第11話 想い出と共に


(……すごいな)


――予想以上だった。


秋乃のギターの腕は教室で見せてもらった動画以上のもので、僕を含め妹や画面の向こうのリスナーを魅了した。


僕が歌いだした時、コメント欄は減少していきついには沈黙した。誰もが聴くことに集中し動きを止める。僕もこれが自身の配信でなければ秋乃の演奏に聴き言っていただろう。

それほどまでに上手く、なによりその姿が誰かに重なって見えた。


――……父さんに、似ている……。


足の開き方、全身を揺らすようにとるリズム、想いを馳せるように細めた眼差し。


(これは……まるで、そこに父さんがいるような、そんな錯覚に陥る)


――その気配が、仕草が、佇まいが、音以外のありとあらゆる細かい部分すら、昔の父親そのものだった。生き返ったかのような奇妙な感覚と、懐かしさが混じりあう。そしてこの異様とも呼べる空間は春の記憶をゆっくりとこじ開け始めた。


――ふと鼻をつく、香ばしい揚げた芋の匂い。微かな記憶から、思い出される好物の匂い。


昔よく歌わせてくれた。仕事で忙しかった父さん。たびたびこの地下室へ潜り込んでくる僕にこうしてアコギで曲を弾いて歌わせてくれたんだ。


……なんで、忘れていたんだろう。


思い浮かぶ父さんの笑顔。


繋いだ手の指の硬さ。


抱きしめられた温もり。


あの頃の記憶がギターの音色が運び蘇っていく。


(……そうだ、僕は、父さんにたくさん遊んでもらった)


――ああ、小学生の頃から……たまに父さんが連れて良いってくれた、カラオケを思い出す。


『お父さん!フライドポテト食べていい!?』


部屋の受話器を握りしめ聞く。


『うん、良いよ』


もう頼む気満々の癖に。と、父さんは笑った。


『二倍盛りポテトいい!?』


『お、おう……食うねえお前。いいぞ、食べな』


『やったぁ!!』


……本当に優しかったな、父さん。


『春、いやさ……いいんだけど、そんなに物食べたら歌うの苦しくなっちゃうぞ?』


『だいじょう、ぶ……ぐぅ』


『ぷっ、ふふ……ほら。ははは』


あの腹の苦しさ。


薄暗い部屋に差す、夕陽色の照明。


手に余る重いマイク。


ワインレッドの……ボロい、ソファー。


『春、ほんとに歌が上手いな』


そして父さんの優しい声色。


『え、ほんと!?』


『ああ、本当に。いいボーカルになる』


『お前なら父さんの夢を叶えられるかもしれないなぁ』


『お父さんの夢?』


『うん。父さんはバンドがしたかったんだ』


『バンド……?』


『そう。たくさんの人に自分が作った曲を聴いてもらえるような。それで心を動かせるようなバンド。父さん一人じゃ無理だったけどな』


『そっか。わかった』


『ん?』


『じゃあ僕がボーカル、やる。バンドのボーカルする。だからお父さんの夢の続き、やろう!』


『……ありがとう』


――ああ、僕……もっと父さんと……。


失くしたはずの記憶が、パズルのピースのように断片的に埋められていく。


歌が好きになったのは、父さんに褒められたからだった……いつも一緒にいて、歌を聴いてくれていた。なのに、僕は……自分勝手に、父さんを恨むことで寂しさを紛らわせて苦しみから逃げていた。


(……もっともっと……たくさんの時間を、一緒に……)


