第5話 電波じじいその2

 目覚める。昨日と同じ光景。同じ時間。二日連続のネカフェ。

 ついでに腰も痛い。

 昨日じじいをここまで担いだせいである。

 案の定、隣の部屋から地響きと勘違いするレベルの巨大ないびきが聞こえてくる。

 すぐにドアがノックされた。

 困り顔の店員が立っていた。



 ……ということで、晴れて出禁を食らったわけだが。

 要するに「てめぇが運んできた野郎のいびきがあまりにもうるせえから他の客からクレームが来てんだよ、はよ帰れ」だそうです。

 ここで一番問題なのは、現在、俺の隣でぽけーっとしている奴の存在ではない。こんな奴放っておけばいいからだ。問題なのはこれから泊まる場所がなくなったという一点である。


 東尋坊から歩ける距離にあるネカフェはこの店しかない。

 そもそもおととい死ぬ予定だったが故に資金も底をつきかけている。いや、はっきり言えば今日泊まる金すら怪しい。一文無し直前だ。なぜかじじいの分の宿泊料金も俺が払ってるしな!

 一旦、自宅に帰る金もない。本格的に詰みである。


 いや待て。今ある金だけでは足りないが、このじじいからネカフェ代を色付けて徴収すればギリギリ家に帰れるかもしれない。

 俺は一縷の望みをかけてじじいに向き直った。

 


「おいあんた」

「なんだあ?」


 圧をかける。

 が、じじいはふわああんと呑気にあくびを漏らしやがる。

 噛んで含めるように言った。


「金を、返せ」

「貴様は、誰だ?」


 ちーん。(がっくしうなだれた俺の効果音)


「覚えてないのか! 昨日のこと」

 じじいは苦悶の表情で頭を抑えた。


「なぜだ、思い出せん。うげ気分がわりぃ、なぜだ」

「どっちも酒のせいだ!」

「叫ぶな、頭に響く。うっ」

 今度は口元を抑えだす。


「店の前で吐くな」

 無理やり路地裏に連れ込んでそこで吐かせた。

 なんで朝っぱらからじじいのゲロを見なきゃならんのだ。


「ふースッキリ! で、何の用だ?」


 晴れやかな顔に変わるじじい。

 俺はため息をついた。


「昨夜、あんたが東尋坊で酔っぱらって自殺しようとしているところを俺がここまで介抱してやったんだよ」

「だとしたらなんだ?」

「か ね を か え せ !」

「なるほど。ところで見知らぬ若人よ」


 一呼吸おいて、じじいは言った。


「なぜ私は自殺を?」

「しらねーーーーーー!!」


 なんなんだこいつは。脳みそが空っぽなのか? 色々可哀想なやつなのか?

 俺はネカフェを突き刺すように差す。


「ともかくあんたは昨日、俺の金で一日寝泊まりしたんだ! 四の五の言わずに返せ!」

「うーむ、それは納得いかんな」


 唸り、腕を組む。


「私からしてみれば全く記憶にないわけで、不当に請求されているようにしか感じんのだが」

「ネカフェにはいただろ!」

「私はねかふぇ?などという場所に泊まるつもりはなかった。寝心地が悪い。首もいわしてる。もっと高級なホテルならば良かったが」

「この期に及んでふざけたこと抜かすな! じゃあどうすりゃいいんだよ!」

「私が東尋坊で自殺しようとしていたことを証明できるものがあれば良かろう」

「そんなものあるわけ……」


 言いかけて、思い出す。

 死のうとした直前にじじいが叫んだことを。


「よしえの後を追う」


確かそんなセリフだったような気がする。


「 ……って、どうした」

 なぜか、じじいの表情が真っ青になっていた。

 二日酔いとかそういうレベルのものではない。

 まるで脳天にいきなり鉄の塊をぶつけられたようなショックを受けていた。


「大丈夫か?」


 声を掛けた瞬間。

 いきなりじじいが走り出した。


「どこに行く!」


 すぐさま追いかける。

 が、もの凄い速さ。


「待て!」


 唐突に追いかけっこが始まった。

 じじいは駆けていく。躊躇がない。通行人にぶつかることも厭わず、野良犬に吠えられながら商店街を走り抜けていく。さながら走れメロスのようだ。俺は悟った。追いつくなどという発想が無謀であることを。かけがえのない親友を助けるためならいざ知らず、無意味に無軌道に走るじじいはただの電波であることを。そしてそんなじじいを追いかける俺も電波になりかねないことを。


