第10話 懐かしい人


リクエスト?なんだろう。難易度の高いオカロ曲(オーカロイドという歌声合成技術を用いたソフトを使った曲)でも歌わせられるんだろうか。


「『君との月夜』を所望する!」


『え……』


その曲名に反応するリスナーたち。


『うお、これまた懐かしい』

『十年前くらいのやつやん』

『え、何それ知らん』

『たしかお酒のCM曲じゃなかったっけ』

『うたえるん?』

『確かに。バネ男学生だろ?』


そう。この曲は僕が6歳くらいの頃に出た曲だ。懐かしい。あの頃の記憶はもう霞み朧げにしか思い出せない。……けれど、この歌はうたえる。


「歌えるよね、お兄ちゃん」


『いや……まあ、そりゃ歌えるけど』


『歌えんのかい!』

『懐メロもいけるんか』

『前も昔の曲歌ってなかった?』

『そうだっけか』

『いやでも10年前だぞ』

『しかもそれほど有名でもなかったような』

『なんで歌えんねんw』


「さあさあ、どうでしょう!お兄ちゃん!久しぶりに!ね?」


『いや、別に俺はいいんだけどさ、残念ながら肝心の音源がないぞ』


「そりゃそうだ。でも今日はゲストがいるじゃない?ね!」


ぱちこーんとウィンクをする妹。


は?ゲスト……まさか、秋乃の事をいってるのか!?

まさかと思い秋乃へと視線を向ける。すると既にマスクを被って準備が完了している彼女がいた。僕のとは違い口元まで隠れたフルフェイス仕様。え、苦しくね?それ呼吸できんのか?つうかその動物なにがモデルなんだ?耳が異様に長いけど……まさかそれ、ウサギとかじゃないよね?目玉飛び出して垂れてるけど。

しかしそこで気が付く。地下室に来るのが遅かった理由はこれだったのか、と。


(いつの間に二人で計画してやがったんだ……)


『まじか……』


「マジだよ!」


『けどギターなんてないぞ。そこのアコースティックギターだって手入れして……』


言い終わる前に秋乃がギターを手に取り、軽く弦を弾いた。驚くことにその音色はもう何年も使われていないギターの音ではなく、美しいメロディを部屋にいっぱいに響かせた。


……なんで。だって、誰も。


「ギターはね、お母さんが定期的に綺麗にしてたんだよ。だから使えるの」


『母さんが……』


……そんなの、嘘だ。だって、母さんは……父さんを恨んでたんじゃ。


僕は、家族をこんな状況に追いやった父さんのことが嫌いだ。


身勝手で音楽ばかりにのめり込み、人生の大半を費やしたあげく、僕らを残してこの世を去った。


父さんがいなくなったせいで母さんは夜遅くまで働かざる得なくなった。それに、本当ならもっと多くの時間妹の側にいてやりたいはずで……大変な思いをしている。

母さんが、この地下室で夜中に泣きながら『私一人で、どうしろっていうの』と言っていたのを今でも覚えている。


百合もそうだ。表には出さないが自分の病気の治療費を気にしている。体も苦しくて辛いのに自分にもできることはないかと日々悩んでいるのを知っている。

決して多くない体調の優れた日も、僕の活動を助けるためこうしてマスクを作ってくれたり、流行りの歌をリサーチしたりしてくれてる。


僕も、家を助けるために必死にやってきた。『下手』『もう辞めたら』『~の方が上手い』『生理的に無理』色々な言葉を受けながらもここまでやってきた。母さんと妹を支えるために。


そうだ。皆父さんが死んでから大変で苦しい思いをし続けてきた。


(なのに、なんで……)


体は女子高生のグロテスクなウサギが一歩こちらへ歩み寄った。


「……やろう、バネ男くん」


彼女は僕だけに聞こえるよう、耳元で囁く。





「ふう」


車庫へと車を入れ息をつく。


佐藤 春の母親、佐藤 茜は疲れていた。毎日のデスクワークは深夜にまで及びへとへとになりながらも業務に耐える日々。職場の人づきあいが苦手で、無理やりな愛想笑いで表情筋が疲れひくひくと痙攣している。


エンジンを切った暗い車内で彼女は瞼を閉じる。愛する春と百合二人の子供の事を思う。仕事で摩耗してしまった心を持ち直す。子供たちに弱音を吐くことはできない。私があの人の分までしっかり頑張らないと。そんな想いと共に彼から昔貰ったペンダントを握りしめた。


(……頑張るから。見守っててね、歩)


ペンダントは夫、佐藤 歩から結婚記念日に貰ったものだった。10年前、作曲した楽のひとつが運よくCMに起用されその使用料お金で買ったもの。茜はとても嬉しかった。それがずっと欲しがっていたペンダントだったことと、それを覚えていてくれたこと。そしてなによりも嬉しかったが、彼の曲が認められ成果がでたことだった。


あのときの歩の笑顔を彼女はずっと胸の奥に大切にしまっていた。


「あー、だめだだめだ。記念日が来ると寂しくなるなぁ。……でも駄目だよね、頑張らないと」


(……でも、どうしても会いたくなる)


車を出て戸を引く。ギシギシと軋むボロい扉。


「いい加減直したいなあ、これ……」


……歩がいたらすぐ直してくれ……。


生活のふとした瞬間、つい彼の姿をそこに見てしまう。もういないと頭で理解してはいても心に沁みついている。その背中が、ギターを抱えた立ち姿が、見れば暖かくなるその笑顔が、ふいに蘇ってしまう。


