第36話 響く重低音


スタジオ【オウル】Aスタジオ。


――曲が終わり、ギターの音が消え入る。


「いいじゃんいいじゃん、すっごくいいじゃーん!」


ベースを持つ女性がぴょんぴょんと全身で喜びを表すように飛び跳ねる。彼女の名前は黒澤 亜里沙。ガールズバンド【マ⇔インドロゼ】のベースボーカル。16歳。


「だねえ。新曲……初合わせでこれならレコーディングも心配ないかな」


そう答えるのはギター、黒澤 桔梗。亜里沙の姉でありバンドリーダーの20歳。


「ああ、イイ曲だな。そういやライブ今度いつだっけ?この曲はやんないんだろ?」


そう言って黒瀬 夏樹はドラムセットの椅子に座ったまま携帯を見た。


【マ⇔インドロゼ】は亜里沙と桔梗の姉妹が元となり、女性サポートメンバーを集めて作られるガールズバンドである。そこに夏樹はサポートドラマーとして所属していた。


「えーとぉー?次のライブは……来月の頭あたりにあったような」


「お姉ちゃん!次は7月5日の土曜日だよ!!」


「え、あそうだった。ごめんごめん」


「しっかりしてよねぇ、もう」


「はは」


しっかり者の妹とどこか抜けている姉。美人姉妹。アイドル並みのビジュアルと、そしてこの二人の掛け合いもあって【マ⇔インドロゼ】というバンドはかなりの人気があった。それこそワンマンをすればチケットは跳ぶように売れ、様々な音楽事務所からスカウトが来るほどに。

ネットでもファンが多くかなりの数字を持っていて、YooTuberとのコラボも積極的におこなっており、順調に知名度を高めている。


夏樹の携帯画面に映る、チャンネル【マ⇔インドロゼ】登録者数97万人。


「ねえねえ~」


ふと気が付けば亜里沙が夏樹の隣に両膝をついていた。たれ目の彼女が上目遣いで子犬のように庇護欲を誘う。夏樹は一瞬で彼女の次に続く言葉を予想できたが、あえて「ん?」と手短に聞き返した。


「夏樹ちゃん、どうかなぁ……ほら、前に相談したじゃん?ウチのバンドに正式に加入してくれないかなって。もうすぐYooTubeの登録者も100万人いくしさ。そうなったら考えてくれるって言ってたよね?」


「……まあ、そうだな」


夏樹の母親が事故にあったあの日、彼女はその約束をしていた。このバンドは夏樹がまだ中学生の頃に後輩だった亜里沙にせがまれて始めた。なんとなく覗いた軽音部、そこで流れで叩くことになったドラムを聴いた亜里沙が惚れこむ。そして裏で活動していた姉桔梗とのバンド【マ⇔インドロゼ】へと誘いサポートドラマーとなる。


そこから腕のいいドラマーとして夏樹の存在は知られ、様々なバンドでサポートドラマーとして活動していた。


「ねぇ、もういいでしょ?これだけ一緒にやってきたんだから、もうウチのメンバーじゃん」


「でも、約束だからさ」


「妙なとこで真面目ねぇ、夏樹は。けど正式に所属した方が夏樹のお家的にもいいでしょう?バイトも根詰めてしなくていいし、ドラム叩いていられる時間も多くなる。私たちもちゃんと報酬出したいし」


「……」


夏樹は【マ⇔インドロゼ】において雇われサポートドラマーではあるが報酬を受け取ってはいなかった。100万人登録を達成したとき、正式に所属しまとめて受け取るといい、その一切を拒んでいた。


「そうそう、私たちが夏樹ちゃんを追い詰めてるみたいじゃんさ。ウチのドラムしてくれてる時間あったらもっとバイトできてるはずだし」


――夏樹は居心地が良かった。このバンドは自分にとって初めてのバンドであり、長くかかわりのあった居場所でもある。喧嘩もあって辛い記憶もある。けれどそれに比例するかのように楽しかったことも嬉しかったことも多く、かけがえのない場所でもあった。


