第28話 黒瀬 夏樹
――ガコン、という音と共にペットボトル飲料水が出てくる。紅いラベルの紅茶。僕は購入したそれを秋乃に手渡した。
「いいの?」
「うん。今日は秋乃に助けられたからな……お前のギターが無かったら、僕はまともに歌う事も出来なかった。それはそのお礼の一つ」
「そっか。それなら遠慮なく……イタダキマス」
キャップを捻り一口飲む。ふう、と小さく一息吐く。
「でも、あれは春くんが頑張ったからできた事なんだけどね」
「どういうことだ?」
「いやほら、あそこで春くん逃げちゃったらもうあたしがギター弾こうが何しようがどうにもならなかったしさ」
ビビり散らかしていたあの場面がフラッシュバックする。……いや、確かにそれはそうか。あの時の僕はもう完全に逃げたくなってたからな。
「でも、ちゃんと前に出てきた。逃げずに、大勢の観客とあたしたちの前に。春くんが頑張って、前に進んだからなんだよ」
「そうかな」
「そうだよ」
にんまりと秋乃が微笑む。陽だまりにあてられているような、温かさを感じる。冷たい水の底で感じたあの温もり。まだ心は重く感情を蝕んだ痛みは抜けないけど、彼女がいなければいまだあの扉の向こうで苦しみ続けていただろう。
「どうしたの?そんなにじろじろと……」
「ううん。改めて思っただけだよ。秋乃と出会えてよかったて」
「……そぅ」
ふいっと秋乃が顔を背ける。
「あのさ秋乃」
「ん。なに?」
「昔の約束、あれって有効なのか?」
「……あれってなに」
「秋乃、中学の時言ってただろ……『命は奪わないから、その代わりあたしがバンド作る時は、春くんがボーカルしてよ』ってやつ」
「ふふ、言った言った。……ちゃんと思い出せたんだね。それは勿論有効だよ。というか、そのつもりで春くんに声かけたんだし」
「そうだったのか。……なら、もっと早く声かけてくれれば」
「春くんは覚えてないだろうけどさ、前にね、入学したての時一度だけ春くんと喋ったことあるんだよ」
「え、そうなのか?」
「うん。でも春くんはぜんぜんあたしのこと覚えてなくてさ、だからその時は諦めたんだよね」
「諦めたのか」
「だって、正直どうしていいかわかんなかったし。春くんも春くんで思いつめた顔してたからさ……ちょっと刺激したくなかった」
そういえば高校入学した時って『バネ男』のチャンネルを伸ばそうと躍起になってた時期だな。コミュ力の無さで絶望していたのと、母さんを助けなければいけないというプレッシャーで潰れそうになっていた。……けど、そうか。人が見てわかってしまうくらいヤバい状態だったのか、僕。
「悪かったな。気を遣わせて……タイミングを計ってくれてたのか」
「まあ、そんなとこ」
――ふと、どこからか視線を感じた。誰かに見られている。そんな気がしてあたりを探すと、こちらを凝視している人がいた。
普通に170はこえてそうな長身のモデル体型で、艶やかな黒髪につんと鋭い目尻のなんかカッコいい感じの女の人が缶のお茶を片手に見てくる。……てか睨んでる?
「――お前、やっぱり春……か?」
名前を呼ばれた。一瞬クラスメイトかと記憶を手繰ったが、思い当たらず彼女の顔を凝視する。こんな綺麗な人知り合いにいたっけ……?
「おい、まさか忘れたのかよ。俺だよ俺、
「は!?夏樹!?嘘!?」
「いや嘘じゃねーよ。てか驚きすぎだろ……」
そう言って夏樹は僕と秋乃の元へ歩いてくる。
「久しぶりだな、春。小学生以来か……」
「あ、ああ……久しぶり」
人ってこんなに変わるものなのか。小学生の頃は僕とそんなに身長も変わらなかったのに、もう見上げなきゃ目が合わなくなってる。それに胸が……スタイル良すぎだろ。男だと思ってたやつが突然女になって現れたらそりゃ驚くよ。
「あ、もしかして邪魔しちまったか?すまん」
「いえ、邪魔だなんて」
僕があっけに取られているのを夏樹は勘違いしたのかもしれない。
「秋乃さんだよな?バンドでうちの親父の面倒見てくれてありがとうな」
「いえ、こちらこそ。紹介してもらえて助かりました。急だったんで中々ドラムの人見つからなかったんで」
「そっか。それなら良かった……まあ、本番ミスってたけど」
「あれはまあ、仕方ないですよ」
「そうか?っていうか秋乃さん歳いくつ?」
「17です」
「お、同い年じゃん。敬語使わなくていいぜ。タメで」
「あ、うん。じゃあ、タメで。あたしもさん付けしなくていいから」
「そうか。わかった」
和やかに談笑をする二人。しかし僕の胸中は複雑だった。二人が仲良くしてくれるのは嬉しいけど、夏樹が女であったことの衝撃と小学生時代とはまるで別人のようなボーイッシュ美女になっていたことで混乱し気持ちが追い付かない。
や、ホントなら『久しぶりー!元気だった?』と昔みたいなノリで肩を組んでじゃれつこうと思っていたんだよ。でもこうなったら無理だよね。昔のノリとかできないよね。どう接したらいいの、これ。
「そういえば、夏樹ちゃんって男の子じゃなかったんだね」
「え?ああ、女だけど?どゆこと?」
「なんか夏樹ちゃんが男の子だって春くんから聞いてたからさ」
「え、あ……もしかして、それで驚いてんのかお前」
「そりゃそうだろ。お前、ずっと男だって自分で言ってただろ」
そうだ。僕が勝手に勘違いしてたわけじゃない。夏樹は昔僕に自分が男だと言っていた。時貞さんと奥さんだってそうだと言っていた記憶がある。
「あれは、まあ……悪かった」
「なんでそんなウソついちゃったの?夏樹ちゃん」
「それは、まあ……その方が遊びやすかったからかな。俺の事を男だと思ってた方が春は気を遣わないだろ?だから、なんの気兼ねもなく遊ぶためにその方が良いと思ってウソついちまってたんだ。すまん」
……そういわれたら、まあ納得できるかも。確かに夏樹が女子だと知っていたらあんな絡み方できなかったしあそこまで仲が良くなることも無かっただろう。あの頃は茜くらい親しい奴じゃなかったら女子はまともに会話できないくらいだったからな……。
「いや、こっちこそ……変に驚いてごめん」
「俺が撒いた種だし、謝らなくていいよ。……つーか、それよりも!お前すげえな!昔よりももっと歌上手くなってんじゃん!!マジでビビったわ!!」
そう言って夏樹は僕の首に腕を回す。まてそれはまずい。
「あ、ありがとう……むぐぅ」
「ずっと歌続けてたんだな!やっぱり俺の目に狂いは無かったぜ!昔いってたもんな、お前はすげえボーカルになるってよ!!」
「う、うん、言ってた、けどちょ……苦しい」
「あ、わりい……つい昔のノリで」
夏樹のヘッドロックから解放された僕。いろんな意味で苦しかった……とくに向かいにいる人の視線が。すげえ冷めた目なんだが、それどういう気持ちなの。怖い。
「けどまあ、話はまた後でだな」
「……後で?」
「え、お前らウチの店で打ち上げする予定だろ。俺も親父の手伝いで入るからさ。だからまた後でって意味」
「あ、なるほど」
思い出した。そういえば打ち上げやるって一昨日から言ってたな。ライブ必死過ぎて忘れてた。
「俺は先帰って準備してるから。お前らも親父たちと一緒に早くこいよ」
「うん、わかった」「また後でね」
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