第22話 恐怖に侵される心と体


――ライブ開始。


一組目のライブが控室のモニターで映し出される。ステージ上に固定されているので客席がどうなっているのかは見えないが、廊下を伝って聴こえてくる怒号のような声援で凄まじい盛り上がりなのが分かった。


(……上手いな、やっぱり)


トップバッターのバンド『とととと、とらいんず』三人組の高校生ガールズバンドで、バンド結成してからまだ一年だという。けれどこの大きな会場でどうどうと演奏している。僕と違って、ボーカルの声も広く伸び声量がある。

正直、スキル的にはまだ未熟だ。けれどライブ経験が多いのだろう、動きパフォーマンスでそれをカバーしている。要するにライブにおいての魅せ方が上手いのだ。


……僕には、無いモノ。


ずっとあの地下で籠っていたから見えてなかった。


僕には足りないモノばかりで、だから……見ようともしていなかった。


いつの間にか居心地のいい場所に閉じこもって、逃げていたんだ。


「お、夏樹のやろうからメールだ」


ふと時貞さんが言った。


「久しぶりでミスするだろうが気張らず頑張れだと?あのやろー生意気言ってくれやがってよ」


「はは、相変わらずですね。会場に来てるんですか?」


「まあな。あいつバイトで忙しいからな、滅多にこういうのは来ねえけどな。今日は珍しく観にきてるぜ」


「黒瀬さんがよほど心配だったんですね。この間の練習も少しリズム乱れてましたし」


「ぐぐ……気が付いてやがったか。歳には勝てねえってことか」


「歳というかブランクじゃないですかね」


「……ブランクか。まあ、そうだな。確かに……けど、本番は意地でもミスらねえよ。例え天地がひっくり返ったとしてもな」


「ふふ、心強いですね。ま、久しぶりのライブ。昔みたいに娘さんにカッコいいとこ見せてあげましょう」


「ああ、だな。ところで月島、おめえの方は誰か誘ってねえのかよ」


「ああ、えーと……まあ一応、一人誘ってはみたんですけど……ダメでしたね。いろいろあるみたいで」


「おお?彼女か?」


「いやいや、違いますよ!昔ベースを教えてた親戚の女の子です」


「ふーん、そう……親戚の教え子ねえ」


「いや、マジですから!何ですかその眼差し!!」


「あの、月島さん……その子って冬花ちゃん?」


「そうそう。相変わらず部屋にひきこもっててさ。佐藤君が出るならくるかと思って誘ったんだけど、ダメだった」


「なんだ、深宙ちゃんも知り合いなのか?」


「うん、昔一緒に仕事したことがあって、その時から友達なんだ。でも最近はぜんぜんあってなくて……冬花ちゃん元気?」


「あー、まあ相変わらずだよ。元気といえば元気なんだけど、やっぱり部屋から出たがらなくってさ……ちょっと心配な感じ」


「そっか……あたしも今度遊びに行ってみようかな」


「ああ、うん。そうだな、深宙ちゃんなら気心知れてるし行ってあげたら喜ぶだろうね。俺からもお願いするよ」


「うん、わかった」


(……似ている。僕も、ひとつ違えばその子みたいにひきこもっていたかもしれない……)


コミュ障で人見知り、歌が無ければそうなっていた可能性は十分にあった。けど、もう。


……そういえば、田中と高橋……来てるのかな。いや、そりゃ来てるだろう。チケット買ってもらったんだし。


(でも、良いライブはみせられないだろうな……せっかく来てもらったのに)


「……どこ行くの?」


腰をあげた僕に秋乃が聞く。


「……ちょっと、トイレに……」


「あ、あたしも一緒に行く」


廊下へ出て二人歩く。多分、僕の事が心配なんだろう。ソータとの一件があってからずっと側を離れようとしない。


「……秋乃」


「ん?」


「そんなに心配しなくてもいいよ」


「……あたし、うっとおしいかな?」


「いや、そうは思わないけど。僕は大丈夫、逃げたりしないし」


そうだ、逃げたりなんかしない。例えその結果ひどい醜態を晒すことになったとしても。ステージに立って、やり切る。秋乃の頼みであり、僕はそれを引き受けた。なら、どういう結末が待っていようとも……最期までやりきる。