 俺は止まり、ひとしきりぜえぜえして、虚空に呟いた。


「下らん」


 でも金はどーするか。

 くそ。


 何も考えたくなくて、とぼとぼ当てもなく歩く。

 気づけば夕方。行きついたのは昨日と同じ河川敷だった。

 近くのベンチに座り、ふうと息をつく。

 土と芝生の匂い。やはり風が良く通る。たまに誰かがジョギングして目の前を通り過ぎていく。

 のどかな場所だ。ここにいると、全ての悩みが気楽に思えてくる。

 イブが過ぎ、クリスマスが過ぎ、今日は年末前の平日。

 死んでも得はない。

 だが、そのこだわりすらも俺はどうでもいいと思い始めていた。

 金がない。来年のクリスマスまで死を諦めるなんて馬鹿らしい。


 ならいっそ、今。


 俺は決断した。


「見つけましたあ!!!」


 突然、そんな声とともにドタドタと遠くから音が聞こえたと思うと、子供が現れた。

「ふー、やっと見つけましたよー。ずぅーっと、ここで待ってたんですけど来なくて」


 膝に手を当てて息をするそいつを無視して川へと続く坂を下りる。


「それで、街の方にいるかもって思って向かっていたら、その方向から知らないおじいさんがとてつもない速さでわたしの横を通り過ぎていったんですよ。その血気迫る姿にただならぬ知らせを感じたんですわたし! ここに戻るべきだと直感しました。それで案の定、あなたと出会えたというわけです!」


 砂利を靴で踏みしめた。少し考える。脱ぐべきか、このままか。作法はよくわからないが、まあ服は着たままでいいか。靴だけは脱ごう。


「それで……ええと、つまり! あなたに一言、言いたいことがあります!」


 靴と靴下を脱ぎ、入水。冷たい、というよりも寒い。が、すぐに慣れた。このまま腰を下ろし、顔を沈める。


「あれ? 何やってるんですか!?」


 ああ、最後に誰かに見られながら死ぬのは少し恥ずかしい。でも昨日、この川で少女を助けることが出来たし、その助けた本人が同じ川で自殺するなんてなんだかロマンチックでいいじゃないか。


 苦しい。意識がだんだんと混濁してきた。気を失う直前に俺は心の中で感謝した。


 じゃあな、ありがとう世界。


 ぐい。

 ぐいぐい。

 ……誰だ、さっきから俺の袖を引っ張ってる奴は。

 水の中。溺れながら隣に顔を向ける。


 ――深い青が俺を見つめていた。

 気づけば、俺の目は吸い込まれていた。なんか綺麗だ、と思う。

 その神秘さに俺はこの摩訶不思議な状況を受け入れていた。まるで最初からそこに住んでいる生物と出会ったかのように。

 途中で口元が動いていることに気づく。読み取ってみた。


 ズルイ。ヒキョウモノ。なんのことやら。


 ブクブクブク。なんだそれはどういう意味だ。


 ブクブクブクブク。だからなんなんだよ、どこの言語だそれは。ブクブク星のブクブク星人のものか?

 ……待てよ、こいつ、見覚えがあるような。

 あ。


「ブクブクブクブク!!(お前が溺れてどうする!!)」


 俺は叫び立ち上がった。


 バカみたいにせき込みながら急いで少女を岸へと運び込んだ。


 助けたのはこれで二度目である。

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