第42話 タウンゼント家の最期 ニーナのその後
ニーナはノックで目覚めた。
「ニーナ。扉を開けてちょうだい」
ハニーイエローの髪の母さまが部屋に入ってくる。
「今日中に支払わないと、屋敷を出ていかなくてはいけない。本当になかったの?」
母さまはバチェラー用に買ったドレス、宝石を片っ端から売った。いくつか見当たらないものがあったので、探すように言われていた。
「……ないわ。これで全部」
母さまにベッドの下を見られた時、ニーナの背中に汗が伝った。
「あった! ……ドレスと宝石、隠していたのね?」
「ち、違うわ。忘れてたの!」
母さまはすごい形相でにらんだ。
「状況をわかっているの? バチェラーの醜聞を書かれてから、あなたへの結婚の申し込みはゼロになったわ」
「だ、大丈夫よ。またあいつらは忘れる。またセンセーショナルなことが起こって、忘れるって。いつもそう」
「殿下がいなくなって、みんなが悲しんだ。そこにバチュラーの醜聞が相まって、忘れない思い出となって残るのよ。あなたは終わりよ」
「そんな。母さまは私の味方ではないの?」
「結婚もできず、借金もある令嬢が、どうやって生きていくの」
「母さまが言ったんじゃない!!! 美しければ大丈夫だって!! 私は花だって! だからみんなが群がってくるって言ったじゃない!!」
母さまは、泣いた。私の前で涙を見せたことはなかったので驚いた。
「まさか、こんなことになるなんてね。恥を忍んでバーナード領からお金を借りようと思ったら、もぬけの殻だったのよ。アニマもいなかった」
「破産しちゃったってこと。笑える」
「なにを笑っているの? 次は私たちよ。もう破産、破産よ。ははは。破産。頑張って守ってきたのにね。うふふふ」
母さまは天井を見て、涙を流した。
「アニマ! アニマ! アニマ!!! あの子がいたからタウンゼントは何とかなっていた。アニマが殿下と結婚してくれれば、タウンゼント家は立て直せる!!」
嬉々とした母さまは、うわごとのように姉さまの名を呼んでいた。
「しっかりして! 殿下は殺されてしまったし、姉さまも、行方不明なのでしょう? 私がお金持ちと結婚すれば大丈夫」
「あなたではだめ。顔がいいだけだもの。アニマは惜しい子。あたまもよく、演技も上手。ただ、顔がよくなかった。あの人と結婚して、醜い顔がうつってしまった。ああ、私が金に目がくらんで、望まない結婚さえしなければ、アニマは殿下との結婚も夢ではなかったでしょう」
「なによ。さんざん姉さまを……虐げておいて、いまさら私よりも姉さまをとるの」
「残ってくれたのが、アニマだったらよかった。あなたはなんの役にもたたない。大変な時にドレスや宝石を隠す子なのよ。あなたは」
「うるさいっ。こんな家、出てってやる!」
「ああ出て行きなさい。明日には屋敷はないでしょう。ドレスや宝石があったって、ニーナのお古と知ったら買い叩かれるわ」
ニーナはがく然として、その場にへたりこんだ。
そこからは激動だった。金目のものはすべてタウンゼント家を買った貴族に没収され、タウンゼント家の名は無くなった。
「なにここ。使用人の部屋よりも狭いじゃない。こんな所に人が住めるの? 平民の部屋って犬小屋って聞いていたけど、それよりもヒドイ。なによりヒドイ匂いよ」
ニーナは穴が開いた床を蹴った。
さすがにタウンゼント領土で生活するのは外聞が悪いため、隣の領土に引っ越した。
母さまはさっきから、祈っていた。いまさら神頼みか。ニーナは笑う。神がいないから、私たちはこうなったのではないか。
「アニマ、アニマ……」
「母さま、まさか、姉さまに祈っていたの」
「アニマがもどってさえ来てくれたら……また、タウンゼント家を復興するの。大丈夫よ。きっと。ふふふ。アニマがなんとかしてくれる」
母さまのうわごとを聞きたくなくて、ニーナは外に出た。貴族のドレスがめずらしいのか、平民がニーナをじろじろと見る。わざとらしく、顔を背けて、鼻をならした。
母さまが情緒不安定で、食べるものにも事欠くありさまだった。
ニーナはしかたなく仕事を探した。
貴族の令嬢だったのよ、と自慢げに話しても、どこも雇ってくれなかった。
37件目のパン屋はほんのすこしだけ、ニーナの話を聞いてくれた。しかし、徐々に店長の顔がくもり、断られた。ニーナは唇をわななかせながら、「……なんでも……やります」とようやく言った。ニーナの拳に血管が浮くほど、力が入っていた。顔のすべての表情がゆがんだ。
「できないなら辞めてくれ」
開始30分で店長から言われた。
店長は背が高く、痩せすぎていて、どこか禁欲的な雰囲気をまとっていた。ニーナはパン屋なのに、食べられないほどの貧乏なのだと見下していた。
「ふんっ。私を雇ってくれるところなんてどこにでもある。いいの? 私、看板娘ってやつなんだけど」
「お客様が来たらにらみ、石像のように突っ立ってられても、邪魔なんでな。あと、なんでエプロンをつけないんだ」
「エプロンはダサい! 私は貴族令嬢なのよ! タウンゼント子爵令嬢なの! 特別で尊いの。客が私にあたまを下げるべきよ」
「さっさと辞めろ。俺の気の迷いだったみたいだ」
店長はニーナを押して、扉から出そうとした。
「ふんっやめてやるわよ! 近くのパン屋に行って、売り上げ新記録を目指すわ。みんな私を目当てにパンを買うの! パン屋じゃなくて、ニーナの店よ! こんな汚い店、潰してやる!!!」
「楽しみにしているよ」
店長は笑顔で扉を閉めた。
2時間後、ニーナはもどってきた。
