第12話 友達だよ
――それから僕は残りの時間、秋乃にアコギを弾いてもらって配信をした。とはいえ21時まで予定の配信だったので、『君との月夜』を含め4曲くらいしかできなかったけれど。しかし彼女が加わってからスパチャの量が増え今までで最高のスパチャ額となった。チャンネル登録者もこの短時間でかなり増え、もう秋乃には足を向けて寝られないなと思った。
いや、それだけじゃない。彼女は僕にもっと大切な気持ちを思い出させてくれた。
秋乃の弾くギターの音が、捨てようとしていた想いの重さを思い出させた。それは決して金では得ることのできない、かけがえのない時間で……失いたくない気持ちだった。
――秋乃には、大きな借りができてしまったな……。
スパチャ読みが結構な時間がかかり、21時半にやっとすべて終えライブを切った。
「すごーい!!お兄ちゃんもお姉ちゃんもすごかったー!!」
興奮気味の妹が抱き着いてくる。ぼふりと顔を埋め満足そうに笑っていた。
「おまえが仕組んだんだろ、これ……」
「はっ、ぎくぅ」
そう聞いた瞬間、百合はしゅばばっと僕から離れ秋乃の後ろへと逃げ隠れる。別に叱ろうとかそういう気はなかったんだが。ふと目で追った先の秋乃と目が合った。すると彼女は少し困ったような表情で微笑んだ。
「あの……春くん違うの、あたしがねアコギあるってきいたからやりたいっていったんだ。だから百合ちゃんは悪くなくて」
「あ、いや……うん。別に責める気はないよ」
「「え?」」
ぽかんとした表情で二人がこちらを見る。
「むしろ感謝してるくらいだ。秋乃のおかげで配信が盛り上がった。ほんとにありがとう」
「あ……ううん、こっちこそ。急だったのにセッションしてくれてありがとう。凄く楽しかった」
「百合」
「……ん?」
「ありがとう。お前がこうでもしてくれなかったら、僕は取り返しのつかないことをするところだった」
「取り返しのつかないこと……?」
「そのギターを売ろうとしていた。大切な思い出を、忘れたまま……。父さん、優しかったよな。僕らのことをちゃんと思ってくれてたよな。なのに、なかったことにしてた……悪い」
「!、うん……!」
僕は憎むことで楽になろうとしていた。耐え難い苦しみを消そうとしていた。もしかしたら母さんもそれに気が付いていて何も言わなかったのかもしれない……。
――ガチャリ、と音がし、
「……あ!お母さん!」
と百合が叫んだ。
地下室の扉が開き、そこには母さんが立っていた。おそらく帰ってきた母さんはライブ配信を邪魔しないように終わるまで扉の前で待っていたのだろう。秋乃の鞄や靴が置きっぱなしだったからな、その件で聞きに来たのかもしれない……と、そう思っていたが、母さんの疑問はまた別のところにあったようだ。すぐに気が付いた涙の跡と赤くなった目。
「さっきの、あなたがギター弾いてたの?」
「あ、はい……」
おそらく母さんも今の演奏を聴いていたんだろう。そして秋乃のギターに父さんを見たのかもしれない。
「ありがとう。ごめんなさい、急にこんなこと言われても困ると思うけど……それでもありがとう。もう会えないと思っていた人に会えた気がして、嬉しかった……素敵なギターを聴かせてくれて、ありがとう」
秋乃は微笑む。事情を察してくれたのだろう、彼女は抱えたアコギを再び弾き始める。その曲は奇しくも父さんが作ったメロディだった。
☆
「え、春の彼女じゃないの……?」
「ち、違う!!」「違います!!」
「あははは、面白い」
とんでもない勘違いをしていたウチの母。居間へと戻ってきた僕ら四人。秋乃の紹介を終えちょっとした雑談をした後、「こんな息子だけどどうか末永くよろしくね」と不穏な発言をかましたことに違和感を覚え追及。すると、母さんは僕が彼女として秋乃を連れてきたのだというとんでもない勘違いをしていた。
