第34話 お誘い



その時、玄関先で戸の開く音がする。


「ただいまー」


現れたのは夏樹だった。


「おい、親父誰か来てるのか?って、え……?春、と秋乃?なんでいるんだ?」


「おう、お前に会いにきたみたいだぜ。話があるんだとよ」


時貞さんのその言葉で夏樹の視線が揺らいだ。僅かに動揺したように見えた。


「……俺に話?なに?もしかしてバンド組もうとかって話か?」


座る僕と秋乃へ視線を向けた夏樹。雰囲気が変わり、壁ができたような圧力を感じた。秋乃もそれを感じ取ったのか微かに表情が硬くなったように見えた。僕は夏樹の問いに答え頷く。


「勘がいいな。そう、まだ僕と秋乃だけなんだよ。だから夏樹にドラムやってほしくてきた」


まずはストレートに。とはいえこちらの目的なんてわかり切っているのだから、真正面から行くしかない。また夏樹の視線が揺れた。


「悪いな。それは無理だ」


小雨にすら消え入るような声だった。


「それは……なんで?」


「いや、なんでって……俺にはそんな暇なんてない。バイトあるし、忙しいんだよ。それにドラムももう……いや、とにかくできない。この話は終わりだ」


わかり切っていた答え。だが、完全な拒絶ではないことにすぐ気が付く。本当に嫌だったらまずこの席につかないし、話を聞かない。


その時、様子を見守っていた時貞さんが口を開いた。


「夏樹、もう十分だ。お前がこれまでバイトで稼いでこの店を支えてくれてたのは凄く助かった。でも、もうこれ以上この店にお前の時間を……人生を捧げるのは止めろ。借金も店を売ればもう何とか目途もつく。だから……」


――瞬間、夏樹の目が鋭くなる。


「んなの、駄目に決まってんじゃねえか!!」


夏樹は静かに声を荒げ、怒気の籠った声を放つ。それはおそらく時貞さんへ対してではなく、自分へ向けた憎しみや後悔の感情だろう。夏樹はその感情を体から排除するように深く息を吐いた。そして、


「この店は、俺が無くさせねえ。例えこの人生を捧げたとしても……俺は、守ってみせる」


微かに震える声でそういった。握りしめた拳にどれがどれだけ強く固いモノなのかがわかる。しかしそれを理解したうえで時貞さんは首を横に振った。


「もう無理だ。どうにもできない。例えお前の頑張りで一時的になんとかやりくりできるようになったとしても、そのうちまた回らなくなる。もう昔とは状況が違う。時代が変わってるんだ。聞き分けろ」


「……聞き分けられるわけねえ。この『華魅鮨』は……母さんの大切な店だ……だから」


そう言って夏樹はもう話すことはないというように席を立った。苦しそうな表情で、顔を背ける夏樹に僕はどう声を掛けていいかわからなかった。形は違えど同じ境遇である僕は彼女の気持ちは、家族を支えないとという思いは苦しくなる程に理解できたから――。


(……でも、だからこそ)


「せっかく来てもらって悪いが、そんなわけだ。他を当たってくれ」


夏樹は僕らに背を向け立ち去った。廊下を歩くその足取りは早く、何かから逃げるかのよう。苛立ちか悔しさか、また他の感情がそうさせるのだろう。やがて自室であろう扉の前に立ち止まった。そして、


「いや、ついてくんなよ!?なんでずっと後ついてきてるんだお前ら!!」


夏樹の後ろに列になって続いていた僕と秋乃に勢いよくツッコミを入れた。何かから逃げるようにっていうか僕らから逃げてたっていう。


「え、いや、まだ話終わってないから……」


そう、話は終わってない。だからついてきた。しかし夏樹としては終わらせたつもりだったので、しつこくついてくる僕らを疎ましく思ったのだろう。さっさと帰れといった感じに、払いのけるよう腕をふった。


「終わっただろ!雰囲気的に!空気を読めよ!!」


「えぇ、そんなこと言われても……夏樹ちゃんもう少しお話しようよ。あれだけだとあたしらも諦めきれないし」


秋乃は困ったような表情でそういうが、ここで本当に困っているのは間違いなく夏樹だろう。


「はあ?」


夏樹は呆れるような、不快なような顔で僕と秋乃を交互に見る。


「そうだそうだ、僕らを諦めさせてみろ!」


「みろみろー!!」


「いやなんだこいつら!?」


ずいずいっと迫る僕と秋乃。二人の勢いに押され、たじろぐ夏樹。


「「さあさあ、もっとお話しようぜい!!!」」


「ノリがくそウザい!息を合わせるな!!」


気持ちワルイくらいハモる僕と秋乃にキレのあるツッコミが入った。さすが夏樹さん、機嫌がわるいのにちゃんと無視せず構ってくれる。こういうとこ好き。


「でも冷静に聞いてほしいんだが、僕らとバンドするメリットは結構大きいと思う」


「……メリット?」


よし、食いついた。話を聞く体制に夏樹が入ってくれたことにより希望は繋がれた。ここからが重要だ。僕らのバンドに入ることで生じる夏樹のメリット、それを提示し武器として交渉する。それにはわかりやすく説得力のある情報を出すことが必須……つまり数字だ。


