第十一話 執着の果て
先行して偵察に出た戦花が持ち帰った情報に、ヴァッサヴァル内は慌ただしさを増した。
「ライヒタアドラ……って、光の国の?」
「そう。城艦だね」
偵察の持ち帰ったのは、その『ライヒタアドラ』が、土の国の城艦『エアデレファン』と接敵したという報告だった。
「それで、このヴァッサヴァルはスピードを上げているんですか……」
「ここまで何も起きていないから……と油断するわけにはいかないが、ライヒタアドラを見殺しにはできないさ」
「それは……もちろん、そうですよね」
戦闘が始まった空域までは、速度を上げても尚、まだしばらくの時間が掛かる。戦闘員は格納庫で戦闘配備中、その中での夢希とロサリアの会話だった。
「いよいよ決戦が――何ッ?!」
「どうした、ユキ?」
「いえ……なにか、突然、気持ちの悪い感覚が……」
それは、夢希の背筋を、ぞわり、と蠢くような、気色の悪い、感触とも言える感覚だった。
「……ユキ……!」
「……イリアも?」
側にいたイリアが夢希に語りかけたが、その表情はどこか釈然としない。
「……この感覚……フリック、かも知れません」
「あの男……!?」
そう言われれば、あの男に感じていた不快感と似ていると夢希には思えた。だが、言われなければ、そう思わなかった程度に、違うようにも感じる。
「……かも知れない?」
だから、イリアがそう表現したのも、分かる気がした。
「ええ、断言はできません、でも……」
「分かってる。……ロサリアさん、私達はそれの調査に出ます。例え思い違いでも、背後や側面を突かれる危険を放置はできませんから」
「そういうことなら、分かった。……また厄介ごとを任せきりにしてしまうな……」
「何を。これから敵の大将とやり合うかも知れないんでしょう? 私達の方が楽かも知れませんよ?」
「……そうだね、ありがとう。とにかく、君たちの無事を祈るよ」
「そちらも無事で。必ず追いつきますから」
戦花に乗り込んだ夢希たちは、ヴァッサヴァルから離脱した。ぞわぞわとした不快感は近づいていると感じる。それは、明確になるに連れて、危機感へと変じた。
果たして、それはそう間を置かず、背後から、たった一体で、現れた。
「……漆黒の……百合?」
夢希の目には、そう見えた。百合であるなら確かにあの男を思い起こすが、マッシヴな印象を与える『ブラック・リリィ』のフォルムは、パープル・リリィとは似つかない。
「……なんて、禍々しい……」
「姫!? 大丈夫ですか!?」
「え……ええ……」
その漆黒の戦花が纏うオーラは、イリアをふらつかせるほどに、醜悪な感覚を周囲にまき散らしていた。
「フリティア・カムシャーとして……この時を、待ちかねた!」
そして、その悍ましいオーラを力にして、瞬く間に青薔薇に肉薄した。
「ッ!」
間一髪で黒百合の斬撃を受けた青薔薇は、一方的に弾き飛ばされた。
「くゥッ! なんて力!」
そして間髪を容れず追撃が青薔薇を襲う。
「こんなものではないだろォッ!」
(引いたら……押し切られる!)
「ユキィっ!!」
「はあああああっ!!」
スーラの喝とユキの気魄に、青薔薇が応えるように、連撃で黒百合を押し返す。
「フッ……やはり屈さぬか……だが! ……ッ!?」
フリティアが反撃に転じようとした刹那、横合いからの攻撃が襲い、黒百合は躱しながらも、それが掠めるのを許した。
「チィッ! ただ護られていれば良いのだ! 姫は!! ……ッ!?」
フリティアが攻撃して来た白百合に気を取られると、その背中を、今度はレイラのライラックが襲った。
「なんて堅さだ! 大した傷も無く……直撃させたのだぞ!?」
だが、確かにしっかりと斬りつけたはずの攻撃は、黒百合の纏う花びら一、二枚を散らす程度のダメージしか与えられず、レイラは慌てて離脱した。
「……そうか? 俺は……力を手に入れたのだな?」
自分がその力量を認めていたレイラの攻撃が、今の自分にこうも通用しないのを、どこか不思議に思う心持ちで、フリティアは呟いた。
「ならば、邪魔な羽虫でしかない……。ならば……君から消えてもらおう!」
フリティアはライラックを標的と定め、襲いかかる。
「クゥッ!」
レイラは必死に受けるが、敵の攻撃の強さ、重さに押され、一撃受ける毎に絶望感を育てた。
その苛烈さに、夢希もイリアも、助けに入るタイミングを計りきれない。
額の左右で開きかけた花弁が角のように、ブラック・リリィを鬼と見せた。だが、その印象は見た目によるものだけでは無い。
「このパワーが……本当にフリックなのか!?」
「死んだ弱い男の名だ!」
意表を突いて、黒百合の、斬撃ではなく打撃が、ライラックの胸を打った。
「アアッ――」
黒百合を鬼と思わせるパワーが、ライラックの内側で爆発するような衝撃を起こし、その激しい振動に翻弄されたレイラは気を失って、ライラックは真っ逆さまに落ちていく。
「レイラッ!」
「!! 俺を……見ろォッ!!」
落ちるレイラを助けようとしたイリアに、フリティアは激昂した。
黒百合はその身を更に膨らませて、白百合を襲う。その光景がゆっくりと流れるのを、夢希は視た。
――私だって、失いたくないものは……有るのよ?
