第25話 暗い喰らい



――暗い暗い、闇の中。


音の波を漂いながら、春は父親の存在を感じていた。


(……父さんが……そこに居る)


目を閉じ歌う。それにより耳はいつも以上に過敏になり、楽器隊の音を拾う。そのせいか秋乃の弾くギターの癖が際立つ。バネ男の父、歩に似たその音の癖が。

まるで隣に父親がいるかのような奇妙な感覚。そして側にいてくれた頃の安心感。ゆっくりと曲が進むごとにあの頃を思い出していく。


(……今も生きていたら、こういう風に一緒にライブを……)


秋乃によって選曲された一曲目である『星屑』の歌詞は希望をテーマにしたものだった。失った大切な人を想い幸せだった過去を歌った曲。それはバネ男と父、歩の物語と重なる部分が多くだからこそ彼女はこの曲を選んだ。


――また一つ、深く歌の中へと入り込む。


(春くん……もっと。もっとだよ。より深く、深くに……)


ゆっくりと、暗い暗い、音の波の中。


深海の底へと春を導いていく。


(……本当に父さんが隣で弾いているみたいだ)



――蓋のされた父さんとの記憶が、蘇る――



「凄いね、春。もうそんな風に歌えるようになったんだ」


そう言って父さんは僕の頭を撫でた。


学芸会の一件から立ち直り、僕はあれから歌が好きなった。たくさん練習して、父さんに褒められることが一番の喜びになっていた。


(……歌は楽しい。上手くなったら、たくさん褒めてくれる)


いつも連れてきてくれた小さなカラオケ屋さん。忙しい中でも暇を見つけては僕をここへ連れてきて歌をうたわせてくれた。

小さな個室、破れ綿の出たの椅子。壁紙も剝がれていてボロボロの部屋だったが、父さんに歌を聴いてもらえるだけで嬉しかった。


「ふふ、まだ小学生だってのに、ほんと上手くなったな。こりゃ将来はバンドのボーカルにでもなるかな?」


あの時、その言葉に僕はすごくわくわくしたのを覚えている。


「ボーカル?それってバンドで歌う人?」


「そうそう、歌う人だよ」


「ぼく、おとーさんのバンドで歌いたい!」


「おお、マジか。春なら歌上手いし一緒に組んだら凄いバンドになるかもね?」


「や、やる!ぜったいやる!いつ?いつバンドする!?」


「ははは、気が早いなあ。でもあれだよ、今のままだとちょっと難しいかな」


「ええー……まじでぇ。おとーさんぼくのうた、上手いっていったじゃん」


「それは小学生の中ではって話だよ。もっともっと練習して、たくさん努力しないと」


「ううう~、どりょくとかよくわかんない」


「はは。ま、お前は才能あるよ。だからたくさん歌え。そしたら上手くなるさ」


「わかった」


「ん?」


「じゃあ、一番になればバンドしてくれるの?」


「一番って?」


「ボーカルの一番!世界一の、ボーカル!」


「おおー、さすがだね。俺とは心意気も言う事も違う……!」


父さんはぽんと僕の頭に手をのせた。


「世界一のボーカルがいてくれたら、そのバンドは世界一のバンドにもなれるかもね」


それからの日々はずっと歌だけの日々だった。学芸会の日から歌ばかりだったけど、あの日以降はまるで憑りつかれたかのようにより歌へとのめりこんでいった。他の事はてんで駄目だったけど、それだけは歌う事だけは上手くいった。周りにも褒められもした。そのたびに熱意と意欲が生まれて、その成功体験と茜のあの日の言葉がもっと上手くなりたいという気持ちに拍車をかけ続けた。


今思えば才能なんてなかったように思う。ただ、人よりもおおく練習しただけ。皆との違いはそれだけなんだと思う。


サッカーや野球、スポーツをあまりしてこなかった。だから下手。

絵を描く事、ゲームをしてこなかった。だから下手。


でも歌だけはずっと続けてきた。それこそ毎日、年がら年中。歌う事が中心で僕の世界は回っていた気がする。


やがて中学にあがり少しすると父さんがバンド練習へと連れて行ってくれるようになった。そこで多少歌わせてくれた。でも父さんのバンドには上手い女性ボーカルがいた。僕は素直にその人に勝てないと思った。でも負けたくなくて練習した。


