第二話 水の国 ―1―
一言でそれを表現するなら、巨大なクジラ、だった。それが、街並みから少し外れた小高い草原のグリーンの中に、その鮮やかなアクアブルーの全身を浮かび上がらせ、寝そべるように存在した。視界の中には、陽の光をチラチラと揺らめかせる海か湖と思われる、広がる水面も確認できる。
「あれが、女王陛下のおられる宮殿です」
夢希からすれば、宮殿、という言葉から想像するものとは大分違う印象だが、偉い人の住処、という意味合いを宮殿という言葉で認識したと理解した。
(慣れてしまえば日本語で聞いているようには理解できる。そもそも、日本語どうしの会話だって、認識の齟齬は生まれるもの……)
どんなに自身の感性が鋭敏化したと感じても、無条件で“解り合える”と思うほどに夢希は傲慢ではない。
間もなく、ロサリアの部下の一人であるプリムの『サクラソウ』に導かれて、その巨大な物体の近くに降り立った。もう一人の部下は報告のため先行し、ロサリアは哨戒も兼ねて殿を務めている。
夢希の感覚では、ヒトガタ――ロサリアと名乗った彼女たちの言うところの『戦花』――は、個体差もあるようだが、おおよそ七メートルから前後する程度の全高がある。その戦花をして、このクジラのような『宮殿』は見上げる高さがある。二十メートルを越えるかどうか、といった夢希の目算だった。
その脇にある大きな扉の一つへ誘導された。中は、格納庫のような場所だった。少数の戦花と思われるそれが並び、その半分ほどのサイズのヒトガタ(夢希は、それが『ウィーズ』と呼ばれるものであると、後に知った)が数体、あちらそちらへ動いている。
(あれも戦花なの……? ……でも今はそれよりも……どうやって出よう?)
指定された位置へ降りたはいいが、戦花からの出方が解らない。だが、夢希がそう考えた瞬間、すぐ前方に縦の切れ目が生まれ、それが左右に開いた。その先には今しがた戦花から見た、金属的な印象の床が、肉眼で間近に見えた。
そのまま外へ出ようとしたところで、はたと思い至る。履いていたスラッグがヘルメットと共に消えてしまったせいで、足元はソックス一枚だった。幸い、バックパックは背中に背負われたままだったので、そこからスニーカを取り出して履いた。
そして、振り返って尋ねた。
「スーラ、あなたは?」
「私はこの子から離れることはできないわ。それに、どうせ貴女にしか見えないのだから、気にせずお行きなさいな」
「……そう、なんだ……。分かった」
そうして軽く飛び降りた夢希が振り返ると、片膝を突いて屈み込んだ青いヒトガタは、その下腹部に開いていた出入り口を閉じるところだった。
(動物的な感じは、無い……。でもどこか生きているような……植物的なもの……? スーラはコレに意思が有るようなことをいっていたけど……)
「こちらです」
そのプリムの声に思考を切り替え、案内されるままに、入ってきたハッチとは反対側、戦花が出入りできそうなサイズの扉の脇にある、人間用と思しき扉をくぐる。
そこは、吹き抜けになっている広い空間だった。
正面壁面には規則的にこちら側と同じように大小の扉がセットでほぼ等間隔に距離を開けて並び、その合間合間には透明の円柱が立っている。入り口らしき切れ目と、二階通路へ接続していることから、昇降機に類するものなのだろうと推測できる。扉の足元からは真っ直ぐ敷物が伸びて中央を横断する敷物と合流している。左側、つまりはクジラの“口”の方を見れば、その敷物は入り口と思しき光へ繋がり、右に目を向ければ敷物は広くスペースを覆うように広がり、二階に飛び出したバルコニーの手前を占めていた。
二階部分の通路は人間が歩く分にはけして狭くはないのだろうが、空間のサイズが広大な印象のために、慎ましいキャットウォークのような印象を受ける。
一階部分は扉の大きさから判るように、戦花に乗ったままでも移動できる高さがあり、それが生身にはこの空間をより広く見せている要因でもあるのだが、二階部分はそこまでの高さはないようだ。外から見た『宮殿』の全高からして、まだ上に階層がありそうだった。
そういった一通りを見回した夢希の目線がプリムのそれと合うと、プリムは夢希に背を向け、無言で壁際を歩き出した。
(警戒されているかな……。いや、お互い様か)
向こうからしてみれば、夢希は突然空から振ってきた得体の知れない人間だし、夢希から見れば、この世界そのものが得体が知れない。さもありなん、と思う。
ともあれ、夢希からしてみればその“得体”を僅かなりとも知らなければならないと感じているから、すぐにプリムを追いかけるしか選択はなかった。
だが先行したプリムの歩みはすぐに止まる。そこには先ほど見た透明の円柱がある。プリムがそれに触れると入り口が上にスライドして開いた。
「どうぞこちらへ」
夢希が乗り込み、プリムもその後に続くと、扉は自動で閉じ、そして何の操作も無く、とても静かに、床が上昇を始めた。
(巨大ロボットのようなものが空を飛ぶなら、床が飛んだり消えたりくらい、わけないか……)
それは十メートル弱の高さをあっという間に昇りきり、二人が外へ出ると、扉は自動で閉まり、その中にあったはずの床が、消えた。
そのとても現実的に思えない現象に、夢希はあまり深く考察することを諦めた。
いっそ夢であれば良いという気持ちはまだあるが、こうして地面に足をつければ、上空に現れた時と違ってちゃんと重力を感じている。それがまた身体的な現実感を与える要因になっていて、ますます夢とは思えなくなっていた。
