第14話 金髪外国人お嬢様その3
十分後、盆にのせて出てきたのはうどんだった。
うっすらな湯気に隠れる薄茶色のつゆがきらきらと光を反射している。
おまけ程度に刻みねぎと天かすが乗っていた。
好き嫌い分かれやすい生姜だけ別皿なのが気遣いポイントか。
「消化にいいし、どうせならあったかい日本食がいいかなって」
「あと、材料切らしてて……すみません」
「それは全然いいが……これは俺の分もあるってことでいいのか?」
なぜか人数分の器があった。隣でじじいはうっひょ~と言いながら目を輝かせている。
女性は人の良い笑顔を浮かべた。
「きみ、夕飯食べてないでしょう?」
「それはそうだが……」
確かに腹は減ってる。うどんも嫌いじゃない。
だが、ここで無条件に恩を売られるのは後々なにか不利になる気がして怖い。
迷いを見せてる俺に、少女は少し咎める口調で、
「というか、作ったからには食べてください」
「……そうだな。いただく」
ここで食べないことこそ、今後こいつらに対して思い通りに接することがままならないだろう。
俺は素直に行為を受け取る格好で箸を手に取った。
手を合わせて、一口頂く。
一口だけ頂いて、箸を進める手が止まった。
はあと息を吐く。既に息は白くなっていた。
――温かい。
美味しいとかまずいとかの前にそんな感想を抱いた。
思えば、東尋坊に来てから俺の食ってきたものはネカフェの食事ブースにある冷凍の肉を冷凍の米に重ねて電波を流してチンしたどんぶりだけだった。
このうどんはそれとは違う。瞬間的で取ってつけたような熱ではなく、じわじわと底からこみ上げて溢れ出るような熱。手料理だからこその芯から伝わる温かさだった。
「……ど、どうですか?」
何も言わない俺に不安げな様子の少女。
俺は不意を突かれて思わずキョドる。
「食える」
睨まれた。
「なんですかその言い方。失礼ですね」
「ああいや、おいしいおいしい」
「そ、そうですか」
淡白な返事とは裏腹に少女は口元に笑みが浮かんでいる。
怪訝な目を向けるとすぐにその表情をひた隠す。そんなに嬉しいことかと疑問に思っていると、
「うおっ」
ずいっと真横から俺の顔面の前に器が飛び出る。
じじいが口をもちゅもちゅさせながら手を伸ばしていた。
「おかわりである!」
「はえーよ。食いながら喋んな」
「おかわりは……あるけど、残りはお腹減ってるって言ってたこの子の分なのよねえ……あら?」
女性の困惑に釣られてお嬢の方に皆注目する。
そういえば、忘れていた。
お嬢の器には汁を吸ってふやけたうどんと、ところどころのトッピングだけが取り残されている。
要するに飲み干していた、汁だけを。
お嬢は箸をナイフを握るように持ち、中の具を見つめながらもどかしそうな様子でうめいた。
「I'm hungry.」
箸での食べ方がわからん結果である。
「スプーンかフォーク持ってくるわね。汁も入れ直したほうがいいわよね」
「私の分はあ?」
「見苦しいわ!」
とりあえず、じじいは黙らせた。
「美味しい?」
女性による疑問形のサムズアップにお嬢による肯定のサムズアップ。
さて。
目が覚めるまで看病、水分補給、飯食わせた。
これでようやく話ができる。
俺はフォークでうどんを刺し、スプーンで汁をすすっているお嬢を見つめて言った。
「自殺をするな」
「……ずずっ」
汁を飲む音だけが聞こえる。
少女が呆れ顔で言った。
「ばかじゃないですか?」
「ぐっ……英語喋れる奴は?」
「中卒だ!」とじじい。
別に学歴で差別するつもりはないが、大きな声で言うなそんなこと。
「今受動態習ってます」と少女。
こいつは現在中学一年生であるということが分かった。つまり、役に立たない。
「ハローとテンキューとアイラブユーしか知らないわ」と女性。
日本人の一般的英語力をお持ちのようで。
……まあ今どき英語喋れなくとも意思疎通はできる。
ちらりと女性の携帯を持つ手を見る。
女性はびくりと身体を震わしてその手を胸の内に引っ込めた。
「け、携帯は渡さないわ! また奪う気なんでしょっ」
「別に奪ったつもりはないんだが」
反論すれど眉をひそめて俺を警戒している。どうやら完全に信用を失っているらしい。
「わかったわかった。なら代わりにあんたが俺の意思を翻訳サイトで伝えてくれ」
「それなら……いいけど」
早速女性は携帯に入力を開始する。