(あの綺麗な高い声……あれが欲しい)


僕には無くて彼女に有るものを考えそれを吸収する。幸い、もともと僕の地声も高かったのですぐにその女性レベルにまでなった。


「ねえ、父さん」


「ん?」


「僕をいつボーカルにしてくれるの?」


「え!?」


中学二年生。僕はついに直談判した。


「……ん、んー、まだまだ。それより今日の練習メニュー終わったのか?基礎が大事だぞ。まだ声変り来てないっぽいから気を付けないとだけど……つうかもしかして声変りこないか?」

「したよ。練習した。もう十分でしょ、僕の方があのボーカルの人より歌うまいよ」


「あー……まあ、な。恐ろしいことにそれはそうかもしれない」


「え、じゃあ!」


「でもそれはスキルの面でだ。お前はまだあの人には勝ててないよ」


「え、スキルで勝ってるけど……勝ててない?どういう事?意味わかんないんだけど」


「いいかい、春。歌って言うのはね『スキル』だけがあっても上手くなれない」


「え、他に何があるのさ……?」


「表現力、伝える力……つまり心だよ」


「心……?」


「そう。春はさ、歌の歌詞の意味を考えたことはあるかい?この歌は何を伝えたいのか、歌の主人公は何を想い感じているのか……」


「それって考えなきゃだめなの?ただスキルで歌いこなすだけじゃ、ダメ?」


「まあそれもありっちゃあありかもね。でも歌って言うのは人に何かを感じさせ伝えるための物だと俺はおもうんだ。だから僕には彼女の方が春より歌が上手く感じる」


「……歌下手なくせに偉そうに」


「な!?そりゃそうだけど、お、お前なぁー!!」


それからは歌詞を理解することに努めた。歌が上手くなれるならという一心で小説や短歌を読んだり、周囲の人間を観察したりして感情の変化を研究した。そうした努力が実を結び僕は中学三年生の春にはその女性ボーカルを越える歌唱力を手にしていた。


「春、お前は天才だよ。それだけ一つのことに打ち込んで努力し続けられる奴は中々いない。……ほんと凄いよ」


「じゃあ」


「うん、わかった……良いよ。バンドを組もう」


「やった!」


喜ぶ僕。しかしその時、わずかに父さんは何かを考えるように顎へ手を当てた。


「いや……ただし、条件が一つ」


「え、また条件!?えぇ……」


「いや、これが最後の条件になるからさ。そう悲しそうな顔しないしない」


「春、お前……まだまだ歌が上手くなりたいか?」


「え、そりゃまあ。もっともっとうまくなって僕、世界一のボーカルになるし」


「世界一のボーカル」


再び考え込む父さん。僕は痺れを切らし問いかけた。


「……で?なにさ、条件って」


「あ、ああ、悪い。実はさ、父さん今ギターを教えている子がいるんだよね。春さ、その子の練習に付き合ってあげてくれないかな?」


「え、条件ってそれ……?だれなの?」


「ふっふっふ。喜べ、めっちゃ可愛い子だぞ!」


「え、もしかして女……!?」


「おいおい、そう嫌がんなよ。それが終わったらちゃんとバンド組んでやるからさ」


「……絶対、約束だよ」


「ああ、約束だ」



――



――春の耳には父、歩のギターの音色が聴こえている。


それが秋乃のギターだと頭では理解できてる、が……春の心がそれを歩だと認識していた。曲の中で春は父との夢の続きを描く。あれほど願い続けた歩とのバンド。それが今叶っていた。


――ふと、肩に触れた誰かの手。


「――……春くん」


秋乃の呼びかけにより春は夢から覚める。引き戻された現実、目の当たりにする観客。


(……歩さん、これが春くんの望みなんだよね。なら、あたしは――)


