第30話 打ち上げと思惑と闇の扉
「お疲れ、まあ中に入れよ」
にやりと微笑む夏樹。黒いシャツと青のパンツでラフな格好のお出迎えだった。あとに続く月島さんにも気がつき夏樹は声を掛けた。
「月島さんもお疲れ様」
「おお、久しぶりだね夏樹ちゃん。背、また伸びた?」
「わかる?こないだ計ったら172だったぜ。もうそろそろ止まってほしいんだけどなぁ」
「えぇ、俺と同じかぁ……そっかぁ」
背丈が並んでいたことに衝撃を受けたのかしょんぼりする月島さん。わかる、わかるよ。158しかない僕にもほんの数センチでもいいからくれませんか?と内心呟いてしまったからね。
目を細めていた月島さんの肩を笑いながら叩く夏樹。
「ほら、中で親父が待ってるぜ。突っ立ってないではいれよ」
「あ、うん」
店内は昔と変わらず広く、綺麗だった。右手には大きな生簀があり大きな魚がゆらゆらと泳いでいる。左手にはお客さんの待合席があり、正面に大きなカウンターがあった。
席には食事の準備がされており、皿とちょっとしたお通しみたいなのが置いてある。
「おおう、来たなお前ら!お疲れ!!」
カウンターの向こうから時貞さんが手を挙げている。その姿は先ほどのライブの時のようなTシャツにジーンズではなく、職人さんの白衣を着ていてカッコいい。これがイケおじ(イケてるおじさん)というやつではなかろうか。
夏樹は僕らをそれぞれ席に案内した後、時貞さんの調理をサポートするためかカウンターへ入ろうとした。が、しかし、
「ああ、夏樹今日は手伝い要らねえ。俺一人でやるからよ。夏樹、お前もカウンターで皆と一緒に飯食えや」
「え!?んなわけにいかねえだろ。俺バンドのメンバーじゃないし。これライブのうちあげだろーが」
戸惑う夏樹。しかし実はさっき楽屋で時貞さんに相談されていたので僕ら的には問題はなかった。というかむしろ夏樹にその話が伝わっていなかったことに驚いた。月島さんが夏樹をなだめるように笑いかける。
「まあまあ、夏樹ちゃん。一緒にご飯食べようよ。お父さんもこう言ってるんだしさ」
「いや、月島さん……そうは言ってもよ」
「食べよう?あたしも夏樹ちゃんとお話したいし、ね?」
「……あー。あぁ、そう?」
ちらりと横目で僕を見た夏樹。
「せっかくなんだし食べようよ。な?」
「まあ、じゃあ……お邪魔します」
「おっし、じゃあおまえの分の席用意するから」
そう言ってカウンターから出てきた時貞さん。しゅばばばっと素早く僕の隣に一人分の席を作る。動きが早え。
席順としては月島さん、秋乃、僕、夏樹という感じになった。これあれじゃね?秋乃と夏樹を隣にしてやった方が良いんじゃないの?
「秋乃、僕と席かわるか?」
「え?」
立ち上がろうとしたその瞬間、時貞さんが僕の肩を掴み強制的に着席させてきた。え、力強い怖い。横に座っている夏樹も小さく「おお」と呟いて驚いたようだった。だがしかしその力強さとは対照的に、時貞さんの眼は優しくまるで僕を諭すように首を横に振る。
「いいか春、映画館でも上映途中で席を交換するのはマナーがよろしくないだろう」
「え、は、はい……え?」
「もういろいろと上映中なんだ。そう、始まっちまってるんだよ。お前はその席に座っておけ、な?」
「え……?あ、はい」
なに言ってんだ時貞さん?僕が困惑する中謎の満足げな笑みを浮かべ、カウンターの中へ戻っていく。
「さてさて、月島から順番に注文聞いてくぜ。無いネタもあるけど」
「あ、じゃあエビで」
「OK」
時貞さん握るの早いんだよな。その昔父さんがまだ生きてた頃、家族で来たことがある。一人でたくさんの注文を回しているのを目の当たりにしたときはホントに驚いた。味よしスピードよしの『華魅鮨』テレビにも出たことのある名店。
(……そういや奥さんの姿が見えないけど、どうしたんだろう。昔はこういう時かならず時貞さんの隣でサポートしていたんだけど)
微かな違和感を覚えながらも、テーブルに用意されたお茶を一口飲む。隣にいる夏樹にでも聞いたらいいんだろうけど、なぜか言葉にならなかった。
「しかしあれだな、春の歌唱力は凄まじかったな」
「……そりゃどうも……」
「おまえめちゃくちゃ上手くなったんだな。いや、前も上手かったけど、高音の安定感が増したっていうかさ。男であれだけ綺麗なファルセットを安定させて出せる奴は中々いねえよ」
「あ、ありがとうございます」
