第24話 見つめる瞳



パーカーのフードを深く被り込む。それには客席に顔を見せないように、という理由もあるが、今の春には観客の姿を見ないように視界を狭めるという意味合いの方が強かった。


――暗くなる眼前、客席が視界から外れた。


苦肉の策。これまでの経験上、大勢の客を目の当たりにすれば必ず動揺し、歌うどころではなくなってしまうというのを理解しているからこその対処法。


しかし勿論それによってライブを盛り上げるアクション、客の反応に応じたパフォーマンスができないというデメリットは生じてしまう。


(……でも、これで……歌う事だけに集中できる)


暗い闇の中、観客の歓声が上がった。ぞれが前奏に混じり、バンドの演奏が聞きづらくなってしまう。わずかに動揺する春。けれど、なぜか不安が少しずつ溶けていくような、不思議な感覚になっていた。

より耳を澄ませ演奏に集中する春。そして気が付く。その要因が楽器隊のドラム、黒瀬 時貞の演奏によるものだと。


(……父さんのライブ、こんな感じだった。観客の声と、楽器隊の演奏が交わって、時貞さんは応じるようにパフォーマンスを上げていく)


まるであの頃に戻ったかのような、錯覚。そして、それは更に強まっていく。黒瀬 時貞はその時あることに気が付き、激しく動揺した。僅かなリズムのずれ、肌が粟立つ。そして彼は思わずその原因へと目をやる。

ベースの月島もそれを感じたのか、視線が客席でも楽器でもなく彼女に釘付けになっている。


(……これは、一体……深宙ちゃん、なのか?)


黒瀬 時貞が目の当たりにしたのは、見た目はただの女子高生。普通の少女が紅いギターを抱え演奏している姿だ。しかし、どういうわけか、彼女がある男と重なって見えてしまう。

その構え、佇まい、演奏、指先から足のつま先まで、彼の生き写しだった。


――まるで死んだ人間がそこに現れたかのような、異様な光景。


(あいつからギターを習ってたってのは聞いてたが……似てるなんてそんなレベルじゃねえぞ、これは……!!)


――今の秋乃 深宙の演奏は、地下室でアコギを弾いていたよりも彼に近く、もはや佐藤 歩そのものだった。


そしてその演奏は、春にとってプラスに働いた。


(……父さん……)


化物の枷が外れ、檻が壊れ始めた。




――それは途轍もない、歌唱力だった。


「や、やばいっす!!マジですげえっすよ、外にも人が山のように……!!」


スタッフが目を剥き慌ててこけそうになりながら俺、若山 雄一(34)の元へ駆け寄ってきた。が、しかしすぐに意識はステージの上へと釘付けになった。


(……これ程までに……上手いのか、バネ男は……!!)


勿論、俺にだってライブに行ったことのないバンドやアーティストは星の数ほどいるし、まだ光を浴びていない実力者は探せばいくらでもいるのかもしれない。

だが、俺の中の何かが訴えている……こいつ、このバネ男という奴ほどの歌唱力を持つ人間はこの世にいないと。


(抑揚、ファルセット、エッジのスキルがとんでもなく高ぇ……声量もかなりのものだが、発声に無理はなく決して張り上げてはいない。だが、迫力はある……ギターもそうだが、このボーカル……リハとは全然違うじゃねえか!!)


「……ゆ、ユウイチさん……なんなんすかあのボーカルは……?」


僅か一曲、ワンフレーズで会場の空気を支配したあのボーカル。ふと確認するライブの配信画面。覆いつくされるバネ男に対する応援と賞賛のコメント。周囲の熱気と怒号のような歓声。会場外を取り囲んでいる大勢の人間。そこで気が付く。


……もしかして、だが……この異様な同接数……客の殆どは『rush blue』じゃなく、こいつらを……?