指があちらこちらへと軽くすばやく動く。目で追いきれないほどだ。
少女が感嘆の声を漏らした。
「打つの早いですね……」
「普段、お客さんにメールしてるから……こんな感じかしら」
お客さんにメールか。事務仕事でもしてんのかね。
とか余計な勘繰りをしている間に女性はお嬢に画面を見せていた。
数秒かそこら。
お嬢の顔が驚愕に染まる。
なぜか、お嬢は俺の顔を一度見る。
俺が見つめ返すと、何かの誘惑から振り切るようにふるふると首を振った。
「うーん、それなら」
女性は追加で入力を開始し、すぐに画面を見せた。
なぜか、お嬢は俺の顔をもう一度見る。
見つめ返すと、お嬢の顔が桃色に染まっていく。真っ白な肌だから、それが一層分かりやすかった。
で、なんでですかこれは。
「おいあんた、なんて訳したんだ」
「え、えと、自殺はしないでって」
「それだけじゃないだろ絶対。俺を見てきたのはなんでだよ」
「ヒ、ュ~フユ~。ホユ~」
「せめて上手にやれや口笛」
女性は明らかに知っている様子で素知らぬ顔をする。
さらに問い詰めようと口を開きかけるが、それは途中で止まることとなった。
目の前までお嬢が接近していた。あぐらかいてる俺の前でちょこんと女座りする。
お嬢は俺の手を両手で握ると目をキラキラと輝かせて。
そして言った。
「Thank you so much!」
俺は数秒ほど逡巡し、結論を口にする。
「What?」
「あなたまで英語で喋ってどうするんですか」
「いや、何がサンキューだよ」
「知りませんよ」
少女から外し、女性のほうに顔を向ける。
「何が?」
「シリマセンヨ……きゃっ!」
携帯ぶんどった。罪悪感はなかった。
女性が翻訳した英文を再翻訳に掛けてみる。
出来上がった日本語を読み上げてみた。
「自殺をしてはいけません。人が死ぬのは悪いことです。あなたが死ぬほどの苦悩があるのなら彼に相談してください。彼がすぐに解決をしてくれるでしょう。あなたが死ぬと彼がとても悲しみます。彼はあなたを愛しています」
静寂。俺はかたっくるしい日本語をもう一度目で追い、意味を理解する。
どうやら俺はこの外国人お嬢様に誤解をされてしまったようだ。
誤解その一。俺が自殺の原因を解決することになっている。
誤解その二。俺がこのお嬢に一目惚れをしていることになっている。
そしてその一の動機がそのままその二に繋がり、謎の説得力を持たせてしまい今に至ると。
俺は頭を抱えた。
「……ありえん」
「ごめんなさい……ついロマンチックにしてしまって」
女性のその物言いに引っ掛かりを覚える。
「おい何か勘違いしてないか? そもそも、俺はコイツの相談に乗る気なんかないぞ」
「え? じゃあ何のために看病してるの?」
「だから言っただろ。俺は東尋坊で俺以外の誰かに自殺してほしくないんだ。愛なんて当然、悩みの相談だってお断りだ」
「あらまあ」
「あらまあで済ますな!」
女性が思いついたように人差し指を上げた。
「でも、誤解されたなら解けばいいんじゃない」
「そりゃそうだ。だが……」
お嬢は顔を赤らめながらも完全に信用しきっている眼差しを俺に向けている。ここまでの介抱(食事付き)が想定外の方向に効力を発揮している。ここからお嬢を突き放すのは文字でしか伝えられない翻訳サイトじゃ困難な技だ。
……損切りも大切だということは俺はこれまで薄っぺらい人生でも知っている。
「この様子じゃ無理だ。さっさとこの少女を警察に届けよう」
「待ってください」
鋭い声。背中から服が引っ張られる。少女の手だった。
「それは騙すということですか? 助けてあげるって伝えてたじゃないですか」
これまでの様子とは一風変わり、剣呑な雰囲気。
俺は身をよじり、少女の手をどかした。
「騙すも何も、俺は最初から助けるつもりなんかない。この人のせいであらぬ誤解を生んだかもしれんが」
「ひう」
女性が縮こまる。
「大体、ここまで介抱してやっただけでも十分だろ。そんなに心配ならお前がコイツを助けてやればいい。崖から飛び降りて自殺しようとしてる素性も一切わからないこのガイジンをな」
効いたように少女が眉を上げる。俺は嗤う。
そうさ。いくら綺麗事を吐いたって厄介事は厄介事だ。赤の他人にできることなんて限られている。警察に任せるのが一番安全で良心的だ。
少女は認めたくないものを渋々飲み込んだような顔になった。
