても色々あるから忘れてしまった…… でもその時、同じ「緑」でも人によって全然イメージや感じ方が違うのも妙だなぁ、と思った事がある。こんなのはまだ妙な感覚だ、誰だって、たまにはそんな事を思っても気にも止めず、やがて忘れる。
でも、もしこれを自分が奇妙な感覚とまで感じてしまったならば……頭の中が曖昧でモヤモヤして落ち着かなくなる、だからスッキリする為にその奇妙な感覚を総理解したくなるのだ。そんな事、出来る訳ないのに。
自分にとって最初に出会した奇妙な感覚とは、音楽であった。程度の差はあれ、誰だってそうだろう、そんなの聴けば分かる。が、聴いても解らない。つまり桜井の様な合理的理解が到底不可能なのだ。人は何故、音楽に心を揺さぶられるのか科学的根拠を以って答えてみろだなんて、あの楽聖ですらどうだろうか……それでも自分は問わずにはいられない。
今では音楽を聴くのが趣味でもある自分、ある日ベートーベンのピアノ曲集のCDを、曲目解説を目で追いつつ聴いている途中で、あの誰もが耳にした事があろう「エリーゼのために」……その曲目に差し掛かった。その瞬間、一時停止ボタンを無意識に押していた。……ふと脳裏に浮かんだのが、「エリーゼ」だった。もちろん知り合いに「エリーゼ」なんて子が外国にいる訳ではない。そんな女子の名前に心当たりは全くないが、菓子の名前には心覚えがある。親がたまにスーパーで買ってくる「エリーゼ」という商品名のチョコレート菓子の事である。まず商品名に相応しい、その西欧風のエレガントなパッケージングが、格調高く美しいクラシック音楽の雰囲気にもマッチしているのだが……そして細長いウエハースの中の一方にはチョコ、他方はミルクと、二つの味わいを別々に楽しめるのだが、その黒と白の取り合わせもまた、ピアノの黒鍵と白鍵を否応なしに想起させてしまう……食べながらピアノの旋律が聴こえるかの様な……(ポロリ……ポロリ……) その瞬間、無性にそのチョコレート菓子「エリーゼ」を食べながらベートーベン作曲「エリーゼのために」を聴きたい衝動に駆られてしまったのだ……そんな行為に意味はないのは分かっていながら。
けれども、「エリーゼのために」をより深く鑑賞するには、もっともっと味わい尽くす為には、何かしら関連性や類似性のある物や事柄をとにかく集めて来て、その何かで以て「エリーゼのために」を聴く環境や雰囲気みたいなものを補強、補完しなくてはならないと思ってしまうのだ。そうしないと、「エリーゼのために」が、自分の中で未完成なまま、不確定な存在のまま、終いにはただのありふれたBGMに成り下がってしまう気がしてならないのだ。……そう、これこそが自分が難題に出会した時に起こす奇行……いや、桜井の全理解に対する自分流の悪足掻き。こんな手法で、言葉では説明出来ない音楽の持つ奇妙な感覚を、それでも何とか明確にしようとなると……こうなってしまうのだ。
奇妙な感覚……か。あまり思い出したくない記憶が教師達の不機嫌そうな顔色と共に脳裏に浮かぶ。確かに自分も少し変わった所は多少ある。だけど、あるピアノ曲やらを総理解する為に、教師に質問するなんて馬鹿な事はもちろんしない。そういった事は自分の感性の問題だと思っている。自分でどうにかするしかないのだが、感性の問題をどうにかするにも一苦労だから、結果あんな事……掴み所のない感性の領域をモノに置き換えて明確化して今の所は一応の決着としている。しかし感性というより感覚みたいなもの、心というよりも体感……五感みたいなものの理解は教師に聞くのも一手だろう。つまり音楽の最終的な理解は自分の感受性やら魂?でどうにかするしかないのだろうが、音そのものの理解は物理の教師にでも聞けば、音は空気を伝わる波動である、とか普通答えてくれるだろう?
