第2話 毒舌女その2

俺は、今まで灰色の人生を歩んできていた。 

普通の家庭で不自由なく普通に過ごすことができ、小中高も数は多くないがきちんと友達を作り、そのまま大学生になったはずだ。 

特に理由もなくそこからずるずると変わり映えのない日々を過ごす内になんとなく、生きるのが面倒になった。

つまり、こうして今俺が死のうとしてるのは環境のせいじゃない。面倒くさがりの俺が悪いのである。 ――そう、面倒だ、面倒。俺はもう何も考えたくないのだ。 



 *********


 ざざん。


「はっくしょん!」


 くしゃみとともに目が覚めた。

携帯で時間を確認すると夜中の0時前だった。とにかく寒い。当然だ。

 気を失ってから数十分冬の崖で野ざらしにされてたらそりゃそう。


 ずずっ。 


 鼻水を拭い、起き上がる。 


 飲み込まれそうな闇を覗き込む。


 鳥肌が立った。 


 かぶりを振る。 

 今日はもう、無理だ。 

 それに、その前に解決しなければならない事案がある。 

 俺は柵の前で膝を抱えてうずくまってる女を横目で見た。寝てるのかもしれない。 

 わざと大きな声で俺は言った。


 「あー痛いなあ! 誰かさんに蹴られた頭がめっちゃ痛い! ヤバいよこれは、重症だよぉ」 


 女は俺が起きたことに気づき、身体をもぞりと動かした。

 そのまま顔を上げ立ちあがった。

 逃がすか。俺はその肩をぽんと叩いた。

「いやあ、痛いなあ! ほーんと、これ慰謝料もんだよ。ねえ?」

「……そのまま死ねばよかったのに」 


そう言って女は俺に触られた肩の部分を丁寧に払う。その仕草を見て、身体が強張った。

「ふ、ふん、暴言なんか吐いたって……」 


 唐突に女が振り返った。 

 ふわりと揺れる髪、冷たい美貌に空間が支配される。女は言った。


 「君、女性が苦手?」

 「ぎゃあ!!」


  突然のストレートパンチに俺はのけ反った。


 「な、なんだいきなり!?」


「ボクが今、ここから去ろうとした時、肩を叩いたからさ。本当に引き止めたいなら先には行かせんと肩を掴むだろう? 女性との接触に不慣れな証拠だ」 


 俺は唸った。図星だからである。

 だが、素直に図星だとは言えない。なぜなら童貞だからである。プライドが高いタイプの。


「た、叩いたって別にいいだろ。それだけの根拠で俺を追い詰めたつもりか? 言いがかりも甚だし」

「それに、ボクが君に触られた肩を払った際、君の声色に動揺が見えた。思うに、『肩を払う動作』を女性にされたトラウマがあったのだと推察する」


「びゃ」


「そもそもボクが自殺しようとした時、初対面で君はタメ口で話しかけてきた。で、あるのに、ボクと目をあわせた途端におどおどする。他者との距離感を一定にできていない証拠だ。恐らく長い間君はタメ口で喋れる相手としか会話してこなかったのだろう。さっき君の所持品を物色し、学生証を見つけた。大学三年生のようだ。ここからは僕の想像だが、君は高校までは男子校出身だったが、そこで磨かれなかった女性に対するコミュニケーション能力のせいで大学でトラウマを植え付けられ、そのような悲惨な状態になったと思うけどどうだい?」

「ぽあああ」 


全部、正解。完敗である。 

思い出す。数少ない仲がいいと思っていた女の子の可愛らしい冗談にツッコむ流れで肩を軽く掴んでしまったことを。 

途端、それまでの笑顔が能面になり軽く肩を払われたことを。 

だが、俺は大ダメージを受けつつも女が初めて作ったその表情を見逃さなかった。


「ああ。だからか?」

「……何が?」 


 俺は得意げに口を開きかけ、

「いや、何でもない」 

 やめた。 

 俺は自殺をしたいだけなのだ。 

 他人の興味のない事情に入り込む気はない。

 それよりも話すべきことがあったはずだ。


「それで、あなたが私を気絶させた後も何もせずここに残ってたのはなぜですか? 死んで欲しいのではなかったのですか? それとも直前になって人を殺すのが恐ろしくなったのでしょうか? 小心者ですね」

