第五話 フォール・イン

「急ぎ戻れと言われて帰ってみれば……、話し合いだと!?」

 廊下を歩きながら、そう不満をこぼす偉丈夫は、その粗野ともとれる物言いに反し、見た目にはどこかしら気品を感じさせる。

 光の国の第一王子、ウィルだった。

「兄上、イリア直々に連れ帰ったのです。無下には出来ぬでしょう……?」

 その斜め前方を歩くのは、ウィルの妹であり第一王女の、サリカだ。

「同盟と言ったか? 裏は無いのか?」

「イリアの感性は私達よりも鋭いではありませんか。繊細、と言い換えても良いですが。その子が信じたのなら、私達が疑う理由も無いでしょう?」

「……だがな、戦花を強く戦わせるのは、最後は心の有り様だぞ。そういった……弱者の思考が、悪い方に出ないとも限るまい?」

「そうは仰いますがね……」

「いや、分かってはいる。この前は私一人奮闘して前線を維持したつもりが、周りを食い破られて危うく孤立するところだったのだ。質以前に数が足りないと分かるさ。後方の安全を水の国と担保し合えるのなら、人員の再編もできる。そのくらいを考える頭は、私にもある」

「私としてもほぼ同意見ですよ。この件に関しては、私が母上から委任されています。だからといって、前線の意向を無視もできませんので」

「気苦労が絶えぬと見えるな」

「……どこかの誰か様が、王位継承権を放棄してしまわれたので、私がやらねばならないのですよ……」

「ムゥ……。なんだ、その……済まんな」

「……いえ。ハイアの死に、私とて思うところが無かったわけではありませんから」

「その無念を晴らすためにも、優先順位を間違えるわけにはいかぬ、ということか……。何にせよ、話を聞いてからだ」

「ええ」

 そうして間もなく、水の国の使者達の待つ部屋に到着した。


「お待たせした、客人」

 そう言って給仕口とは別の正規の入り口から入ってきた人影に、夢希たちは立ち上がった。

「この度は突然の訪問に対応していただき、ありがとうございます。私は、ローラ。水の国の次期女王候補の一人にして、今回は女王陛下の名代として参りました。後ろの二人は、護衛の、ユキと、プリムです」

 紹介に、黙礼した夢希は、改めて現れた二人を観察する。

「女王候補を遣わすとは……それほどの本気と受け取りました。私は、サリカ・ラ・サンリリウム。第一王女にして、継承順位第一位となります。この件を女王陛下から委任されてもおります」

 そう語った女性は、王女と言うだけあって、その立ち居振る舞いからは気品を感じる。ただ、イリアの柔らかい感じのする品性とは違って、威厳や風格というような、凛とした品性と、夢希には感じられた。

「そして……」

 そう言ってサリカは、傍らに立つ偉丈夫に挨拶を促した……が。

「…………」

 ウィルはその声が聞こえていないのか、自失忘我といった様相で、固まっていた。

「……? あ、兄上?」

 そのサリカの声が届いたのだろうか。ウィルは、ハッと我を取り戻し、そして――。

「えっ?」

 その声は、ウィルを除いた、侍女までも含めた、この部屋にいた全ての人間の声だったかも知れなかった。

 なぜなら――ウィルは突然、ローラの前に跪いたからだ。

「ローラ嬢……いえ、ローラ様! どうか、どうか! この我が身を、この生命尽きるまで、御身の盾とし剣とすることをお許し願う!」

「……は……?」

 突然の事態に、普段冷静なローラでさえ、そのような間の抜けた声を漏らすことしかできなかったが、他の者達も同感だった。

「幸いにして、この、ウィル・サンリリウム! 既に『ラ』の継承権利を放棄してこそおりますが、第一王子という身分であります! この身を貴女様に捧げ、我が国と水の国の、永遠の友好の証と! 礎と! かすがいと! する事を、是非! 受け容れていただきたく!」