横で爆笑する百合と、身振り手振りで否定する僕と秋乃。その勘違いはちょっとやめてほしい……すごく悲しくなるから。
「あら、そうなの。残念ね」
「ね!お兄ちゃんの彼女になってほしいよね~!」
うわー、めんどくせー!このウザがらみはマジで勘弁だ。百歩譲って僕は良いとして、秋乃に嫌な思いはさせたくない。とりあえず話題を変えなければ。そう思いあたりを見回すと時計が目に入った。
「……秋乃、そういや帰らなくて大丈夫か?もう22時過ぎてるけど」
「え……あっ!」
僕が時計を指さすと秋乃の顔が青ざめる。素早く携帯をポケットから取り出し、ものすごい勢いでタップし始めた。
「私、車だそうか?」
焦っている様子の秋乃に母さんが声をかけた。しかし僕はそれを制止する。
「いや駄目だろ、その手に持ってるものをみろ」
「あ、そーだった……私、大人のジュース飲んじゃってたんだった。てへっ」
母さんは地下室の扉の前で父さんそっくりなアコギのメロディを聴き、懐かしさのあまりつい晩酌を始めてしまっていたらしく手には発泡酒の缶とおつまみのサラミが握られていた。今運転すれば捕まる。飲酒運転駄目、絶対。「てへ」じゃねーよ、「てへ」じゃ。
「いやぁ、ごめんなさいね秋乃さん。タクシーでも呼ぼうか?」
「いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます……えっと、それじゃああたし帰りますね。春くんごはんごちそうさま。百合ちゃんもまたね」
秋乃はソファーから腰を上げ置いてあった鞄を手に取る。
「うん、またきてね!」
手を振りあう百合と秋乃。母さんが僕にちょいちょいと指をさし、合図した。送っていけってことなんだろう。
だよな、僕も同じこと考えていた。さすがにこんな夜遅くに秋乃一人では帰らせられない。僕は家のカギを手に取り、上着を羽織った。
「……春くん?」
「僕、送ってくよ」
「え、そんなの悪いよ。大丈夫、近いから」
「ん?……え、遠いってお姉ちゃん言ってたよね」
「あ」
百合の発言に動きを止めた秋乃。遠慮したのか。
「時間的にも一人は危ないし、もしなにかあったら嫌だからさ。送ってくよ」
「あ……うん。そっか。それもそうだね。じゃあ、お願いします」
ぺこりと頭をさげる秋乃。はっきり言ってここまで遅くなったのは妹と母さんのせいなので謝られても困るんだけどな。
そうして帰り支度を済ませた秋乃と僕は二人家を出た。ぼんやりと月が上っていて空が明るい。気温もいい具合に涼しく、散歩に丁度いい。6月ももう少しで終わるが、この過ごしやすい気温が続いてくれることを願うばかりだ。できれば昼間。
そんな儚い願いをお星さまに願っていると、秋乃が口を開いた。
「……ごめんね」
「ん?」
「時間使わせちゃって。春くん、こんなふうにあたしと歩いている暇ないでしょ」
「いや、大丈夫。っていうか遅くまで付き合わせたのはこっちなんだし。気にしなくていいよ」
「……そっか。ありがと」
「?」
『――僕も暇じゃないんだ』
(……あ)
学校で秋乃に言い放った一言を思い出す。そうか、あの時の事を気にしてるのか。
……うーん、しまった。もう関わり合いたくなかったとはいえ、結構ひどい突き放し方しちゃったよな。
ばつが悪くなった僕は、彼女の様子を伺うように横目で顔を見る。暗い中で足元に気を付けているからか、下を向いて歩く秋乃。俯いていてはっきりと確認はできないが、一瞬街灯で照らされたその表情はうっすらと微笑んでいるように見えた。
(……機嫌は、悪くなさそうか?)