「言ってなかったと思うけど、僕は『バネ男』って名前で歌い手系YouTuberをしている。チャンネル登録者はだいたい30万人いる」


一瞬真顔になる夏樹。そして、


「知ってるよ」


「知ってたの!?」


「いや、普通にライブのお前の歌声で気が付いたけど」


「あ、あーそっか……」


思ってた反応と違い出鼻をくじかれる形になってしまう。いや、まあ確かに歌声を聞けばさすがに気が付くか……出演者に『バネ男』って書いてたし。あの時僕がボーカルであることもわかってたわけで。普通に僕が『バネ男』であることが繋がる。


「で、それがどうした?」


「こっちの秋乃も同じくYooTuberで登録者数はも多い。僕ほどじゃないけど」


「そうそう……って、え、さいごのいう必要あった?春くん」


怪訝な顔で僕の見る秋乃。


「二人ともあくまでネットの中でだが知名度は結構ある方だと思う」「おいまて無視か」


ガシッと僕の肩を掴む秋乃。ちょっと面白い。


「……だからバンドしながら稼げるって?」


「ああ、そうだ。僕と秋乃、そこに夏樹のドラムが加わればかなりのレベルのバンドになる。そうしたらすぐに」


「そりゃ舐めすぎだろ」


「!」


「確かに二人のファンは多そうだな。だがそりゃあくまでお前らについたファンだろ。俺らがバンドを作ったとしても、そのファンが同じようにバンドのファンになってくれる保証は無い」


確かに。夏樹のいう事は正論だ。僕と秋乃が人気でも必ずしも結成したバンドのファンになってくれるとは言えない。


「それに、お前らだってわかってるんだろ。音楽の世界、いくら演奏や歌が上手くても売れるとは限らない。実力はあるのに日の目を浴びずに終わるバンドなんていくらでもいるし、実際に俺はそれを見てきた……音楽で十分に稼ぐなんてのは分の悪い博打だ。今の家の状況でそんなものにかけている暇も、時間も、勇気だって俺にはない」


……それはそうだ。彼女のいう理屈も気持ちもわかる。なにしろ僕はそれを身をもって知っているからな。僕が歌い手として成功したのは運の要素がでかい。たまたま多くの人の目について噂が広まっただけ。そしてその逆であるパターンもよくよく知っている。部の悪い賭けにbetし続け挙句さいごは僕に命を張って死んだ人間がいた。


(……そんなことしてる場合じゃないか。たしかに、あの時、僕がバイトのできる歳だったなら、夏樹と同じく地道にバイトをしていただろう。音楽を捨て、確実に稼げる方を選んだはずだ)


どう返していいかわからない。夏樹が言っていることは正論で、普通の事だった。根拠のない成功への道筋。そうして黙らされる僕を見かねたのか秋乃が口を開いた。


「……でも、可能性はあるよ。当たればリターンは大きいしさ!少しだけでも、様子見でやってみても……」


「いや、その可能性は低いだろ。それに、お前ら二人の投稿してる動画の楽曲は全て誰かしらのカバー曲ばかりだった。オリジナル曲が一つもないあれからしてどう可能性を見出せってんだ?」


「はうっ」


小さく呻く秋乃。一瞬で屠られた。


……ちゃんとチェック済か。ダメだ。ぐうの音もでない。秋乃も夏樹が何を言いたいのか理解したようで、目を薄めて逸らし口元に手を当てた。気まずそうだ。


「確かに、そうだな。お前のいう通り……俺と秋乃は旬であり流行りの人気曲を狙って打っている。再生数、登録者数が多いのはその波にうまく乗れただけで、そのほとんどが自身の実力ではないと、お前はそう言いたいんだろ」


夏樹は目を細め、ポケットに手を突っ込み小さく頷く。


「そうだ。そしてそういう誰かの曲に頼っていた奴らがいざオリジナルで勝負しても再生数が振るわないなんてことは往々にしてある。バンドを組むんだよな?それで金を稼ぐんだよな?ならオリジナルでバンドの力を、可能性を見せられなきゃ駄目だろ。つまりお前らはまだスタートラインにすら立ってないってこった」


フンと鼻で笑われる僕と秋乃。悔しいが夏樹のいう通りである。カバー曲が跳ねるのはやはり元のアーティストと曲の持つ力によるところが大きい。上手く歌いこなせる、弾けるというのは自分の力だが、再生数が回るのは『その曲』であるから。多くの人に知れている人気曲だから。……カバーは人気なのにオリジナルは全然な歌い手は多い。


「「ぐ、ぐぬう……!」」


言い負かされ苦虫を嚙み潰したような顔の僕と秋乃。それを目の当たりにした夏樹は勝ち誇ったよう(被害妄想)に笑い、


「はい、残念。この話はもう終わりだ、帰れ帰れ」


お帰りはあちらからというように、夏樹は玄関の方向へ指さした。するとその時、後方から現れた時貞さんが僕らを発見。


「お、いたいた。夏樹、飯できたぞ~」


そう言ってにかっと笑った。どうやら時貞家はこれから夕飯のようだ。であればもう撤退するしかないか。


「親父……」


「ん?どーした?ってか、お前ら話終わったのか?なら家で夕飯くってくか?」


「親父!?」


突然の提案にぎょっとする夏樹。


「え、いいんですか」「やったぁ!」


食べてく気まんまんの僕らの様子に唖然とする夏樹。そして彼女は時貞さんに鋭い眼光を向けた。


「親父……ッ!」


「え、なんだ……?睨むんじゃねえよ!怖えから!」


睨まれた時貞さんはビクッと震えた。



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