第29話 繋がりの音色



「――よし、それじゃあ出発するよ」


「あ、はい……お願いします」「はーい!お願いしまーす!」


夏樹と別れた後、控室で着替えを済ませて時貞さんの店へ向かうため会場を後にした。

その際に何人かに声を掛けられたりサインを求められたりと、割と時間がかかってしまったのが皆に申し訳なかったけど。まあ、なんとか月島さんの車までたどり着くことができた。

ちなみにいうと時貞さんは店の準備をするため車で先に帰っていった。


「いやあ、しかし本当にすごかったね春君。まさか出待ちのファンがあんなに大勢いるなんてねぇ。さすがは『バネ男』さんといったところかな」


「……や、ホントにまさかだった。取り囲まれるなんて思わなかった……」


「ほーら、だから言ったじゃん。ライブした時と同じ黒パーカーなんて着てたら『バネ男』だってバレちゃって大変だってさぁー」


「けど、着替えが無いから」


「だからあたしの着替え貸すって言ったのに」


「無理無理、あんな可愛らしいシャツ着れない」


「可愛らしいって、普通に猫のイラスト入ってるシャツじゃん。っていうか、そもそもえり好みしてる場合じゃないでしょ」


「や、そうだけどさぁ……」


正直Tシャツの柄はどうでもいい。ただ秋乃のを着るのに抵抗があるだけだ。変に意識しすぎなのかもしれないけど、個人的には色々まずい気がする。

……と、そういえば。田中と高橋は無事に帰ることが出来たんだろうか。


二人からはライブが終わったころにロインでメッセージを貰っていた。内容は労いの言葉と先に帰るという断りの連絡。おそらく僕らが疲れていると思って気を遣ったんだろう。


(……月曜日に学校でお礼いっとかないとな)


「……佐藤君、大丈夫?」


「え?」


「いや、二曲目の時かなり辛そうだっただろ?疲れてるんじゃないかなって」


「あ、いや……それは大丈夫です。心配かけてごめんなさい」


「大丈夫ならいいんだけど……でもすごかったね。『星屑』も『染まった黒』も凄かったけど、二曲目の『cry』は特に。なんていうか、こう……鬼気迫ってて感情がすごくこもってた」


「ですよね、ですよね!いやあ、さすが春くんだよ!」


にこにこと微笑む秋乃はなぜか得意げだった。ただ、確かに今回僕が逃げ出さずにあの大舞台で歌うことができた点でいうなら、間違いなく秋乃のおかげだ。無理やりにでも引っ張っていってくれた彼女には感謝しないとな。


……いや、けどそれは秋乃だけじゃない。


「でも、僕は……秋乃と月島さんや時貞さん、皆がいなかったらあの場所ではもう歌えなかった。本当にありがとう」


にんまりと笑む秋乃。


「いえいえ、どういたしまして!っていうかこちらこそありがとうだよ。春君にすっごく頑張ってもらっちゃった」


「ほんとにね。しかし秋乃ちゃんもなかなかだよね。あの状態から曲を始めちゃうんだから」


「えへへへ。いやいやぁ」


「いや、多分褒められてないと思うんだけどそれ……。嬉しそうにしてるとこ悪いけど」


「え、そうなの?でもまあ春くんならイケるって信じてたからね。歌う事に対する執着心は昔からすごいし。実際あの状態でもマイクは放さなかったわけだし」


「あー、まあ」


……そういや昔、秋乃の練習に駆り出された時もこんなことがあったな。初めて顔を合わせた日。まともに喋れなくて、おろおろするばっかりの僕に秋乃がブチ切れたんだよな……。


(……懐かしい……あれは、僕と秋乃が中学二年生の時。父さんがまだ生きていた頃だった)



――ほら、春。父さんと約束しただろ。


目の前の少女は鋭く僕を睨み、やがてあきらめたように顔を背ける。


「……はあ、いい。もういいよ。こんなのにかまってる時間ないし。歩さんが教えてよ」


「こ、言葉の破壊力やばいな秋乃さんは……ほら、頑張って春」


父さんが僕をみてくるが、僕は秒で首を横へ振って拒否する。ぶんぶんと首がちぎれんばかりに嫌だという意思を態度で見せる。


いやいや、無理無理!!怖い、怖すぎる……確かに父さんのいう通り可愛い。まるで人形のような顔立ちとさらさらで綺麗な長い髪。アイドルなのかと思う位愛らしい。

けど怖い!会った時からすごく威圧的だったし睨んでくるし態度悪すぎだし!いくら父さんとのバンドを組む条件とはいえ、こんな子の練習につきあうなんて無理!絶対できない!