「あたし別に春くんが逃げるだなんて思ってないよ。たださ、あたしのせいで嫌な思いさせちゃったから……調子悪くなっちゃったのもそのせいだし、なんとかしたいなと思ってて」


秋乃はばつの悪そうな顔で俯く。


「それにまだあの人に絡まれないとも限らないでしょ。だから、ね」


……いや、そうか。僕はこれが嫌だったんだ。ソータとの一件で醜態を晒して、リハでも唯一の歌が通用しなくて、こうして秋乃に気を遣わせている。なんて惨めで可哀そうな奴なんだろう、僕は。


――歩みが止まり、棒立ちになった。


「春くん?」


「……期待外れで悪かった」


口をついて出た言葉。失敗するのは確定、自分の事は自分が一番知っている。ライブでの僕は使い物にならない。ソータのように響く迫力のある声で歌えもしなければ、盛り上げれもしない。それどころかまともに観客に伝える事すらできないだろう。

きっとがっかりされる……だから僕は謝ってしまった。防衛本能なのかもしれない。逃げないと言ったのに、心はもうとっくに逃げていた。


残ったのは先に立たない後悔だけだった。


「あのー、春くん。まだライブ終わってないんだけど……?」


俯く僕の顔を覗き込む秋乃。眉をひそめた彼女の表情が心配の色に変わった瞬間、僕は顔を逸らした。


「怖いの?」


秋乃の問いかけ。言葉に詰まる僕。そうだ、僕は怖い。ソータの事も、ステージに立つことも、怖い……自分の全てである歌で負けてしまうこと、それによって自身が否定されてしまう事が一番怖い。

けど言葉に出来ない。ここまで醜態を晒したというのに、まだわずかに残っている男としてのくだらない見栄やプライドが喉を締め付け吐き出させないようにしている。


「……そりゃ怖いよね。ごめん、当たり前のこと聞いて」


優しく背中をさする秋乃は、ずっと「ごめんね」と小さく繰り返していた。





「佐藤君、大丈夫ですかね……」


月島が不安そうな顔でベースの最終チェックをしている。


「どうだかねえ。まあ、初ライブだからな。仕方ねえさ」


「練習では良かったんですけどね。佐藤君ほどの人でもやっぱり環境の違いで全然違ってくるのかな……っていうか初ライブだったんですねぇ彼。深宙ちゃんが大丈夫って言ってたから経験あるのかと思ってたけど」


そうだ。俺らはあらかじめ深宙ちゃんにそのことを確認していた。いくら配信のライブで生の歌をうたっていたとはいえ、客を前にする生のライブとはプレッシャーのかかり方が全然違う。それはライブ経験のある深宙ちゃんもわかっているはずだ……なのにどうしていきなりこんなでけえハコでやらそうと……いや、そんなことを考えてももうおせえ。


「……まあ春も天才ってわけじゃねえからな。才能はあれど、初っ端のライブで大成功できるほど甘くはねえさ。ただ、この経験があいつの人生で大きな力になることは間違いねえ」


小さな頃から見てきた。春の力はその執着心とまっすぐな努力。このライブがどんな結果になろうとも、大きく成長するだろう。


「まあ、そうですよね。挫折っていうのは人を育てる……なら、僕はいちファンとして全力でサポートするだけですね。この経験が彼を大きく成長させるものと信じて」


「そうだな」


――『yoseatume』、ライブ開始五分前。ステージ横、待機中。



暗い舞台袖。僕はフードを被り、目を閉じて深呼吸をする。しかし破裂しそうな心臓の音は落ち着くこともなく、足も震えている。嫌な汗が頬を伝い、吐き気が襲ってきた。


「――yoseatumeさん、どうぞ」


僕らの出番が、来てしまった。





「……うわぁ……!」


正にお祭り騒ぎ。所狭しといる観客、外まで届くような声援。僕、高橋 春斗が想像していた数倍の盛り上がりだった。

会場入りした時にもこんなに賑わっているものなのかと、自分のライブでは見たこともない光景に圧倒されたが、バンドの演奏が始まってから更に高まる観客のボルテージに驚きを隠せない。


