桜井ミドリの客観 

谷田量子

プロローグ (日の出)

          ◯


「光あれ。」

……こうして、光があった。


———————創世記








    (◯) ( )


 太陽は、誰にともなく問うた……「海」を「見た事があるか、ないか」と。


 …はい(◯)、と暗黒の海面に白い光が照らし出された。

 満月もまた、そういう物か。太陽の光あってこそ、闇夜の中で白く、輝く。光あってこそ、目に、見える。見た事が「ある」、とはそういう事。


 …………………………いいえ( )、と10秒ほど後から別の答え—無回答—も示されたのだが……

 新月もまた、そういう物か。太陽の光が当たらなければ、闇夜の中で黒く、見えない。光が当たらなければ、目に、見えない。見た事があるか、「ない」か、とはそういう事。

 

 後者には可哀想ではあるが、仕方がないのだろうか。生来からの盲人(?)には、海という名の「光」が目に届かないのならば。




 海は、誰にともなく問うた……「海」を「知っているか、いないか」と。


 …はい(◯)、とまたソレ真っ先に肯定が示された。アレは今度こそ、はい(?)、と答える事が出来るか? 


 直接、海水を肌に触れ(冷たい)、舌で舐める(塩っぱい)。そもそも海は光で出来てなどいないのだ。アレが仮に盲人だとしても、海を見た事がない、だから海も知らないとは言い切れないだろう……




 真っ白な旗の真ん中にある「赤い太陽」が、「ここ」が「日本」だと、象徴する。

 ここ( )って何処? そう、ここ(◯)が日本だ。その赤い丸印がなければ、その真っ白な旗は、海に浮かぶ全ての国々のカンバスとも見なせる。「日章旗」なら「日本」だ、「星条旗」なら「アメリカ」だ。

 その白いカンバスに何も描かれていなければ、それは、ただの海外( )としか呼べまい。

 その「赤い太陽」があってこそ、「ここ」が「日本」だと知る事が出来る。真っ白な旗も、真っ白な答案も、教養がない真っ白な頭も……「真っ白」では何も知る事が出来ない。当然ではないか。真っ白( )なのだから、知る手掛かりが何処にもないのだ。



 そこで問おう。この真っ白な「海」を端から端まで総て染め上げ、海とは何なのかを「総理解」する事は果たして出来るのか、と。

 だが、あの盲人にとっては海という名の光など、何光年の彼方にして届く事はないのだろうか……

 ……それでも、いつか開眼する日はやって来るのかも知れない。その時、アレは果たしてどこまで「海」を染め上げる事が出来るのだろうか……




 日章旗も以前に比べ随分と余白が目立つ様になった……と、「海外」が見る。「日本」国内はそれ自身を見てみるが……知らぬ間に余白が大きくなった( )のか、逆に「赤い太陽」が小さくなった(。)のか、それとも目の錯覚なのか? それはまだ分からないままである。ただ、海外勢力が大きくなればなるほど、国内勢力はその分だけ小さく見えてしまうのは自明だが……それとも海外から孤立して小さく見えるのか……果たして答えは——



 ——結局、真っ白なカンバスに、何かを知る為の手掛かりは、その「赤い太陽」以外に何もないのなら、それを使う以外に道はあるまい……と、太陽それ自身、問答を締め括り……


     ◯         ◯ 


 ……そして今日もまた、二つの夜が、明ける……

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