「ねえ、歩さん早くしてほしい。このあとあたし撮影あるし、練習時間も限られてるから時間がもったいないんだけど……」


「って、いってもなぁ。春をあてにしてたから……あ、やばい仕事の時間が。二人ともごめん、ちょっとだけ抜ける」


二人の時が一瞬停止した。間があった後、二人はバッと父さんの方へ同時に顔を向け目を見開く。


「は、はあ!?」「……!?」


「ごめんな、春!秋乃さん!すぐに戻ってくるから……じゃ!」


いや、じゃ!じゃねーよ!と、追いかけようと僕は立ち上がった。しかし慌てていたのもあり足がもつれ、僕の伸ばした手は届かなかった。無情にも扉がバタリと閉まり、取り残される僕と秋乃。


(ど、怒気を……感じる)


背中に鋭い視線を感じ、僕はガタガタと震えはじめる。もしかすると拳が飛んでくるのではないかと、素早く部屋の隅に移動した。椅子と壁の間にちょうどいい感じの空間があって、僕はそこに収まった。……父さんが帰ってくるまでここで大人しくしとこう。


その様子を見ていた秋乃はあきれ返ったかのように「はあ」と深いため息を吐いた。


「もういいわ。時間も勿体ないし、歩さんが戻ってくるまで一人で練習しよ。……あなた、あたしの邪魔だけはしないでね」


彼女は背負っていた白いケースからピンクのギターを取り出す。父さんが置いていったアンプにコードを繋ぎ音の確認をし始めた。


(……凄いな……この子、本当にギター弾けるんだ…‥)


ボーカルをしていくにあたってギターを弾けることは大きな武器になる。バンドを組む時にギターボーカルとして使われやすいし、ギター要因がいなければ自分が弾くことで解決する。そしてなにより、弾き語りで一人での練習がやりやすくなる。だから父さんに習って練習した時期があった……。


『いやぁ、春はギターのセンスないな。っていうか楽器全般……ホントに俺の子かよ。はは』


『おい、言い方言い方』


けど、僕はギターが上手くなれなかった。いくら練習しても簡単な曲も満足に弾けなかった。


だから僕に出来ないことができる彼女の事を凄いと思ったんだ。


(……父さんも言ってたしな。この子はギターの天才だって)


「……なに?」


「ひっ」


慌てて目を背ける僕。


「あのさ、邪魔しないでっていったよね?じろじろ見られると気が散るんだけど」


「す……すみません、すみません、本当にすみません」


「……ふん」


ちなみに謝罪の時、敬語になってしまうのは父さんが母さんに怒られているときの癖が移ったからだ。


けど、駄目だ目を開けていると可愛いのもあって自然に秋乃さんに目が行ってしまう。くそ、命がかかっているというのに……!


……もういっそ目を閉じてよう。開けてたら絶対そっち見ちゃうし。


よし、父さんが帰ってくるまでの間、ここで静かに息を殺す。僕は部屋の家具の一部、そうだ椅子だ。椅子の延長部分。いや待てよ、椅子は良く言い過ぎか……僕はゴミ箱、ゴミ箱。


ゴミ箱になろうと必死に自己暗示をかけていると、彼女の演奏が始まった。ふと気が付く。それは最近僕が父さんに言われて練習していた曲だった。


(……この子……ホントだ……すごく、ギターが上手だ……)


滑らかに進む音色。それは父さんによく似た音だった。そのせいか知らずのうちに僕の体がリズムを刻む。……想像していたのと全然違う、しっかりとした強い想いを感じる演奏。


(この子は本気で上手くなりたいんだ……ものすごく練習しているのが、ギター素人の僕でも音でわかる)


