モノローグ(桜井)

     ◯


 四月十四日、朝七時四十五分、ダイニングルームに足を踏み入れる、その私と入れ替わりに、パンとコーヒー準備してあるから……と、ママが言い残して急ぎ足で出て行った。

 私もそんなに時間ないけど焦らない。最悪、遅刻寸前でもママの車で送ってもらえばいいから。ママの身支度は結構時間が掛かるから、それまでに食べ終えればいいだけの事、どうせパンとコーヒーだけなんだし。

 ……そう言えば柳、私の家が毎朝パンだって聞いて羨ましがっていたわね。馬鹿みたい、毎朝パンなんてただの手抜きだっていうのが全然分かっていない。ご飯を炊いたり味噌汁作ったりする方がずっと手の込んだ朝食なのに。パンなんてただ買ってくるだけで何もしなくていいだけ、それに毎朝パンなんてバランスが悪すぎる、栄養学的にもそうだし食生活としてもね。だから朝食にご飯もちゃんと出してくれる柳のお母さんは、ウチと違って良妻賢母なんだから感謝しなさいって言ってやったら、……桜井の母親は才色兼備なんだからそっちが羨ましい、だって。

 ハッ?「良妻賢母」の返礼が「才色兼備」? 意味が分かって言っているのか?私のママに会ったことない筈なのに才色兼備だって?

 …まあ、確かに一般的に言う容姿端麗なのかもしれない。教養もあるかもしれない。でも、こんな言葉、私からしたら誉め言葉なんかじゃない。せいぜい見栄えするキャリアウーマンにくれてあげる程度の言葉。決して偉大な女性に対して送られる言葉なんかじゃない。サッチャーやキュリー夫人にこんな言葉は必要ない。もし、私にこんな言葉を与えられたら………もういい、柳の言う事にイチイチ反応してたらキリがない。


 切り分けたバゲットを食べ終えて、コーヒーで締め括る。女子が朝からコーヒーなんてオジサン臭い気がして嫌だ、紅茶にして欲しいって言ってるのに。もちろん、コーヒーは好きだけど……結局ウチの女共は男勝りって事か。ママも、そして私も……

 逆に柳はますます女々しくなって行くみたいな……最近じゃママレードなんかに拘り始めているし。しかもあの可愛らしいギンガムチェック柄のママレード……おい大丈夫か、柳。まあアレは元々あんな感じか……男のクセに態度はハッキリしないし……けど、そんな女々しい男かと思えば突然ビックリさせられるし……

 「ビックリ」か…… 何でだろ、柳の何にビックリしてるんだろう?この私が柳に?違うわね、あれはまあ、奇人の類いよ。そういう所が面白いから、別に仲良しって程でもないけど、話相手にはもってこいなのよ。口には出せないけど、クラスの連中と話はしても、正直面倒臭い。何を言っても返って来るのは……だよねー、そうそうー、へえー、ああー、って……ハア……(溜め息)、言葉じゃなくて空気を聞いているに等しいわね、あれは。中身が気泡だらけのスカスカなパンなんて食べても味もしないし栄養にもならない。栄養(教養)まで期待しないけど、せめて(面白)味がなくちゃつまらないでしょう、料理にしても話にしても。

 まあ、柳の話に味があるって訳じゃないけど。基本、柳は無口か。もちろん吃り症とか、声が出ないとかって訳じゃないけど。一旦口を開いたら、そこそこ喋るし、コミュニケーション能力も相応にある。ただ、自発的には無駄に喋らない無口なのかも。柳が口を開くのは、興味や関心に触れる話題や言葉を向けた時、もしくは耳に入った時だ。喋る長さは、興味や関心の度合いに比例しているかも。そこが何か面白い。(地雷なんて非人道的な用語は使いたくないけど)例えれば、地雷踏みゲームか。様々な話題や言葉を私が仕掛けて、そこに柳が足を踏み入れる。今年の流行ファッション……(不発)、イギリスの次期首相候補……(不発)、漫画……ダンッ、芸能人の離婚……(不発)、音楽……ダダンッ、(ん?ダダンッ?なら……)ベートーベン ………………ダ、ダ、ダ、ダーーーーーーン。こんな感じか。最近じゃ漫画と、音楽あたりか。音楽でかなり食い付いたから、ベートーベンでカマかけたら大爆発?してビックリしたわ。

 柳も他の連中と話しても、不発だったり、クラッカー程度の発破でお終い。私とだと、違う。不発はない、もしあったとしたら、それは私自身にとってもどうでもいい話題だったりするのだ。話題が合うという訳じゃないけど、ウマが合う、っていうのともまた違う。