「いやなんで敬語!ふはは、ウケるなお前!その癖まだ抜けてねえのかよ!」
「知ってるだろ、僕があんま褒められるの得意じゃないこと……」
「まあな。でもそれ小学生の頃だろ?もうお前、高校生じゃん」
「それはそうだけど……でも人の癖ってのは中々治らないもんだろ。っていうか夏樹だって人のこと言えないし」
僕は彼女の足元を指さした。わずかだが脚が動きリズムを刻んでいることがわかる。
「いつでもどこでもドラムの練習する癖。エアフットペダルパタパタ」
「げ、やべ」
指摘された夏樹が気まずそうに頬をひきつらせる。その時、かすかに「ふふっ」と笑う声が聞こえ、顔を向けると秋乃が口に手を当てていた。
「ホントだ。パタパタしてたね、ふふ」
「のわっ、秋乃にも見られてた!?」
「こいつ、練習曲あると必ずこうなるんだよ。自然に体が動く。昔一度ごはん中に箸使って茶碗とか食器叩きだした時は時貞さんにめっちゃ怒られてたよな」
「うわあああ!それは言うな!!」
「時貞さんにげんこつされてたよな」
「おい!!もう良いだろ!!俺の黒歴史を掘り起こすな!」
「あははは!」
爆笑する秋乃。笑顔を作れる過去なんて素敵じゃない?もっと誇れよ。お前の面白い黒歴史を。
「いやまて!お前だって発声練習しながら走り回って近所の爺さんにブチ切れられてたじゃねえか!うるせえぞクソガキがああって!」
「やめて!!その話は駄目!!」
僕は一気に血の気が引いた。イイ感じに自分に酔いながら歌ってた恥ずかしい小学生の話は駄目だろ!可哀そう!
「鬼の形相の爺さんに追い回されて泣きながら逃げ回ってたよな……お前」
「もういいって!!泣くぞ今!!」
「ちょっと!やめて、笑い過ぎてお腹いたいんだけど!!あははは」
笑い過ぎて流れた涙を指先で拭う秋乃。隣の月島さんも顔を真っ赤にして笑いをこらえていた。そして時貞さんはというと鮨を握りながら、
「懐かしいな。あんときは家に避難してきて、よほど怖かったのか夏樹に抱き着いてわんわん泣きじゃくってたよな、はは」
優しい笑顔を浮かべ僕にとどめを刺してきた。終わりです。僕の尊厳は粉々に砕け粉末になってしまいました。白目を剥いて肩を落とす僕の背を秋乃がさする。
「けど小さい頃からそんな感じなんだ春くん」
まって。そんな感じってどんな感じ?
「そーだよ、ヘタレだよ」
夏樹ちゃん!やめて!
「でもやる時はやるんだよね。今日だってちゃんとライブで歌ってくれたし」
「ああ、まあな。やっぱり歌うのだけは上手いしな」
ぼこぼこにされる僕を不憫に思ったのか秋乃がフォローに入ってくれた。たいして夏樹のすこし引っかかる言い方が気になる。夏樹ちゃんちょいちょいトゲを出すのやめよっか、歌うのだけはってどういうこと?
「おっし、春お前なに食う?」
時貞さんが僕にリクエストを聞く。すると夏樹が、
「鯛」
と答えた。
「……え」
「あれ?違う?昔から好きだったろお前」
「いや、まあ。覚えてたんだ」
「覚えてるさ、そりゃ」
にやりと笑う夏樹。ふと懐かしい気持ちに心が揺らいだ。少年のような無邪気な顔であの頃と同じ笑み。また一つ、大切な想いを取り戻せたような気がした。そしてそれと同時に僕はまだどれだけ、こうした記憶をどれだけ忘れているんだろうという不安にもかられる。
――父さんの記憶に関するものが抜け落ちている。ほとんど思い出せたような気がしていたけど……もしかするとまだ忘れていることがあるのかもしれない。
気落ちしそうになる心を踏みとどまらせていると、秋乃が僕の顔を覗き込んだ。
「大丈夫?」
「え?」
「や、なんか辛そうだったから……疲れちゃった?」
心配そうに秋乃は尋ねる。ほんの少しの間で僕の動揺を察知されたことに驚く。
「いや、大丈夫」
「そう?」
「気にし過ぎだろ秋乃。春は昔っからこうやって考え込むことがあったからな」
夏樹の笑い声。確かに思い返せばそうだったな。ちょっとしたことで些細なことを気にして悩む癖。これは僕の性格なんだろう。でもそんな時、夏樹がいつもそのくらい感情を吹き飛ばすように笑って忘れさせてくれた。そうだ……こいつといるといつも気が楽だった。自分の抱える悩みがちっぽけなことに思わされて、気にせずによくなる。
「ほんとに、相変わらずだな……夏樹は」
「え、なんでにやにやしてるの」
「昔と変わらな過ぎて面白くってさ」
「なんっか失礼な言い方だな?」
「褒めてるんだよ」