しかし本当に不思議だ。僕が秋葉以外の女子とここまで普通に喋れてるなんて。もし仮にこれが秋乃じゃなく、クラスの誰かなら絶対にどもって「もごもご」して、「うわーきんもーい!」って言われてジ・エンドだぞ。冗談じゃなくマジで。もう二度と学校行かないまである。
ふいに秋乃が顔を上げこちらを見る。僕はそれと同時に、顔を見ていたのがバレないように僕はスーッと視線を外した。あぶね。
「でもさ」
「え、はい」
「なんで敬語……?」
「いや、なんか出た。すまん」
「ふふっ、あはは。やっぱり面白いね、春くん」
くすくすと笑う秋乃。目を細め口元に手をあてる。こうしたごく普通の他愛ない動きですら、秋乃にかかれば魅力的なモーションと化す。生まれ持った魅力なのか、それともたゆまぬ努力が可能にした技術なのか。ただ一つわかることは、こういうところに皆惹かれていくのだろう。
「いやさ、本当に凄いんだなぁって思って、春くんの歌。声量もあって音程も正確だし、さすがだよね」
彼女は嬉しそうに言う――。
「あ、ありがとう……でも、まだまだだけどな」
「え、そうなの?チャンネル登録者数30万もあって?」
「ああ、まだまだ……って、いやまだ30万とかいってないけど」
「でもさっき見た時はもうちょいだったけど。っていうかもう達成してるんじゃ?」
立ち止まり携帯でチャンネルをを確認する秋乃と僕。登録者が普通に30万人達成していたことに無言になる僕。
……しまった。せっかくの30万が。30万人達成耐久配信とか、何かしらのイベントを今回こそはと思っていたのに……。
「30万人おめでとう、春くん」
「ありがとう」
……まあ、いいか。どうせ雑談下手だし、放送事故になった可能性の方が高いし。喋り下手だからなぁー僕。口下手は配信者として致命的である。
「ところで、春くん。今日、ホントにお邪魔じゃなかった?30万人達成記念の企画とかしてたんじゃないの?」
「え、あ……いや」
そうか。秋乃も僕と同様、動画配信者だからな。そりゃそういうの気が付くよな。
「ごめんね、もっと早く思い出してればよかったんだけど。気が遣えなくてホントにごめん」
「いや、大丈夫。そもそもそういうのやったところで雑談下手だからな。上手く時間稼げないだろうし」
「そうなの?」
「そうだよ」
「でもあたしとは普通に喋れてるよね?」
「……それはそうだけど。でも基本僕は口下手でコミュ障なんだよ。だから案件の依頼とかも受けたことないし」
「え、マジで?それ、すっごくもったいなくない?」
「もったいないけど、できないものは仕方ないし」
「ふぅん。お金お金~って言ってるわりにそこらへん甘いんだね」
「……」
――ぐはぁっ!!ごもっともです!でも無理なんです、緊張で吐き気がヤバくなるんです!でも、人にはどうしてもできない事ってあるんすよ!