夢希は頭の認識と身体感覚の不一致を持て余しつつ、バルコニーを左手に見ながら、通路の突き当たりにあった扉をプリムに導かれるままにくぐった。
扉の奥、真っ直ぐな通路の突き当たりにあったその扉の中は、一見したところ、執務室、といった印象の部屋だった。
簡素だが質素とは感じない、質実剛健とでもいう印象の、必要最小限のファニチュアで構成されている部屋だ。
入り口のすぐ脇に吊されていた水晶様の球体にプリムが手をかざすと、鈴のような音が涼やかに響き渡り、そして左奥の扉から、女性が三人、姿を現した。
先頭を歩く女性は、こちらも質実剛健というか、飾り気こそ無いが上品なドレスに身を包み、何よりその
その後ろに控える二人の女性もそれぞれタイプは違うが、十分に美人と言って良い。
「まずは、ようこそ、と言わせていただきます。わたくしは、シーミア・ル・アクアマリィ。この『水の国』の女王を務めている者です。よしなに」
机の向こう、着席して口を開いた女王陛下は、その柔らかい印象のする声で空気を震わせた。
残る二人の女性は椅子の両脇後ろに立ち、瞑目している。だがそこには微かな緊張感が漂っていて、夢希には彼女たちがただの侍女でなく、護衛のような役割も担っているのではないかと推察された。
「渡来の人。お名前を伺っても?」
「……立川、夢希。立川が姓、夢希が名です」
「ユキ様、ですね」
「あの……立場あるお方から、様付けで呼んでいただくのは、ちょっと……」
「……では、ユキ、と」
「はい。それで構いません」
女王を戴きながら『王国』でなく『国』と名乗っているのも関係あるのか、あるいは、単純にこの世界がそういうものなのかは分からないが、その女王という立場の女性の、思いがけず謙虚な姿勢は、夢希にとってはとても好ましく思えた。そう感じる夢希の感性は、彼女が日本人であることも無関係ではないのだろう。
「ユキは現れてすぐに戦花を咲かせ、その力は我が国の戦花と比較して非常に優れているとの報告を受けました。それを踏まえて率直に言えば、現在この大地で起こっている、無意味と思える国同士の争いを終わらせるために、是非とも協力していただきたいのです。……が、無理強いもしたくはありません。ですので、まずはユキにこの国のことを、そしてこの大地『ブルゥンディ・ベル』のことを知り、学んでいただきたいと考え、私どもがその協力をする事を提案させていただきます」
「……なるほど。その教えていただける情報が、この国だけに都合の良いものでないという保証はありますか?」
その夢希の反応に、夢希の後ろで控えていたプリムの雰囲気がピリッと揺らぐが、女王は左手で『構わない』といったジェスチャでそれを抑え、そして口を開いた。
「事実この大地の現状を知れば、協力していただけると信じております。それに、優れた戦花を操る方は、欺瞞などにも敏感と知っております。ですから、謀ろうとすることはむしろ、こちらの損になります」
夢希は口ではああ言いながらも、国としてはともかく、少なくともこの目の前の女性のことは信じて良いと思っていたし、実際この言葉からも同様に感じた。
それはたぶん幸運なことなのだろう、という夢希の考えは、あるいは予感なのかも知れなかった。
夢希達は、来た道を戻り、扉をくぐったところで、正面からやってくる女性と鉢合わせした。その時、夢希は、斜め前方のプリムの横顔が僅かにほころんだのを見た。
「ん? ああ、貴女がユキ、だね?」
夢希には、その女性の声に聞き覚えがあった。
「あなたは、赤い……戦花の?」
「そう。私は、ロサリア・フレイ。この国で、兵士達をまとめる役を仰せつかっている。よろしく」
見た目は若い。夢希よりも年上ではあるだろうが、そう離れているようには見えない。ただ、その立場ゆえか、態度は威風堂々としたものだった。
「ええ、立川夢希です。こちらこそ、よろしく」
ロサリアは、そう言う夢希と握手を交わしてから、プリムに視線を向けた。
「で? 陛下は何と?」
「はい、まずはこの世界のことを学んでいただくように、と」
「なるほど……。ふむ。貴女のように可憐な女性が、共に戦う決断をしてくれるのなら、私も張り切って先頭に立てるのですけれどね?」
プリムの言葉を吟味した後、夢希に顔を寄せるようにして囁き、ひとつウインクをして見せると、その身を翻し、扉の向こうへその姿を消した。
(なるほど、人の上に立つというのは大変だ……)
夢希には、ロサリアのそんな態度が、演技であるように感じられた。それを無邪気に憧れの眼差しで見るプリムを見れば、夢希としてはロサリアに同情心も湧いた。
「……キザな人なのね」
「赤薔薇の君、と慕われる方ですから」
半ば呆れたように呟いてみせた夢希に、プリムはどこか誇らしげに、毅然と答えた。
「ご大層な二つ名なことで……」
「……ご本人が望んだものではありませんから」
夢希の言葉に侮蔑のようなニュアンスを嗅ぎ取って、プリムは不服を隠せずに抗議する。そして夢希もまた、プリムの言葉にこもった気持ちを感じ取る。
「……そう。ただの憧れとは、違うのね。なら、野暮は言わない方が良いのかな?」
その夢希の言葉に、図星を指されたと感じたプリムは頬を赤らめたが、それを表情に出すまいと努め、無言で歩き出した。
夢希もまたそれ以上何かを言うことも無く、ただプリムの案内に従い、与えられた部屋へ向かった。
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