第4話 電波じじい
夜。東尋坊。 やはり、いた。膝を抱えて女が座っていた。今日も白いワンピース。 長い髪が揺れ、白い足の肌がつらつらと光っている。俺は気さくに笑顔を浮かべて話しかけた。
「こんばんは!」
「死ね」
うん。元気な挨拶だね!
「言われなくとも死ににきたよ!」
「ここ以外で死ね」
返答の間、コンマ一秒。
にべもない。やめだ、やめ。 俺はせっかく練習してきた営業スマイルをへにょりと歪ませて、女から数メートル離れたところで胡座をかく。そのまま膝の上に肘をついた。地面は石でゴツゴツとしていて座り心地は悪い。
「いつからいたんだ?」
ざざん。
無視。
「おーい」
数秒ほど経ってようやく、
「ボクは明日の天気を訊いてくるような輩が大嫌いだ」
とだけ答えた。
やけに迂遠な言い回しだな。
えー、意訳するに、考えれば分かることを聞くなってことらしい。
そりゃ予想はできてたさ。真冬の夜にワンピース、寒そうなそぶりがまだない。
「朝から来てなくて安心したよ」
「君は自分の死にロマンチックさを求めてる。キモい。だから朝や昼は人の目があるから来ないだろうと予想した。死ね」
「なるほど」
正解だ。こいつ、たった一日で俺のことを理解してやがる。やるじゃないか。
それはそうと、さっきの発言は聞き捨てならない。
「よくあることだろ。考えれば分かることだったり、元から分かっていることを分からないフリして訊くなんて。それが人付き合いってもんだろ」
俺の正論を女は一笑に付した。
「気持ち悪いね」
社会的観点から見た常識をものともしないあまりに正直な感想。
それを堂々と言うもんだから俺もつられて笑ってしまった。
「それは、そうかもな」
「……共感するな性犯罪者」
「すみません」
睨まれながら必殺カード切られて即敗北した。
それきり会話が途絶える。風の音がうるさく感じる。
当然だ。話がもう平行線なのはわかりきっている。
今一緒にいるのは互いが先に自殺しないように見張るためという理由だけである。
先に根をあげてここに来なくなったほうが負けの勝負。
ただ、そうわかっていても気まずい。
だからなのか、興味もないのに疑問を口走った。
「なあ、なんで自殺しようと思ったんだ?」
途端、女は俺を見つめた。
まるで道ばたの石ころを見るようなつまらなさそうな顔。
「ボクに惚れたの?」
「は」
間抜けな声を出す俺を小馬鹿にするようなトーンで、
「なに、至極簡単な話さ。その歳で童貞の君なら容姿の良いボクと一日話しただけでうすら寒いラヴストーリーが頭の中で展開されてそうだと思っただけさ。死ね」
「それは推理ではなく憶測だ。そもそも童貞であることを前提にすんな」
すると、きょとんと首を傾げられた。
「童貞じゃないのかい?」
「じ、実際に俺が童貞かどうかはどうでも良くて、人の属性を勝手に決めつけるなという話をしているんだ」
「そうかい。童貞は死ねよ」
「ぐ」
黙る俺に女は調子づく。
「ボクは君と馴れ合いをするつもりなど毛ほどもない。ボクがなぜ死にたいのか……そんなことを聞いてどうするんだ? なに、まさか事情を聞けば、ボクが君程度の弱小男に説得されて死を諦めるなんてことあるとでも思うのか? 冗談は顔と性根とその他君を構成する全てのものだけにしてくれないか?」
……確かに踏み込んだことを聞いた俺が悪いが、だからってデコピンしたら金属バットで殴打するような返ししなくても。
俺は「弱小男はやめろ」とだけ言って、本当にこの女と話す意味がないことを理解した。
そうなるともう、周りの景色を見渡すことしかできない。
空、海、浮かぶ岩。
最後にぼんやりと向かいの崖を見る。昨日、女が死のうとしてた場所……。
――既視感を覚えた。
「おい」
気が抜けたように呟く。
再度、顔を膝にうずめていた女が今度は何だとばかりにこちらを迷惑そうな目で見る。
俺は崖の上を指差して言った。
「いるよな、人」
すぐに答えが返ってきた。
「近視」
「眼鏡は?」
「あるが……なんで君の言うとおりに」
「かけろ」
俺の剣幕にやれやれとばかりに首を横に振り、のっそりと眼鏡入れを懐から取り出す。
「早く」
「うるさいな」
黒ぶちの眼鏡をかけて目を細める。似合っていることは今はどうでもいい。
その間に俺はもうクラウチングスタートで構えていた。
「いるか?」
ざざん。
一度波が岩に激突した後、背後からやる気のない審判の声が聞こえた。
「よーい、ドン」
走った。
**********
二日連続である。
「早まらないでください!!」
再放送である。敬語に変えただけである。
ただ、圧倒的に違うのは今にも飛び降りようとしている人物が打って変わって初老の男だったことである。ワイシャツにスラックス、会社員のような恰好。それなりの毛量を持った白髪が風に揺れている。
俺の声がまるで聞こえてないかのように背を向け、柵の前でふらふらと揺れている。
そう、身体が揺れているのだ。白髪どころではない。
明らかに正常ではない人間の動き。
「あの、大丈夫ですか?」
声を掛ける。
振り返った男の顔は赤かった。
「なんだあ?」
息がかかる。アルコール臭い。足元には日本酒の酒瓶が置いてあった。明らかに泥酔していた。
「失礼ですが、こんな時間に何をやっているんですか?」
「みればわかるだろぅ? あほか!」
まともに呂律が回っていない。
……呆れる。
真実はただの酔っ払いじじいがくだを巻いていただけ。
つまりは杞憂か。
「そうですか。ふらふらなんでお酒もほどほどにして崖から落ちないように気を付けてくださいね」
憐れむ気持ちで優しく答え、踵を返した。
あー馬鹿馬鹿しい。
「崖? ああ、そうだぁ。私は今からここに飛び降りて死んでやるんだぁ!」
「待て待て待てーい!」
じじいは柵を悠々と跨ぐ。
酔っぱらってるから動きに躊躇がない。本気で落ちかねない。
無理やり背中を組み敷いた。
「落ち着け!」
「邪魔をするな! よしえの後を追わねばならんのだ!!」
夜中の東尋坊でじじいと俺の言い争いがこだましていた。
今日は二十五日。クリスマス。
何やってんだ俺は。
********
「何ソレ」
「知らん」
数分間の格闘の後、泥酔状態のまま力を失い、気持ちよさそうに眠ったじじいと、そいつを引きずって運び込んできた俺に女は冷ややかな視線を浴びせかけた。
「ただ、自殺しようとしてたから止めてきたぞ」
「あっそ。ボクは責任持たないから君がなんとかしなよ」
「知らんて」
「一つ忠告すると、このままここに放置したら確実に体温低下で死亡するから。無理に自殺を止めた君が犯人になるよ」
「やだやだやだやだ」
「駄々こねるな気持ち悪い。ボクはもう帰るから。死ね」
「ホントに死ぬって!」
叫ぶ俺を無視して女はスタコラ。
足元のじじいの寝息が定期的に当たる。
「ぐごごごごごご」
いびきじゃねーか。
どーすんだよこれ。
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