「す、凄いね、田中くん……お客さんの盛り上がり!」


「だな!こんなに盛り上がるもんなんだな、ライブって」


もう後半戦。残り二組のバンド。盛り上がり的にもうとっくに体力の尽きていてもおかしくない観客だが、ここにきて更に元気が爆発しているように見える。


「次が佐藤君と秋乃さんのバンド『yoseatume』か……声援すごいね」


「マジで熱気やべえな。あいつの居るバンドって人気なんだなぁー」


「なにいってんの、あんたら!そりゃそーよ、だって『バネ男』様がボーカルするんだよ!?もはやこのライブの目玉じゃん!!盛り上がるに決まってんじゃん!!」


田中君のお姉さんが興奮気味に叫んだ。確かに彼女のいう通りだ。『バネ男』歌唱力でいうなら彼の右に出る配信者はいないとまで言われている実力派の歌い手。昨日の告知まで知らなかったが、そんな彼がボーカルを務めるバンドであれば目玉だといっても過言じゃあない。


(しかも初バンドで初ライブ……この盛り上がりにもなるか)


「え、マジかよ姉貴。てっきり俺は最後のバンドが目玉なんだと思ってたけど……」


「いやまあ『rush blue』も凄くいいバンドだよ!けど私は今日『バネ男』様を観にきてるから!!」


「ああ、そういう……姉貴がそっちのファンだっていう話ね。まあ、俺も春のバンド見に来ただけだからあれだけど」


――照明が暗転。観客の声がわずかに静まり、ステージ上に四人が現れた。壇上に設置されている足元の青のライトが、演者をうっすらと照らし出している。


「うおおおー!!秋乃ちゃんめーっちゃ可愛いー!!がんばれー!!」


「きゃああー!!『バネ男』様今日は黒パーカー!?頑張ってくださーい!!」


同じようなリアクション。やっぱり姉弟なんだなぁと、ちょっと面白く思った。ドラム、ベース、ギターの秋乃さんが位置につき音の確認をする。演奏が始まるこの空気感、見ているこっちまで緊張して心臓が高鳴る。


……思い出すな。俺の初ライブはこれよりも小さいハコで観客も少なかったけど、すごく緊張した。歌も思うようにうたえなくて、歌詞も飛びそうになって焦った……けど、ファンの子が歌ってくれて助けられたんだよな。あれも今となってはいい思い出だ。


バネ男もこれが初ライブらしいけど、どうなんだ?あれほどの歌声なんだ、過去にバンドボーカルをしていたとしても不思議じゃないが。


「あれ?ボーカル……前にこねえな?」


「え?」


田中君に言われてみると、他の楽器隊の三人はもう準備が終わり待機しているというのにボーカルと思わしき黒パーカーを深くかぶった『バネ男』は位置につかず、かなり手前の方で立ち尽くしていた。


「『バネ男』様……?」


「どうしたんだろう」


照明が点灯、暗闇が晴れる。が、しかし彼は動こうとしない。ステージ上に漂う妙な空気。その異変を感じ取った客席の人々がざわめき出す。


……足が竦んでいるのか?観客にビビってる?もしかして、彼は本当に……。





――……足が、動かない。



照明が上がり目の当たりにする凄まじい数の観客。あとわずか三つ歩けばたどり着くマイクスタンドに果てしなく距離を感じる。


舞台袖で困惑しているスタッフ。心配そうに振り返りこちらを見ている三人。そして、大勢の観客。


――自然と一歩、足が後ろに下がってしまう。


(……客が入ると……こんな……この大勢の前であの醜態を晒す?だ、ダメだ、僕には)


――また一つ、下がる足。


嫌だ、あんな惨めなのは、悔しいのは嫌だ。逃げたい。逃げたい、逃げたい。今すぐここから立ち去りたい。


――また一つ、後退する足。


『また逃げるの?』


――背後に気配を感じ振り返る。するとそこには、見覚えのある小さな子供が立っていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る