 その情熱的な、咆哮と形容したくなるような熱願は、感覚を鋭敏化する戦花を通さずとも、それが演技などでは無いのだと、信じるに値すると、この場にいる誰にも感じられた。

 そしてその情熱を向けられたローラは、突然の出来事に、しかし――その頬を赤らめ、満更でもない様子だった。

 年齢が十を迎える年、次代の女王候補として見出され、それ以来、王宮に仕え、その役目を果たそうと、ただ必死に生きてきたローラは、恋愛というものとは無縁だった。さらに言えば、男女比が極端に女性に偏る水の国では、そのせいか、少ない男性の物腰も、こうも雄々しい者は、まずいない。端的に言ってしまえば、ローラにはこういった、力強い男らしさとでもいうものに、免疫が無い。

 とはいえ、役目を受けてここにいるローラは、その使命感、責任感から、軽率に返事をしないくらいの自制はできた。

 ローラがサリカに目を遣ると、サリカは何かを諦めたような表情を浮かべる。

「この人がこう口にしたならば、もう、私ごときの手には負えません」

「そうですか……。では、ウィル様」

「はい!」

「……今すぐに、貴殿の想いを受け容れるというわけにはまいりません。ですが、同盟が成れば、連係のために人の交流も生まれましょう。そういった中で、貴方のその想いが本当であることを示していただけるのであれば、わたくしも真剣に考慮する事はお約束いたします」

「充分です!」

 そう言いながら、ウィルは喜色満面で立ち上がると、

「ならば水の国へ向かう準備をいたします!」

 早口でそう言い放ち、止める間もなく部屋を飛び出して行った。

「……宜しいのでしょうか……?」

「アレがいない方が、同盟の詳細を詰めるのに差し障りが無くて良いでしょう……」

「では……?」

「ええ、私たち光の国は、水の国との同盟締結を受け容れることを前提に、話し合いの席に着きましょう」

 水の国としては、元より無茶な条件を求めるつもりは無かったが、願う側としては、相手からの要求に不安が無かったわけではない。

(だけど、この様子なら対等な立場で共闘できそうだ……)

 思いがけない形ではあったが、理想的と言える形に落ち着きそうなことに、この件のプロポーザとも言える夢希も胸をなで下ろした。

 人が恋に落ちる瞬間というものを、初めて目の当たりにした。それを微笑ましいと感じると同時に、それが平和的な解決に繋がったことが、嬉しいとも感じる。そんなことを考えて、夢希は不意に思い付いた。

(……でも、私もそう違わないのかも知れない……)

 この提案をしたのは、あの運命的な、イリアと出逢った瞬間の『解り合った』とでもいう感覚が有ったからではないか。

 だが、そう考えた時に、夢希は、微かな不満が心に過ぎるのを感じた。

(……どうしてそう感じる……?)

 夢希は、同性愛に拒否感があるわけではない。祖母のことはランナとしては勿論、一人の人間としても尊敬している。何より、同性愛の否定は母親の出自を否定することに、延いては自分の存在を否定することになる。だから、夢希は同性愛に偏見は無い。

(……ああ、そうか……)

 そして思い至った。

(私は、あの感覚を、感情を、ただ、恋とか愛とか、そんな陳腐に思える言葉で片づけたくないと思っている……)

 この世界で生きていく、という覚悟を決めるに値する。イリアとの邂逅は、それほど衝撃的な感覚を伴う出逢いだった。そこにロマンチックな感傷を求める程度には、夢希も乙女だった。

(だけど、そんな自分を、嫌いじゃない。……今はそう思える)

 そう思いながらイリアの方を見れば、ちょうどイリアも夢希の方へ目線を向けるところだった。

 視線と視線が絡み合って、一瞬、呼吸を忘れた。

 手を取り合うことができる。共にあることができる。それを、嬉しい、と感じる。

 その感情が、お互いに伝わり合った。そんな実感があった。

 イリアが、ついと目を逸らした。

 夢希は、その動作に淡い恥じらいの感情を見て、自分の胸の内で、締め付けるような感触を感じた。

(これじゃ、初心な恋だと笑われても仕方ない……)

 そんな風に自分を責めて、初めて覚える気恥ずかしさを、紛らわそうとした。

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