第六話 式典の日 ―2―
「むッ! 何だ……この感覚は?」
オルガは、前方から、押し返そうとする気迫が向かってくる、という感覚に襲われた。
その、慣れない感じのする方を注視すると、こちらへ迫る小さな影を見た。
「敵か! もう気付かれたってのか?! チィッ! だが一体だけなら……。お前ら、敵だ! トリニティ・ストライクで一気に蹴散らすよッ!」
「おうとも!」
「……了解……」
オルガの白、ビエンナの薄桃、メイフィアの紫、ばらけて飛んでいた三体の『アルストロメリア』が、直列に並んだ。
夢希は、前方に見えた三つの影が一つにまとまるのを見た。間もなく、その形まで見え始めて、夢希はスピードを落とした。
ぱっと見は一体の戦花が迫るようだが、その後方から、周囲に向けて意識が散っていると感じて、その意図が見えた。
「先頭の攻撃を躱したところに、二の矢三の矢と攻撃を仕掛けてくる気か……」
「じゃあ、どうするの? ユキ」
「決まってる」
スーラの問いにおざなりに答えながら、夢希は青薔薇を再びスピードアップさせた。
「!! 速いッ! しかも真っ直ぐ……躱すまでも無いっての!? こなくそッ!」
オルガは、相手の挑むような行動に、ムキになった。そのせいか、攻撃は直線的になった。
「ッ!!」
鋭く突き出した攻撃を、向かってきた青い戦花はくるりと上方に躱したと見えた。
(それならそれでッ……)
こちらの思うつぼだ、と考えた瞬間、猛烈な勢いで下方への加速度を全身に感じた。
(叩きつけられた?! 一撃でこれかッ!)
オルガは、相手の力量を見誤ったことを後悔しながら、必死に戦花を立て直して、上を見た。
「!! おまえたちッ! 止まるんじゃないよッ!!」
その視線の先には、オルガの戦花が突然消えたように見えた事に驚いて動きを止めた、ビエンナとメイフィアの戦花があった。
白い戦花の攻撃を回転しながら躱し、その勢いを利用して相手を叩きつけた青薔薇は、反動で上に浮き上がる。
その時、夢希の目は、落ちてゆく戦花に視線を向けて動きを止めた二体の戦花を視界に捉えた。
同時に、身体は反射的に次の行動を取っていた。
瞬く間に剣となった右腕を振りかぶり、手前の薄桃色の戦花に向かって、降下した。
その瞬間、夢希の意識は時間が引き延ばされたように体感した。
(このままでは、私は、人を殺す……?)
夢希は、そのゆっくりと動く認識の中で、無意識にそんな行動を取った自分を、ただ不思議に思った。
『――それを怒りや憎しみで行ってはいけないわ!』
以前、スーラに言われた言葉が脳裏でリフレインした。
(……私は……?)
その時、夢希の脳裏には、ドレスに身を包んだイリアの姿が浮かんだ。
ただそれを、綺麗だ、と思う。
そのイリアのイメージが、バァッ! と炎に包まれた。
写真が燃え崩れてゆくように、イリアの姿が消えてゆく。その炎は同時に、夢希の迷いも、燃やし尽くした。
「は?」
オルガの声に、顔を上げたビエンナは、迫る青薔薇を見た。
その次の瞬間に起こったことを、ビエンナは正しく認識できなかった。ただ、何かが真っ直ぐ、上から下へ、自分を通り抜けたと感じた。
その青薔薇の一閃は、清流のようだった。
淀み無く、一切の邪気も無く、ただ流れるべきを流れるままに流れた。
その軌跡は、ビエンナの、薄桃色のアルストロメリアを事も無く両断し、内のビエンナ自身もまた、その中にあった。
ビエンナは一瞬で、身体の内から何かが、どこまでもどこまでも、無限に広がっていって、心地よい温もりに、薄く薄く溶けていくようなイメージを見た。
「姐御ぉっ……」
ビエンナは、痛みも苦しみも感じること無く、その温もりに安らぎさえ感じながら、その最期に、いつか見たオルガの笑顔を視た。
分かたれたアルストロメリアの腹の中、そこに有ったビエンナの身体は、何かを呟いた次の瞬間には、その身体を光と変えた。
人の形をした光は間もなく、もうその形を維持できなくなったようにパアッっと細かい光にほどけて、大気に散っていき、溶けるように消えた。そして薄桃色の戦花もまた、花びらが散るようにほぐれ、主の運命をなぞるように光となって、空に消えた。
夢希は確かに目の前の現実に起きたこととして、それを視た。
手に残る人を殺した感触、散りゆく光から周囲に放たれた波動が歓びの感情を伝えてきたことの矛盾、そして目の前で起きた、夢希の常識では有り得ない、人の最期の光景、それらを一緒くたに認識して、夢希は混乱した。
(世界が違えば、人の有り様さえ変わってしまうというの……?)
