第8話 歌い手、バネ男
「とまあ、そんなわけでどうでしょうお兄ちゃん?」
洗い物を片付けた二人が僕の元へと来る。その潤ませた目をやめろ。入れ知恵されたらしき秋乃のもまた妹と同じく祈りのポーズでこちらを見てくる。やめて?
「いや……どうでしょうって、もうそういう流れになってるんだろうが。会話丸聞こえだったんだけど」
「えへへへ」
にこにこと小首を傾げる百合。可愛いかよ。
秋乃が気まずそうに口を開く。
「あー…‥‥えっと、ごめんね?駄目だったらいいんだけど」
「いや、いいよ。それほど長くやるつもりもないし、大丈夫」
「……そっか。ありがと」
そこでふと気が付く。そういえば僕はいいとして秋乃の方はどうなんだ?今度ライブがあるって言ってたけど忙しくないのか?僕の配信をみている暇なんてあるのか?
「……そういえば秋乃の方は今日は練習とかなかったのか?」
「あ、うん、それは大丈夫だよ。気にしてくれてありがと。心配しないで」
「そっか、わかった」
そういや聞いて無かったけど、ライブっていつなんだろう。僕には関係ないとはいえ少し気になるな。
「んー?ねえ、お姉ちゃん。練習ってなに?」
「あ、えーと……あたしも音楽やっててさ。その練習のことだよ」
「そーなの!?お姉ちゃんも歌うたうの?」
「ううん。あたしは楽器。ギターを弾く人だよ」
「おおー!ギター!凄い!お兄ちゃんは歌すごいけど、楽器全然だめだからさぁー。凄いなぁ!」
「いや、百合さん、あのね?人には向く不向きがあってだね……」
「へへ、言い訳乙」
「こいつ……!」
鼻で笑う百合。そんな僕に秋乃が再度尋ねる。
「……。そうなの?楽器できないの?」
「ああ、まあな。……その……父さんが昔音楽やっててさ。昔ウチには色んな楽器があったんだけど、どれをやってみても全然できなかった。ギターもベースもドラムもキーボード、ピアノも全部。……上手くいったのはたった一つ、歌だけだった」
「……なるほど、そうなんだ……うん、そうだね」
「ああ」
――そうそう、人には向き不向きあるんすよ。マジで。
とはいえ、正直な話をいうと稼げるのなら歌どころか別に音楽じゃなくてもよかったんだよな。だからまあ、過去にはいろいろ試したこともあったりする。ウェブデザイナー、動画編集、ブログ、色んなことを……でも結果は出なかった。金につながるようなものは何一つ身につかなかった。
そして行き着いたのが僕の唯一できることで、歌をうたうことだった。それだけは他と違い、伸びて収益が出るようになった。
そうして稼げるようになったのは、歌い手系YooTuber『バネ男』のチャンネルだけ。だから僕には歌しかない。
まあホントはバイトすればよかったんだろうけど、金が必要だったのがまだ中学生の頃だったし学校で禁止されてたからな。そんな僕でも稼げる可能性はこのYooTubeの広告収入やスパチャだったってわけで。
(といっても再生数に応じた広告収入は、曲の権利を所有している本家にいくようになってるから僕には全然入ってこないんだが)
まあ、結果今ではそこらのバイトよりは稼げているからいいけど。……いや、まてよ?思えばあの頃バイトできる歳だったとしても難しくないか?僕、対人関係無理だし。歌あってよかったぁ、マジで。
「そうだ。地下室、もしかしたら肌寒いかもだから百合、僕のブランケットかなにか貸してあげて」
「はーい!」
二階にある僕の部屋へ百合が上がっていく。
「地下室?」
「さっき……父さんが音楽をしてたっていったろ?それで楽器の練習をするために昔地下室をスタジオ風に改造したんだ。だから防音設備も整ってるし歌ってみた配信をするのに丁度いいってわけ」
じっと僕の顔を見る秋乃。なんだ?僕、変なこといったか?