(……俺は、親父も店も……守らなきゃいけない……だから)


刹那、春と秋乃の顔が脳裏を過った――。


確かにこのままこちらのバンドに加入すれば、今の生活は好転するだろう。音楽に触れられる時間も多くなり収入も今までの比にならない程得られる。【マ⇔インドロゼ】のアップしている曲は9割近くがオリジナルで100万再生を越えるものも少なくない。

更に多くのインフルエンサーや著名人にも愛され、企業からの案件もひっきりなしに舞い込んでくることを加味すれば、このバンドには成功する可能性の高さはbetする価値は十分すぎる程にあった。


「……そう、だな」


ここを逃せば、答えは先へ伸ばせば伸ばすほど後悔する。それだけは確かなのだと、過去に負った傷から学び夏樹は答えを出した。


「入るよ」


――彼女は過去との決別を選んだ。





屋上、春は一人いつもの定位置である屋根上でノートにシャープペンを走らせていた。まだまだ暑い空の下ではあったが、これだけは他の誰にも見られたくはなかったため、この場所で熱気に耐えていた。


「……なんか、無駄に……ポエミーになっちゃうんだよな、こういうの」


ふと辞書代わりにしていた携帯をみる。するともうそろそろ五限目の時間が迫っていることに気が付く。


「うわ、やばい!」


素早くノートと筆記用具を回収し、廊下へ飛び出す。猛ダッシュで教室を目指していると、廊下の角から誰かが現れ危なく当たるところだった。


「うぉう、っと!?」


「す、すみません!!」


気が動転していた僕はそのまま立ち去る。授業に遅れる事それすなわち陰キャにとっての死を意味する。悪目立ちは必要でなければ極力したくない。


「あ、おーい!」


呼ばれたけれど僕は振り向かずに「す、すみませーん!!」と叫んで逃げた。時間があるのであれば説教のひとつやふたつされても良かったが、今は緊急事態。次お会いするときがあればその時に、と心の中でも再度謝罪をした。


(まあ、会うこともないと思うけど……!)


教室へ到着したのは二分前だった。息を切らしながら席へ着く。すると田中が僕を心配して「お、おい……大丈夫か?」と声を掛けてくれた。それに対し頷く僕。ノートに『大丈夫』と書こうとした時、異変に気が付いた。


――あれ……ノートは?


さっきまで持っていた会話用のノートが見当たらない。


「あれ、春いつものノートは?」


田中もそれに気が付いたようで聞いてくる。しかし聞きたいのは僕も同じで、あたりを見渡した。どこにもない僕のノート。じわりじわりと嫌な汗が肌から分泌されるのを感じ始める。

そしてふと一つの可能性が脳裏をよぎった。もしかして、ノートを失くしたのってさっきぶつかりそうになった時じゃないのか?と。


「ねえ、春。ちょっといい?」


細く甘いような声。その声の主は勿論田中ではなく、


――……秋葉。


じっとこちらを見据える双眸。ふんわりと長い睫毛に薄く塗られたピンクのリップが可愛らしい。このクラスで一番人気の女子であり僕の幼馴染。

一体何の話だ?と思う僕だったが、ノートが無くて返事ができない。あ、いや、他のノートか携帯で打ち込んで画面見せればいいいのか。そう打開策を考え付く僕だったが、田中が少し慌てた様子で口を開いた。


「や、まてまて、もう授業始まるぞ」


「え……あ、そうね。そっか。……ごめん」


確かに。急に話しかけられたので一瞬忘れていたがもう授業が始まる寸前だった。その時、ガラリと教室の扉が開き先生が入ってきた。


「あら~?浜辺さんもう鐘がなってますよぅ!席についてついて~!」


現れたのは、背が小さく童顔で可愛らしい容姿のマスコット的英語教師。いつものお立ち台を脇に抱え入室する様はやはりどう見ても中学生のようで違和感が凄い。そして叱られた秋葉もまるで中学生に注意を受けているように見えて妙な感覚になる。


「あ、す、すみません……」


珍しいな、と思った。秋葉はああ見えて割とまじめな性格でこうした時間には厳しい。これまでだって僕の知る限り遅刻の類はしたことがない。ひょっとして体調でも悪いのか?

