第4話 向けられた背中


――パン、と目の前の女子生徒は両手を合わせる。今日一の笑顔を浮かべた彼女、秋乃は小さくぴょんぴょんと飛び跳ね喜びを全身で表していた。


「うわあー感動だなぁ!!やっぱり『バネ男』なんだよね!!嬉しいなぁー!!」


(そ、そんなに……?)


――と、僕も少し驚く。ネット上の活動しかしてこなかったので、こうしてファンという人と生身で対面することはなかった。だからこそ、こうしてリアルな反応を見せられると揺らぐものがある。……ちょっと危ない奴かもしれない、けど……これだけ喜んでくれるのは嬉しいかも、と。


ひとしきり喜びを体現し、秋乃は胸に両手を当て深く呼吸をした。そして落ち着きを取り戻した彼女は再び僕へと向き直った。


「……でもあれだね、学校で『バネ男』さんって呼んだら他の人にバレちゃうかもしれないから春くんって呼ぶね」


……下の名前呼びが引っかかるが、まあこれっきりだしそこは不問だな。さっさと本題を引き出そう。


『そうしてもらえると助かる。それで、要件っていうのは?』


「あ、そうそう!要件ね!……っていうかまだ喋らないの?」


『誰かに声聞かれたらまずいからな』


「あ、そっか。じゃあ場所移す?」


『いいから早く要件を言ってくれ』


「あ、はい。……むぅ、怖い顔するねえ。そんなに怒らなくてもいいじゃん」


僕にとっては面倒ごと以外の何でもないからな。早めに終わらせたいという気持ちが出てしまうのは当然だろう。普通に早く済ませてほしい。スーパーのセール終わっちゃう。

そんなことを考えていると、彼女は唇を尖らせ携帯を操作し始める。何この人、いちいち可愛いんだが……さすがはモデル、自分の魅せ方をわかっているってことか。


「ね。これ、観て」

「?」


こちらに向けられた携帯の画面、そして再生される動画。流れ出すメロディ。そこにはあるバンドの練習風景が映っていた。ギターにベース、ドラムの三人のバンド。これがどうしたんだ?と疑問に思いながら見ていると、僕はあることにふと気が付く。


――これ……ギターを演奏しているの、秋乃か。


『ギター弾けるのか』


「うん、地味にねえ。まあ、まだまだへたっぴなんだけどさ。えへへ」


これがへたっぴ……?いやいや、普通に上手いぞこれ。そこら辺の高校生よりは間違いなく。僕は携帯を持っている秋乃の指へ目をやる。爪が短く切られ、指の先も堅くなっているのが見ただけでわかる。明らかに普段から練習してる奴の指だ。


(って、そりゃそうか……)


多くの時間をギターに費やさなければ、この動画のようなスキルは身につくはずもない。紛れもない努力家であることがこの映像だけでもわかる。僕は思わず心の中で凄いなと秋乃を賞賛する。


『いや、普通にめちゃくちゃ上手いと思うけど』


「え!ほんと!?うれしいなぁ~。えへへ」


にへらぁっとこれまでの笑い顔とは違うとろけるような表情を見せる秋乃。こんな……だらしない顔もするのか、こいつ。


『けど相当練習しないとここまでにはならないだろ。モデルとかで忙しいんじゃないのか?』


「……あ、知ってたんだ」


『この学校で雑誌モデルをやってるような有名人を知らないやつはいないだろ』


「え、あー……そうなのかな。まあ、そっか。なんだか照れるねぇ、はは」


彼女は僅かに身じろぎ頬をかいた。くそ、ストーカー気質のヤバい奴なのは知っているのに、それがどうでもよくなるくらいの愛らしさで上塗りしてきやがる。わかるぞ、こうして多くの男子を惚れさせてきたんだろ?僕はそうはいかないんだからね!