……でも、悉く裏切られる。それどころか逆に嫌な気分を味わう。桜井の前に出て最後に味わう気分は、自分にとってあまり好きではない……曇天の日の様な……上手く言えないが、グレーな気分としか言い様がない。グレーだからこそ、白黒はっきりと表現出来ないのがもどかしい。もちろん、こんな気分にさせる桜井が悪い訳ではないが。でも、教師の前に出て最後に味わう気分は、はっきりと自覚出来る、嫌な気分。桜井の時と似ている様でいて、それは全然違う。……思い返す、あれは自分が悪いんじゃ決してない……
……早く食べたら?と、唐突に第二の沈黙が破れた。
目の前にはハムエッグにポークウインナー、生野菜のサラダ、紅茶、そして……瞬間、「チーン」……タイマーの甲高い鳴りがお待ちかねと言う。トーストが最後に置かれる。そして自分が用意したママレード。……あれ、自分の家のパン朝食って、桜井の言うイギリス式朝食、何と言ったか……そう、イングリッシュブレックファースト?に近いかも、と急に冷静さが戻っていた。
第一の沈黙は相変わらずそのまま…… そしてまた第二の沈黙も始まる……が、何かケチを付けるのは分かっている……なので、自分のお金で買ったママレードなんだから文句ないだろ……と、第三の沈黙を先手代わりに自ら破った。もっとも自分で稼いだお金ではないので、説得力に欠け歯切れは悪かったのだが——
(……)
……とりあえず効果はあった。
「パカッ」……と、瓶の蓋が一転、開いた音が心地よく響く。未開封の蓋を開ける音は幸先が良い気分になる。心機一転、新装オープンの様な。先までの嫌な気分というか記憶が嘘の様に晴れて消えて行く。ストロベリーならまずバターかマーガリンを先に薄く塗ったりもするが、ママレードでは何故かそうしない。自分でもその理由がよく分からない……一般的にはどうなのか? やっぱりママレードは他のジャムより微妙と言うか扱いにくいと思いながらもママレードトーストを口に運ぶ。
……軽く驚いた、という程ではないが、小さな発見、みたいな。海外など行った事もないが、ちょっとしたカルチャーショック、みたいな。……ああ、確かに甘い。別に驚きもしない、だが……ほんの少し苦みを感じた。確かに軽い苦味がある。甘くてさっぱり、ではなかった。ジャムのレシピ本の記述通り、甘いけれど苦い。もちろん不味い苦味ではない。ほろ苦さみたいな。緑茶や紅茶で適度な渋みがいいアクセントになっているような感じか? 上手く言えないが、甘さの中で苦味が見つかる感じで、苦味の中で甘さが見つかるのではない。基本は普通の甘いママレードかも知れない……けど、これが桜井の言っていたビターオレンジの味わいなのか、と少し納得した。そして素直に美味い、とも思った。今まで自分にとって微妙で不定形なイメージしかなかったママレードの味が、その微かな苦みによってメリハリが増して、形がはっきり見えて来た、そんな感じだ。この曖昧だった感じが、明確さをもってはっきりする感じ、適当じゃなく、確りした実感。自分はいつも、あの感じから脱却する為に、この感じを追い求めている。はっきりしなければ、誰しも少しは不安になる、はっきりすれば少しは安心する。
そして桜井の話を思い返す、イギリスの朝食ではパンに塗るジャムと言えばママレードが定番なのだと。ここ日本では有り得ない事実である。日本のママレードにしても桜井に言わせれば、あれは日本人の嗜好に合わせた味なのだろうし、それでもイギリス程には浸透しないのなら、日本人にとってはママレードなんてその程度なのだと。どうやらママレードは海外(日本)では今一つ頭角を現せないタイプらしい……自分も英語があの点数ではイギリス留学したって伸び悩むと言いたい訳か、桜井。その一方でマヨネーズなど、逆に日本にやって来た後で独自のブランド……アイデンティティを確立したそうだ。言われてみれば……あのキューピー人形なんてアメリカ発祥のキャラクターであったが、今や別の意味で日本での認知度が圧倒的に高いのだ、当にアメリカ生まれの日本人……帰国子女。私こそが海外で活躍するタイプだと言いたい訳か、桜井。……でも何故イギリスではストロベリーでもブルーベリーでもなく、ママレードが一番なのか?と聞いてみたが、トーストにはママレード……それがイングリッシュブレックファーストってモノよ?別にイギリス人は元来オレンジ好きだとか、そんな理由じゃないわ、と。もちろんそうなった経緯……因果は当然あるでしょうけど、因数分解で解けない因果関係ならば答えは「結果としてそうなった」ってだけよ、とも。何を言っているのかさっぱり分からないが……それでも物分かりの良い桜井の言う事である、つまりママレードは食べ物なのだから味覚こそが分析対象である筈だが、その観点から論じた所で、合理的には割り切れない要因があると言いたいのだろうか。たった今、美味いと絶賛したこのママレードの味も、ほんの少しだけ、苦く、感じた。はて……ママレードとは何なのか、より一層さっぱり分からなくなる?