「いらっしゃいませ」
店長は何食わぬ顔で言った。
「やっぱりここで……働いてあげることにするわ! 一度は働いたのだし、潰してしまうのはかわいそうだから」
ニーナの頬がゆがんだ。ぴくぴくするその口元を見て、店長は彼女が笑おうとしているのか、冗談なのか計りかねた様子だった。
「間に合っているよ」
「そんな! さっきは雇うって?」
「さっきの暴言を忘れたかい? もしかしてライバル店のパンみたいに中身が入ってないのかな」
「平民のくせに! 私になんて口の利き方をする!」
「そんなおまえさんももう、平民なんだろう」
ニーナは目と口もとに力を入れた。
「元、貴族よ! 悪い? 最初から平民とは偉さの幅が違うの。とにかく、偉いのよ。すこぶる偉いの!」
店長は鼻をかいた。
「この2時間ばかし、なにをしていた?」
「なにって、他に雇ってくれる店を探していたの」
声がしぼんでいった。
「ライバルの中身すっからかんのパン屋で仕事して、ウチのパン屋を潰すんじゃなかったのか」
「……。私の魅力がわからないのよ。平民ごときには。だから、その……雇わないって言われたわ。まったく、こんなにかわいいのに。わかってないのよ」
「俺に謝ったら、また雇ってやらないでもない」
「やっぱり、私の顔がいいからね! 看板娘として、立っていれば――」
「いい。そういうのはいらない。やっぱりもう来るな。客でもだ。パンがまずくなって、カビて、ゴミになる。俺はパン屋だ。パンを売りたい。ゴミはいらない」
「言い方! へいみ……悪かったわよ!」
「帰れ」
「ご、ごめんって」
「帰ってくれ」
「申し訳……ありませんでした。お詫び……いたします」
ニーナは店長をにらみ、言った。
「そんなに平民に謝るのが嫌か」
ニーナはゆっくりと、あたまを下げた。
「申し訳ございません……でした」
「……普通なら、俺は許している。でも、おまえさん、今まで、俺にどれだけ酷いこと言ったか、覚えてるか」
ニーナは、首を振って、懇願したが、店長もそれ以上に首を振った。
「土下座ってわかるか? 最大の謝罪だ。ほんとうに自分が悪いと思っていないとできない。なぜなら、こんな平民の汚いパン屋の店長に
ニーナは悔しくて、情けなくて、涙がすこし出る。それでも、思いだす。このパン屋以外の平民は、仕事が欲しくて困っている私と話すことさえしてくれなかった。母は、もうおかしくなってしまった。歯をくいしばり、目を強くつぶった。
すこしずつ、すこしずつ、膝を曲げて、店長をにらまないように、苦痛に顔をゆがめながら、膝をついた。
そして、あたまを地に伏せ、身体をおりまげて、人生ではじめての、土下座をニーナはおこなった。
ニーナは屈辱で死にたくなった。なんで、この私がここまでしないといけないのか。
自然と涙が出てきたが、それをわからないようにぬぐった。
「大変……申し訳、ございませんでした」
「へぇ」
店長は心底驚いた声を出した。
「こ、これでいいでしょう」
ニーナは立ちあがって、腕を組んだ。
「いや、別に土下座を強要したわけじゃない。なに、土下座やったからってまた偉そうな態度にもどっているんだ?」
「そんな! あんたがやれって言ったんでしょう?」
「言ってないな。土下座って知っているか? って聞いて、それはおまえにはできないだろうって言っただけだ。でも……まさかやるとはな」
店長はあごに手を当てた。
「わかったよ。次、いらっしゃいませって言って見ろ」
「は? 言わない。私は立っているだけ――」
店長が首をふって、入口を差したので、ニーナの顔が青くなった。
「い、いい、いらいらいらっ」
「クビかな」
「いらっしゃいませー」
店長をにらみながら言った。
「次は笑顔で言ってみようか」
「嫌よ! なんでこの私が、へいみ……媚びないといけないのよ」
「嫌ならいいんだ。さあ、帰ってくれ」
「いらっしゃいませー」
ニーナが笑顔で言った。笑顔が引きつっていた。
「次、あたま下げてみてくれ」
「嫌よ! ほっっっんとに――」
「悪かったな。店の外に送ろう」
「いらっしゃいませー」
ニーナは満面の笑みで言ったあと、不格好だが、あたまを下げた。
「まあ、まだまだだが、見られるぐらいにはなったな」
店長は面倒くさそうにニーナを見た。
「なんで俺が雇おうと思ったか、おまえは知っておく必要があると思う。ほんとうは口止めされてるんだが」
ニーナは黙って聞いていた。
「アニマ様という方が店に来て、ニーナが来たら仕事、もしくはパンを与えて欲しいと言われた。大金をおいていったよ。パンも店ごと買っていった。ニーナはもしかしたら違う場所に引っ越すかもしれないから、ニーナがこなければ、お金はもらっていいって言われている。実際に見て、信じられなかったね。おまえみたいな奴がアニマ様の妹なんて。他の店にも金を置いてお願いしていた。立派だよな。でも、だから、おまえはこんななんだなって、ほんの
ニーナは、腹に力を入れて、顔をぎゅっとして、必死に感情を抑え込んだが、ダメだった。
「姉さま。ごめんなさい! ごめんなさい!!!! ごめんなさい!!!!!!!!!!!!」
ニーナは涙をこぼした。床に伏せて、泣き続けた。
「まぁ、こんな店でよかったら、働けよ。金がいるんだろう。ついでにおまえの腐った根性、たたき直してやるから」
店長はニーナの肩にそっと、手を置いた。
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