「えぇ、なんか素直に喜べねえなぁ……」
ジト目で睨む夏樹と目を逸らし逃げる僕。逃げた先には秋乃と月島さん、時貞さんの微笑みがあった。なんだかむず痒い。
「夏樹ちゃんは春くんとほんと仲良かったんだねえ」
秋乃が言った。その言葉になぜか引っかかりを覚える。
「あ……まあ、ええ」
「?、どうしたんだよ、春。顔ひきつってね?」
「え?そんなことないですケド」
「おいどーした、また敬語でてんぞ」
なんだろう。なんとなくだけど秋乃の言葉に圧があるような気がして反射的に敬語が出てしまった。
「でも本当にライブの歌凄かったな、春。最初は駄目かと思ったけど」
夏樹がライブの話題に戻す。勿論秋乃の反応を見ての事ではないしそれに気が付いているわけでもない。だが助かった。しかしそこに追撃のように時貞さんが、
「がはは、だな!直前まで顔真っ青にしてぶるぶる震えててよ、俺もマジでこのライブ終わったかと思ったぜ」
と笑った。更に、
「まあ確かに、結果オーライだからいいけど……あれはちょっと怖かったね。あはは」
月島さんも苦笑いを浮かべる。
「ぐっ。心配かけてすみませんでしたはぁ……」
唐突な禊タイム。ばくばくと心臓が鳴りだす。いつしかの学校で喋らないことを同級生に責められた記憶が蘇った。取り囲まれて小一時間くらい「なんで」「どうして」を繰り返されたあの苦しい記憶が……いや、別に今のこれは責められているわけじゃないんだろうけど、同じ感覚になる。
(まあ、どっちも僕が悪いんだけど)
安易に受けたライブでのボーカル、忘れていたあがり症、歌うことにたいする自惚れ。どれも僕が悪い。
「春くんは悪くないよ」
――秋乃が言った。真っすぐ僕の目を見て、彼女は頷く。
「このライブあたしが頼んだことだし」
「いや、でも引き受けたのは僕だからな……」
「それでもだよ。だってあたし春くんがライブで人前でやったことないの知ってたし」
夏樹が「え」と漏らした。それについで時貞さんも「ああ、やっぱりか」と呟く。月島さんが秋乃に聞く。
「なんで俺と時貞さんにそれ言わなかったの?」
「……それは、止められると思ったから」
「そりゃ止めるだろうな、その話を聞いてたら。初っ端であんなハコ……たまたま上手くいったから良かったが普通は無理だ。春があの場面で逃げ出したとしても無理なかったぜ。そん時は深宙ちゃんどうしたんだ?」
「それは……」
秋乃は真顔で、
「想定してなかった」
とはっきり言った。面食らう僕と夏樹、時貞さん、月島さん。これが冗談でも何でもないことを彼女の雰囲気が物語っていた。秋乃は話を続ける。
「春くんは絶対大丈夫だって思ってた。あたし、春くんのこと信じてたし。それにずっと見ていた……『バネ男』として活動を始めて、それからずっと。だから技術的にはなんの問題もないことわかってたから。あとは一歩踏み出すだけ、大勢の人前で歌う心の強さだけだった」
「……いや、だから……その、大勢の前で歌うって心の強さが一番の問題で壁だったんじゃねえのか。そこがふつうクリアできないって話だろ」
「あたしはできると思ったよ。春くんなら、絶対」
絶対的な信頼感。僕が必ずできると信頼して疑っていない目。おそらく夏樹や時貞さん月島さんには狂気的にすら感じられただろう。僕もそうだ。記憶がないあの時の僕がこの秋乃の発言を聞けば、恐怖を覚えたに違いない。
(……あの舞台で僕が記憶を取り戻すこと、秋乃は確信していたんだ)
このやり方はまるで父さんのよう。僕の性格や思考を理解し計算したうえでの秋乃の作戦だったのだろう。思い通りに転がされたのはさすがに不快ではあったものの、おかげであの時の記憶を思い出せた。僕の中で、一番の大切なことを思い出せた……だから、あのライブに誘われ出たことを良かったと思っている。
――そしてこの無茶苦茶なやり方はある種、僕を狂信的に信じている秋乃じゃなければできなかった手法だった。
こちらをみてにこりと笑う秋乃。僕は頷き微笑み返す。僕には秋乃が必要だ。あの時、深い闇のそこで扉を開いたとき、彼女がいなかったら戻ってこられなかった。だが、秋乃がいれば……。
(……いずれにせよ、君は利用したんだ……なら、利用されても仕方がない。そしてその覚悟は君にもあるはず)
――……だから、まずは……。
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