「……お父さん、やっぱり歌うまいの?」
――そこは広げられたくはない。けれど、でも、ちゃんと返さなきゃ。変に思われるのは嫌だ。
「いや。父さんは歌の方はからっきしだった。でもその代わり楽器の腕はあって、バンドでやる楽器なら大抵は上手く弾けてたな」
「そうなんだ、すごいね。でもじゃあ春くんとお父さんが組んだら、弾き語りとかできるんだね」
「いや。できないよ」
「……なんで?」
自分でも驚くほど声のトーンが落ちた。
「父さんはもういない。三年前、僕が高校に入る前に死んだ」
どこにでもよくある夢追い人の末路ってやつだ。諦めきれずに音楽ばかりしてきて取り返しのつかない年齢にまで達していた。そうしてなんの学歴も資格も音楽以外にはなんの武器もない父さんは、安い給料で会社に使われていた。
まあ……だからこそ、それで家族に負担をかけてはいけないと思ったんだろう。仕事が終わると大抵その地下室に籠り、睡眠時間を削って曲を作る毎日。唯一の得意であった音楽の能力を使い少しでも家計を楽にしようと務めた。
だが、特に名もなく一発屋にもなれなかった人間の曲だ。たいした金にもならなかったらしいけど。
(挙句その無理が祟って過労死……)
母さん一人の稼ぎじゃ家を守ることはできない。妹のこともあるし、僕だってこの時代大卒という肩書を得ないわけにはいかない。
だから金が必要だ。『歌』で、金を稼ぐ。
秋乃の暗い表情に気が付く。
「……あ、悪い。反応に困るよな、ごめん」
「ううん、大丈夫。……春くんは、どうなの?」
「どうなのって?」
「……あんまりお父さんのこと、思い出したくなかった……?」
そういわれて僕はふと考える。あの人をあえて思い出さないようにしていたこと。思い出と呼ばれるものには霧のような靄がかかっていて、いつしかうっすらとしか思い出せなくなっていた。それどころか顔すらも。
けど、それでいい。あの人が死んだせいで僕ら家族は不幸を被った。思い出す必要もないし、今はもう思い出せない。だから、そのうち埃の下にでも埋もれ完全に消える。
――もう、別にどうでもいい。
「いや。大丈夫。というより、タイミングよかったよ。この話はあまり百合に聞かせたくはないし」
「……そっか」
秋乃が申し訳なさそうな顔で俯く。その反応で僕も心苦しくなってくる。話題を変えないと、そう思って思考を巡らせる。
そうだ、タイミングが良かったといえば……しつこいようだけど、これもちゃんと確認しておかないとな。
「そういえば、さっきの」
「ん?」
「……友達になるとかって話、あれ本気なのか」
「え、またそれ?」
困ったような驚いたような、表情。や、でもこれは百合がいない間にはっきりさせとかないと。
「いや、あの時は妹がいたから。あいつを悲しませたくなくて、それで気を遣ってああ答えたのかなって。その確認をしたいだけだよ」
「……なるほど。じゃあはっきり言うけど、気なんか遣ってないよ。あたしは友達になりたかったから、そういった」
「そ、そうか。ならいいんだ。何度もすまん」
「ううん、別にいいよ。……っていうか、春くんはどうなの。ほんとは嫌だった?実は無理してる?」
「いや、無理なんかしてない……そっちが心配だっただけで」
「へぇ、本当に心配してくれてたんだ。ありがと。やっぱり春くんは優しいね」
日差しのような柔らかい笑顔。僕の中の何かを溶かすような、そんな錯覚に陥る。どことなく懐かしいようなその温もりに思わず見とれてしまう。
「じゃ、改めて。あたしたちは友達、ね?」
「……あ、うん。よろしくお願いします」
「ふふっ、なんで敬語なのさ。面白いなぁ春くん……ていうか百合ちゃんもさっき敬語になった時あったな。さすが兄妹だね、似てる」
にやりといたずらな笑みを浮かべる秋乃。もうさっきの事は水に流してくれたようで、雰囲気が戻っていた。……けど、なんだ?なぜかそれに既視感を覚える。どこかで、前にもこんなことがあった……?一体どこで?秋乃とは今日初めて話をしたはずなのに、なぜ。
――……そういや、僕はなんで秋乃と普通に会話できてるんだ?
