第二話 水の国 ―3―

 ――コォォォ……。

 遠く空から聞こえたその音は、けして大きなものではなかったが、それによって、繊細な二人だけの世界は、現実に溶けた。

 女性はハッとそれに気付き、その音から逃げるように駆け出した。

「待って!」

 それは意図せず、夢希の口から放たれた。

 女性は走りながら僅かに振り返り、声を上げた。

「イリア!」

 それが彼女自身の名前だと解った。

「夢希!」

 だから、夢希もただ、自分の名前を告げた。それで良いのだと思えた。

 女性の姿は間もなく林の中に消え、夢希は身体が微かに震えているのを今更に感じながら、それを見送った。

(もし、運命というものがあるなら……信じられるって、今なら思える)

 そんな余韻を打ち砕く無粋なそれは、上空に現れた。

(紫のヤツ……!)

 それは、ファーストコンタクトに於いて、夢希に対して真っ先に敵意を向けた、あの戦花だった。先ほど聞こえた音の主でもある。

 対して、宮殿の方から、ファンファンファン――と、おそらくはアラームが鳴り響き、水の国の戦花がようやく防衛に上がっていくのが見えた。

「街の直上に簡単に……!? これが戦争って、暢気すぎるでしょう?!」

 そう独り言ちながら、夢希は一瞬、迷った。逃げるか、戦うか。

 街の方を見れば、建物へ駆け込んでいく人の姿が見えて、ただ素直に、そういった弱者が踏みにじられるのは、許せない、と感じた。

 その感覚は、先ほどまで頭の中で考えをこねくり回して出した結論よりもずっと説得力があって、そういった人のためになら戦える、という決断は、すぐにできた。

 そこには、紫の戦花に対する、出会い頭に攻撃を仕掛けられたから――という理由だけからくるものではない、得も言われぬ嫌悪感も後押ししていたが、夢希にその自覚は無かった。

 そして、決断を下した夢希の意志に呼応したかのように、その胸元が、いつかのように光りだした。

「何……?」

 光はプロジェクタのように、夢希の前方に景色を写す。

 それは、格納庫に置いたままの、夢希が『青薔薇』と呼ぶことにした、自分の戦花だった。

 すると、映像の背景がぼやけ、その戦花だけがみるみる実感を増したかと思うと、次の瞬間には、夢希の目の前に、屈んだ青薔薇が実体としてそこに有った。

「……やっぱりこれ、夢じゃないの……?」

 困惑を、言葉にして和らげようと試みながら、夢希は、戦花が招くように開いた入り口へ、飛び込んだ。


「チイッ! 流石に城下ともなれば、戦花も数だけは多い!」

 フリックは、水の国の戦花達に追いやられるように、戦いながら街から離れていた。いずこからともなく湧き出て大気に充ちるマナとはいえ、空を飛ぶ戦花が多くなればなるほど、消費が上回り、局所的な枯渇現象を起こしやすくなる。

「姫を連れ戻さねばならぬというに!」

 その焦りもあって、強攻的な手段を選んだ。目的も果たせず、敵地で地に落ちる訳にはいかない。

 姫が近くに居ることは、何となく感じる。フリックは敏感な戦士ではなかったが、姫の事に関してだけは、感性が鋭かった。それはただの執着ではあったが、ある種の力であることも事実だった。

「偵察などということは、姫のする事ではないというのに……! せめて、どこにいるかさえ分かれば……!」

 また、目的のためには、敵を落とすことも、姫を巻き込まないためには、できずにいた。

「ええい! やるしかないか……!?」

 そう、排除を決意しかけたその時、フリックは頭の中に、不愉快と感じる、ざわつきのようなものを感じた。

「この嫌なものは何だ……?」

 引きながらそちらを見れば、フリックの周りに、宮殿や街を守るように展開する戦花達の間から、単独で飛び出すように、こちらへ向かってくる戦花が見えてくる。夢希の青薔薇だった。

「青いのが出て来ただと!?」

 フリックが知る、光の国に現れた渡来人は、最初、戦いに難色を示し、その力を振るうまでにひと月以上も迷い悩んでいた。だからこうも早く対峙することになるとは想像していなかった。