客席は勿論、他のメンバーにも聞こえないマイクに乗らない小さな囁き声。しかし春の耳に彼女の声ははっきりと聞こえていた。

春が呼ばれ目を向けた先。隣をみればそこには秋乃の姿があった。曲の演奏が終わり、切ないギターの音が闇に溶け、舞台照明が暗転する。


再び闇に落ちるその刹那、秋乃は春の瞳が暗く染まったのを見た。深い深い闇の色。


――春は今まで、父の死というストレスにより記憶障害を患っていた。


父、歩と過ごした日々の殆どを記憶から消したことによりある事実を己の中から消しなかったことにしていた。それは叶わなくなってしまった歩との夢、約束、願い。

しかし今、あの頃を辿るように歌う事で記憶を取り戻した。


歩の幻影が秋乃へと変わり、春は現実に引き戻される。


(――ああ、そりゃそうか……父さんじゃない。いるわけがない。そうだ……だって)


青い照明がゆらゆらと闇を照らす。まるで海の底のような舞台上。



――だって、父さんは……僕が、殺したんだから。



深く暗い闇の中へ、深海に吸い込まれるように春の心が沈んでいく。





「!?」


――春はマイクを握ったま膝をつき蹲る。突然倒れ込むように崩れ落ちた春を心配し黒瀬と月島が寄ってこようとする。しかし秋乃はそれを制止した。


(……ッ、深宙ちゃん……!?)


(なんだ!?まさか……このまま続行するのかぁ!?)


春の手にしっかりとマイクが握られている。秋乃はそれを確認してピックを持ち直した。そして黒瀬、月島を一瞥し頷く。二人がまさか、と思ったその瞬間。ギターの演奏が開始された。次の曲の前奏が始まり、PAスタッフが二曲目を開始するのだと準備する。

依然、春は蹲ったままであり観客と視聴者は動揺していた。


圧倒的なクオリティ。見るからに不安と緊張でダメそうだったボーカルとは思えない、歌唱力を発揮した一曲目で魅了した春。だからこそ一曲目で力尽きたのか?と不安に思う人たちも多かった。しかし、春が蹲ったままの中、平然と二曲目がスタート。会場がどよめき始める。


「……え、ボーカル大丈夫か?」

『放送事故じゃね?』

「動かないんだけど」

「どうしたんだろ」

『おいおいおいどーしたw』

『ヤバくね!?』

「熱中症か……?」

『このまま行くんかいw』


「あ?何やってんだあいつ……今になってテンパってきたのか?ふっ、ウケるな」


ソータが鼻で笑う。演奏続行の流れに正気を疑いつつ、自分らの準備に移る。


(あれじゃもう歌えないだろ……終わったな)


――迷いのあるベースとドラム。しかしギターだけが力強く楽器隊を引っ張っていく。そして演奏の音色へ春の詞が落とされた。


「――!!?」


瞬間、ソータの全身に何かが流れた。電流のような悪寒のような、ただならぬ何か。それが何なのかは理解できない。今までに経験がない感覚だったからだ。だがしかし、それでもはっきりとわかることが一つだけあった。


(……こ、こいつ……さっきとは別次元に『歌』が上手い……)


先ほどまでとは全く違う異質の上手さ。身震いするほどの衝撃と、否が応でも惹きつけられる表現力。ソータを含めた『rush blue』のメンバーは言葉を失い春に目を、耳を奪われていた。


(……ライブパフォーマンス……煽り、テクニック、楽器隊のレベル差……そのあらゆる全てを無意味にするような圧倒的な歌唱力……だと……。なんだ?なんなんだ、こいつの歌は……なぜこんな歌い方ができる……!?)


春の歌声に魅入られながら、ソータは決して勝てないことを理解する。羨望、嫉妬、絶望の入り混じる感情に支配されながら拳を握りしめた。


膝を床につき、体を丸めながら歌い始めた春。その詩は深い悲しみと苦しみ、そして闇が色濃く表れていた。自責の念に駆られる一人の女性の物語。二曲目『cry』のテーマは喪失、絶望、悲しみと苦しみ。自分のせいで大切な人を失った深い後悔を吐露する歌だった。


『すげ』

「……」

「……うめぇ」

『一曲目もヤバかったけどこれはヤバすぎて笑う』

『いやなんだこれ』

「うわぁ」

『やべ泣く』

『すごい』

「……なにこれ、すごい」


月島と黒瀬もまた春の歌声に魅入られていた。


(……これは、普通じゃない……いつものバネ男の配信以上に……)


