第6話 青髪生意気クソガキ少女その2
「馬鹿かお前は!」
昨日と同じように鼻水でぐずぐずにしながらげほげほしてる少女の脳天をひっぱたく。
「いったーい! 何するんですか!」
「学習しろよ!」
少女は泣きそうな顔になる。
「だって、だって、あなたが溺れているのを見たら……いてもたってもいられなくて!」
ぐっ、なかなか道徳心が鍛えられてるクソガキだ。あんまり強く言えないではないか。
義務教育め許さんぞ。
「よ、余計なお世話だ」
瞬間、反射的に言い返された。
「それはこっちのセリフですよ!」
「え?」
時が止まる。予想外の反応。何のことだ。急に話が分からなくなった。
少女は暴走するエネルギーを無理やり抑えるように作り笑顔を浮かべる。
「……あなた、やっぱり勘違いしてます。わたし、一言、言いたいことがあるっていいましたよね?」
「だからそれはアレだろ? 助けてくれてありがとうございますってことだろ?」
今度は肩をわなわなと震わせる。寒いのかな。
「そうですか。なら今、言いますね」
「お、おう」
少女は息を大きく吸い込むと、爆発した。
「自殺の邪魔をしないでください! 余計なお世話です!」
「いでっ」
真っ白で小さな手に頬をぺちりと殴られた。
俺の頭の中ですべてのピースがかちりとハマった。
なぜ泳げないのにあの川に入っていたのか。
なぜ溺れる俺を助けようとしたのか。
ずるいと言った意味はなんなのか。
少女は怒りで涙を流した。
「ずぅーっと、ずぅーっと死ぬのが怖くって、何度も悩んでせっかく勇気を出して川に飛び込んだのに、あなたは助けた! 確かに常識的に考えれば死にそうな人がいれば助けるのが当たり前です。だから仕方ないってわたしだって一度はそう思った。けどあなた、わたしを助けてヒロイックな気分に浸り、あろうことか、その事実を肴に自分に酔って自殺しようとしてたじゃないですか!? 絶対『ああ。死ぬ前に溺れてる人間を助けた。これで俺も気持ちよく死ねる……』とか思ってたじゃないですか!? それが、わたしは本当に腸が煮えくり返りそうで、うらやましくってずるくって……許せなかったんです! うわーーーん!」
一言どころか、実に長々とキレて下さった。
……えーっと、どうしようか、この空気。
とりあえずこのまま泣かせておくのはまずい。
誰かが通りかかったら、確実に事案になる。
とにかく何か言わねぇと。
俺は少女の肩に手を置いた。
少女は真剣な眼差しの俺を見て少し涙のスピードを緩めた。
「中坊の癖に結構難しい言葉、知ってるんだな。お前の年でヒロイックとか肴なんて語彙使える奴はそう多くないと思うぞ。よっ、さすが偏差値65、明都中学校!」
「うわーーーん! こじんじょうほうろうえいしてるー! こわいよーー! おまわりさーーん!!」
スピードが急加速した。
ちょうど坂の上でおばちゃんが通りかかる。大声で泣き叫ぶ少女とあたふたする俺の姿を見て血相を変えてどこかへ行った。確実に交番である。
「それは反則だろ!」
「うるさいです! しんでください!!」
お前は俺に死んでほしくないのか、死んでほしいのかどっちだよ。
そこから先は大変だった。
なんとか泣き止ませるのに五分。
サツに捕まらないような逃走経路を考えるのに一分。
急いでその場から逃走するのに四分。
計十分の犯行時間を要した。犯行時間ってなんやねん。
******
街から外れた道を歩く。
隣を歩く少女はたまに鼻をすする程度まで落ち着いていた。
「ぐすっ……」
「悪かった」
正直悪いとは思ってないけど。
そんな俺の本心を見透かしたのか、ふん、とそっぽを向かれた。
「……その謝り方、偉そうで嫌いです。ちゃんとごめんなさいって言ってください」
このクソガキゃ、言わせておけば……。
とは思うものの、なんとかこらえ、頭を下げた。
「ごめんなさい。ほら、これでいいだろ? あとで自販機でジュース買ってやるから」
「子供だと思って馬鹿にしてませんか? いらないです」
「んだとてめ……ああ待て泣くな。ごめんな。いらないよな、詫びの品なんて」
「ハーゲンダッツで我慢します。わたしの機嫌を百六十円ごときで治そうとしないことです」
「いるはいるのね……」
しかも自販機で買うにしてもデカい炭酸とかスポドリ買うのな。
まあ今の時代、三百円で女のご機嫌取りが務まるなら安いものだ。