そうだ。違う、僕は憎かったんじゃない……悔しくて辛くて、失った喪失感をただ何かのせいにしたかっただけだ。その方が楽だから、苦しみを紛らわせられるから。


そうすることで、あの悲劇を……大切な人の死を乗り越えられたから。


――冷たくなる、肌。重く脱力した体。生気のない暗く淀んだ……。


胸の奥にせき止められていた感情が押し寄せてくる。それはあふれ出し、自分ではもう止めることも出来ない。頬に涙がつたって床へぽたりと落ちた。

リスナーに気づかれないよう僕はカメラに背を向ける。


演奏が終わる。切ないアコギのメロディがゆったりととまり、余韻だけを残した。


『すっげえええええええ』

『おおおおおお』

『888888888888888』

『なんだそのゲストwww』

『バネ男との相性よすぎる!!!』

『うわああああやべええええええ』

『バケモンかよwwww二人ともwww』

『8888888888』

『は?なにこれヤバくね????』

『相性良いな』

『初スパ捧げるわ』

『これはやぶぁい』

『8888888888888888888』

『なんだただの神か…』

『は?うまくね?やばw』

『888888888888888888888888』





――配信開始前。


ぽちゃんと水滴がまた一つ落ちた。


「……お姉ちゃん、はさ」


「うん」


言いづらいことなのか、百合ちゃんは黙り込む。初めて見た彼女の暗い表情に、今からする話がとても大切なことなのだと、あたしは空気で察知した。


「どうしたの?なにかあったかな」


黙り込んでしまった彼女の話の先を促す。こういうのは間が空けば空くほど言いづらくなるものだ。ここはお姉ちゃんとして、妹の背を押してあげよう。


「……大丈夫だよ、怖くない。あたしちゃんと聞くからさ。どうしたの?」


そう聞くと彼女はゆっくりと喋り始めた。


「えっと、お兄ちゃんのお友達になってくれたんだよね……?」


「うん、お友達だよ」


「……あのね、じゃあ……出来たらでいいんだけどね」


「うん」


「……お兄ちゃんのこと助けてほしいんだ」


「助ける?」


「家はさ、お父さんが死んでいなくってさ。それからお兄ちゃんはずっと頑張ってるんだ。配信者になったのもそれが理由で、お金のために始めたんだ」


「……うん、それは春くんから聞いたよ。できることがそれしかなくてやってるって」


「えっ、お兄ちゃん、お姉ちゃんに話したんだ……」


顔を上げた百合ちゃんは少し驚いたような表情であたしを見ていた。


「そっか。百合ちゃんはお兄ちゃんが心配なんだね」


「……うん、心配……」


春くんがこの家に帰ってくる前、百合ちゃんからは持病の事を聞いていた。だから、そのことを彼女が気にしていることも知っている。きっとすごくそれを引け目に感じているのだろう。

だからこそ、自分の代わりにあたしに春くんの助けになってほしいのかもしれない。


「それで、あたしはどうすればいいのかな?」


手に持ったブランケットをぎゅっと抱きしめ、彼女は思いつめたような顔をした。わずかに唇が動き、なにかを言いかける…‥‥けれど、すぐにゆっくりと横へ首を振り俯いた。


「……ごめんなさい、お姉ちゃん。急に変なこと言って……やっぱり、なんでもない」


表情が暗く沈む。こういうのは、一度穴さえ空けば水風船のように噴き出す。だから、どうにかまずは一つ吐き出させる。抱えているのもがなんであれ、この子の溜め込んでいる感情を発散させてあげないと……いつか大きく破裂する。だから今、あたしが受け止める。


「ううん、変なことなんてないよ。言いづらかったらゆっくりでいい。なにかできることがあるなら言って……ほら、あたし百合ちゃんの友達だし。大丈夫だから、思ってることいってごらん」


――そうだ……もし、あたしにできることが無くても、こうして恩を返すことができるのなら。あの日、あたしがしてもらったように、百合ちゃんにもしてあげよう。春くんには結局なにもしてあげられそうにないし、これがせめてものあの人への恩返しだ。


あたしは百合ちゃんを抱きしめた。強張っていたからだからゆっくりと力が抜け落ちていくのがわかる。背中をぽんぽんと軽く叩く。すると百合ちゃんは頭をあたしの体に預けた。大丈夫だよと静かに呟くと、頷いてくれた。


「……お父さんはね」


百合ちゃんはぽつりと一つ言葉を吐き出した。


「頑張りすぎて、色んな事が辛くて死んじゃったんだって……」


「うん」


「……お父さんが死んで、それでお母さんが一人でお金を稼がなきゃならなくって、大変な思いをしているのをずっとみてきてて。お兄ちゃんもお父さんの代わりをしようって頑張ってた。でも、その時はまだ中学生だったからバイトもできなくって……それで配信者になってさ」


母親だけで二人の子供を育てるというのは、ものすごく大変なことだろう。その姿を傍で見ていた春くんの心労はあたしには計り知れない。でも、だからこそ、いなくなってしまったお父さんに思うところがあるのだろう。


「……でも、あれからずっとお父さんの話題が出ると嫌そうにするんだ。僕たちを置いていった人の事なんか忘れろって。確かにね、死んだら終わりだし、いくら家族のためとはいえ頑張りすぎて死んじゃったのは駄目だと思うんだ……でも、なんていうんだろう、お兄ちゃんがお父さんをそういう風に言うのは、悲しい」