――



正直、俺は秋乃さんの演奏を観に来ていた。それをきっかけにバンドの話で仲良くなれたら。そうしてゆくゆくは、もしかしたら僕があのボーカルの位置に行けるかもしれないとそう思っていた。


「……すごいな……」


しかし、その淡い希望と期待は一瞬で崩れ落ちる。


バネ男……歌唱力の鬼、天才、化け物、一部からはそうやって色々な呼ばれ方をされている。だが、彼はバンドを組んだことも無ければライブ経験もないらしい。だったら彼よりも長くバンドとして高い人気を得た俺は、そこだけは唯一負けてはいないんじゃないかと思っていた。


バンドで歌うのと部屋で一人音源を流して歌うのでは必要とされる技術は全く違ってくる。楽器隊と呼吸を合わせ、客の大きな声援に埋もれないように歌う必要がある。ずっと配信でしか歌ってるところしか見なかった彼。だから、バンドでの歌唱力はそれほどでもないんじゃないかと思っていた。


(……勝てない、のか……ここですらも……)


同じ歌い手。年齢も同じくらい。だが、バネ男は遥か上に存在していた。


俺は拳を握りしめ、遠い彼らを眺め羨む――。



――



会場の後ろ、あいつの姿を遠くから眺めていた。


初めてのライブ、バンド。会場の中は薄暗かったけど、あいつは輝いていた。


響き渡る歓声と、歌声。


胸の奥が熱くなっていく。


曲が始まる前、あいつは怖気づいてステージに立てなかった。その時、昔の姿がかさなって見えて、怖くなった。またいなくなるんじゃないかって。

けど、違った。恐怖で震える足を進め、あいつは前に出た。


「……もう、逃げたりしないんだね。やるじゃん」



――春を意識し始めたのは、小学一年生の八月九日。蒸し暑い雨の日だった。


あの日、下校途中だった私は降り始めた雨に阻まれ、店の屋根に避難していた。学校を出るときはまだ小雨で、走ればまだそれほど濡れずに家までたどり着ける。そう考えた私はスタートダッシュを華麗に決めた。しかし、商店街についたあたりで空が堰を切ったように泣き出し雨宿りを余儀なくされた。


だが私は学校帰りに店に寄ることは気が引けた。いくら雨宿りでもそれを誰かに見られたら、なんといわれるかわからない。今思えばちゃんと訳を話せばいい、ただそれだけの事だと理解できるが、子供だった私はそれすらも咎められてしまうんじゃないかと人の目が気になった。


だからもうやっていないシャッターのしまっていたお店の屋根に避難した。所々錆びつき、白い塗料が剥げ茶色に蝕まれた建物。二階の窓が割れていて、幽霊が出ると噂の建物だった。昔はおもちゃ屋さんだったらしく経営難で潰れ皆消えちゃったとかクラスで言われてたけど、それは本当に噂でもう少し行ったところでおもちゃ屋の人たちはスーパーを経営していた。


ただその頃の私はその噂を本気で信じ込んでいて、土砂降りの雨よりもその場を一刻でも早く離れたい気持ちに駆られていた。その時の私はそういうのに全く耐性が無く、ほんの数秒のCMですら怖い映像が流れるとトイレに行けなくなってしまうような子で、臆病な性格だった。


「……」


小雨で濡れてしまったからだが冷えはじめ、寒くなってくる。湿っている靴の中が気持ち悪くなって、無性に自分が情けなくなってくる。なんでこんな風なんだろう。私は、いつも間が悪くて上手くできない。今回だって学校で雨が止むのを待って、帰れば良かった。止まなさそうなら、職員室で傘を借りればよかった。それか電話を借りてお母さんに迎えに来てもらうとか……考え無しで自分が嫌になる。


人間って不思議なモノで、ひとつ負の感情が沸くとそれが他の何かに結びついてまるでパズルゲームのように連鎖していく。どんどん悲しくなって、私は泣いてしまった。もういっそずぶ濡れになって帰ろうか、お母さんには怒られるかもしれないけど、どうでもいいとにかく帰りた。そう思い始めた……その時。


隣に男の子が立っていた。


「……ひっ、だ、だれ!?」


うるさい雨音と俯いていたせいで誰かが近づいてきたのを察知できなかった。というより、この時の私は男の子が突然現れたことで気が動転していた。音もなく気配もなく、突然現れた男の子。しかも誰?と聞いても一言もしゃべらず、傘をさしたまま隣に居る。


「も、ももも、もしかしてっ!ゆ、ゆゆ、幽……」


雨宿りをしていた場所も相まってもしかして彼は幽霊なのかもしれないと、そう思ってしまった。ジッとこっちを睨む男の子。私は恐怖のあまり後ろに逃げようとする、がしかしガシャンとシャッターにランドセルがあたり逃げ場がないことに気が付く。


「ひいいい」


怯える私。呪い殺されるかと思い、大粒の涙がこぼれ落ちる。


「……つ、つかって、いいよ」


「……へ?」


その男の子はその場に傘を置いた。それは今まで自分が使っていたもので、一瞬何が起きったのか理解できなかった。じっと傘を見つめる私。


(え、つかって……いい?この傘を?)