内心ふざけていると秋乃はそんなことも知らずに話を再開する。


「まあ、そんな話はおいときまして。……あたしね、ギターを始めたのが中学三年の頃だったんだ。まだその時はモデルのお仕事とかはしてなくて、時間もあったし毎日たくさんギターの練習をしてたんだよね。それこそ一日中、ほとんど部屋でギターを抱えてたくらいでさぁ」


中学三年?たった二年弱でこのレベルになったのか……それが本当なら、ガチの天才だな。どう考えても普通の上達スピードじゃないぞ。本当なら。


「それでね、さっきの動画みたいに練習風景をちょいちょいとネットにアップしたりし始めたんだよね」


……そういえば、僕もネットに動画を投稿し始めたのもその頃だったな。


(似てるな)


僕が配信者になった切っ掛けは、やはり金だった。あの頃の僕は金が欲しい気持ちが今よりも強く、どうにか稼ぐ方法をネットで探しまくっていた。だが、どのバイトも採用条件に高校生以上の文字があり、当時中学生だった僕は絶望していた。


しかしそんなある日、幼馴染の秋葉に言われた。


『……そんなに稼ぎたいのならYooTuberとかウィックトックの配信者にでもなればいいのに。知ってる?あれって人気の人はすっごくお金稼いでるんだよ』


その言葉につられた僕は、無理やり親に協力してもらい、その日のうちに歌い手系YooTuber『バネ男』のアカウントを開設。それから僕は金のために必死に歌を練習した。毎日毎日、それこそ秋乃のように一日中。


と、まあそんな感じで、必死にやった甲斐もあり最短で僕のチャンネルは収益化することができた。熱量の成せる業だったのだろう。金を稼ぐという目標に対するシンプルで強い欲、その熱量が実を結んだのだった。


(……いや、違うな……なら、僕と秋乃は似ていない)


記憶の糸を手繰り当時の事を思い出す。そしてそれと同時に僕は秋乃とは決定的に違う事を理解した。一見似た者同士のように見えるが、僕と彼女では根幹的な部分が決定的に違う。


彼女は『金』ではなく『好き』という想いの力であのレベルに到達した。僕には理解のできない、それこそ田中が野球に対して持っているような、まっすぐな想いで培ったスキル。

秋乃はギターが『好き』だという純粋な気持ちだけでここまで上手くなったんだ。だから決して僕のような守銭奴と一緒にしてはいけない。


『ギターが好きなんだな』


ノートにそう書いて見せると、彼女は一瞬きょとんとした表情を浮かべた。


「うん、大好き。好きだよ」


僕はその表情に思わず見惚れ、目を奪われた。好きという一言がこれほど魅力的に思えたのは初めてだった。思わず惚けてしまう僕。

照れくさかったのか、秋乃は僕から目を逸らし髪を指先にくるくると巻きつけながら話を続けた。


「でも……まぁ、だからモデルも始めたんだよね。ほら、楽器ってお金かかるでしょ?練習時間が減るのは嫌だったけど、そこは仕方ないよね」


――確かに。僕も配信をやるにあたってマイクだとかオーディオインターフェースとか揃えるのにかなりの額を投資した。おかげで一時的に貯金が消えかけて青ざめたのはいい思い出だ。いや嘘、背筋どころか全身凍り付いて粉々に砕けるかと思った。


「で、ここからが本題なのだよ!春くん!」


人差し指を立てにんまりと微笑む秋乃。くそあざと可愛い。つうか顔を近づけるな、緊張するだろうが。ホントにやめてください。


「あのね、あたしのバンドってボーカルがいないのね。だから……」


――そこで、僕は悟った。ああ、そういうことかという気持ちと、心が冷めるのを実感する。

僕は秋乃がバンドにボーカルがいないといった時点で彼女のこれからいう事を察してしまった。十中八九そういうことだろう……で、あればとノートに二文字の返答を書き込む。


「だからね、春くんにウチのボーカルを」


『無理』


言葉を遮るように僕はノートを彼女の目の前に提示した。


「はやっ!?書くの早い!!」


ぎょっとする秋乃。さっきの僕の驚いた顔とタメ張るくらいの表情だ。しかし美形なのもあって僕と違いその表情すらも絵になる。漫画のヒロイン的な。だがしかし、だからと言って見とれてる場合じゃない。