「……そうだね」


「でも、私思うんだ。多分、お兄ちゃんはお父さんの事が嫌いになったんじゃないんだと思う……だって、お父さんが生きてた頃はすっごく仲が良かったし……」


それは知っている。……多分、話を聞く限りでは、春くんはお父さんが死んだという強いストレスから逃れようとしているんじゃないかと思う。その結果、生存本能が歩さんを失くした辛い記憶を、思い出と共に忘れさせようとしているのかも。そして、現状の苦境からくる憎しみや恨みだけが残り、それが歩さんへと向かっているのかもしれない……。


(根底にあるのは、大切な人を失ったという寂しさ……なのかな)


――春くんは、罪の意識からきっとそれを一人で背負っているんだ。


「百合ちゃんは、あたしにどうしてほしいの?」


「……お姉ちゃんにはね、ギターを弾いてほしいんだ」


「え?ギターを?」


「うん」


あたしがギターを弾く……もしかして、百合ちゃんは――。


「いつもね、お兄ちゃんリスナーにリクエストを募集するタイミングあるんだ。音源があればそれに応えて歌う感じ」


「それは知ってるけど、そこでリクエストした曲をあたしがギターで?それはいいけど、でもあたしが顔出しするのはお兄ちゃんはが困るんじゃないかな」


「うん。だからそのタイミングでお姉ちゃんはこれ被って準備しててほしい」


そう言ってあたしから離れ、彼女は手に持っていた物を渡してきた。手渡されたそれを広げてみるとそれは被り物だった。ただ被り物とだけしかわからない。何かの動物に近いようにも見えるけど、たぶん違うだろうな……さすがに。長い何かが二つ頭から生えているつぎはぎだらけの白い謎の被り物。これはいったいなんなんだろう……?


「そのウサギの被り物すれば身バレしないから大丈夫!」


「ウサギ!?!?」


あたしはそれを二度見した。いや嘘、六度見くらいした。


「えへへ、可愛いでしょう?私の自信作二号だよ!一号のネコはお兄ちゃんが使ってます」


う、ウサギだったんだ……エイリアン的な何かだと思ってしまったのは胸の内に閉まっておこう。すごい芸術的センスだなぁ。っていうかそっか、春くんのあれって百合ちゃんが作ってたのか……なるほど、そうか。へえ。


「でもギターはどうしよう?持ってくるにしてもあたしの家遠いから間に合わないよ」


「大丈夫!地下室にアコースティックギターが一つあるんだ。それつかって。弦は生きてると思う」


なるほど。でもチューニングは……大丈夫か。多分、百合ちゃんがリクエストしている数秒の間で調整できる。うん、いけそう。


「ちなみに誰のギターなの?春くん?」


「ううん、お兄ちゃん楽器まったく弾けないから。お父さんのやつだよ」


「……お父さんの。残ってるんだね」


「他の楽器はもう全部売っちゃったけど、あれだけはまだ残ってるんだ。売ろうと思ってもなぜか売れないみたいで。お兄ちゃんにとっても思い入れが強いからかな。昔はあれでお父さんが曲を弾いてお兄ちゃんが歌ってたんだ」


そう語る百合ちゃんの顔は寂しそうな笑顔だった。


「だから、あのギターでお兄ちゃんがまた歌えたら、なにかが変わるかもしれない」


(……やっぱり。百合ちゃんは、春くんにお父さんとの記憶を思い出してほしいんだ)


――三年前、カラオケボックスでの光景が脳裏に蘇る。


……夕陽色の照明と、ワインレッドのボロボロのソファー。


『お父さんの事、大好きなんだね』


『うん、好きだよ!』


マイクを握った彼の笑顔があたしの中で鮮明に。懐かしい思いと、寂しさがこみ上げる。思い出してほしいのは、あたしも同じであることには変わらない……だから。


「わかった。ギター弾く……やるよ、あたし」


「ほんと!?」


「うん、ほんと」


「……でも、ごめんね。お客さんなのに、こんなことお願いして。あとでお兄ちゃんに怒られちゃうな」


あたしは百合ちゃんの頭を撫でる。


「そんなことないよ。だってあたしはお客さんじゃなくって百合ちゃんの友達だからね。友達のお願いはきくものでしょ?だから大丈夫」





曲が終わり振り返る春くん。その目はどこか憑き物が落ちたかのように澄んでいた。あたしにギターを教えてくれた人の言葉を思い出す。


『音楽は人の心を素直にするんだよ』と。


……バンドは駄目だったけど、少しは恩返しできたかな。歩さん。



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