父さんと似ている……けど、少し違う音。繊細で綺麗な音の流れだ。この音色で歌をうたったらどれだけ心地いいのだろう。

いや、まて。さっき邪魔するなって言われたばかりだぞ。勝手に歌うなんてことをしたらあの子は絶対に怒り狂う。それどころか父さんが逃走して気が立っているし、下手すれば半殺しにされるかもしれない……さすがに命は惜しい。


うっすらと瞼を開く。


……ああ、綺麗だ。


ギターの音色だけじゃなく、弾いているその姿さえ美しい。こちらに背を向け、背中しか見えないけど。でも、ギターを抱え体を揺らして一生懸命に弾くその姿がなぜか、そう感じさせた。


……たぶん、この子とはこれで終わりだろう。さすがに父さんもお互い嫌がってる二人に無理に練習なんてやらせはしないはずだ。だから、今日が最初で最後。もう二度と会う事もないだろう……。


(なんか、もったいないな)


こんな風にギターを弾く子って他に居るんだろうか。同年代で、同じ中学生でこの音を出せる人……。

多分いないだろうな。結構YooTubeで色んな学生バンドの動画を観たりしているけど、ここまでできる人は高校生でも滅多に見ない。


(……歌いたいな)


これ逃すのって絶対にもったいないよな……で、でも殺される……けど、もう二度と……。


そうだ!小さく歌えば大丈夫なんじゃない!?気が付かれなければ大丈夫でしょ!


そうして僕は鼻歌を歌うように小さな声で歌い始めた。それは思った通りのとても心地のいい時間で、あっという間に曲が終わってしまう。彼女が最後の一音を弾き、弦の震えから鳴る余韻を残し演奏が終わった。


僕はその瞬間青ざめる。それはなぜか?途中から気持ちよくなって全快で歌ってしまっていたからだ。おそるおそる秋乃を見ると、視線が合う。真顔で僕をみる彼女……急いで目をそらしたが、調子に乗って歌ったことを激しく後悔した。


「……春くん、だっけ……?」


「は、はい」


名を呼ばれ罵倒が来る。そして拳が飛んでくるのだ。……いや、拳が飛んできて罵倒されるのかもしれない。マジでやっちまったと思った。いや、これからやられるのは僕の方なんだけど。

ガタガタと震えながら目を瞑る。次に目を開ければ病院の天井が見えるかもしれない……いや、むしろ天界かもしれない。


そんなことを考えていると、彼女は僕にこう言った。


「……すごい……すごいね、あなた!」


「え?」


恐る恐る目を開ける。すると彼女がしゃがみこんで僕の顔を覗き込んでいた。その表情は満面の笑みで、頬は色づいた紅葉のように火照っていた。てか近い近い!!顔が近いって!!……ん、ていうか今なんて?


「本当にすごい!こんなに歌唱力のある子がいるなんてびっくり!!あたしの所属してるバンドのボーカルより上手い!いや、比べるのも失礼なレベルだわ!!」


「……は、あ……アリガト、ゴザイマス」


「なんで片言?っていうか敬語?」


彼女はテンションがものすごく上がっているようで立ち上がり部屋の中をうろうろ歩き回りだした。


「ああ、もう!あんな練習もしない子より春くんにしてほしいなぁ。そしたら他もモチベ変わるかもしれないのに……あ、でもガールズバンドだから無理か。いやいや、けど春くんの顔立ちなら女装してイケそうだよね?背もあたしより低いし、声も中性的だし……こんどマネージャーに言って……いやいや、もう売り出してるから無理か」


なんかすげえこと言ってるけどこれは聞いてないふりした方がいいな。女装とか言ってなかったか?

戸惑う僕。ふと彼女がそれに気づいてかけ寄ってくる。


「あ、ごめんね。一人で盛り上がっちゃって。あなたみたいな凄い人見たことなかったから」


めっちゃ持ち上げてくるじゃん!怖え……なにかの罠か……?とりあえずここが天国じゃなくて良かった。いや今現在進行形で地獄なのかもしれんけど。


「……あ、いや……その。あ、秋乃、さんのギターも凄かったです……」


「え?」


「ぼ、僕も秋乃さんみたいにギター弾ける人初めて見たから……あ、あと!僕も、ギター挑戦したことあるけど、ぜんぜん弾けなくって、だから……凄いなって」


自分の口調のキモさにビビるわー。めちゃくちゃどもってる。だが彼女はそんなこと少しも気に留めていないようで、恥ずかしそうに微笑んでいた。なにこれ胸がバクバクしててヤバい。


「そう……?あ、ありがとね。っていうかさ、同い年だし呼び捨てで良いよ」


いや無理だろ!