「春くん?」
「あ、いや……すまん、ぼーっとしてた」
本当なら、ここで聞けばいいんだろうけど……もしそれが僕の勘違いだった場合が恥ずかしすぎる。
そんな僕の様子に秋乃が小首を傾げる。
「いや、いいんだけど……時間は大丈夫なの?」
「時間……」
ふと洗面所の壁に掛けられた時計に目をやった。すると配信の時間が差し迫っていることに気が付く。
「あ、ほんとだ時間まずいかも。ごめん、ちょっと先行ってセッティングしてるから。秋乃は妹が来たら一緒に地下へ降りてきてくれ」
「あ、うん。わかった!」
☆
――ふううむ、これはもうそろそろ寿命っぽそうですねぇ。花咲きかけてるし。と、そんな感じで春くんの青い柄の歯ブラシを眺めていると、
「あれっ!?お兄ちゃんは!?」
百合ちゃんがブランケットを抱えて戻ってきた。きょろきょろと辺りを見回し春くんの姿をさがす。この仕草もそうだけど、体がちいさいのもあってなんだか小動物のようで可愛い。
「なんかね、セッティングしておくから先に行くって言ってたよ」
「なんだってぇ!?けしからん!お姉ちゃんを一人ぼっちにして先に行っちゃうなんて!!」
「あはは、うーん多分あれじゃない?戻ってきた百合ちゃんが一人になっちゃわないようにだとおもうけど」
「あー、まあねえ。私もそうだと思う。お兄ちゃんやっぱ優しいからねえ。そういうとこある」
春くんが優しいのは実のところ結構前から知っていた。今日、話をするそのもっともっと前、それこそ……お父さんと仲がよかった頃から。だからこそ、さっきお父さんのことを話していた時の春くんの表情が悲しかった。
まるで思い出も何もかも、お父さんに関するすべてを無かったことにしているかのような。
(……あたしのことも、やっぱり)
「どうしたの?お姉ちゃん」
「ううん、大丈夫」
「そっか。……あのね、お姉ちゃん」
「ん?」
――曇った洗面台の鏡、歪んだ顔の彼女が映る。蛇口がひとつ、ぽちゃんと涙を落とした。
☆
「……さて、っと」
もともと物置として作られていた地下室は割と広い。どのくらい広いかというと、だいたい学校の教室の半分くらい。そこの隅っこに作業テーブルが四つとPCが二台。どちらも父さんが使ってたもので、その横に機材が色々置いてある。
スタジオとして使っていた部屋だが、今この部屋にある楽器はアコースティックギターが一本だけだ。部屋の壁にアンティークのように立てかけられている。父さんが死ん時のまま。埃こそはらったりしてはいるが、だれも手入れしてないので使えるかは怪しい。弦も駄目になってそうだし。
ちなみにいうと他の楽器はなにも残ってない。おそらく父さんが売ったのだろう。僕が小さなころにはたくさんの楽器が山のようにあったこの地下室も、今ではあの一本のギターだけ。
(……そういえば、あのギター売ろうかなって思っていたんだっけ。どうせもう弾く人もいないし、ああして飾っとくだけなら売って少しでも家計の足しにした方が母さんも助かるだろうからな。今日寝る前に写真撮ってフリマアプリにでも出品してみるか。いくらくらいになるんだろうな、あれ)
そんなことをぼんやり考えていると時刻はもう少しで20時になろうというところだった。二人とも妙に遅いな。何かあったのか?と、発声をしつつ考えていた――その時、扉がガチャリと開かれた。
「ごめんお兄ちゃんおそなった!」
「……おじゃましまーす」
「いや別に大丈夫だけど。なにかあったのか?」
「ううん、別に。強いて言うなら、せっかくお姉ちゃんに使ってもらうんだから可愛いブランケットをと思ってさ。選ぶのに時間かかったんだよね」
「僕のならどれも同じだろ」
「だから私のブランケットにしたんだよ。ほら、みてこの可愛い猫ちゃんの絵柄!」
「いや、別になんでも……」
「はあ何言ってんの!?あの秋乃 深宙ちゃんなんだよ!?モデルさんなんだよ!?人気の!変なの使わせらんないよ!!」
だからなんやねん、可愛いの使わせたって秋乃は配信にでないでしょうが。と思ったがこれ以上ぐだぐだやってると配信が遅れてしまうので一瞬でスルーすることに決めた。
「あーはいはい。そんじゃあ、そろそろ静かにな。もう配信開始するから……えっとPweetで告知してと」
むーっ、と頬を膨らませる百合。それを隣の秋乃がまあまあとなだめる。なんか妙だな。よくわからんけど、この二人怪しい気がする。
「あ、お姉ちゃんこっちの椅子座ろ。ここなら配信映らないから」
「うん、わかった」
スタンドマイクの前に立ち、カメラの映りを確認。位置を調整。
――最高動画再生数、12280067回。
「……ふぅ」
ライブ配信、最高同時接続数約80000人。
「さて、やるか」
配信者名『バネ男』
チャンネル登録者数291783。
――僕はいつもの癖でつま先で二回トントンと床を叩いた。
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