第九話 生命、燃えて ―2―
「お前だけは許せないんだよッ!!」
切り結びながら、そう言うオルガからは、だが、かつて夢希が向けられたような、強烈な圧力を伴った憎しみや殺意は感じない。しかし、その強い意志を奥底に覆い隠すようにして、悪意と感じられる何かがある、と感じられた。
もし夢希が不幸な身の上なら、それを、人を騙し陥れようとする類いの悪意であると見抜いたかも知れない。そうはならなかった程度には、夢希の人生は幸福だった。
強いプレッシャを感じないとはいえ、スーラ曰く「花を咲かせようとした」アルストロメリアは、その“存在の力”とでもいうべきものが、初めて見た時よりも大きくなっていると、夢希には感じられた。
それと互角以上に打ち合えていることに、自分もまた、ランテル奪還戦で我を失うほどに陶酔した全能感の中で、青薔薇を咲かせようとしていたのではないかと思い付いて、ゾッとした。
「……だとしても!」
目の前の敵に、あの恐ろしい力を使わせないためなら、今は呑むべきだ――夢希はそう自分に言い聞かせる。
不意に、アルストロメリアが退いた――ところに飛んできた銃弾を、夢希は敵意を感じるままに躱して見せた。
「さっきのウィーズたちか!」
気が付けば、森の端に近い空域で戦っている。
「誘い込まれた!?」
「ユキさん!」
「フォニカ! 防衛隊の手を借りてでも、下のウィーズを牽制してくれるだけで助かる!」
後方から追いついてきたアセビに、そう言い放ち、夢希はアルストロメリアを追った。
「押し込んでしまえば……!」
背の低いウィーズなら、森の木々が狙撃の邪魔になるはずだ。夢希はそう考えて前に出る判断をした。
“冷たい感じ”のする森の方へ向かうのは不安も過ぎったが、目の前の敵を自由にさせるのはもっと不安だった。それほどに、いつかこのアルストロメリアから感じた圧力は危険だと感じるものだった。
「ほぅ! そう来るかい!」
鍔迫り合いのようにして、青薔薇がアルストロメリアを森の方へ押し込む。しかし、そう言う敵からは、どこか余裕があるようであると同時に、邪な感じが強くなっていると夢希は感じる。だが、躊躇っている余裕はなかった。
「パワーで負けてないうちに!」
相手が恐ろしい力を発揮するかも知れないのなら、発揮する前に倒しきる。その決然とした意思で繰り出す青薔薇の攻撃は、致命には至らずとも確かにアルストロメリアに傷を刻んでいく。
――だが。
「許せないと言ったッ!!」
オルガがそう言いながら猛然と下がったと同時、夢希は“冷たい感じ”が、自分を包み込もうとするのを感じた。
「ッ!」
その直感のままに身をよじると、地上の、森の中のあちらそちらから青薔薇目がけて殺到する銃弾の、クリティカルな直撃だけは避けることができた。
「くゥッ! どうして潜んでいたウィーズに気付けなかったの!?」
「さあ! 敵討ちだァッ!」
体勢を崩した青薔薇を、心の奥底から湧き上がる殺意を、もう隠そうともしないアルストロメリアが襲う。
何とかそれを防いで見せても、アルストロメリアの離脱と同時に再び銃撃が襲う。
「スーラ! ウィーズも人の意思に応えて動くんじゃないの!?」
「だって! あんな血の通わない意思を人が持てるなんて、知らない!」
「血の通わない意思……!?」
夢希は戦花が感じさせるままに動いて致命だけは避けながら、突破口を探していた。
「あの薬を飲んだ戦士なら、渡来人を騙せる! ゴルジェイの言ったとおりだな!」
「……! 薬物まで使って……人を道具にした!?」
それは決して許せるものではない――そう、心から感じる。
その夢希の意思が青薔薇に、どす黒いオーラを纏い、力を増し始めたアルストロメリアに、肉薄する力を与えた。
「離されなければ銃撃は!」
「コイツ! しぶといッ!」
