自殺計画

時本

第1話 毒舌女

ざざん。

波が岩肌に激突する音が聞こえる。

12月24日の吹き抜ける風が俺の頬と耳を凍らせた。

ここは日本有数の天然記念物。ついでに自殺の名所としても有名だ。

いや。

まず自殺の名所。ついでに天然記念物。

そのぐらい、ここでは人がたくさん自殺する。

俺が思うに、ここは唯一悲劇的に死ぬことが許されている場所だ。

ここで自殺した人に対して世間は豊かな想像を働かせてストーリーを作ってくれ、さらに拡散してくれる。

ただの一般人でも唯一世間に名を残すことができる。


それがここ――東尋坊なのだ。 


かく言う俺もそのうちの一人である。

今日はクリスマスイブ。幸せムードが漂う今日こそ自殺することで「こんな幸せな日なのにどうして……」という意味深ボーナスが入り、インパクト度は2倍になる。

さらに「僕は許されない罪を犯しました」という一文のみがある遺書を近くに置くことで今にも残酷な真実が待ち受ける系のミステリー小説が始まりそうなロマンを醸し出し、3倍にまで上昇させた。

伏線は蒔いた。

あとは死ぬだけだ。

にじり寄る。

波の音がより一層強く聞こえる。申し訳程度の高さの柵の前で俺は目を瞑る。

来世は今の俺をもっと高身長にしてイケメンにして優しい性格にして欲しい。 誰だよ。

柵を跨ぐ足が震えた。頭が真っ白になる。

本能による最後の抵抗を振り切り、あと一歩。


俺はその踏み場のない一歩を踏み出す――


――直前で足を止めた。


恐怖からではない。

真下を見たくなくて、視界を上げる最中、向かいの崖に人が見えたからだ。

女だ。

ショートの髪の毛が風に揺れている。

それだけなら無視していた。うっすらと顔が見える。

――今朝、鏡で見た表情をしていた。


まさか。


それだけは、止めなければならない。


踏み出そうとした足を元に戻す。

が、勢い余り体勢が崩れて柵にひっかかり後ろにすっ転んだ。


「あっぶね」


 違う。


「惜しい」 

 走った。





 普段、運動なんてしない俺が数百メートルを全力ダッシュした結果がこれだ。

汗まみれ。息切れ。腹痛い。太もも痛い。左足つったし痛い。

これらの負の要素を抱えて俺はようやく女の背中を視界に捉える。俺は声帯のもつ限り叫んだ。


「早まるな!!」


女がこちらに振り返る。自然に女の容姿に焦点が合う。我に帰った。


流れるような黒髪。

薄手の白いワンピース。オシャレだとか化粧だとかそんなものとは無縁の、清純な美しさに溢れた顔。


要するに、女は童貞が好きそうな見た目をしていた。


――俺である。


足は女の方へ向かうものの、胸の鼓動は鳴り止まず、首からは冷や汗が吹き出していた。 ここからなにを言えばいいのだろう。落ち着け。本で読んだことがある。会話の基本はキャッチボールだ。まずは冷静に意思を伝えよう。


「あ、あん、あんた、し、し、しのののううとししてててるるるな!?」


首を傾げられた。

滑舌が悪すぎますです。落ち着こう、俺。「死ぬな」の一言でいいんだ。 


……うん、落ち着いた。言おう。大きな声で。 せーのっ!


「しね!」 


苦笑られた。


「ちがちがちがちが」


 俺の鳴き声を無視して女は諦念めいた表情のまま躊躇なく片足を柵の奥に突っ込んだ。

 まずいまずいまずい。このままだと俺が自殺教唆で殺したことになる。

 くそ、 言葉が通じないなら!


「やめろぉ!!」


 脇腹痛い。太もも痛い! あああ!! 右足もつった! 死ぬ死ぬ死ぬ死にたい!       

 荒い息を吐き出しながら固い岩を踏み越えていく。 


 もう背中は目の前。

 そして俺は勢いよく女に触れ。

 かと思ったら、浮遊感が俺を襲った。 


 空を見ていた。

 女に投げられたと気づき、瞬間的に受け身ができたのは中学時代にイヤイヤ受けさせられていた柔道の授業の賜物だろう。よって死なずに済んだ。次に自殺する時は義務教育にも感謝しよう。 


そう決心しつつそれでも軽く頭を打ってくらくらした視界に女の顔が現れた。 


「あなた誰ですか? 邪魔をしないでくれませんか?」 


ゾッとするほど冷たい眼差しで睨まれ、俺は直感した。


 ああ、この女は童貞好きのする見た目をしていても童貞好きのする性格はしていないんだな。 童貞は勝手に作った理想が崩れて失望した。 

しかも世の中にはいつか処女の子と嬉し恥ずかし初々しく卒業したい。ビッチはお断りだ。とか考えてるプライドが高いタイプの童貞というのがいるらしい。


 ――俺である。 


 沸々と湧いてくる感情。


 この女、俺を騙しやがって。普段、こうやって清楚ぶっては童貞を弄んでそれをインターネットで自慢してんだろこのクソビッチが! 負けじと睨み返し、はっきり一言文句が言えたのは、そういった焦りと緊張が生んだ半ば被害妄想に等しい怒りからであった。


「死ぬのは、ダメだ」


「……なぜ?」


 親を悲しませるなとか希望を捨てるなとか、じゃあお前はどうなんだとブーメランとなって返ってきそうな台詞が思い浮かぶ。 だが、興奮した俺の口は勝手に本音を言った。


「あんたに今、死なれると俺の死がかすんじまう」


 ざざん。

 数瞬の沈黙。やがて女はこちらを指差した。


「もしかして、君もか?」 


 ――あ?


