第5話 我が家へと




――徒歩十分。学校の校門を出てから家につくまでの距離である。僕の住んでいる家は、その昔お爺ちゃんが立てた木造一戸建てで、築六十年を越える。見た目は割とぼろぼろな外見で、知り合いに見られるのは少しだけ恥ずかしいと思ってしまう感じだが、学校に近い場所に立っているこの立地だけはとてもありがたく思っている。


まあ、大抵はスーパーでの買い出しとかで帰るの遅くなるんだが。手に持つエコバッグ。中にはいくつかの野菜や果物などの食品が入っている。


――さて、帰ったらさっそく食事の支度しないとな……。


エコバッグに取り付けてある家の鍵をつかい戸を開ける。ガラガラと建付けの悪いドアをスライドさせ家に入る。


「ただいまー」


僕には一人、病弱な中学生の妹がいる。学校には通っているが、早退することが多く体調の悪い日はそもそも学校に行けなかったりする。今日もまた朝具合が悪そうだったので家にいるはずだ。まだ体調が悪くて部屋で寝込んでいる可能性もじゅうぶんにありえる。


「あ、お兄ちゃん!おかえりなさーい!」


しかし、そんな心配を払拭するかのように明るい声で返事が返ってきた。

居間から顔を出し、てててっという擬音がするような歩みでこちらへ近寄ってくる。


「うん、ただいま……お、今朝より顔色良くなったな」


「そりゃあそう!だってすごくいいことがあったんだもーん!」


にこにこと満面の笑みを浮かべ、腕に抱き着いてくる。名前は佐藤 百合。中学三年生の妹で、僕と同じく身長が低い。しかし顔のほうは僕とは違い愛嬌がある顔立ちをしている。ちなみにサイドテールにしてある黒髪についている白い百合の花がチャームポイントらしい。


「ふぅん。いいことか」


「うん!ほらほらぁ、はやくこっち来て!!」


「うおっ、まてまだ靴脱げてねえから……あぶねえ!買ってきたモン落とすでしょうが!」


「えへへ、お兄ちゃんはやくはやくー!」


こけそうになる僕を尚も急かす妹。よほどいいことがあったのだろう。手早く靴を脱ぎ、げた箱へ収納。それを確認した百合は掴んでいた僕の手首をひっぱって歩き出した。まるで犬のリードを引く飼い主のように僕の手を掴み引きずっていく。

しかし一体何なんだ?これだけテンションが高い妹もなかなか見ない。不思議に思いながらも僕は居間へと移動させられる。するとそこには、


「あ、あはは、は……おかえりなさい……遅かったね、春くん」


ソファーに座った秋乃がいた。


「うおおおお!!?」


反射的にとんでもない声を上げてしまった僕。隣にいる妹に「うわぁ、急にうるさいなぁ!」と迷惑そうにジト目で睨まれてしまった。しかしこれはいたって普通の反応だとおもう。だって、さっき別れた女子生徒が帰宅したら家のソファーに座ってくつろいでたんだから。そりゃ驚いて悲鳴の一つでもあげるでしょう。友達でも何でもないし。


目を丸くしている秋乃。彼女は彼女で僕の声に驚いたのだろう、胸に手をあて固まっていた。


「……び、びっくりしたぁ!」


「いやいや!そのセリフと表情と反応こっちがしていいやつだから!!お前がなんで家にいるんだよ!!」


驚き身の危険を感じたのか身構えている秋乃。いやいやいや、それもこっちがしていい奴。逆逆。そう視線で訴えていると、彼女はハッとした表情で、


「……あ、そっか。そうだよね。ごめんね、急に押しかけちゃって」


そう謝った。いや、そうだけどそうじゃなくてなんで僕の家知ってるんだって話なんだが。そんな僕の疑問にも気が付かずに彼女は話を進める。


「……でもね、あたしもう一度春くんとちゃんとお話したくて。だから家の前で君が帰ってくるのを待っていたんだ。けど、ぜんぜん春くん帰ってこなくて……そしたら妹さんが家から出てきてくれてさ」


「そうそう!いやあ、私もびっくりだよ~!お兄ちゃんがあの大人気読モの深宙ちゃんとお友達だなんてー!!さっすが有名歌い手のバネ男だねえ、やるねえ!!ネーミングはセンスないけども!あはは!」


「あははじゃねえよ!てかまて、お前勘違いしてるぞ。僕と秋乃とは別に友達なんかじゃない」


「え!?お友達じゃないの!?」


百合の笑顔がわずかに曇り、見るからに元気を失う。いや、だってホントに友達じゃないし……というより、あっちもこんな根暗陰キャと勝手にお友達になんてされたら迷惑だろうし。

先ほどまでの満面の笑みは消え失せた百合。なんとも悪いことをしたような気になりこちらも若干の申し訳なさを感じていると、にやりと妹はその口角を上げた。


「そっかぁ~、ふーん。よし、じゃあ私の友達になって!深宙ちゃん!!」


一瞬の嫌な予感、それを感じた時にはもう遅かった。


……は?え、なんて?