纏わり付く青薔薇を嫌うオルガの苛立ちが、アルストロメリアに大振りをさせる。
それを躱した青薔薇は、その側面から斬撃を叩き込む。しかしそれは、オルガの素早い反応に防がれたと見えた。
だが、夢希にとってそれは織り込み済みだった。
「これで!」
青薔薇の空いた手から、火弾が飛び出す。
夢希の決断は迅速だった。しかし、慣れない魔法的な現象の発動に、僅かなラグがあった。だからアルストロメリアに回避行動を許した。
「! チィッ!」
火弾はしかし、咄嗟に躱したアルストロメリアの前腕を掠め、そこから侵食するように燃やし始めようとした。
「ンならァッ!」
だが、オルガは躊躇なくその腕を肘から切り落として最悪を回避した。
「!」
ならば! と追撃に出ようとした夢希は、そこで立ちくらみのような感覚に襲われた。
「ユキ! 地上に降りて! マナの消耗が過ぎれば戦花だって維持できなくなる!」
「ッ! 焦りすぎたっていうの!?」
スーラの叫びに、ユキは悔しさに歯噛みした。
そのまま青薔薇は落ちるようにして木々を倒しながら地面を揺らした。
「クッ! 平地なら“走れる”のに!」
周囲の木々が邪魔をして、更にマナが希薄になりつつあるせいか、青薔薇の反応は鈍い。
森の中に隠れられるウィーズに対して、木々は戦花のサイズを隠すには不十分だった。それではいい的だから動かなければならない、と焦る夢希に、しかし、周囲からの銃撃はなかった。
「この時を待っていた!」
夢希の正面に降り立ったオルガは、自身のアルストロメリアに背部ストレージからハンドガンタイプの銃器を取り出させた。
「お前だけは……アタイの手で!」
残った方の腕で、その銃口を青薔薇の下腹部へ向けて、引き金を――
「うあぁぁぁぁ!」
そこへ、絶叫と共に墜落するように飛び込んできた白い影は、フォニカのアセビだった。
「ハァッ……! ユキさん!!」
「マナが無いからって無茶を……でも助かった!」
マナの残る空から、慣性を使って飛び込んできたアセビに、大きく突き飛ばされた形のアルストロメリアが、ダメージも無い様子で立ち上がる。
「どいつも……こいつもォッ!!」
そのオルガの激しい憤り、その気魄は、夢希たちに、アルストロメリアがその花を開き、巨大化すると見せた。
「ッ! こんな時にッ……!」
「…………私が囮になれば、ユキさんは帰れます!」
「何を……死ぬ気!? そんなッ! それなら私が!!」
「駄目です! 絶対に!! ……貴女は私達の希望だから……万が一さえ有っては駄目なんです!」
そう言いながら、フォニカのアセビは、青薔薇を強く遠くへ蹴り飛ばした。
「なぁっ! くっ!」
周囲のマナの濃度が下がっているせいか、青薔薇の動きは夢希の留まろうとする意思を反映してくれず、蹴られるがままの勢いで遠く、森の外へまで、飛ばされていく。――しかしそれは、あるいは夢希の心の奥の“理解”を、正しく反映していたのかも知れない。
フォニカの言うことは、判るのだ。だから動けない。だが、頭では、解りたくはないと叫んでいる。そんな犠牲を、解った風に振る舞うような大人になんて、なりたくなかった。
アルストロメリアは、そしてアルストロメリアの行動を号令にするように、潜んでいたウィーズたちも、飛び出してきたアセビに一斉に銃口を向けた。
フォニカは自ら選んだ役割を果たさんと、自らの戦花へ想いを繋げた。
――その時、夢希は光を見た。
それは、フォニカが、自らの生命を賭して敵を食い止めんとする、その意志の光だった。
それは、強く、ひたすらに美しい。
だが、その眩い光の奥底に、更に一際輝かんとする別の光が見えた。
それは小さいけれど、ただただ純粋な光で、夢希はそれが膨張しようとしているのを感じたと同時、それが何であるかを、そして彼女がやろうとしていることを、心で悟った。
(それは……それだけは、だめだ!)