でも……それがイングリッシュブレックファーストってモノよ?(説明するだけ野暮ってモノよ?)……桜井のその澄ました声のトーンからは、そんな別の声を頭で聞いた。そこから先は桜井の総理解が及ぶ範囲外なのだろうか、だから敢えて多くは語らない、そんな潔い風を感じた……普段の理知的でクールな構えとはまた別の、団扇片手にユラユラ涼しげな別の桜井。だから何度も言うが「凄い」のだ……頭脳戦なら桜井の総理解に負け戦はないのだが、頭では解けない場外戦のこれだってある意味「負けるが勝ち」でやり過ごすのだから無敵である。
でも桜井が総理解を放棄したのなら自分で結論を出すしかない訳だが……やはりそれは理解を超えた理屈抜きの世界なのだろう。イギリス人にとってパンにはやっぱり「ママレード」だ、ならば自分(日本人)にとってご飯にはやっぱり「梅干し」と言う時、きっとそれは梅干しの味がどうこう以前に、それが日本のご飯の「象徴」なのだろう。
……自分は日本人である、かと言って梅干しは別に好きでもない。だから幕の内弁当の左半分の真っ白なご飯、真っ白なご飯のままで別に構わない。でも真ん中に梅干しがあると、何故かホッとする。ただの「無名」の弁当が「幕の内」弁当になったような。真っ白なご飯の真ん中にある「赤い梅干し」が「日の丸」を象徴しているから、日本人として、その赤をきっかけに忘れかけた日本的な何かを思い出す事が出来た様で、ホッとするのかも。
幕の内弁当の定義など全く知らないし、梅干しなど別に不要なのだろう。それでも自分にとっての幕の内弁当とは、弁当の元祖、一番人気の弁当、いや日本一のお弁当だ。けど真っ白なご飯の真ん中に赤い梅干しがなければ、単なる弁当、もしくはご飯とオカズ、終いにはただのメシに成り下がる……そんな味気なさを感じてしまう。
そんな理屈抜きの世界……だから月に兎なんて十五夜昔話、そもそも月に兎なんて居やしない、それでも和菓子の漆塗りの盆皿に描かれているお月見のモチーフ、兎が餅をついている描写があるとやっぱり日本人なら心が和む。昨年の十五夜は和菓子屋のお団子だけで満足していたが、今年は遂に兎を買って?いや飼って?しまうかも知れないが、親が許すまい。でも十五夜のお月見に、お団子があって、傍らに兎がいたなら……こんなに風情あるお月見もないだろう、側からはやり過ぎに見えても、だ。餅つき兎もまた、日本人にとっては月の世界の「象徴」なのだ。日本人離れした桜井(宇宙人?)がアポロ十一号の様な宇宙船に乗って月面着陸して月をリアルに理解するのなら、自分らその他日本人(地球人)はお団子と兎で月に触れるしかないのだ……そもそも月とは人間の手には遠く及ばない、目には見えても自力でその地に辿り着く事など出来はしない、想像の世界にも等しいのだから……
無色透明な国境線、排他的経済水域として囲まれた一国家でもそう。十五夜の、月に兎が住む想像の世界でもそう。……それら形而上の何か(無)を実感したいのなら、それに置き換わるモノ(実在)で直に確かめるしか方法がないじゃないか、それが自分にとっては梅干しであり、お団子や兎であり、そして今では真っ白な食パンに乗っけたオレンジ色の海外製のママレード……飛行機に乗った事もない自分にしたらイギリスなんてテレビ越しでのみ存在する仮想現実の世界なのだから。これでもう海外留学せずとも自宅で英国、イングリッシュブレックファーストの世界、気分はウィリアム?である。グッモーニン、エリーゼ(桜井)……なんてさもしい想像、この辺でやめて現実の世界に話を戻す。
このママレードのお陰で朝の気怠い眠気も気付かぬ内にすっかり消えてしまった。カフェインなど入ってないのになあ、と思いつつ、最後に紅茶を口に運び、紅茶のカフェインって効いた試しがないなあと頭があべこべになりつつ飲みながら新聞を目で探す。向かい側で親が新聞を広げまだ読んでいる。構わない、自分は朝は天気欄のチェックしかしないし、のんびり読んでいたら遅刻する、朝刊は家に帰ってから夕方以降にゆっくり読むのだ。朝刊が何故か夕刊になってしまうという矛盾……自分のやる事成す事いつもこうだ。最近は自分の悲しい性だと半ば諦観しているから気にしない。
目の前に広がっている読売新聞の一面の下、天気欄に目をやる。この辺りは天気がよく変わるから傘の用意だけは頭に入れておきなさいと、物心ついた頃から親に言われ続けて、いつしか固定観念になり、出掛ける前に天気をチェックするのが習慣になってしまった。だが、天気がよく変わるなんて実感などほとんどない。朝、晴れていたら一日中は大体晴れだ。もし、にわか雨が降ったとしても、この辺りだけでなくこの地域、いやこの地方全般が雨なのだ。確かにこの辺りは盆地で山に囲まれているから雲が出来易い。でも山沿い辺りの天気がよく変わると言うより、山の天気がよく変わると言った方が正解じゃないか? 山だけ変な雲が掛かっているのは時折見かける。
それでも一日の天気が何であるかは重要だ、日本列島の天気図を目を凝らして見つめる。新潟県の辺りを探してピントを合わせる。
◯