「確かにあなた一人に責任を押し付けるのは自分勝手でした。ごめんなさい」
そして、丁寧にお辞儀をする。
……なんか俺がいじめたみたいじゃないか。
「ま、まあ、俺が連れてきたわけだから最低限、俺が警察まで届けてやるよ」
「見ろ。これは子供相手にレスバ仕掛けてドヤ顔で論破したはいいものの相手が思いのほか素直に謝ってきたのものだからなんだか精神性の差を見せつけられたような気がして急に恥ずかしくなった成人男性の図だ」
「へえ~、これが……」
じじいに習って女性が貴重な歴史的建造物を見る目で観光してきた。
「も、もう夜遅いし、警察が対応してくれるかわからん。明日コイツ迎えに行くから一晩泊めてやれよ。広いから空き部屋たくさんあるだろうしな。俺は帰る」
「あ、逃げた」
踵を返す。
玄関の前まで行き、止まる。
思い出す。
和室に戻る。
頬を掻いて、呟いた。
「泊まる金が、ねえ」
「見ろ。これは偉そうに社会の厳しさを説教しておいて今夜寝る場所すらない成人男性だ。かなりレアだから目に焼き付けておけ」
「へえ~、これが……」
「野宿してやらあ!」
「あ、やけくそになった」
また立ち上がり、背を向けた。
「泊まっていいですよ」
「え」
振り返る。少女は特になんとも思ってないような顔で、その後、思い当たったように付け加える。
「あ、でも家事は手伝ってもらいますからね。洗濯とか食器洗いとか。あとは……お風呂は、私が先に入ることと、それと貸す部屋はあまり汚さないでくださいね」
「待て待て。今日だけならまだしもそんなまるで何日も居候させるみたいな言い方はなんだ」
「お金、もうないんですよね。今後どうする気ですか?」
「さっさと東尋坊で自殺を」
「私と一緒に自殺でもする気ですか?」
「それは……勘弁だ」
「しかも私だけじゃないです」
少女は女性の顔を見る。女性は静かに頷く。
「あと東尋坊にいた怖い女の人もそうっぽいです。ということは、誰が最初に自殺するか決めなきゃいけないんですよね。それまであなたは自殺できないはずです」
正論ではある。だが、いくらなんでもそれは借りが過ぎる。なにより、
「お前、俺が怖くないのか?」
見知らぬ男を自宅に泊める。それどころか何日間か、日常生活を送る。
その行為に身の危険を覚えないのか。
俺は薄々感じていた。この少女はしっかり者だ。
危ない人間に簡単に騙される人間ではないのはすぐに分かる。その懸念は強く持っているはずだ。
それなのに。
少女は作り笑いをした。
「命の恩人ですから」
わざわざ作って、笑ってくれやがった。
なんだ。なぜ、そんなことをする。
「……あの、今のは自殺志願者ジョークなんですが」
呆気に取られて何も言えない。
「あのーー」
「わっはっはっはっ!」
じじいによる甲高い笑い声と叩かれる肩の感覚で意識が引き戻された。
「腹が痛いのう!!!!」
「そ、そんなに面白いですかね。なんか照れますね」
「ちぎれそうだ! はっはっはっ。私も泊まってもいいか?」
「しょうがないですね……って、どさくさにまぎれないでください。あなたは特に危ない人なので駄目です」
「ええ、なぜ私だけ! イジメじゃあこれはイジメじゃあ。ぎゃおーん!」
「なんですかその泣き声は! ちょっと! 息子ならこの変なお父さんをどうにかしてください!」
「三日だ」
「へ?」
すっとんきょうな顔をしている少女を見つめ返す。
「三日以内に自殺する。そうでなくともここは出ていく。出ていく際には相応の宿泊費を払う。これでいいか?」
少女は戸惑うように頷く。
「い、いいですけど」
「それと泊めてくれること自体の恩として、何か要望があればできるだけ聞く」
「要望……ですか」
うーん、と腕を組み首を傾げ、やがて世紀の大発見をしたかのように手のひらに拳を打ち付けた。
「そうだ、じゃあ」
「それはダメだ」
「まだ何も言ってないです!」
「東尋坊」
「まだ何も言ってないのにバレてる!」
「考えとけ」
俺は立ち上がった。
「あの、どこに」
「寝る。部屋、借りるぞ。どこが空いてる?」
「二階に上がってすぐ右手に空き部屋があって……いやでも、掃除が全然……」
「俺がやっとく」
それだけ伝えて、俺は早々に二階へ行った。
とにかく今は、一人の空間に避難したかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます