第32話 二人だけの王城
王城についた頃には夜になっていた。
裏口から通され、客間を用意してくれた。
タウンゼント家ではお目にかかれない、天蓋付きのベッド、落ち着いた色のふかふかの絨毯。壁の
寝心地の良さそうなベッドに座ってみた。色んな部分を見たり触ったりしていると、殿下がくすりと、笑った。
「いま、笑いましたね?」
「いえ。笑っていません」
「なんで嘘をつくのですか」
「王太子だからといって、知られたくないこともあります」
「それは、そうですよね」
「明日のバチェラーに参加するのに寝る場所がなく、助かりました。ご厚意感謝いたします」
「良いのです。バチェラーのホストですから。皆様に気持ちよく参加していただくのが役目です」
殿下は、笑って、ベッドの近くのソファーに座った。
「アニマ嬢はその……ご家族から離れられたわけですが。今後はどうするおつもりですか。事情を話してご家族のもとにお戻りになるのですか」
殿下は急に殊勝な表情になった。
「できれば1人で、生きていこうと思います」
「ひとりで大丈夫、ですか?」
殿下の優しい声音に、振りかえった。
「アニマ嬢は大人びていますが、まだ17歳です。家族の元を離れ、大丈夫なのですか」
殿下は心配するように私を見た。急に、心臓が躍動をはじめて、目をそらした。
「これまではずっと家族といて、離れるということを考えなかったのです。マシュー様の元に行くことになって、家を出ることはそんなに難しくないって気づきました。運良く仕事もありますし」
「それは……良かった」
しみじみ、言った。
「そういう心配や気遣いは、今後は妃となるハーマイオニー様にだけしてあげてください」
「なぜです? バチェラーに参加してくれた令嬢全てにするべきではないですか。それに、まだハーマイオニー嬢に決まったわけではありませんよ」
この後におよんでまだ、しらばっくれるのかとあきれた。
「俺がこんなことを言うと、怒られるどころか、殺害される可能性が大いにありそうですが、結婚がすべてなのでしょうか」
「……ごめんなさい。もう一度おっしゃっていただけます?」
聞こえていたが、わざと言った。
「たしかに、今の時代、貴族令嬢が結婚しない人生は……わざわざ言う必要なんてありませんよね。ですが、結婚をすれば、すべての問題が解決というわけではない。逆に失うものもあるかもしれないのです」
「いったい……なんの話をなさっているのですか」
話の筋は見えないのに、腹の奥から、怒りがわいてきた。そういえば、前に似たような話をどこかで。ああ、殿下が蝶を捕まえている時だった。
「王太子という恵まれた環境ではありますが、両親……王家との折り合いがうまくいってないというのは、アニマ嬢と同じかもしれません。結婚1つとっても、自分の思い通りには行きません。バチェラーを強行しましたが、何かあれば途中でやめさせられる可能性だってありました」
「なぜ結婚相手を選ぶのに、バチェラーを選ばれたのですか」
「素晴らしい仕掛けだったからです。たくさんの方々と出会い、それぞれの特技や特徴を知っていく過程。バチェラーの中でしか生まれなかったドラマもあったと思います。これ自体が大きな演劇のひとつだったと考えています」
たしかに殿下は前にそう言っていた。バチェラーとは、演劇なのだと。
「実は、俳優になりたいと思っていた頃があったのですよ」
「殿下が!」
と、声はおおきくなったが、驚きはしなかった。
「演技、上手でしたものね」
心からそう言った。
殿下は私を見つめ、口に手を当てていた。肩をふるわせ、何かの感情に耐えているように見えた。
「どうしました?」
「見て分かりませんか? アニマ嬢に演技を褒められたのですよ? あの、アニマ嬢にです。最高の気分です……」
リップサービスには聞こえなかった。
照れくさくて、髪で耳を隠しながら、言った。
「それで……俳優になりたかった話の続きを教えてくださいませんか」
殿下はさきほどの浮かれた様子から、一気に感情の熱が失われたように見える。
「もちろん止められました。お前は王になるために生まれ、その為に生きるのだと」
照れ隠しに聞いてしまったことを後悔した。ここまでの話を聞いていればわかった話で、本当に、悲しい話だ。
「前に殿下が私と似ているというお話をなさったと思うのですが、訂正いたします。そのとおりのようです。申し訳ありませんでした」
「いえ。だからこそ演技者には幸せになってほしいのです。最高の環境を用意したい。アニマ嬢がこのような待遇になってしまっているのは、演劇に造詣がない国のせいでもあるのです。申し訳ありません」
殿下はあたまを下げた。私は笑ってしまった。
「なぜ笑うのですか」
今度は、殿下が聞いた。
「全然謝るところじゃないのに、真剣に謝っていらしたから。なんだか、ままならないことばかりですね」
「まったくです」
殿下は何度もうなずいた。
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