◯(快晴)の天気記号。ホッとする。晴れだから、ホッとするのではない、そもそもこの天気図、前日の午後二十一時の天気図なのだ。つまり未来の天気予報ではなく、過去の天気記号でしかない。
そしてこの天気記号の晴れや雨とは、人間の目視で観測した記録なのだが……いや、「観察」という言葉が正しいか。機械は分析的に計測するが、人間は感覚的に状況を察するから。◯は「快晴」だが「晴れ」ではないのだ、こんな微妙(いい加減?)な判断は機械には到底無理なのであった。メカに言わせれば快晴も五月晴れも天晴も、皆全て「晴れ」でしかないのだが、メカ音痴(アナログ人間)はそれを識別出来るのだから、やはり人間には勝てないのだ。しかし、天晴(あっぱれ)なんて、どうやって計測しろと?……逆に呆れているのはメカの方かも?
それはそうとこの天気記号◯であるが、そんな訳で天気予報(明日は快晴の予想です)として◯表記しているのではなく、単なる天気観察の結果(昨日は快晴でした)としての記号でしかないで、当然新聞が届くであろう早朝……その数時間前の昨日(過去)の天気くらいしか表せない。なので明日(未来)の天気を解説する予想天気図には、◯(快晴)や●(雨)◎(曇り)などの天気記号は当然使えない。これらは一部の新聞の天気欄でしか目に出来ない。だからテレビ等で目にするお日様マークや傘マークなどの絵記号こそが、今日これから先の一般的な天気予報だ。
ちなみに桜井の家で取っている新聞には、日本列島の天気図自体が載っていないそうだ。聞けば一言、ウチはジャパンタイムズ、だと。自分の家は読売新聞だが、朝日や毎日、ましてやローカルな新潟日報などとは、土俵違いと言うか……もう言語自体が違っていた。
話を戻し、快晴の天気記号(◯)、これを見るとホッとする理由。天気が晴れとかいう事よりも、自分の住む新潟県辺りに天気記号マークがある事に、何故かホッとするのだ。まあ、自分の住む新潟県が見捨てられずにちゃんと認識された様な、その存在を認めてくれた気がしてホッとするのだ。だってそうだろう、誰の目にも止まらなければ、それは存在していても実際は存在しないに等しいではないか? 新潟辺りに◯マークがなければ誰も新潟なんか気にも留めないだろう……そんな県や都市は、仮に知っていたとしても、意識されない限りは存在しないに等しい。
もし、自分が岐阜や群馬に住んでいたとしたら、仲間外れにされた様な、存在感のない気分を今頃味わっているだろうか? ああ、新潟県民で良かった……生来からの新潟県民ではないであろう桜井が聞いたら笑うだろうか?呆れるだろうか? どちらにしてもこんな事は情けなくて聞くに聞けない……
しかし、である。今やデジタル全盛の現代、こんな空を見上げて、ハイ、快晴っ、鉛筆で◯印……なんてアナログ的な前時代のやり方が時代に逆行しているのは誰の目から見ても明らかであるからして……何と、人間の目視による観測(観察)が全国的に廃止されるそうだ。だからどうしたって? 自分にとってこれは心の存亡にすら関わる事態である。
先に説明した通り、観測機器は「晴れ」は識別出来るが、「快晴」となると、その「快」と「晴」の境界が曖昧だから、そこまで識別しようとはしないのだ。それは、この世から◯(
快晴)が消失する事を意味する。毎日、新聞の天気図で新潟の辺りの◯を目にすれば、新潟の人間ならば皆、心も自然と◯(快晴)にはなるだろう?少なくとも●にはなるまい。テレビの朝番組、天気予報の最後で星座占いがよくあるだろう。占いなどあまり信じていないが、それでも自分の星座が1位なのを目にしたらどうだ? もう大抵の人間は朝からハッピーなのである、それと同じ事なのだ。だから◯がなくなってしまうとは、たとえ穏やかな晴れであっても、雲一つないすっきりした気分にはならないし、若しくはどんよりした曇り空の冴えない気分が人生の大半を占める事になる。もちろん人生とは、雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズであるにしても、だ。
東京と大阪のニ大都市は引き続き目視観測は続けるらしいが、この変な拘りを捨てない限り、もう東京へ進学するしか道がないのか……
天気欄のチェックはこれだけだ。前日の天気図だけ見ても意味はないが、まあこれも何か安心するのだ。それは曖昧な未来予測ではなく、既に確定した過去の情報だから……はっきりした本当の事だから。曖昧なら不安になるが、はっきりしていれば安心できるという訳だ。それに昨日◯なら今日も大体◯、そんなものだと。
前日天気図の隣、本命であろう天気予報……新潟、晴れ時々曇り、降水確率二十パーセント……などという箇所には目もくれない。それらは全て役に立たないな情報だ、何故なら当たった試しがない(?)からだ、自分の個人的意見としては。それを桜井に話した時、流石というか、やはりというか、見事なまでに完璧に論破された。が、それでも天気予報欄のチェックはしないのだ、これだけは譲れない……まあ自分の様式みたいなものだろう。
四月七日 新潟 昨日は◯ それで十分、あまり意味はないが……
四月、……七日? ……いやいや、今日は四月、十四日……
……早く食べたら?