「……ぜ、善処します……いずれ」


「いずれ!?てか敬語もやめなよ」


「あ……イエッサー」


「いやどーした!?」


いやいやそんなの無理だって。まだ恐怖心が消えてないってのに……呼び捨てどころかタメ口利くのだって勇気がいる。ていうか、さっきまで態度悪かったのをもうお忘れで?


「あー……そうだよね。ごめんね、さっきは。態度悪かったよね」


心を読まれただと……!?※偶然です。


「あたしね、実はバンド組んでてさ。『stella☆night』っていうバンドなんだけど」


なんか聞いたことある。って、あれ?確かそれって。


「……もしかして、あのアイドルバンドの」


「そうそう。まあ、正しくはアイドルじゃないんだけど。ウチの中学生モデルで楽器とかできる子集めて作ったバンドなんだ。まあ、売り出し方的にアイドルバンドっていわれても仕方はないんだけどね。演奏も歌も上手くないし、皆やる気ないし。ビジュアルで売ってるって感じかな」


「え、そうなの?でも秋乃さんめちゃくちゃ上手いと思うけど」


「……そ、そんなことないよ、まだまだだし。でも、ありがとう嬉しい」


体を揺らしもじもじする秋乃さん。可愛いかよ。ってか彼女が『stella☆night』なら一応プロのギタリストってことか。同い年なのに、もうプロとして活躍してるなんて凄いな。


「……いいな。バンド組めて」


ついこぼれた言葉。


「春くんはバンドしてないの?」


「まだしてない、です」


「えー、もったいないね。それだけ歌上手なら絶対バンドした方がいいよ」


「……あ、あ、ありがとぅ……」


「あーあ、春くんがウチのバンドのボーカルだったらよかったのに」


「……ふ、不満なの?」


「んー、不満っていうか……まあ仕事でやってる感があるっていうのかな。だから皆バンドに対する熱があんまりないんだよね。練習も必要以上にやりたがらないし、自主練もしてないって来ないし。そんな時間あったら遊んでたいって感じだしね……だからライブではかなり悲惨なことになるんだけど」


「……でもじゃあなんで秋乃さんはそのバンドに入ったの……?」


秋乃さんの表情が陰る。


「さっきも言った通り、これは仕事なの。お父さんに……事務所に言われて組んだだけで、あたしもホントはちゃんとした、同じくらい音楽が好きな人たちとバンドがしたかった」


そうか。彼女も望んでそのバンドにいるわけじゃないのか。スタイルの合わないメンバーとの音楽に対する温度差に悩まされ、フラストレーションがたまっている。

なんだか、少し親近感がわくな……彼女と僕じゃ全然立場も置かれている状況も違うけど。でも、バンドやりたがってる僕とそれをのらりくらり躱し続ける父さんとの関係に似ているような気がする。


(……だから、その苦しみはわかるかも。やりたいのにやれない。その熱の持っていきどころが無いんだ……)


「でもね、わかってるんだ。それが仕方のないことだって。遊びたいのなんて普通の事だしそれほど好きじゃないことを頑張るっていうのが辛いっていうのも凄くわかる。皆はあくまで仕事としてやってるだけなんだから……自分と違うからって誰かを悪く言うのは駄目だよね」