『秋乃も知っての通り僕は歌い手だ。そっちの活動が忙しい』


「それは知ってる。でも、ほら……君ってバンドで歌ったことないでしょ?そういうの興味ないかな?ライブとかさ。ウチの楽器隊レベル低くはないと思うんだ。だから君にとってもいい経験になるんじゃないかとも思ってて……あ、別に正式に加入じゃなくてもいいんだよ?一回だけ!ライブに一回だけ参加してほしいんだ!お願いできないかな?」


バンドでのボーカル。確かに秋乃の言う通り正直なところ興味はある。……だが、あんまり関わりたくない。これまでなるべく人との柵を生まないように活動してきた。それはひとえに面倒ごとを抱えないようにという理由からだ。だからいくら興味があっても引き受けたくはない。


(さて、どうやって断ろうか……)


『なんで僕なんだ?歌が上手い奴なら他にもいるだろ』


「え?他に……?」


『ウチのクラスの高橋春斗とか』


あいつなら引き受けるだろう。なんせ人の頼みを断ることができない性格だ。歌も上手いし、学校の軽音楽部でもボーカルをやってる。ライブ経験もあるみたいだから適任だろう。一回だけのライブならあいつの負担にもそれほどならないだろうし。

僕は高橋を売り込むべくノートにあいつをボーカルにすることのメリットを書き始めた、がしかし、


「いやだ。あたしは春くんにボーカルをしてほしい」


その声には揺るがない固い意志が宿っていた。何を言われても意見を変えてやらない、そういう想いの強さ。そして、まるで何かを思いつめているかのような瞳の色。よほど僕にボーカルをしてほしいんだな。……となると狙いはやはり……あれか。


『登録者目的か?』


「……え?」


『僕を入れたがる目的なんてそれくらいしか思い当たらない』


コラボをしてチャンネル登録者を増やす。秋乃はモデルとしては有名だろうけど、バンドとしての知名度が低い。さっき見せてもらったチャンネル数は数万人程度だったし。おそらくはそれが狙いなのだろう。


「ち、違う……ちゃんと理由はある。いや、まあそりゃ君のチャンネル登録者数からすればそう思われても仕方ないけど、さ」


この手の誘いは結構来ている。Pwitterやアンスタ等のDMでチャンネルを伸ばしたいがための依頼が。だが僕はそのどれも引き受けたことは無い。それはなぜか?金にならないからだ。依頼が来るのは基本僕より下のチャンネル数のクリエイター。そして提示された依頼料もそれにかかる時間を考慮すると旨味の無いモノばかりだった。

え、それなら交渉したらよかったのでは……?いや僕はほら人見知りだし人づきあい苦手だしコミュ障だから無理。


「確かに、あたしたちもYooTubeとかアンスタとかチャンネルはある。チャンネル登録者数も君には遠く及ばないよ……でも、ちゃんと依頼料はちゃんと十分な額を払うし」


『断る』


「……え?まだ金額言ってないけど」


ああ、そうだ。金額は問題じゃない。さっき依頼料が云々と言ったが、そもそも同じ学校の奴という時点で一緒に仕事をする気は毛頭ない。こういうのは一度受けるとまた次もまた次もとなって際限が無くなりそうだしな。そういうのは面倒だ。


『僕は同級生と仕事をするつもりは無い。そういう要件ならどうあっても僕が引き受けることは無い。悪いけど、僕も暇じゃないんだ。目的がそれなら帰らせてもらう。じゃ、さよなら』


そう書いたノートを秋乃に突きつける。まさかこうもあっさり拒否されるとは思わなかったのだろう、呆然とした表情で立ち尽くす秋乃。

僕は机の横にかけてあった通学用のリュックを背負い彼女に背を向けた。


「ま、まって……!」


呼びとめようとする秋乃。だが僕は振り返ることもせず手を振り教室を後にした。



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