その、夢希の心に湧き上がった感情は、理屈ではない。フォニカが自らの存在すら賭して成そうとしていること、その悲しみを、心が知っていた。
フォニカのアセビは、敵の集中砲火を全身に受けながらも、その花を咲き誇らせようとしていた。
一つ一つは、小さな花だ。だが、全身で開いた花たちは、戦花としてのアセビを、大きく強く見せた。
そして純粋な魂の想いは、マナと共鳴し、その純粋な力は、炎として現出した。
――ゴウッ!!
砲弾も火弾も飲み込むように、青白い炎の壁が、轟音を伴って津波のように、敵達の潜む木々までまとめて飲み込んで広がって、消えた。
その後には燃えカスも残らず、フォニカの存在の残滓すら残さず、空気に溶けようとする無数の光の粒子たちだけが、陽炎に揺らめいていた――。
「……なん……だったんだ……あの力はァッ……!」
そのオルガの苛立つ声は、しかし、恐怖に震えていた。
あの瞬間、恐ろしい危機を感じると同時に全力で逃げながら、それでも迫る青白い炎からは逃れられぬと理解した瞬間、確かに死を覚悟した。
それでもこうして歩けているのは、戦花が守ってくれたのだと思う。それはまた、ビエンナとメイフィアが守ってくれたとも思える。
「なら……今度こそアタイはヤツを殺さなくちゃいけない……」
消耗が激しく、上手く身体に力が入らないが、生きてはいる。オルガは、あの状況で生きていることを奇跡のように思うが、それは復讐を果たすために生かされたのだ、と考えた。
実際は、フォニカがその生命の力で生んだ炎は、広大な森の中にぽっかりと焦土を作りながらも、しかし、その範囲を逃れた木々には燃え移ることもなかった。そのことが、戦花からはじき出されるように森に落ちたオルガを生かした。付け加えるなら、オルガが意識を失い、その強い意志が外に向くことがなかったことも、その命を救った原因の一つだろう。でなければ、深い悲しみと同時に強い怒りを感じていた夢希は、きっとオルガを感知して、殺したはずだった。
「フゥッ……どれだけ寝てたんだ……? もう夜が近い……日が落ちきる前に森を抜けたいが……」
そうして“嫌な臭い”から遠ざかるように、ふらつきながらも歩き続けたオルガの行く手に、人影が現れた。
「ッ! 誰だッ!」
「……そう怯えるな……私だよ」
「……黒仮面か……」
気に食わない男ではあるが、今この場ではありがたいとオルガは思う。
「君ほどの力を持つ人が、そうそうやられるとは思わなかったのでね。私自らこうして探しに来たが……迷惑だったかな?」
「……まあ、今は感謝しておいてやるよ」
「そうか、余計な世話で無かったなら良い」
「……フンッ……」
「……肩を貸そうか?」
黒仮面は、未だ足元のおぼつかないオルガに歩み寄って、そう言った。
「……いや、道案内さえしてくれれば、それで良い……」
「……そうか」
オルガのすぐ傍らに立ちながら、確認を取るまでオルガに触れようとはしない黒仮面に、オルガはほんの少し、気を許した。
その黒騎士を後ろに残して前に歩を進めたオルガは、振り返って黒仮面に軽口の一つでも言ってやろうかと思い付いた次の瞬間、胸の真ん中に、熱い痛みを感じた。
「そう、君ほどの力……それは青薔薇を殺すかも知れないほどの力だと認めよう。だが、だからこそ、それは困るのだよ……」
その黒仮面の声を無感動に聞き流しながら、オルガは、自分の胸から飛び出した剣を不思議と滑稽に思った。
(まったく……頭脳労働をメイフィア任せにしてたからだ……。済まないね二人とも……こんなアタイが――)
想いは言葉になりきらぬまま、オルガはその身をマナへと還した。
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