親の声で我に返る。と同時に既視感……一週間前の朝食風景が今と寸分のズレなく重なる。一体、何時何処から一週間前の回想をしていたのだろうか……
そうだった、一週間前に買って来たあのママレードを冷蔵庫から取り出した時からだ。それをボーッと見つめてながら……そもそも自分はママレードなんて別に好きでもなかった事……でも本来のママレードはどうも違うみたいだが……ならばと桜井から聞いたジャムの輸入品の話やら何やら……ああだこうだで終いには朝刊の天気図の事にまで脱線して……ほんの一週間前の過去のダイジェストカットとは言え、もしや走馬灯ってこんな感じなのだろうか? 人生の長い時を短いと感じる……か。確かに奇妙だ……けど、長いって言っても永遠……無限ではないのだ。案外……長さそれ自体を持たない零(0)と比べてしまえば、中国四千年の歴史……いや地球四十六億年の歴史さえも、逆に凄く短く思えやしまいか? ますます奇妙だ。この奇妙さは放ってはおけないが……どうせ答えは出ないのはいつもの事だ、(その長くはない)時間の無駄だから今回はこの辺でやめておこう。
……ただ、今日は長くて短い、そんな一日になりそうな予感がする……車(交通事故)にだけは気を付けておくか……
我に返った所で、目の前には何故か食べ終えたはずのトーストが白い皿に載っている……いや違う、一週間前のトーストを食べ終えたのは当たり前だ、ある訳がない。このトーストはこれから食べる今日のものだ。
冷めて固くなっている、そして自分の手には、あの輸入品のママレード…… 一週間前にこのママレードを買って来たいきさつをしみじみ思い返していたなんて。トーストがもはや食べれない程にカチカチになっている所からして、三十分以上は感慨に耽っていたに違いない。時計に目をやると七時四十一分……四十分以上の間違いだった。その四十分程を、決して長い時間だとは思わない自分。何故ならあのママレードを買って来た日、明日の朝食は必ずパンにしてくれ、と親にしつこく食い下がったたものだから、二日連続パンだったのが三日連続とパン食の最長記録を更新したのだが、その反動で今度は四日連続してご飯が出され訳である。このママレードとの再会に要した四日の長さに比べたら、四十分なんて一瞬に思える。
しかし、この親も大したものだと思った。自分の家で毎朝の朝食にご飯が出るか、パンいが出るか、その比率は半々であると説明したが……三日連続パンというイレギュラーな事態があっても、週の残り三日四日と続けてご飯にして、その比率データにほぼきっちりバランスさせている。四日五日連続パンという自分の希望など聞き入れる余地はなし。四日以上パンが続けば一週間の朝食の半分以上がパンになり、半々のバランスが崩れるという事だろうか? 何となく、このきっちりバランスさせようとする意思は、自分の日頃の思考に近いものを感じる。しかも計量的と言うよりは半ば強引にバランスさせる感じなど。はて……これにも思い当たる節があった様な……
時間もないので仕方なくカチカチのトーストにママレードを塗り、急いで紅茶で流し込んで、テーブルの隅に置かれた新聞の天気欄の天気図、新潟県にピントを合わせる。
◯
もちろん昨晩二十一時が◯(快晴)という意味だが……まあ、昨日◯なら今日も◯、という訳で折り畳み傘の必要なし、急いで鞄を脇に抱えながら玄関を飛び出したその瞬間、
◯
凄く……太陽(◯)が眩しかった……
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