そんなことを考えていると、不意にクスクスと笑い声が聞こえた。女子の笑い声。いつも秋葉と一緒につるんでいた佐々木と花園もにやにやと細く笑んでいた。


僕はそれに妙な違和感を覚えた。秋葉が真顔だったのだ。いつもであれば空気を読み笑顔で対応するはずの彼女は、席についたあと彼女らとは目も合わさず真っすぐ黒板を見ていた。

そしてその妙な空気感を先生も感じ取っていたのか、彼女は少し首を傾げ取り繕うように困り顔で微笑んだ。可愛い。


(……なにかあったっぽいな)


高橋の顔もどこか冴えない。明らかに教室の空気も重々しく感じる。いや、授業始まるからっていうのもあるんだろうけど。ま、とにかく後で秋葉から話を聞いてみるか……あっちも僕になにか話があったみたいだし。


そうして英語の授業が終わり、僕は教室を出た。僕が目立ちたくないというのもあったが、なにより秋葉が話しかけやすいように。教室では秋葉も話しにくい感じがしたから。僕なりに気を遣い廊下で待つことにした……が、いつまでたっても追いかけてこない。


……もしかしてそれほど重要な用事ではなかったのか?ちらりと教室を覗くと秋葉は高橋と会話していた。


(……あれ、僕の勘違いだったか?)


さっきまでの暗い顔が無かったかのように明るく談笑する二人。高橋の顔はここからじゃよく見えないけど、あの妙に重々しかった空気は僕の杞憂だったのかとも思える光景だった。相変わらず取り巻きはいないっぽいけど。と、その時、


「おいおい、ストーカー行為かね?きみぃ~」


突然耳元で囁かれた。


「うわああっ!?」


「うおい!びっくしたぁ!!?」


今まで体感したことのないゾワゾワする快感が、思わず声を上げてしまうほどに耳から全身へ駆け巡った。その瞬間、反射的に振り向いた僕。一瞬秋乃の悪戯かとも思ったが、その姿を確認して更に驚く。

そにいたのは一人の眼鏡女子。彼女もまた僕の声に驚いたのか、目をまん丸にして半身で固まっていた。ずれた黒縁の眼鏡を直し、じっと僕の顔をみてくる。


注目すべきはその手に持っていたノートだ。あれは僕の会話専用ノート。


それによってこの人の目的が僕にそのノートを届けに来てくれたことだと理解できた。が、僕が本当に驚くべきポイントは他にあった。


「あははは、驚かせてごめんよう。ほら、これ君のノートでしょう」


差し出されたノート。それを受け取りつつ、僕は彼女がそうなのか確かめる。三つ編みをサイドで丸く輪のように纏めた髪。眠たそうな垂れた目尻。あの時は眼鏡は書けていなかったけど、間違いない。


「……」


僕はノートを受け取りペンを走らせる。そしてニコニコと笑っている彼女へ文面を見せた。


『ありがとうございました』


「いえいえ。今度からは廊下走んなよ?危ないからさぁ」


『それじゃあこれで』


素早く書き込み頭を下げ教室へ戻ろうとする僕。が、しかし、


「おいおい、ずいぶんとドライじゃない?そっけないなぁー!一緒にライブした仲だっていうのにさぁ?」


がしっと肩を掴まれ脚が止まる。もしかしたら気づいてないかもしれないと一縷の望みを持ったが、しっかり気が付いていたらしい。


「あれ、ひょっとして私のこと忘れちゃった?覚えてないん?」


僕はあたりを見渡して人が側にいないことを確認した。そして彼女に聞こえるくらいの小さな声量で答えた。


「……いえ、覚えてます。『rush blue』のベース、メイさんですよね」


「あったりぃ!いやあ、おんなじ学校だったなんてねぇ?マジでびっくりだよなぁー!」


にやりと八重歯を見せ彼女は無邪気に笑った。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る