「……まあ、そんな感じで、ぶっちゃけスパチャとメンバーシップの収益くらいでしか稼げてないんだよ。歌ってみたは再生数回っても本家のほうに収益がいくから僕のお金にはならないし。まあ、宣伝になって知名度あがるからやってるけど」
「え、収益ないんだ?あの再生数。めっちゃ回ってるやつ100万超えてるのとかいくつかあるよね?めっちゃ稼いでると思ったのに!」
「うん、その収益ぜんぶ僕には入ってこないよ」
「そうなんだ……でもあれじゃない?だったらオリジナルの曲つくったら?歌ってみたとかカバーじゃなかったら収益は春くんに入ってくるんでしょ?」
「それはまあそうなんだけど」
「けど、なに……?」
「僕は楽器が弾けない」
「でも……PCあるなら打ち込みで作曲すればいいんじゃない?楽器弾けなくても、そういうソフトで作曲する人いっぱいいるよね」
「あー……やってみようと手を出したことはあるけど、よくわかんなかった。そもそも僕曲作りのセンスがないと思うし」
「あは、ダメダメじゃん」
「ぐほぁっ!!」
「あははは!」
腹を抱え膝から崩れ落ちる僕と、腹を抱え大笑いする秋乃。だめだ、これ以上僕の事を話すと致命傷になりかねない。ここは可及的速やかに話題の切り替えをせねば。
「ぼ、僕の事はいいんだよ。そっちはなんで配信者なんてやってるんだ?」
「あたし?そうだねえ、理由はいろいろあるけど、ある人との約束だっていうのが大きいね」
「約束?」
「うん」
ジッと僕の目を見つめる秋乃。その瞳は何かを確認しているような、確かめるような……。
人と目を合わせるのが苦手ですぐ逸らしてしまう僕だが、彼女の瞳には妙に惹きつけられてしまう。というか、これは……。
(……この目。やっぱり、どっかで……)
まだ霞みがかっている記憶の向こう。確かに彼女の姿があった。そして何度も体感している既視感。テレビ?ネット?学校か?おそらく、前に同じように彼女と顔を合わせたことがある……それは間違いない。
けど……思い出せない、どうしても。まるで父さんとの記憶が断片でしか思い出せないような感覚……うっすらとぼんやりとした夢のような記憶。
ふいに秋乃は視線を外した。そして空を見上げる。淡い月明かりに照らされた秋乃の姿が儚く思えた。
「まあでも、その約束は守れそうにないけどね」
「え?」
雲の影が小さな少女をを覆う――。
「あ、そこのマンションがあたしのウチ。ここまででいいよ、ありがとう」
「え……ああ、うん」
天にまで届きそうな大きなマンション。僕のウチのボロ家とは文字通り天と地の差だ。雲にまでたっしてそうな最上階を見上げていると、ふと思い出す。
……っと、そうだ。大事なことを言い忘れてた。
「秋乃」
「ん?」
数歩離れた場所で、彼女は振り向いた。
「僕、ライブ出るよ」
「……え?」
ぽかんとする秋乃。当然の反応だな。あれだけ拒否していたんだから。
でも、僕は彼女に助けられた。……父さんとの思い出、歌う理由、そしてその意味を思い出せた。
――だから、恩を返したいんだ。
「もう間に合わないか?」
「ううん。大丈夫だけど……どうして?」
「さっきの配信。秋乃のおかげでかなりのスパチャが稼げた。依頼料としては十分すぎる額だ。だからライブの件、受けさせてくれ」
「でも、同級生とは仕事しないんじゃ」
……確かにそういっちゃってたな。うーむ。
「それもまあ、そうだな。……わかった、すまん」
「ううん、いいよ。そういうのは大事だしね」
まさかの返答だった。秋乃ならてっきり『え、いいの!?やったぁ!』と返ってくるものだと思っていたが――。
「――じゃあ友達としてだ」
「……え?」
こういうのを鳩が豆鉄砲を食ったようだとでもいうのだろうか。今までで一番の真顔で秋乃は僕を見返してくる。
「秋乃は僕の事を友達だっていってくれただろ。だからライブの件は仕事じゃなく、友達として引き受けるよ。今日、僕は友達に助けられた、だから僕も友達を助けたい。そういう理屈だ……だめか?」
「……」
遠くで鳴る蝉の音。わずかにあいている彼女の唇から息の音が聴こえそうなくらいの時間が流れる。時が止まったかのように動かない秋乃に、僕そんなに変なこといったか?と少し不安になり始めたその時、
「……いや、駄目じゃないけど、でもホントにいいの?」
小さく囁くように、そう聞いた。
「ああ。友達だからな」
あの時、お前は僕を友達だと言ってくれた。なら、もう友達なんだろう。数少ない友人の頼みを無下にはできない。したくない。それに、この件が後で百合に知られれば大変なことにもなりそうだし。
「そっか。……じゃあ友達としてお願いしよっかな」
「ああ、まかせろ」
微笑む秋乃を月明かりが照らした。
――こうして僕は期間限定のバンドを組むことになるのだった。
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