第十話 救い、反逆者の胸に ―2―

 夢希が感知した力を放つ男、ムンタキムもまた、己の戦花『アネモネ』を通じて、夢希の力を圧力のように感知していた。

「……ッ! 気圧された!? ……あれがブルー・ローズってヤツ! 引き金を引いたことも無いような女が!」

 ムンタキムは、自身の心の内に芽生えた恐怖を自覚してか無自覚か、強く言い放つことで、それを振り払おうとした。

 そして、力と力は、引き合うようにして、間もなくぶつかり合った。

 ――ギャィン!

 勢いのまま叩きつけられた青薔薇の剣を、アネモネも剣で受けて迫り合いながらも、青薔薇の飛び込んだ勢いのまま、二体は空を滑るように飛んでいく。

「赤い花が血の臭いをさせて!」

「ハッ! いっちょうまえに!」

「……! あなた達が……あの街を破壊したのね!?」

「勘が良いとは本当らしいなッ……! だったらどうした!」

「どうして占領した街の人達を……殺す必要まであったっていうの!?」

「獅子身中に虫を飼うわけにいくかッ! それに! そうさせたのは貴様らだろうに!」

 アネモネが不意に繰り出した蹴りを、青薔薇は素早い反応で飛び退いて躱してみせる。そして、追撃と反撃の剣は再びぶつかり合う。

「勝手に奪っておいて!」

「奪いあうことで文明を育てたのが人間だろッ!」

「与えあうことも出来る! それが人の知性でしょう!」

「これだからクリスティアンは!」

「日本人に言うこと?!」

「ハッ! ヤバニーヤか!」

 パワーだけならアネモネにやや分があった。アネモネの赤を血の色のように見せる、ムンタキムの憎悪にも似たどす黒い意思が、その力を与えているようだった。

 その憎しみ、その力に任せて、青薔薇を攻め立てながら、ムンタキムはその口からも怨恨を溢れさせる。

「長く平和に生きたキサマらは、知らないんだろうな!? 石油資源を売り物にできなくなった後の中東は、地獄だよ! 何せ、キサマらが完全平和とやらを謳歌するために、失職するはずだった奴らを、誰かがみんな食べさせてやる必要があったんだからな! かつて石油がもたらした富を忘れられない奴らは、そういうヤツらと組んで内戦をデザインした! そして俺らのような民間人は、その作られた地獄の中に、死ぬために生かされたのさ!」

「……同情はする! だからって、あなたが無駄に人を殺していい理由にはならない!」

「人殺し!? あれが? 違うね! 人死にってのはもっとグロテスクだ! それがココじゃ、どうだ! あんなモノ、ヴァーチャル・ゲームと何が違う!」

「人の意識が、意思が……失われるのよ!? 見た目の問題じゃ無い!」

「知りもしないくせに……綺麗事ばかりを!」

「私だって人殺しだ! 綺麗なものか! でも、だからこそ、こんなこと終わらせなきゃって、思うんでしょう!」

「お前が人殺し? ハッ! 本物の悍ましさを知らない奴がッ! 見たことがあるか!? 昨日笑い合ったヤツが、翌朝、臓物をぶちまけた上半身だけになっていたのを! 目の前で、狙撃された仲間が脳漿を飛び散らせるのを!! あの、本当の地獄を知っていれば、ココでやってることなんざ、ままごとさ! それを延々と!? なら、誰かが本当の戦争ってもんを教えてやらなきゃならん! でなきゃ、永遠にでも続くだろうが!」

「だからって……あなたがそれをやろうって!? 傲慢じゃない! それは!」

「真理だろ!」

 ムンタキム言葉に反論しながらも、夢希の心は悲しみを感じていた。それは、ムンタキムの内からひしひしと伝わる、世界に対する恨みのようなもの、それを生んだ理不尽に対しての無力感とも言えた。

 そこに怒りや憎しみは無く、救えるものなら救いたい、そういった無意識が、いつしか夢希の言葉に、慈愛にも似た色を纏わせ始めていた。

 それは、拒絶では無く、受容だった。――だからこそ、ムンタキムの内面へ影響を及ぼすことができたのかも知れない。

「俺がやるしか無いだろうが! 神は助けちゃくれない!」

「当たり前でしょ! 地獄に生まれたって、だからどこかにいる神様に助けてなんて、ただの転嫁でしょう!」

「宗教を持たない国の女が、俺を……逃避だと言うかッ……!」

「人間って究極的には独りなら……神なんて、個々が内に見出すしかないじゃないの!」

 互いがぶつけ合った剣は拮抗するも、その夢希の気迫、そして言葉が持つ力は、ムンタキムの“意思”を、彼自身の内側へと押し込んだ。

「神が……内だと……? 何を……? ……いや? なんだ……宇宙……? ……ここに、ずっと、いた……?」

「あなたはあなたを、憎しみの奴隷にしようっていうの!?」

「俺は……俺のあるじは、俺だ! だが、しゅが、俺の中におられるなら……!」

 拮抗していた鍔迫り合いは、相手が突然力を抜いたせいで、青薔薇がつんのめるようにアネモネを押し飛ばした。

 弾き飛ばされたアネモネは、四肢を力なくだらりと垂らしたまま、宙に漂っている。

 夢希はそちらを注視したまま、慎重に青薔薇を後退させた。アネモネの周りのマナの流れが、今まで感じたことのない緻密な動きを始めていたからだ。夢希に知識があれば、それがアラベスクを描こうとしていることに気付いただろう。

 それは、夢希の感覚には、良くないことのようで、だが良いことのようにも感じられて、ただ距離を取って警戒するしかないと思えた。


「ならばなぜ苦しむのだ……俺は? 俺は……!」

 ムンタキムはその人生に於いて、己の意思や感覚を外側へ外側へと、つまりは彼の想定する『敵』へと、向け続けていた。そうしなければ生き残れないと、彼が信じていたからだ。

 だが、だからこそというべきか、夢希の言葉がもたらした影響は覿面だった。

 戦花によって鋭敏化された感性の全てを自身の内面へ向けることは、人間ひとりぽっちを無限の宇宙に放り込むに等しかった。そしてその“宇宙”の認識を拡大し続ければ、全てを呑み込んで、そこにはただ一つ、それだけが有るのみと見えた。

 だが、言葉では神を否定しながらも、それを語ることで宗教に依存していたムンタキムは、その“ただ一つ”を、神との合一と認識した。自らの抱えていたはずの、夥しく煩雑と感じていた、あらゆるもの全ては、ただ神の内に抱かれていた。

「これが……ファナー!! ああ! ああッ!! アッラーフ……アクバル!!」

 それは、ムンタキムにとっては、救いの極致だった。

 ムンタキムの多幸感に反応して、アネモネは弾けるようにその花を全身で満開させ、そして花たちはその勢いのまま、空へ散り広がった。

 ハラハラと舞う花びらたち、そして、放り出されたムンタキムは、その形を光に変えていく。

 そしてその、不思議と“あたたかさ”を持った光たちは、そのまま拡散し、空へ溶けていった。

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