あまりにも唐突なフレンド申請に僕の思考は停止し体が固まり、更に口元がひくひくと引き攣る。しかし反対に秋乃は一瞬こ驚いた様子だったが、すぐに笑顔に戻る。そして百合の頭を撫で、頷いた。


「うん、良いよ。それじゃああたしと百合ちゃんはお友達だね」


「やったー!うれしいなぁ、私友達少ないからすっごく嬉しい!」


「えー、そんなことないでしょ~。百合ちゃん可愛いし」


「え?うへへ、えっへへ。そ、そうかなぁ?」


「うん、そうだよ。明るくて話してて楽しいしさー」


「うへ、えへへへ」


二人だけすげえ楽しそう。なにこの蚊帳の外感……ていうか、どうでもいいけど百合の笑い方やばくない?


にまにまと照れて喜ぶ妹。


いつぶりかに見た百合の屈託のない笑顔。それを目の当たりにし、自分もまた無意識に微笑んでいることに気が付く。

百合は普段笑わないってわけじゃないけど、中々ああいう風には笑わない。おそらく自分の体質や病気を引け目に思っているのだろう、普段のそれはどこか遠慮がちに見えていた。本人は否定するだろうけど、毎日顔を合わせているんだ。僕と母さんはそれをどことなく感じていた。


――あいつのあの屈託のない表情をみていると、秋乃が家に来てくれて良かったのかもしれない、と思えた。


……いや、まああいつストーカーだから複雑だけど。


連絡先を交換し始めた秋乃と百合は、仲良く喋りながら携帯を突き合わせている。その様子を眺めつつ、ストーカーと連絡先交換しちゃって大丈夫か?と不安に思う……しかしその反面、今更止めることも出来ないしなとも思う。止めたところで今更隠せる情報もほとんどないし、僕の正体も住所も何もかも知られているし。

だったらもう仕方ない……あんな顔をする百合から友達を奪うことなんて事はもうできないしな。


(……ホントにヤバいことになったら警察呼ぶけど)


いざという時のことをイメトレしていると、百合が僕の元へかけ寄ってきた。そしておもむろに僕がぶら下げていた中身入りのエコバッグの持ち手を掴む。


「お兄ちゃん、わたし買ってきたお野菜とか冷蔵庫にいれるね。その間お兄ちゃんは深宙ちゃんとお話してて!」


……え?


「あ、おい……!」


僕から奪い取るようにエコバッグをまるごとぶんどっていく百合。後方にあるダイニングキッチン。そこに置かれている冷蔵庫へと向かい妹は僕の買ってきたものを入れ始めた。鼻歌を歌いながらご機嫌な百合。しかし、取り残されたこちらは普通に気まずい。


――と、とにかく会話せねば。


「あー、っと……その、すまん。うちの妹が強引に連れ込んだみたいで」 「ごういんじゃないもーん」


「ううん。あたしの方こそごめんね、勝手に家までおしかけて」 「きてくれてありがとー!」


「いや、まあ……それはもう、別に」 「別にって?なんだよー、はっきりしろよー!」


「ふ、ふふ、百合ちゃん面白いね」 「えへへへー、それほどでもぉ」


いや妹ちょいちょい入ってくるのなんなん。オーディオコメンタリーかよ。というかもうそこからお前が秋乃と会話したらよくないか?普通に声届くんだし。わざわざ僕が話し相手にならなくても……。

そんなことを思いながら、百合の方を見て眉を顰めた。なぜ秋乃の相手を僕がせねばならんのか?と、その理不尽ともいえる彼女の行動に深いため息が出る。


――まったく。どうして僕がこんな目に……。


ふと秋乃がソファーへ向かって歩き出した。急にどうしたのかと彼女の動向を見守っていると、椅子に置いてあった鞄を手に取った。小さなギターのアクリルキーホルダーが付いたそれは、いうまでもなく秋乃自身のスクールバッグだろう。けど、どうして急に……?と不思議に思っていると、僕の前まで来た彼女が申し訳なさそうに口を開いた。


「えっと……ごめんね、春くん」


「え、何が?」


「あたし、こんなつもりじゃなくって。ただ少しだけ春とまた話がしたかっただけで、迷惑かけるつもりはなかったんだ。ホントにごめん……あたし、もう帰るね」


「……え?」


おそらく僕が困っていることを察知したのだろう。ただ、今のは妹に対してであり決して秋乃に向けられたものではない。しかし一度生まれた誤解は解く術もなく、彼女もまた寂しげな表情で玄関へと向かって歩き始めた。


……いや、まあ実際誤解でもないからな。秋乃にそう思われてもおかしくはないか。


――ふと教室での出来事を思い出す。秋乃のドッキリから始まり会話の途中で逃げるように僕は帰った。


(いや、今更何を動揺しているんだ僕は……もともと迷惑に思っていただろう)


