紅茶

藍治 ゆき

紅茶

 妻が、くっと紅茶を飲んだ。紅茶の中には、毒が入っている。


 幾許もなく、紅茶の入ったカップを置いた刹那、妻は、どたりと大きな音を立てて椅子から倒れた。


 ついに、人を殺してしまった。それも、愛する妻を。


 漸次、背徳感が背中をつつく。僕は人殺しだ。紅茶に毒を入れたのも僕だ。ミステリー小説を逆さまから読むようなこの諧謔に、相好が崩れていく。


 嗚呼、美しい刹那。永訣の日。


 僕は倒れた妻の顔を覗き込んだ。眠るように、死んでいる。


 

 僕はいつも余計なことを思い出す。


 欽慕している先生が、「私は、ねむるようにして、いつでも死ねる。ねむることと、死ぬこととが、もう実際にケジメが見えなくなってしまった。」と本に書いた。


 僕はその文章をふと思い出した。


 僕は何もかもが嫌になってしまった。


 僕もそのまま横になって、妻の死に顔を撫でた。まだ、温かい。


 妻の、栗色の長い髪を口元へ持ってきて接吻した。ほんのり、甘い香りがする。


 人はこんなにも簡単に死ねるというのに、なぜ一生懸命に生きるのだろう。


 先生も、数年前に死んだ。


 家は、しんと静まり返っている。



引用

我が人生観(二)俗悪の発見 坂口安吾

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紅茶 藍治 ゆき @yuki_aiji

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