第3話 秋乃 深宙


(だ、誰!?)


このクラスの人間ではない女子生徒。しかし、その顔は僕の知っている顔だった。というか、おそらくはこの学校の人間で彼女を知らない奴はいないと思う。雑誌モデルやタレント活動をしている有名インフルエンサーで、『千年に一人の美少女』とか言われてる女子。名前は……秋乃あきの 深宙みそら


――斜陽が当たっている髪が、秋の紅葉のように紅い。その美しい髪は腰あたりまで伸び、さらさらと揺れ動き光を弾いている。愛らしくパッチリした目と大きな瞳と口角の上がった口元、艶やかな唇。

男女問わずおおくの人間が、このどこか愁いを秘めているような微笑みに心を奪われてきたのだろう。美しさと可愛らしさ、その両方を兼ね備えた美貌。思わず僕も惚れてしまいそうになり、慌てて心にラインを引く。


――惚れたら終わる。今までの経験上、好きになっても仕方がないし傷つくのがわかっている。だからそうなる前に心を整理する。この人は僕と違う世界で生きている。画面の向こうのアイドルや芸能人だから、手は届かない。そう考えて割り切る。……まあ、僕と同じ世界で生きている女子がそもそも存在しないんですけども。


「あの……大丈夫?固まっちゃってるみたいだけど、もしかして今ので腰抜けた?」


小首を傾げ僕の顔を覗いてくる。それを阻止しつつ、僕は手のひらを振って大丈夫と示した。


「おお、そっか、大丈夫でよかったぁ。けど、おどろかせちゃってごめんね?あたしもあそこまで驚くだなんて思わなくってさ……こっちもちょっと焦っちゃったよ」


肩をすくめる秋乃。待って、それ謝罪してる?なんか半笑いだし……謝罪する気あるのか?


「……」


急に黙る秋乃。口は依然として半開きで半笑い。おい、どーした。え、時が止まってる……?


「……ぷっ、ふふ――ぶふーーーっ!!」


体が微かに震えた直後、彼女は噴き出した。これあれだわ笑い堪えてただけのやつ。彼女は涙を指先で拭いつつ堰を切ったように腹を抱え爆笑し始めた。


「だ、だめだぁ!!き、君の驚いた表情……ふふっ、あははは!!」


謝る気ないっすね。ぽんぽんと肩を叩かれ、「ちょwwこの笑いを止めてくれwww」と言わんばかりに僕の机に手を突き、笑い崩れ落ちた。いやそんなに?そんな面白かった?でも失礼じゃない?初対面でこれって……なんかムカついてくるな。

むっ、とした僕は会話用ノートに不満をぶちまけるように言葉を殴り書く。勢いのまま乱暴な物言いになっているが、そっちからけしかけてきたことだ。気にすることはない。それにこういうのは最初が肝心だ。舐められたままではいられない。


『そりゃ驚くだろ!つーか謝る気ないだろ!!』


そう文章を書いたノートを見開き秋乃へと見せつけた。すると彼女は「ふんふん、なになに……?」と顔を近づけそれを読み始めた。次第に彼女のにやけていた表情が落ち着きおさまる。そして僕の抗議が伝わったのか、


「うん、そうだよね。ごめんね。ほんとうに」


頭を下げ謝られた。意外な反応に僕は毒気を抜かれる。こういう陽キャってとことん陰キャをいじり倒すイメージがあったから、てっきり追撃されるものだとばかり思っていた……けど普通に謝ってくれて、しかも丁寧に頭まで下げて。なんかイメージと違う。


「……でもさ、ホントに喋らないんだね。佐藤 春くん」


心臓が跳ねる。……なんで僕の名前知ってるんだ?


「改めて、驚かせてごめんなさい、春くん」


心臓が砕けた。まって、下の名前呼び?初対面で?陽キャだからか?マジで心臓逝ったかと思ったわ。


丁寧に両手を膝に添え、ぺこりと頭を下げる秋乃。そのまま顔を上げずに動かなくなった。いやまって、別にそこまでかしこまって謝罪されても……って、まって?秋乃の体がぷるぷると小刻みに震えているように見えるのは気のせいか?まさか……謝罪した直後なのに?思い出し笑いなんてしたりしてないよね……?


「……ふっ、く」


いや、まって!なんか聞こえてくるんだけど!絶対笑ってるよこの子!!

僕の心の声を感じ取ったのか、彼女は顔を上げこちらを向き直る。その表情はいたって真剣で微笑みすらない。だが、しかし……僕は見逃さなかった。人差し指で目尻の涙を拭いているのを。うん、完全に間違いなく笑ってましたねこれ……。


――と、そこで僕はふと我に返った。つうか、この人なんでここにいるんだ?


クラスの誰かに用があったとか?けどそれなら僕に構わず教室を確認して去っていったはず。戸もあけっぱだし、廊下から見ればここには僕一人しかいないことは教室に入らなくてもわかる……なのにわざわざ入ってきてこうしているってことは、もしかして僕に何かあるのか?