確かに感じる、自分の心臓の鼓動は、全身に血液を循環させているはずなのに、先ほどの光景はそれを否定するようだった。その身を切り裂かれたはずの人間が、血を吹き出すでも無く、光となって消えたのだから。
血の気が引いて、自分の存在がとても不確かに思える。
(だけど……あれは確かに、命だった……。そうだ……本質は血肉じゃなくて、魂なんだ……)
その思い付きに、自分が現実につなぎ止められたような感覚がした。
「……ビエンナッ……! ああァッ!!」
メイフィアは目の前で消えてゆくビエンナを見て、遅れてその事実を頭で理解して、激昂した。
ビエンナを斬ったまま動きを止めた青薔薇に、怒りにまかせて斬りかかる。
メイフィアの、紫のアルストロメリアの右腕は鋭い刃となって、青薔薇を捉えたかに見えた。
だがその強い怒りの感情は、その強さ故に、その剣筋を青薔薇に明確に伝えていた。
ギャィン! とぶつかり合う音がした直後、アルストロメリアの剣は跳ね上げられ、青薔薇の剣は返す刃でメイフィアの命の煌めきを淀み無く捉えた。夢希はその、ほぼ無意識で行う青薔薇の動きを、どこか他人事のように、静かな心のまま認識していた。
メイフィアはその無垢な流れが、自分の怒りを容易く押し流したと感じた。先ほどまで怒りに燃えていたはずの自分の心、そこに残っていた、温かいもの。自分が知らず抱え続けていたそれが、愛だ、という理解を最期に、光と散った。
「ああ……、アアッ!!」
二人の命が消えゆく光景に、オルガの心が、悲しみと怒りに塗りつぶされそうになったその時、脳裏に声が聞こえた。
(――私達の任務は、偵察ですが……)
「ッ!! ……そうだ……そうだよ……そいつを果たさなきゃ、あの子らが浮かばれない……!」
オルガは、油断なくこちらを観察する、青い戦花を見た。
「覚えていろ……ブルー・ローズ……!」
怒りと悔しさを押し殺して、オルガは全力で退いていった。
「……行ってくれた……」
夢希は安堵の息を吐いた。
「スーラ。今のは何だったの……?」
夢希が二体の戦花を斬った時、残った一体から凄まじいプレッシャを感じて、どこか夢現だった夢希の意識は、無理矢理現実に引き戻された。
オルガの戦花は、サイズを二倍にも三倍にも増したように、夢希に錯覚させた。その戦花が放つ力は、それほどの危機感を感じさせるものだった。
「たぶん、戦花が操者の意思と共鳴して、その花を、咲かそうとしていた……」
「花を……咲かせる……?」
「分からない、ただそう感じただけ。でもあれは、きっと良くないことだわ」
「……うん、そうだね。私達にとって良くないだけじゃない。あれは、自分自身さえ破滅に向かわせる力だ……」
そう感じるのは、咲いた花に待つその先の運命というものが、決まり切っているからではないか。夢希はそう思った。
式典は、滞りなく行われた。
青薔薇に乗った夢希の感性は誰よりも鋭かったから、その対処は迅速だった。一瞬膨れ上がった脅威を感じ取った者もいたが、それがすぐに退いたことも知れたし、それ以外の妨害も無かった。
「土の国の暴挙を止めるために」
「ブルゥンディ・ベルの安寧のために」
水と光、女王と女王が史上初めて手を取り合った。だがその歴史的な場面に、浮ついた空気は微塵も無かった。
これがこの世界の歴史上初めてのことなら、この後に起こる土の国との衝突も、史上最も苛烈になるだろう。
その予感を、多くの者が感じ取っていた。
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