その、伝えた言葉は、本心だった。心の底から、失いたくない人が、護りたい人が、いる。それは、夢希にとって、初めての、キモチ。
その夢希の想いに、青薔薇は応える。強い想いは、強い力に。
黒百合の振り下ろした剣は、しかし、白百合に届くことは無く、目にも留まらぬ速さで突進した青薔薇は、黒百合をその勢いで突き飛ばした。
「ンぐゥッ!? …………またキサマが……姫を……ヒメが……俺のオォォッ!!」
逆上したフリティアは、黒百合を更に大きくさせてみせる。その、いよいよ戦花を満開させんとする強い憎悪もまた、力だった。
そして、力と力はぶつかり合う。
だが、ピュアで初心な力と、肚の内で反芻し増幅され濁りきった力は、拮抗しない。
青薔薇は、今やその身よりも二倍ほども大きく見える黒百合の攻撃を受け止めきれず、吹き飛ばされる。
しかし、直ぐさまに体勢を整えて、立ち向かっていく。
黒百合の攻撃を受けきれないと見るや、まともに打ち合わず、立体的な機動で攻め口を探す。
だが、大きくも、鈍重ではない黒百合に青薔薇の決定打は届かず、避けきれない斬撃を受けては吹き飛ばされ、また立ち向かう。
そんなことが幾度も繰り返された。
――レイラの無事を確かめたイリアは、見上げた空に、それを見た。
自分よりも大きな力に、決して屈すること無く、臆すること無く、何度でも立ち向かっていく、蒼い薔薇。
気高く、美しい、と思った。
そして、誇りに思う。
あの
あの
(フリックを、ああしたのは、私だ……)
それが、イリアの中にある考え、そして、決意だった。
ならばこそ、それがユキを脅かすなら、どんな手段を以てしても、私が倒す――そう考えていた。
だが、それは愚かな考えだったと、自分がすべきことはそうではないのだと、夢希の姿に思い知らされた。
もうイリアの心に、恐れも、迷いも、無かった。
「フハハ!! 私を強くするこの忠誠と憎悪は限りない! ならばッ! 満開した黒き花も、いつの限りなく咲かせてみせよう! 運命など、俺が否定する!」
フリティアが誰にともなく喚く言葉に、もはやこの男は平常ではないと、夢希は感じる。そして、もう、こちらの言葉も通じないだろうと。
「ユキ!」
「イリア!」
「ン? また? また……私に剣を!!」
ただ憎悪に染まったフリティアは、もはや己の姫たるはずのイリアさえ敵と見る。
「あれはもう……。終わらせてあげましょう、一緒に」
「……ええ、私達、二人なら」
その瞬間、二人の間に不思議な、マナの循環、あるいは共鳴、とでも呼ぶべき繋がりが生じた。
それを無意識で感知して、フリティアはまたも、激昂した。
「ならば永遠とする! 姫は! この俺がッ!!」
その、目の前の二人共をまとめて斬り伏せんとする黒百合の斬撃は、しかし、青薔薇と白百合の剣に、あっさりと止められた。
「ハ……!?」
――相手が小さく見えている。だから、この一撃は、その小動物たちを他愛も無く切り飛ばすはずだった。それがどうだ? まるで物理的な法則など当てにするものではないとでも言わんばかりに、軽々と?
フリティアが軽い混乱に陥った、その僅かな瞬間に、夢希とイリアの二人の、息の合った蹴りが直撃し、巨大な黒百合をいとも簡単に大きく吹き飛ばした。
「がぁッ!? ……何という力なのだ……? ……ッ!?」
そして、空中で勢いを殺したフリティアは、向き直った眼前に、それを見た。
手を取り合った、蒼き薔薇が、純白の百合が、光に包まれ、光と光が一つに溶けて、重なった。
重なり合った光は大きく膨らみ、そして人の様な姿を形作って見せた。
それは満開のブラック・リリィをしてなお、見上げるような大きさだった。
それが、夢希とイリア、重なりあった二人の想いへの、マナの応えだった。
これは自分を終わらせるモノだ――と、フリティアは、理解した。させられた。
だが、その光の巨人は、フリティアにとって――いや、フリック・マルガスにとって、救いの使徒だと直感もした。
だから彼に、恐怖は無かった。フリックはその顔に自覚無く、ただ至福の笑顔を浮かべ、その笑顔は止め処なく溢れ出る涙に歪んだ。
(どうして……『僕』は……)
脳裏には少年の日が浮かび上がる。自分の戦花は、色こそ違えど、姫と同じ、百合の花。その、誇らしさ。だから自分が、姫を守るのだ。――その為に、『俺』は強くなるんだ。
その、幼い、だが、純粋な決意は、遠く。
(いつ……何を……間違えたのだ……?)
それは、衝動的に青薔薇を攻撃した時だろうか。もっともっと、前からのような気もする。いずれにしても取り返しの付かないことだ。そう思えば、心には後悔のような感情がチクリと過ぎる。
(……だけど……)
何故だろう、目の前に、自分が望んでいたはずのものが、形を持って存在していると感じる。その圧倒的な充足感の前には、あらゆるネガティヴな感情は“些細なもの”と思える。
フリックは、満たされた。
光の巨人の振り下ろした光の剣は、黒百合を縦に通り抜け、両断したかに見えた。
だが黒百合はその形を分かつことは無かった。
光の剣が通り抜けた後には、ただ満開した花びらたちが、ブラック・リリィの全身からハラハラと、散り始めた。
やがて形を維持できなくなったブラック・リリィの“はらなか”から宙に放り出されたフリックは、満ち足りた表情を浮かべたまま、その身を光の粒子と散らせ、空に溶けた。
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