そう言って目を伏せる。僕はその姿に自分を重ね胸が苦しくなった。だから、それを誤魔化すために口をついてこう言ってしまったんだ――。


「……な、ならさ、自分のバンドつくったらいいんじゃない」


きょとんとする秋乃。


「え?」


「……仕事じゃなくてさ。あ、秋乃さんの思うような、同じ熱量のある仲間を集めて……秋乃さんのバンドをさ」


「あたしの、バンド」


「秋乃さんなら、できるよ。だってそんなにギター上手いんだから。そんなに音楽が好きなら絶対に凄いバンド作れるよ」


「そ、そうかな」


「うん、そうだよ!」


「……ありがと。こうやって応援してもらえたの、春くんが初めてだ」


「そうなの?」


「まあ、あたしの性格がこうだから……そもそもこういう話をすることもないし。父さんとか、兄さんくらいとしか」


「じゃあ、今のバンドの人たちとはちゃんと話してないってこと?」


「……まあ、うん……もし、話して面倒くさいって思われたらどうしようって思っちゃって」


「そっか。まあ、気持ちはわかる……」


「……あたし、こう見えて結構怖がりなんだよね。情けないけど」


「や、僕の方が怖がりだし。だってここに来た時の僕のビビりよう見たでしょ?」


「ふふ、た、確かに……いま思い返すと笑える。ふふふ、『うわあぁ!』って言ってたよね、部屋入ってあたしのこと見た時に」


「……し、失礼しました」


「でもありがとう。こうやって話きいてくれただけでも気持ち軽くなったよ」


「良かった……でも、バンド諦めないでね。せっかくそんなに頑張ってるんだから」


「うん、諦めないよ……春くんが応援してくれたから、まだ頑張れる」


「応援でも何でもするよ。それで秋乃さんが頑張れるなら……僕に出来る事ならなんでも」


「……なんでも、か」


「?」


じっと僕を見つめてくる秋乃。表情から笑顔が消え、空気が変わったのを感じる。やべえ、調子乗った発言したから粛清される……?


「なんでも、ねえ」


「あ、はい……命を奪われる以外なら、大抵のことは」


「奪わないし!?」


ぎょっとする秋乃。


「……よかった、マジで」


「いやガチトーンで言われても……まあ、それだけ怖がらせてたってことか」


「あ、いや……」


やべえ、冗談のつもりが……。


「じゃあ、さ……もう絶対に春くんの命は奪わないから、その代わりあたしがバンド作る時は……春くんがボーカルしてよ」


「……うん、わかった」


あ、よかった。ちゃんと冗談として受け取ってくれてるみたいで……って、ん?いまなんて?


「え、嘘……ホントに!?やったあああああーー!!」


「ちょ、あ……ま、わわっ!!?」


僕の両手を掴み取り包み込む秋乃。や、やわらけー……じゃねえ!待って待って、バンド組むってマジ?いや、駄目だろ僕は父さんのバンドで……いや、だから顔が近い近い!!いい匂いするし!!こんなの好きになっちゃうって!!


「いつか、あたしとバンドしようね。春くん」


「……はい……」


今まで見た中で一番の笑顔を見せる秋乃。マジでこの子の笑った顔はヤバいな。こんなの断れる奴いるのか?


まぁ……どっちとも頑張ればいっか。ボーカルって掛け持ちできるのか?


「……あ、あの~二人とも?」


ふと気が付けば二人の後ろに父さんが立っていた。


「いやさ、仲良くなってくれたのは嬉しいんだけど……」


ハッと状況を瞬時に理解する僕と秋乃。部屋の隅っこで手を繋いで見つめあっている男女。どう見てもカップルがイチャイチャしてるようにしか……。急激に体温が上昇していくのを感じる。しかしそれは秋乃も同じで我に返った彼女の顔は真っ赤に染まっていた。


「ちょっと……き、キスはまずいかな。は、はは……」


「「き、キス!?し……しないし!!」」


言葉と首を横に振る動きがシンクロした。それを見た父さんは腹を抱えて笑い出す。それが秋乃との出会い。


(……こんな、大切でかけがえのない思い出も忘れてたなんて)


それから秋乃の練習に付き合う日々が始まった。基本は父さんと秋乃と三人で行う練習だったが、たまに僕と秋乃の二人だけのこともあった。

今思えば父さんは僕と秋乃を引き合わせたかっただけのように思う。




「――ついたよ、深宙ちゃん佐藤君」


車が止まり、月島さんの声で店に到着したことを知る。『華魅鮨』時貞さんの家であり店だ。どうやら時貞さんの方が先についていたようで店先に灯りがついていた。扉には『本日貸し切り』の札。


(四人で貸し切り……すげえな。っていうか大丈夫なのか?いらないお世話だと思うけど)


ガラリ、扉が開いた。


「……お、やっと来たか。春に秋乃」


店の中から顔を出したのは。


「夏樹」


髪を後ろで結った幼馴染だった。





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