(春の雰囲気が明らかに変わった……こりゃあ一体、何が起こってやがる)


伝わってくる悲しみや苦しみ、歌い手の感情移入と表現力の高さ。


今にも溢れて崩れそうな感情の波、普通のボーカルならばここまで歌に感情を込めれば、音程が外れたりリズムが乱れ違和感が出始める。そうでなくとも悲しいという感情に潰され泣き崩れ歌えなくなったりしてもおかしくはなかった。


だがしかし、春はこれまでの年月、異常な時間を『歌』につぎ込んできた。固められた基礎と溜まった経験、そして出来上がった歌う事に対して特化した声帯と身体。それにより春の歌はギリギリのところで崩れない。無意識下で制御される音程と抑揚、リズムの完璧なバランス。


――それは神業とも呼べる歌唱だった。


……ズ、ズズ……


(――春くんの『扉』が開いた)


ある種のゾーンに入った春の姿を見て、秋乃は歩に言われた言葉を思い出す。


『人が深く表現できるのは、体感した事だけ』


絵を描く時、模写ならば実物をみることでより精巧に表現することができる。想像だけで描いた絵はどこか説得力に欠ける。

小説を書く時、自分の体感したことのないことを緻密には書けない。恋人のいる人の気持ちをいない人が想像することはできるが、それだけだとどこか嘘くさくなる。


――本当にそれを表現したければ、体感すること。でなければそれは想像の域を出ない。


『――出来のいい、贋作止まりだ』


(……今、春くんの紡ぐ歌は本物に成った)


記憶を取り戻した春の歌声。そこに宿ったリアルな感情。今までの歌よりも深く暗く、真に迫る悲しみ。受け手の感情を揺さぶるその説得力のある歌声にあてられそれを体感する。

先ほどまで起こっていた観客の大きな歓声。それがいつの間にか静まり返っていた。それどころかネットの向こうの視聴者すらコメントを打つのも忘れ、ただただ春に魅了されて聴き入っていた。


泡立つ肌、どんどん深く歌の世界へ潜っていく春の歌唱力に底知れなさを秋乃は感じる。そして同時に不安もまたそれに比例して膨らんでいく。それは他のメンバーも同様だった。


(……しかし、こりゃあ……まずいかもな。春の奴、確かにすげえが……)


これ以上深く潜れば、心が壊れる。傍で彼の様子を見ていた三人はそれを直感していた。


春は潰れそうな負の感情の中で歌い続ける。


――僕、知ってたんだ……父さんが仕事で大変だったのを。


くたくたになりながら帰ってきて、そこからまた別の仕事があったこと。睡眠時間を削りながらも頑張っていたこと。


でも僕は自分の事ばかりで。父さんの優しさに甘えて、褒めてもらう事しか考えていなかった。


だから、父さんが目の前で倒れた時に思ったんだ。これは僕のせいだって。


(今まで、忘れていてごめん。でも)


『――世界一のバンドに』


必ず叶えて見せる……例え、何を犠牲にしたとしても。


(もっと深く、この暗闇の奥へ……もっと、もっと、心を溶かせ)


……ズ、ズズ……


何も見えない暗闇、意識が虚ろになってくる。


暗い感情に焼かれ、黒い感情が心を蝕み始めた……その時、


『――ねえ。春、あたしとの約束は?』


――闇の中へ落ちていく僕の手を、誰かが引いた。


ふと聞こえた少女の言葉で、光が差す。


深海の底のような闇の中に、差した水光。


その光の方へ顔を上げると、そこには秋乃の顔があった。二曲目の演奏が終わり、こちらへきてしゃがみこんでいる秋乃。その笑顔が、あの日見た微笑みと重なる。


「……うん、思い出したよ」


「そっか。良かった」


手を差し出す彼女。僕はその手を取り立ち上がった。


「なら、そろそろ戻ってきて!ラストの曲やるよ」


「……ああ……」


三曲目、『染まった黒』の演奏が始まる。秋乃のギターの音色にはもう父さんの影はなかった。


――春くん、おかえり。


――ああ……ただいま。



僕は夢から覚めた。



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