いや、けど……そんなことあり得るのか?高橋 春斗や秋葉であればまだわかるが。


(……)


いや考えていてもわからない。もうめんどくさいから単刀直入に聞いてしまおう。っていうかこれ以上こいつに構っていたらスーパーのセール終わっちゃうし。


『それで秋乃さんは、なんでこの教室にいるの?』


シンプルに問う。ノートに書かれたその文字を見て、彼女は頷く。


「あたしがここにいる理由か。それは春くんに用事があったからだよ……って、名前呼び捨てで良いよ。さん付け要らない」


え、ああ……そう。って、まてマジで僕に用があったんか。


ふう、と一呼吸置く。するとその直後、打って変わったように真剣な表情になる。


「改めて、さっきはごめんね。用事の前に……先にちゃんと確認がしたくって。それで驚かせちゃったんだ」


『確認?』


「そう、さっきのドッキリは君の声が聴きたくってさ」


――声。その単語でこれから起こることが面倒ごとなのだと僕は直感した。僕は眉をひそめこの話題に対し難色を示す……が、鼻先あたりまで伸びた長い前髪のせいで表情が隠れ伝わらない。秋乃はそんな僕を気にも溜めず携帯をいじりながらもを進めた。


「ほら、あれだよ。君って絶対に声出さないことで学校で有名だったからさー。だからちょっとばかし強引な手をつかってみたんですよ。いやあ、気配を消して教室に入るの大変だったんだからぁ。えへへ」


まるで悪戯の成功した少年のような無垢な顔。普通は可愛らしく思えるのだろうが、僕の目から見る彼女のその笑顔は危うさを感じた。嫌な予感がする。

秋乃は依然携帯をいじりつつ、言葉をつづけた。


「でも、それでやっと確信できた。……君は、春くんは歌い手の『バネ男』さんでしょ」


携帯の画面を見つめ俯いていた彼女が顔を上げる。放課後の教室で美女と二人、夢のようなシチュエーションでの会話。他の男子連中が見れば羨むこと間違いなしの状況だ。……だが、他の誰かに押し付けたいほど僕には嬉しくない。

運動部、吹奏楽部、軽音部。全ての音が遠ざかり、意識が遠のくのを実感する。彼女が何を言いたいのかわからないし、理解もしたくない。だから僕はノートに、


『誰、それ?』


そう一言、ノートに書いて見せた。すると彼女はあっけに取られたこのように一つ二つ瞬きをし、


「とぼけなくてもいいよ。というよりもう普通に喋ったら?バレてるんだし。声で正体がバレないように高校に入学してからは喋らなくなったんでしょ?あたしね、あなたが通っていた中学の人に聞いたんだよ。その頃は春くん普通に会話していたって言ってたよ?」


そう言い放った。その言葉を聞いた瞬間に予感する。もしかするとこういうのがストーカーという奴なのでは?と。


この高校に僕の中学生時代を知る人間は、秋葉以外にはいないはず……どうやって調べたんだ?


「……」


にこりと微笑む彼女。ファンであれば卒倒する距離感と笑顔。僕は別の意味で卒倒しそうになっていた。ゆっくりと伸びる影のように恐怖心が僕を覆っていく。

彼女は反応しない僕に対して、気にすることもなく言葉をつづけた。


「それにね、あたしずっときみの配信を観てたからわかるんだよね。春くんさっき嘘ついて動揺したでしょ?さっき『誰だそれは?』ってとぼけた時、人差し指が唇に触れた。あれ『バネ男』さんが動揺したりした時にする癖……そっくりだったよ?」


……癖、だと?


「あー、やっぱり自分では気が付いてなかったみたいだね。エゴサとかしないタイプかな?ファンの間では結構有名な話だけど。ちなみに勿論あたしもキミのファンだよ」


困惑する僕に対し、秋乃は人差し指を立て得意げに話を続ける。


「『中性的で独特な声質』『嘘を吐く時の癖』他にもいろいろあるんだよ?君が『バネ男』さんだっていう証拠は。だから、もうとぼけるのはやめようよ。大丈夫、あたしもキミが『バネ男』さんだってことは誰にも言わないし」


……正直、僕は秋乃の事を何も知らない。誰にも言わないなんて言葉も馬鹿正直に鵜呑みにすることはできない。でも――


『わかった』


――もうこれ以上は言い逃れすることはできない……。口ぶりからしてこいつはもう僕が『バネ男』だと断定している。ここで白を切り続ければ他にその情報を漏らされる危険性がある。例えそれが嘘でも本当でも吹聴されれば僕のこの平和な学校生活は崩れ去ってしまう。そうだ……こんなストーカー染みた行為をするような奴だ、無下に扱えば何をするかわからない。


なら、さっさと彼女の要求を聞いて口止めをして終わらせた方がいい。おそらく、その要求も大方予想はつく。おそらくサインをくれとか一曲歌ってくれとかその程度の事だろう。それくらいなら全然いい。もう面倒だ……だからさっさと要求を呑んでしまおう。そして、交換条件として約束させる。僕にはもう二度と近づかない事を……それでこの件は終わりだ。


『そうだ。僕がバネ男だ』


(……それでもつきまとうようなら、こちらにも考えはある)


――だがしかし、その判断がその後の人生を大きく変えてしまう事をこの時の僕は欠片も思ってはいなかった。


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