『おかえり、茜。シチュー作っといたよ。春と百合はもう食べさせたから、茜はゆっくり食べて……今日もお疲れ様――』


いけない、と首を振って私は軋む扉を閉めた。


「……ギター、春が売るって言ってたけど、そろそろ売っちゃったかな」


地下にあるたった一つのアコースティックギター。茜が結婚記念日に歩へと送った物だった。春はそのことを知らない。茜はあえてそれを知らせてなかった。あの人の影が見えるあのギター。いっそ無くなってしまえば吹っ切れるのではないかという気持ちと、数少ない思い出として残ったそれを失いたくないという想いで今も揺れ続けている。

しかし、もしそれを春が売ってしまったのなら、未練がましいこの気持ちにも踏ん切りがつくのではないかとそう考えていた。


玄関で靴を脱ぐ。その時、


「あれ、この靴……誰のだろう」


見覚えのない綺麗な靴が一足。女性の物だが百合がいつも使っていた靴ではない。誰か来ているのだろうかと疑問に思う。友達だろうか。だとしたら嬉しいことだ。春も百合も友達がいない。いや、いるのかもしれないが家に呼んだことなんて今までに一度もない。


「春、百合、ただいまー。誰か来てるのー?」


リビングへ行くと誰もいない。だが代わりに見覚えのないブラウンのスクールバックが置いてあった。つけられた可愛らしいギターのキーホルダー。明らかに春のでも百合のでもない。


「うっそ。ま、まさか彼女……!?」


驚愕する茜。失礼ながら息子に彼女ができるなどとわずかにも思っていなかったのだ。春は歩が亡くなってからずっと歌ばかりに夢中で金を稼ぐことにしか時間を使わなくなった。だから彼女をつくるなんてことは想像もしていなかった。


(でも、小学生の頃とかは普通に女の子とも遊んでいたんだよねぇ……女の子とは気が付いて無かった節があるけど)


――ふと、無邪気で元気だった頃の春を思い出す。


……春は歌う事が好きで、それは父である歩に影響されてだった。歩が仕事から帰ってくると飛んで行って、ずっと側を離れようとしない。歌を褒められては私に報告して喜ぶような子だった。


『いつか父さんのバンドで歌うんだ!僕、バンドのボーカルする』


満面の笑みでそう語る春は、本気でボーカルを目指していた。その為に歩の言うことはなんでも聞いていたし、厳しいことを言われても練習して見返すような強い気持ちを持っていた。普段は気弱で人見知りなのに、そこだけは揺るがない固い意志があった。やっぱりバンドが好きなんだと思いながら私はその光景をみていたのが懐かしい。


――けど、歩の死をきっかけに、あの子は変わってしまった。


強いストレスがそうさせたのだろう。春の中から歩に関する記憶のほとんどなくなってしまっていた。おそらくは記憶障害の一種なのだろう。


本当なら病院に通わせるべきなんだろう。春にとって歩との記憶を思い出すことが良いことなのか悪いことなのか、私にはわからなくて時間が過ぎてしまった。

大切な人がいなくなってしまった悲しみは痛いほどわかる。寂しくて、悲しくて、辛い。だからこそ、忘れることで、思い出が消えることで、それらの苦しみから逃れられるのだとしたら、このままの方が幸せなのかもしれない……。


(……ごめんね、歩)


――その時、微かに曲の音色が聴こえた。


「……あ、春が配信してるのか」


私は地下室からの音だとすぐに察する。だいたい家事を終えると春は地下室へこもっている。歌の練習だったり、勉強だったり。でもこれは時間的にライブ配信だろうなとすぐに気が付いた。


――部屋には入れないだろうけど、扉越しで聴いちゃおうかな……。


春の配信はアーカイブで見たことは何度もあるが、生で見たことは無い。今日は仕事をたまたま早めに上がれたのだが、いつもは帰りが遅いため観る機会がなかった。


地下室へと向かう茜。リビングを出て洗面台、トイレの前を横切り玄関へ。春の部屋がある二階への階段と、地下室へと通じる階段。軋む木製の板。

その時、茜はふと懐かしい気分になった。昔、春も百合もまだ生まれてなかったあの頃。夜勤が多かった歩は日中地下室でギターの練習をしていた。茜は夕方に仕事が終わり帰宅すると、鞄をリビングへ置いて歩のいる地下室へ駆けて行った。


――あの頃の記憶と重なる。


防音になっている扉だが、古いためわずかに音が漏れてくる。


「……え」


その時ふとギターの音色に気が付く。


私は動揺していた。


春と百合はギターが弾けない。


じゃあ、一体だれが……?


「……この、音って……」


それは紛れもなくギターの音色だった。しかも、自分のよく知るギターの音色。懐かしくも切ない、心が締め付けられるような。数えきれないほど聴いたギターの音。


――あの頃と同じアコースティックギターの音色が茜を包む。


歩と同じ弾き方の癖。彼とそっくりな音色……そして、


「うそ、なんで……?」


聴こえてきたのは、自分に向けて作られた曲。


「……『君との月夜』」


まるであの頃のように蘇る懐かしい気持ち。扉の向こうに彼がいるかのようだった。

扉に手を当て、茜は思わず呟いた。


「……そこに、いるの……?」



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