 柳と話していると、私自身と話している?みたいな……鏡を見るみたいに。つまり私自身と話題が合う(みたいで合わない)のは当然、鏡は合っている様でも実は左右アベコベみたいな、ね。

 その「柳」という鏡の中で私は私自身に気付く、私がどういう人間か…… まあ、私は私、別に引け目なんて持ってないし、結局私は私の良さを再認識するってだけ。そして柳も私の事を、「凄い」とか言って私を誉める。別に何ともないけど。

 ……けど、何で柳が鏡みたいな役割なんだろ。柳と私が似ているなら分かるけど、むしろ対照的だしね……あれっ?違う違う、鏡なら対称的?男が右ボタンで、女は左ボタン……それを鏡で見たら男が左ボタンで、女は右ボタン、か。女の私が鏡を見ても女の私が映るだけ。でも注意深く見ると何か微妙な……けれども決定的な違いに気付く、そんな所かも。

 柳は……男のクセにハッキリしないし、けどそんな女々しい男かと思えば突然ビックリさせられるし……だったか。じゃあ私はどうなんだろう?

 私は……女のクセに威風堂々としている、けど(鏡に映して見たら)そんな男勝りな女かと見えて実は大して……


 ……やめた。何か面白くない。ハァ……何を考えているんだろ……


 (                 )

思考を放棄し、シラけ切ったのと同時に……

 (……はい、只今の時刻七時五十八分です。では新潟県各地の天気を見て行きましょう。新潟県上越地方 晴れ時々曇り 降水確率 十パーセント 中越地方 晴れ時々曇り 降水確率十パーセント……)

 ダイニングルームのコーナーのテレビから、女性キャスターが天気予報を読み上げる音声が、ボリュームゼロから一の囁きで流れている。そうして頭の中の白々しさも、音声情報で埋め尽くされる。空っぽな頭よりは幾分マシな気分かも。アレよアレ、「我思う、故に我有り」ね、頭の中が真っ白だと私が一瞬、誰なのかすら分からなくなる。今だって、私が柳に話しているのか?ひょっとして柳が私に話しているのか?みたいにね。それはそうと、テレビちゃんと消して出ていって欲しい、朝食も手抜きなら、そういう所もいい加減だし……


 新潟県中越地方 晴れ時々曇り 降水確率十パーセント……


 ここは晴れ、か。天気予報には正直あまり関心はないけど気象現象それ自体は物理現象なのだから私の得意分野、それでたまたま柳に気象の話題を振ったら、向こうはいきなり天気予報の話で返してきて、少し面食らったのを思い出す。

 柳は天気予報は新聞の天気欄の、その中でも天気図(しかもそれ昨晩の天気図だって?)しか見ないのだとか(それって天気予報とは言わないでしょ?)。何で肝心の予報欄は見ないのかと突っ込んでみると柳は、……だってさ桜井、曇りのち晴れとか予報にあってもいつも早朝からカラッと晴れてたりするだろう?あの「時々曇り」とかにしても適当な言い回しであまり当てにならないよな?って、柳にしては自信満々な態度で言い放った。 

 やっぱり柳はまだまだ小さいというか自分しか見えないというか……なんて思ったけど、その前に……何だって天気予報代わりにわざわざ天気図だけを、しかもそれ昨晩の天気図なんでしょ?って問い質してみた。

 柳曰く、余計なな情報がないからハッキリして安心するのだとか。新潟に快晴の天気記号(◯)があれば天気は快晴唯一つ、快晴の如く明快だ、しかも前日の確定した天気だから百パーセント当たっているから外れる不安を抱く必要もない(そりゃそうだけど昨日の天気を確認したって意味ないでしょ?馬鹿なのか?)、けれど晴れのち曇り夕方所々一部雨なんて予報を目にしてみたらどうだ、今日は晴れ?曇り?いや雨?一日中あやふやなすっきりしない気分が付きまとって嫌だろう、そもそも毎日晴れのち曇りみたいな事言ってるけど、結局いつも晴れだけで、曇りの基準はあるにしても、感覚とて雲行きが怪しいなんて程には空が曇ったりはしないものだよ……と、そんな事を言った。

 柳は単細胞なのか。そう、優柔不断でハッキリしない奴かと思えば、単純明快にハッキリした答えを出したがる。たまにその答えにビックリさせられる時があるが……けどまあその程度か、そう思いながらどう言い伏せるか思考を巡らす……