そうだ。正直、このまま帰ってくれたらそれはそれで……いい、のか?なんとなく胸の奥にもやもやとした違和感が残る。しかし今更どう声をかけていいかもわからない。

だから僕は秋乃の後ろ姿を見ながら立ち尽くしていた。


――と、その時、


「えー!!もう帰っちゃうの!!?」


百合の悲鳴のような声がした。


「えっと、ごめんね。ちょっと急すぎたっていうか……さ。だから今日はもう帰るよ」


「えぇえー、そんなぁ……」


「大丈夫、帰ったら連絡するよ。夜通話しよっか」


「それは、するけどぉ……えぇ、やだなぁ」


まるで駄々をこねる子供そのものだった。眉を八の字にして泣きそうな表情になる百合。しかも質の悪いことにちらりちらりとその視線をしきりに僕へ向けてくる。やめろ、僕が悪いみたいなその目を。

だがまあ、百合の気持ちはわかる。できたばかりの友達だしな、できるだけ多く一緒の時を過ごしたいんだろう。今日は体調も良いしな。


そこでふと気が付く。そうだ、次もこうしてまともに遊べるとは限らないんだ……。


(……友達、か)


「秋乃」


気が付けば僕は秋乃へ声をかけていた。振り返る秋乃。肩にかかった長い髪がさらり流れ落ち、僕と視線が合った。瞬間、大きな脈が打って言葉が詰まってしまう。


「?」


僕の言葉を待つ秋乃。百合もこちらへ注目している。二人の視線が痛く辛い……が、一呼吸してようやく、


「……えーと。あれなら、飯でも食べていく、か……?」


声が出た。少し震えのあったそれに彼女はきょとんとした表情を浮かべこちらを見つめる。僅かな緊張で陰キャが滲み出た……くっそ恥ずかしい。


――僕は悪くない……けど、百合が寂しそうなら兄としてどうにかしないと。せっかくできた百合にできた友達だし。


「あ、いや、秋乃の家でも夕食用意しているだろうし……そっちが大丈夫だったらだけど」


「えっと……でも、そんなの迷惑じゃ」


「こっちは大丈夫だ。それに百合も秋乃とまだ一緒に居たがってるし」


百合へ目をやると満面の笑みだった。先ほどの暗い曇り顔が晴れ晴れとした表情へと変わっている。


「やったぁ!!深宙ちゃん一緒にご飯食べよう!まだいっぱいお話したいしさ!ね、いいでしょ!」


百合は目をきらきら輝かせ、秋乃の腰へ抱き着いた。まるで愛おしいぬいぐるみを抱きしめるように幸せそうな表情である。

秋乃がこちらをみて小首を傾げた。


「いいの?」


「ああ、もちろん。というより、秋乃の家はどうなんだ?もう夕食用意してたりするんじゃないのか?」


「ううん、家は連絡すれば大丈夫。……だけど、やっぱり迷惑じゃ」


「ぜーんぜん迷惑じゃないよー!!ね、お兄ちゃん!!」


「ああ、気にするな。ここからお前を帰らせると僕が百合に怒られちゃうからな。食べて行ってくれ」


「うん。それじゃあ……イタダキマス」


「あ、ちょっとうちの味付け薄いと思うけど、それは勘弁してくれ」


「うん、だいじょうぶ。あたし薄味好きだから」


「そうか、なら良かった」


しかし、こういっては何だが、秋乃は案外気を遣って遠慮するタイプなんだな。僕の勝手な印象だけど、学校とかで遠くから見かけるイメージは、もっと気が強くて強引なタイプの元気いっぱいザ・陽キャって感じだった。しかしこうして実際話してみるとそんなことはなく、案外まじめで大人しい奴だという事がわかる。


……もしかして僕の情報を調べたり家に来たりしたのも真面目な性格が故、か?まあ、身辺調査はやり過ぎ感あるけど、ああでもしないと僕が『バネ男』だと認めることもなかったからな……家に来たのもそれだけ本気だというだけの話。意外とちょっとズレた普通の女子なのかもしれない。


(そもそも本当にヤバい奴なら学校の時点で脅しにかかっているはずだしな。個人情報晒されたくなければ~って感じで)


そんなことを思っていると女子二人のトークは盛り上がりつつあった。


「――でね、私ずっと深宙ちゃんの雑誌切り抜きしてるんだぁー!」


「えー、ほんとに?」


「うん!ねね、こっち私の部屋きて!見て!」


「うん、いいよ」


百合が秋乃を部屋に連れていく。遠のいていく二人の楽しげな会話を聞きつつ、僕は夕食を作るためにキッチンへ。


(百合が今日会ったばかりの他人を自分の部屋にいれるとは。すげえ懐いてるな)


……昔から百合は人を見る目がある。それこそ僕がネット活動を始めてから今まで、言い寄ってくる詐欺師まがいの変な奴らに引っかからなかったのは、その目のおかげだと言っても過言ではない。

それを考えると、ストーカー染みた行動を平然とやってのけるあいつだが、少しくらいは信用してやってもいいかもしれない。


――ま、バンドは絶対やらないけど。



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