「やはり不愉快なヤツ!」

 姫を見つけられぬ苛立ちの中にこの戦花が現れたこと自体が気に食わないが、こうして目の当たりにして感じる、それだけでは説明できない、まるで不倶戴天の敵とすら思える不快感は、あるいは無意識に、この先の己の運命を正しく予見していたせいなのかも知れなかった。


「あなたみたいな攻撃的な人が……平和な場所に来るんじゃない!」

 夢希は真っ直ぐパープル・リリィへ向かっていった。フリックはマナの過剰消費を恐れてか、ライフルを腰の後ろに固定する。そのフリーになった手からは、つるつたが絡み合うように伸び、次の瞬間、それは剣のような形に変わっていた。土の国から鹵獲しただけの銃器は、弾が切れれば他国にはまだ本来の使い方をできない。せいぜい弾丸をマナによる魔法現象で肩代わりする、イメージ補強の役割しかない張りぼてだった。

 敵のしたことを見て、夢希も攻撃的な意思を持てば、青薔薇もその右腕を瞬時に剣の形に変えてみせた。夢希はそのまま高速で接近し、剣となった腕を上段から打ち付ける。

 ――ギィン!

 ぶつかり合った剣と剣は、戦花というものを考えれば不思議と、金属的な音を立てる。

「クッ! パワーはある……ッ!」

「あなた一人!? 何が目的なの!」

「貴様に教えてやる義理はないッ!」

「余所様にずけずけと入り込んでおいて!」

「ちょっと! ユキ、落ち着いてよ!」

 青薔薇が腕を強引に振り抜くと、パープル・リリィはそれに逆らわずに下がっていなした。スーラに言われたからというわけではないが、夢希はそれを深追いせずに様子見に回った。

(勢い飛び出したは良いけれど、どうしたら……。追い返す? 捕まえる?)

 そう考えながら、先ほど暢気と感じたこの世界の戦争というものを思い出し、捕虜という概念があるのか疑問に思う。

 ここで撃墜する、という選択は浮かばなかった。戦う、ということに前向きになってみても、殺す、ということを簡単に受け容れられるほど鈍感な夢希ではない。

 それ以上のゆったりとした思考は、夢希には許されなかった。フリックが仕掛けてきたからだ。

 その、時にフェイントを織り交ぜて青薔薇に迫る剣を、夢希は素人ながらに全て防いでみせる。スラッグレースのオープン・カテゴリでは、マシンの進化と安全性の確保によって、コースによっては最高速が時速二百キロメートルに迫る。幼少からそこで鍛えた動体視力は伊達ではない。

 遂には、夢希は反撃さえして見せた。相手の肩を打った剣は、夢希の意思を反映してか切れ味はなく、ガァン! と音を立てて打撃を与えた。だが、生物的な面もあるとはいえマシンのようでもある戦花は、痛みに怯むようなこともない。

 そこで、夢希は戦花の周囲の空気が軽くなるような感覚を覚えた。この空域のマナの消耗が進んでいるのだと直感的に解った。それは周囲で手を出せずにいた水の国の戦花達も同様だったようで、それぞれが後ろに引き、距離を取った。

 それはフリックもまた同様だった。

「戦いを続けようというなら、付いてこい!」

 そう言い放ち、マナの減ってきた空域を離脱に掛かる。

 ならば! と、夢希がそれを追おうとした時、脳裏に、飛び立つ白鳥のイメージが掠めた。

 次の瞬間、下方の林の中から、飛び上がって来る、白いものがあった。

 ――純白の戦花、ホワイト・リリィだった。

「姫ッ!」

「……イリア……!」

「……やはり貴女なの……ユキ……」

 夢希とイリアは、お互い戦花越しながら、視線が交差したと感じた。二人の呟くような言葉は音としてではなく、テレパシィのように意思をダイレクトに伝えあった。

 そこには、先ほどのように二人だけの世界は無く、ここでただお互いをお互いと認識するだけの、小さな、だが確実な理解だけがあった。

「退きます……!」

 ホワイト・リリィはそのまま、パープル・リリィを掠めるようにして、さらに遠ざかっていく。

「当然です!」

 パープル・リリィは再び手に取ったライフルで周囲の戦花を牽制しつつ、先行させたホワイト・リリィの後を追った。

 夢希は自分の中に渦巻く感情を上手く認識できないまま、呆然とそれを見送った。

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