今の俺にとっては安くないが。
「お前さ」
「わたしはお前なんて名前じゃないです。涼帆って名前があるんです」
「そうか。で、お前さ」
「涼帆!」
「あのな。俺がどう呼ぼうか勝手だろ。第一、名前なんか呼んだところでお前とはこれっきりなんだから意味はない」
「ハーゲンダッツ」
「わーってるよ買えばいいんだろ。その代わり、さっきのこと大事にするなよ」
もう既になっている気もするが。
「で、まだ自殺する気なのか?」
少女は目を伏せた。
「死にたいです。……でも、もうできません。怖くて苦しいのは嫌です」
「そうか。それならいい」
正直、中学生の子供が自殺するのを見過ごすのは駄目だ。
最低な気がする。一般的な倫理観として。
だからできるだけ避けたくはあり、そこは安堵した。
が、問題なのはこの後だった。
少女は顔を上げると決意に満ち溢れた眼差しで俺を見つめた。
「だから、楽に死ねる方法を教えてください」
「……なぜそうなる? 大体、そんなもん少しネットで調べれば分かることだろ」
「では調べてそれを教えてください。自殺するのに準備が必要なら手伝ってください」
「なんで俺が」
「わたしの力じゃ、もう無理です」
少女が俺の袖を掴む。
力がこもっていた。
「誰かに決めてもらわないと無理なんです」
俺に軽く寄り掛かる。長い髪の感触が横腹に伝わった。
表情が分からない。
それでも手が震えているのを見てこれが冗談の類ではないのだけは明らかだった。
最低で、けれど真摯な願い。
それを俺は――。
「自殺なめんな」
嘲笑ってやった。
少女は目を丸くしてこちらを見ている。
俺の口は止まらなかった。
「いいか。自殺ってのはな、現実を苦しみながらも変えられず耐えられず、その決断も行動もできない弱者が最後にきっぱりと決断して行動できる最後の機会なんだ。もしそれすらも赤の他人に委ねたのなら本当にお前は生きている意味がなくなる。生きる意味がないという意味すらなくなるんだ」
俺はいったん言葉を止める。
いつの間にか内蔵されていたはずの「一般的な倫理観」が吹き飛んでいることに気づく。
正しい人間なら自殺なんかするなと教えるのだろうに。
でも俺は間違っている人間だ。そんな人間に頼ったこの少女が悪い。
結局、俺は続きを言った。
「……生きる勇気がないなら自力で死ね。死ぬ勇気がないんだったら自力で生きろ。どっちの勇気もないならお国の力でも借りて死んだように生きてろ」
少女が顔を上げた。呆気に取られたように表情が抜け落ちていた。
てっきり即キレると思ったからばつが悪い。
「馬鹿間抜けチビ」
燃料を追加してみた。
ようやく少女の顔が激昂に染まった。
「チビってなんですか?」
そこかよ。
「チビだからチビだと言ったんだ」
「ならそっちだってチビです!」
「成人男性の平均身長だよ馬鹿」
「馬鹿って言ったほうが馬鹿です!」
「ならそっちも馬鹿だな」
「うーーーー!」
地団駄を踏む。
「じゃあ言わせてもらいますけどね、私が最初死のうとしたのを忘れたんですか? あなたに邪魔されなければわたしは死ねたんです!」
「ふん、一回失敗したぐらいで諦めるなんて軟弱者のすることだ」
「論点をずらさないでください! わたしはあなたが自殺の邪魔をしたことに対する糾弾をしたんです」
「子供の癖に論点とか生意気だな。ああ、確かに邪魔した俺が悪かった。だがお前だって俺の邪魔しただろ。その上で俺はまだ死ぬ気満々だぞ。じゃあな。お前がクヨクヨしているうちに先に逝くからな」
「だからお前呼びはやめてくださいとさっきから!」
聞き流しながら携帯で付近のコンビニを検索する。
お、ラッキー、徒歩三分。近いな。
俺は数十メートル先にある公園を指差した。
「買ってきてやるからそこで待ってろ。現状、お前を連れているところを誰かに見られるのは厄介だからな。不本意にも」
返事がない。
ぶすっとしている。
俺はため息をついた。なんでそこまで名前にこだわるのか理解不能だ。
「味は?」
「…………」
「そうか。バニラな」
言って数メートルほど歩いたところで、
「……ストロベリー!」
意地が食欲に負けた情けない声を背中に受けながらコンビニに向かった。
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