 柳、川端康成の「雪国」は知ってるわよね?と、切り出した途端、おおっあの川端さんの「雪国」……やっぱり桜井なら読んでたか、なんたってここ地元雪国が舞台だもんな、自分は文学の事はよく分からないけどあの川端さんの雪国だけは地元の誇りとして読ませて頂いたぞ……なんて、やたら嬉しそうに言い寄ってきた。まあ、確かに地元が舞台の小説だし、それに冒頭部分は国語の教科書でも扱っているから、誰だって知っていて当然だけど。柳の反応からして、どうやら例の地雷を踏んだみたいだけど構わず話を続ける。

 ……ならあの有名な書き出しは知ってるわよね?と、私が言うや否や「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」と、胸を張って柳は言うけど、一体何がそんなに嬉しいのか。

 ……で、地元なら知ってると思うけど、群馬の水上のトンネルを抜けると、ここ新潟の雪国……正確には湯沢方面だけど、そこで雪一面の銀世界に変わっていた訳よね。それじゃ水上と湯沢って、トンネル隔ててどの程度離れているか地図で見たことある?と、柳に振ると、何キロ程度かはよく分からないけど地図で大雑把に見れば目と鼻の先程度しかないよなあ、と不思議そうに言う。そう、目と鼻の先、つまりそんなに離れていない、けれど山一つ越えた先は真っ白な銀世界。つまり天気なんてのは場所によっては凄く局地的だって事よ。

 柳だって地元なら何でこの辺りが豪雪地帯なのか知ってるわよね?と、一応確認をしてみると、……ああ山だろ?雪雲の元になるのは日本海の水蒸気で……それが山の地形で上昇して雪雲が出来やすい……だったっけ?

 ……その通り。なら水上と湯沢の間に山がなくて平野続きだったら、その川端さんの文章はどうなる?と、私が聞くと……


 「国境の長いトンネルを抜けると……晴れであった……」


 柳はボソッと呟く。確かに答えとしては合ってはいるけど……柳には残念ながら文才の欠片もなかったみたい。小学生でも最低、「トンネルを抜けるとそこは青天であった」くらいは表現するだろうし、幼児だって「トンネルを出たらお日様が顔を出していた」なんて比喩まで出来るのに情けない。そのクセに下らない事については、私の意表を突く面白い表現(ボケ?)をするのだけど……

 ……ただ引っかかるのは、国語の授業で川端の「雪国」が取り上げられた時、教師が何気に言っていたのは、あの有名な一節「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」は、作者の著作物とは認められなかった、という事。基本、作家の文章を無断で引用すれば著作権の侵害になるけど。とは言え、新鋭作家?柳が書いた「国境の長いトンネルを抜けると晴れであった」なんて駄文、こんなのはトンネル出たら晴れだったと言っているだけ。作品内のなんて事のない平凡な文章にまで著作権だの言っていたらキリがないのもまた分かるけど。……でも、それだと川端氏の文学的センスの粋とも言えるあの一節は所詮「トンネルを抜けたら雪が降っていた」程度の駄文に成り下がってしまう気もするけど…… この辺りの線引きって難しいわね。白黒ハッキリした答えは出せない……文学は科学じゃないからね。 柳は妙にこの一節がお気に入りみたいだけど、アイツこの事実を知っているのか? まあ、もし今一度再審にでもなって、柳が裁判員に選ばれたならば……著作として認めるべきと主張するだろうな。ハナから川端氏を贔屓しているんじゃ法の下の平等もクソもない(……って、私も言葉遣い駄目ねえ……)。私?……私は良くも悪くもドライなのかも……ね。正直、表現より意味そのもの、過程より結果が全て、そんな合目的な思考だから。

 ……ん? 今……私ちょっと凹んでない? ハッ、まさか?何で?馬鹿らし……


 最後に私が総括して言う。つまり今日、中越地方が曇り一時雨だったとして、それで雨が降らなかったからと言って予報が外れたことにはならないって事。柳が今居る場所が一日中曇りだったとしても、数キロ先の湯沢とかは一時的に雨が降ったかもしれなわよ、同じ中越地方に住んでいても湯沢に居る人にとっては当たっている訳よ。

 柳、自分のその考えって全く周りが見えていないでしょ?新潟の中越地方って一口に言っても相当な広さよ?柳の住んでる立ってる場所を基準に予報を出してるんじゃないって事。それに空を見なさいよ、雲(曇)は川の流れみたいに常に止まらず移ろい行くのよ。晴れ時々曇り、曇りのち晴れ、曇り一時晴れ……自分の今居る場所を基準にそんなのピタリと一致させられる訳ないでしょ?柳の立ち位置だって、いくら中越地方の範囲内であっても常に移動もすれば、一方で雲もこうしている間にも偏西風の流れに乗って西から東へ流れて行ってしまうし……


 ま、こんな所かしらと、柳の反応を見る。そうしたら……やっぱり川端さんは凄いな、だって。……おい、何でそっちなんだ? どういう事か聞くと、柳はこんな事を言い出した。

 自分はあの川端さんの傑作「雪国」を読んだんだけど、正直白状すると、どう素晴らしいのかが理解できなかったし、そもそもあの有名な書き出し「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」も、何故そこまで有名になったのか、その訳も結局よく分からなかった、まあ自分の感性が川端さんに遠く及ばなかっただけなんだけど。

 そのまま柳は続ける。……けど、桜井の今の説明、水上と湯沢はお隣さん、近いからそっくりと思いきや実は全く違っていた…、その紙一重というか表裏一体の関係っていうか、そんなスレスレな関係を聞いていたらさ、やっぱりあの文章は川端さんだからこそ書けたっていうか、川端さんの感性で水上湯沢間の「知って」いながら「分かって」なかった何かを剥き出しにして、ようやく全てが「分かった」って言うか……そんな感じがした。自分とか普通の人はさ、桜井が言ったその局地的な天気ってのを頭では知ってるつもりでも、やっぱり鈍感で、そこにある本質的な何かに気付かないんだよな。今初めて川端さんの凄さを垣間見た気がするよ。それにしても、やっぱり桜井も相変わらず凄いよな。結局最後は桜井に感服させられてしまうんだな、ぐうの音も出ないよ。


 (………………)唖然としてしばらく頭が回らなかった。ハア?川端氏はまず置いといて……私が凄い?まあ何度も柳に言われるから慣れているけど、ここで何で私なんだ?私が「雪国」書いたのか?無関係の私が誉めらるのも何かお世辞言われてる気がして嫌だから、こう言い返してやった。

 あんな私の説明にしたって一般教養の範囲内でしょ?あの文章書いた川端さんが凄いのは分かるけど私が書いた訳でもないでょ?ハイこれでお終い……と思いきや、柳は予想外の事を言い出した。

 いや桜井、まあそうなんだけど、ちょっと違うんだ。桜井が凄いってのはさ、自分が天気予報の晴れのち曇りなんて、どうせいつも晴れなんだから曇りなんてのはいつも当たっていないようなものだって言っただろう? でもそれって、川端さんの「雪国」のあの文章の凄さに全く気付けなかった事と本質は同じなんだって今「分かった」んだよ。もちろん桜井の説明を聞いてそれに気付いたんだ。そこが凄いって事。

 桜井の説明が日本海から蒸発する水蒸気やら山の地形だとかの局地的な天気の説明だけを引き合いに出したのなら、まあ感心はしただろうけど、そこに川端さんの文章を引き合いに出しつつ、自分に分からせてくれたのが凄い……いや、本当に凄い。だって桜井は、ある意味川端さんの領域で物事を見ているからこそ、あの文章をとっさに引き合いに出して説明出来るんだ。普通の予報解説者なら物理的現象の説明で片付けるだけ。そこに桜井は川端さんの怜悧な感性をも交えて語るものだから……もう理解したとかを通り越して目から鱗?いや開眼? とにかく正直天気予報が当たるも八卦当たらぬも八卦とか、そんな自分の疑問なんてもうどうでもいいや……と、柳は興奮気味に言った。


 ……今一つ、分からない。私には卓越した文才はあったか?確かに小論文程度ならいくらでも書ける。が、文豪だとか、ましてや川端なんて偉大過ぎる……遠く及ばない。私の何が凄い?柳の言う川端の領域って何なんだ? 仮に私が川端を理解していたとしても、それの何が凄い?川端を理解できる評論家は偉大なのか? 違う、偉大なのは川端だ。生み出したのは川端、享受するのは評論家なんだから。……逆にだ、こんな事を言っている柳とは一体何なんだ?逆に驚いたのは私じゃないのか? 私の説明より、柳の言う川端の凄さに気付けなかったその理由の説明の方かむしろ……


 ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、


 これは私の鼓動(動揺?)……な訳がないか、ああ、車のエンジン音か……

 ……ってマズい、急がないと乗っけてもらえない。

 テレビも点けっ放しのまま、猛ダッシュでエントランスを駆け抜けた瞬間、


     ◯


 ……太陽(◯)が驚く程に眩しかった……

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