ふと彼の方へ視線を戻すともう雨の中を走り出していた。ランドセルを頭の上に乗せて。


「ゆ、幽霊じゃ……無かった、んだ……」


バクバクと鳴る心臓。傘を手に取ると、柄の方に猫のキャラクターのキーホルダーが付いていた。そこには『さとう はる』と名前が書かれていて、初めて同じクラスの男の子だと気が付く。いつも大人しくて話す機会も無かった地味な男の子。


「……さとう、はるくん……私のために?」


男の子に優しくしてもらったのは初めてだった。しかも自分は雨でずぶ濡れになってまで。多分あの濡れ方は家の人に怒られるのは確定だったと思う。けど、それでも私を助けてくれた。泣いていたのを見たからなのかもしれない。けど、間違いなく佐藤 春はあの時私の心を救ってくれたヒーローだった。


――あれが、春との初めての会話。そして私の心の中に何かが芽吹いた瞬間だった。


それをきっかけに春と友達になった。色んな学校行事を一緒にした。仕方なく一緒に居るふりをしていたけど側にいられるのが嬉しかった。周りに夫婦とか恋人とかからかわれたけど、私は気にしなかった。というより嬉しかったりして家に帰って部屋でにやにやしたりしていた。でも、春はそういうのが嫌みたいで、いじられているって感じて逃げたりした。


(……だから、あの日もそういうのが溜まりに溜まっていなくなってしまったんだと思う)


自業自得、私がもっと気を遣っていれば。噂されていじられないように周りをコントロールをすることができれば。春を深く傷つけることは無かったのかもしれない。…‥‥けど、もうあの日には戻れないし、あの劇で私の手を取ってくれはしない。


大丈夫だよっていえばよかった。追いかければよかった。逃げていく後ろ姿を見送るんじゃなくて、あの日傘を差しだした春のように……自分から逃げずに、どう思われるかも気にせず周りの目を無視して、彼を追いかけて涙を拭ってあげればよかったのに。


(……でも)


――でも、今はもう逃げないんだね。春はあの日の自分を越えられたんだ。大丈夫なんだね、もう。


その光景が、私にはとても嬉しくて、でも……ちょっぴり切なかった。


「……やっぱり歌うの上手いね……春」


目を閉じ、歌を聴く。


あの頃を想い、春の手に自分の手を伸ばした。



――



「すっごーーーーい!!バネ男くんすんごーい!!なーんまら上手いねえ!!」


隣でチヒロが飛び跳ねている。このあとライブだっていうのに、体力使うんじゃねえよ。


「いやはや、すごいんじゃないの『バネ男』ちゃん。リハは目も当てられない程酷かったのにねえ。どーしちゃったんだろ。ね、ソータ」


メイがにやにやと俺に聞く。


「知らねえよ。知るわけねえだろーが……」


つうかなんで俺に聞くんだよ。メイのにやけ顔に若干イラついているとコースケが口を開いた。


「だがソータ。流れは持ってかれたな。ここまでで一番の会場の盛り上がりだ。俺たちはこれを越えないとならんぞ」


「はあ?そりゃそうだろ」


「おおー、自信満々だねえソータくん」


「それじゃあ逆に聞くけどよ、メイお前は俺たち『rush blue』負けてると思ってるのか?」


「うんにゃあ全然。ボーカルは確かにうまいけど、それだけ。ライブの盛り上げ方を知らないしできてない。俯いて歌ってるだけじゃあ、ちょっとね。楽器隊のレベルはうちらの方が高い……ギター以外は」


「ほら、わかってんじゃねえか。最後のは余計だが……年季が違うんだよ、俺たちと奴らじゃ。ライブのパフォーマンス、客との一体感を生むための煽り、アクション、そしてバンドとしての総合力。その全てが圧倒的に俺たちの方が上だ」


そして、歌唱力もな。


まだまだ喉が開ききっていない。


いつもより伸びが無いし、広がりも足りない。


俺たちの相手じゃねえ。



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