「急に敬語とかさっきボクが指摘したこと気にしすぎ。小心者は君の方だ」

「ぐっ」 

 確かにいきなりタメ口で話しかけてたのは距離感を間違えていた。この女の言う通り俺は無意識にタメ口を使う癖がある。だがそれを言うなら。

「あんただって」

「ボクは最初敬語だったよ」

「なんで今は」

「知ってるかい? 敬語は敬おうと思っている相手に使う言葉なんだ」

「つまり今は」

「死ね」 


はい。 

冷たい言葉と風が身体にぶつかり猛烈に寒い。

このままだと風邪をひきかねない。いや、もうひいている。鼻水が止まらん。 

俺はその場に座り込み、身体を抑えた。

「ともかく、あんたは殺人をすることにビビったから気絶した俺を殺さなかったんだろう?」 

女はずっと変わらない冷たい目で俺を見ている。

「君みたいな性犯罪者は殺してもなんら心は痛まないよ」 

性犯罪者……だって? 俺が一体何を……。 

途端、記憶の底から純白のパンツがぽわぽわとフラッシュバックし、東尋坊の崖から広大な海へと飛んで行った。


「それは本当に申し訳ないがでもさっきのは事故だ信じてくれることを切に願」

「死ね」 


 はい。

 女はやれやれと嘆息した。

「少し考えれば分かるだろう? もしボクが気絶した君を崖から突き落とし、その後、ボクもそこで自殺したらそれは客観的になんと言うか知ってるかい?」

「心中になるな」

「そう、最悪だ死ね」 


 なるほど。ようやく、本題に入れる。


「つまり、あんたがここに残ってた理由は、あんたと俺のどっちがここで自殺するかを決めようってことなんだな」 

女は肯定を示す代わりか、か細い腕を組んだ。

「ボクは今すぐにでもここで死にたいが」

「なら俺はどこで死ねばいいんだ?」

「どこか適当にトラックにでも轢かれて死になよ。死んでくれない? 死ねよ。死ね」 


 はっきりと殺意が込められた眼差し。

 俺は大きく首を横に振ってそれをいなした。


「ダメだ。相手の運転手に迷惑がかかるじゃないか。常識を持てよ」 

「自殺願望のある性犯罪者に常識を説かれるとは思わなかったよ」

「それに、わざわざ無い金をはたいてここまで来たんだ。東尋坊は譲らんぞ! ここで俺はロマンに散るのだ!」

「気持ち悪い。なんでそんな下らないことにこだわってるのか理解不能なんだけど」

「なーらあんたがどっかでテキトーに死ねばいいじゃないか!」

「ボクだって人に迷惑かけて死にたくはない。死に際に目立ちたい君とは違ってひっそりとこの世から消え去りたいんだ」

「首吊りとか薬がぶ飲みしてアホみたいに死ぬとかなんでもあるだろう」

「死体も見られたくない」 


 なるほどなるほど。だから、海の中に消え去ろうってか。

 はいはい。つまるところ、


「あんただってこだわってるじゃないか!」

「黙れ死ね」

「死なせてくれよ!」 

 俺の声が東尋坊にこだまする。つい熱くなってしまった。冷静になれ俺。交渉はどちらか片方でも冷静さを欠いてしまえば成立しなくなる。俺は悴む手に、はあと息を吐いた。焼け石に水である。


「東尋坊じゃなくても崖なんていくらでもあるだろう」

「確かにボクは君と違って、どこの崖から飛び降りたいかなんて希望はない。だが一つ問題がある」

「なんだ?」

「君の言う通りにすることが気に食わない」

「早くどっか行けよてめえ」 


 再度キレた俺を意に介さず、女はフンと鼻を鳴らす。

「なんで君の指図を聞いて、わざわざこの辺境の地からまた移動して別の崖で死ぬなんて面倒なことしなきゃならないんだ。そもそもボクが君に譲渡するということがもうありえないのさ」 

 向こうはハナっから交渉をするつもりはないようだ。つまりはこの会話には何の意味もなかったということになる。


「だったら無理矢理でも俺がここで先に死んでやるよ!」 


ヤケになった俺は今すぐ崖に飛び込もうとする。

が、背後からシャツのネック部分を掴まれた。首が絞めつけられる。

「ぐえ」

「もしそんなことしたらその直後にボクが涙ながらに警察に駆け込んで君に性的暴行を受けたことを言いふらしてあげるよ。そうなると君の言うロマンチックな死に方は自責の念に耐えられなくなった小心者の性犯罪者による自殺に変わるけど大丈夫かい?」

「それはやめろ!」

「嫌だろう? だからボクが代わりに自殺してやるよ」

「こっちこそお前が死んだら俺も一緒に死んでやる! もちろんわざと愛の遺書を置いてな!」


 ざざん。

 しばらく睨み合いが続き、女が背を向け歩き出す。


「どうやら平行線のようだ。もう君と話す意味はない」

「そうだな。じゃあな」

「死ね」 

別れ際の挨拶代わりに誹謗中傷し、女はこちらに振り向くことなく去っていった。これがインターネットだったら開示請求してるぞ。 


……結局、一人取り残されたわけだが。 

これからどうすればいいのだろう。

もう終電もないから自宅にも帰れない。どこかに泊まるしかないが、今日はカップルだらけのクリスマス。空いているホテルなどないだろう。


「どうすっかなあ」 


 自殺しに来たはずなのに昏倒で済んでしまった。 そんな馬鹿馬鹿しい気分を誤魔化すように呟いて、俺は光ある市街地の方へと歩いていった。

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