「ああ、そうだ。あんたもそうなんだろ? イブに自殺しようとしたのも、世間に名を連ねて死にたいからだろ?」

「いやいや」 


 女は意味がわからないとばかりに首を振る。

「ボクは全くそんなつもりはないよ」


 ――あん? 


 女、は俺を小馬鹿にする様に笑った。


「むしろ、死ぬ間際にまで自己顕示欲出すとかハッキリ言って気持ち悪いね。ボクはそんな死に方だけはしたくない。だいたい」

「あんた」


「……何?」 


 いつの間にか、俺は冷静さを取り戻していた。

 声を遮り、今度は俺が相手の顔を指差す。


「男?」

「目、ついてる? どう見ても女だけど」

「あれか? 最近流行りのとらんすじぇんだーってやつか?」

「いいや。ボクはノーマルだ」

「何でそんな喋り方してんの?」

 

 前髪をいじる。

 逡巡するような間の後、返ってきた答えは。


「癖だけど」 


 なるほど。 

 察するにその癖によって周囲から拒絶され、自殺する理由の一端を担ってそうだ。 


 うーん。 


 うん。 


「そりゃ、あんたが悪い」

「な」

「キモいもん、その口調」 


 ざざん。


「さっさと治せばいいのに」 


 おとこ女が俯いた。


 表情が見えない。 


 やがて、ぽつりと聞こえた。


「君、自殺したいんだよね?」

「おう」

「結局死ぬならどう死のうが一緒だ」

「へ?」

「死ね」


 いきなり女が俺の腕を掴む。

 妙に落ち着いた声とは裏腹に物凄い力でそのままさっきと同じ要領で、しかし今度は崖に向かって投げようとしてくる。 

 俺も慌てて掴み返した。

 だが、思いっきり力負けしていた。

 俺のヒョロさのせいなのもあるが、それを差し引いてもシンプルに女の力がとんでもない。

 本当にコイツ女か?

 男であることの反論が見た目しかないんだが。


 つーか、まずいぞこれ。死ぬよ。死んじまう。死ねちゃうよ。でも死ぬにしてもやだよ、こんな死に方。女に投げられて死ぬて。ダサすぎだろ。


「やめろ! やめろ!」


「死ね。死ね」 


物理的押し問答が続く。 

俺は懸命に抵抗するが、体がじりじりと崖に向かって近づいていく。 

もう一歩でも後ずされば柵を飛び越えちまう。 

こうなったら、こちらも反撃するしかない。 

ええい、ままよ! 

俺は抑えつけていた手を離しデタラメに女の衣服を掴んだ。 

――つるり。足元が引っ張られる感覚。 

俺はぬかるんだ岩に滑り、転倒していた。


「いてっ……え?」 


地面にぶつけて痛む尻を押さえながら顔を正面に戻す。 


なぜか、視界が真っ白になった。

その真っ白が純白のパンツだとわかったのはそれから数秒後のことだった。 


 俺の右手を見ると、これまた純白のワンピースの一部分が握ってある。

 どうやら、俺がすっ転んだ際に掴んでいたワンピースの右肩側だけが右腕をすり抜けずり落ち、同じくスカート部分もずれておパンツ様が露わになったようで。

 俺はそこに顔面を突っ込み、直接触れるか触れないかのラインで止まっているらしいっすね。

 ……らしいっすねじゃねーよ。早くどけよ俺。

 いや待ってくれ。もう少しこの眺めを。

 黙れぶち殺すぞ。

 理性VS本能の戦いは理性側の勝利に終わる。

 俺は青虫のように身を引き、恐る恐る見上げた。

 

 そこには右肩と右ブラ(右胸のブラジャーの略)が出ている間抜けな姿で、なのに慌てるでもなく、赤面するでもなく、たたじっとこれまでより一層冷たい目でこちらを睨みつける女が一人。

 うん、これはあまりにも斬新すぎる展開だ。 

 一体全体この後、俺はどうなるのか、全く予想がつかない! 


 つかないなーー。

 

 とりあえず、この気まずい雰囲気を打開するため、俺は口を動かした。


「キレイな下着ダネ……ぶばぁ!!」 


女の足が動いたと思うと、脳にものすごい衝撃が来るとともに意識が消滅した。

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