4章 バチェラー前の災難とターニングポイント
第28話 アニマの受難
バチェラー2日目が終わった次の日。
お母さまの部屋にニーナと共に呼ばれた。
「アニマ、なにをやっているの! あなたは馬鹿なの?」
お母さまは手をおおきく動かした時に、ベッドサイドの花瓶にぶつかってしまい、派手に割れた。
侍女が慌てて、花瓶を片付けようとしたが、お母さまが制する。
「アニマ、あなたがすべて悪いのよ。片付けなさい。ニーナはなぜ殿下に選ばれなかったの」
「姉さまが悪いの。色気づいてしまって、メイクもドレスも着飾って、殿下が騙されてしまった。じゃなきゃ、私が姉さまに負けるわけがないじゃない。ほんと、サイテー」
ニーナが言った。
私はあたまを下げて、割れた花瓶を片付けた。
「アニマ、あなたはニーナが殿下に選ばれるために動いてたんじゃないの? 一体何をやっているの」
「申し訳……ありません」
「謝ってすむ問題ではないでしょう? 現実問題、お金がないの! アニマでは、好色家の老人貴族さえ貰ってくれないわ」
「母さま。私、むかつく殿下から賠償金をふんだくってきたの!」
お母さまは甲高い声を出した。
「まぁー。流石はニーナじゃない。どれくらいあるの」
金額を見た。
「半年は、楽に暮らせそうね。よくやったわ!」
ニーナはお母さまに抱きしめられた。
「アニマ、正直にいいなさい。あなたが妃に選ばれる可能性はどのぐらいなの」
私はうつむいて、言った。
「私か選ばれることは……ありません」
「ほんっっっっっとうに、役立たずね。あなたは。そうだ。既成事実でもなんでも作って、妾でもいいから、殿下にすがりなさい! 世の中には物好きというものはいるものね」
「ほんっと。私より姉さまを選ぶなんてどうかしている」
「私は殿下から恐れられています。バチェラー最終日の演技の比較対象として残されたのです。愛されることは……ありません」
私が言うと、お母さまはにらんで、首を振った。
「それでも、殿下に頼み込みなさい! そうするしか手がないの。ああ……。ニーナがバチェラーに残ってくれたら、殿下と結婚できたはずなのに」
お母さまはため息を漏らした。
私たちは部屋を出ていった。
「姉さまが悪いんだから。せっかく私が殿下と結婚できるチャンスだったのに、自分のことばかり考えて行動するからこうなってしまったのよ」
廊下でニーナに言われ、私は黙った。
ずっとこのような仕打ちを受け続けてきた。
おかしい。何かが間違っている。そう思っても、どうすることもできなかった。
この状況を甘んじて受け入れなければいけないと思っていた。
しかし、殿下は言った。「あなたは今まで妹やタウンゼントに人生を捧げるしかなかった。ただ、それに少しでもおかしいと気づいてしまったのならば、まずはおかしいと声に出すことです。そして、変える行動をしてください。いま言ったことをよく考えて、この1週間を過ごしてください」と。
私ははじめて、そのことについて考えてみた。
バチェラーの最終日に残った私への準備は特にされず、いつもどおり家族からは放っておかれた。
明日は最終日という時。
唐突に、来客者があった。
私はまた、ドラクロアとヴィヴィアンが来てくれたのかと思ったら。
――なんと、マシュー様がやってきたのだ。
――いったい、なんの用なのでしょう。
タウンゼント家の狭い応接間にお母さまと私が座った。
マシュー様は前と変わらず端正な顔立ちではあったが、殿下を見ていたからか、ほんのすこし、軽薄さに気づいた自分に驚いた。
私と目を合わせず、落ち着かない様子で自分の話ばかりをしていた。
お母さまはいつもの殿方に向けた、満面の笑みで迎えている。
マシューは口を開いた。
「実は、アニマを我がバーナード家に招きたいと思って、お話しに伺った次第です」
わからない程度に首をほんのすこしだけかたむけた。どういうことだろう。
「それはアニマと結婚なさりたいということですか」
母が声をうわずらせながら、聞いた。
「いけません。バチェラー開催中の契約で、殿下以外の方と結婚するなど、ルール違反どころではありません!!」
私は言った。
「滅相もない。そうではなくて、僕の領地のお金や経営を担っていただこうと思いまして。アニマはそういうところに非常に才能があるようだと、僕の執事が申しておりました」
「そうですか。それで、一応、これまで大切に、大切に育てた、愛娘をお渡しするわけですから……つまり……」
お母さまはあえて、肝心なことは言わずに目配せをした。
「もちろん! 結婚資金とまではまいりませんが、ご用意させて頂きました」
マシューの用意した革袋には、わずかばかりの金貨が入っていた。これが。たったこれだけが、私の値段……。
お母さまの瞳には金貨のマークがついているかのようだ。口もとがゆるんでしまっている。
「マシュー様。失礼ですが、現在は結婚なさっておいでですか」
私は聞いた。
「結婚を希望する相手はいる。アニマが希望するのであれば、妾としてであれば考えてあげなくもないが……」
マシューは、口をせわしなく動かし、額をぽりぽりとかいた。
「よい話じゃない! いますぐバーナード家で奉公なさい! ほんとうによかったわね。アニマ!!!」
お母さまはたちあがり、私を抱きしめた。私は腕をたらしたままだった。
「しかし……殿下のバチェラーはどうしましょう。明日には開始されます」
眉間にしわがよってしまう。全身に鳥肌が立ち、からだじゅうを駆けめぐった。
「いいのよ! どうせ選ばれないのだから。辞退しなさい! こんな良い話は二度とこないわ!」
お母さまの高笑いに、感情、からだの力みのすべてが、指先から抜け落ちていった。
私は笑った。さぞ、不気味で、薄気味悪かったでしょう。その証拠に、マシューは、椅子からのけぞって、クッションでからだを守っている。
「承知しました。お母さまの言うとおりにします」
マシューに握手をしようとしたら、逃げられた。
今度こそ、愉快で笑ってしまう。恐怖する女の私に領地を経営させようなど、バーナード家の終わりは見えているではないですか。
共に沈みゆくのに相応しい船、というわけです。
笑いが止まらなくなって、その場でからだを折り曲げて、さんざん笑った。お母さまに失礼でしょうと、止められても、笑うのをとめられなかった。最後に目尻からこぼれた理由がなんなのか、私には、わからなかった。
最低限の荷物を持っていこうとしたら、お母さまがニコニコしながら言った。
「すべて置いていって。こちらで処理しておくから。荷物になったら、マシュー様にご迷惑でしょう」
つまり、売りに出して、すこしでもお金にするという意味です。
「……承知しました」
妹に挨拶にいくと、ドアから出てきてはくれなかった。
「あっそう。元気でね。姉さま」
それが妹のくぐもった、最後の言葉だった。
お父さまは……。いいか。もう何年も顔を合わせていない。ずっと自室に引きこもっている。
私は表に出て、タウンゼント家を見上げた。他の子爵家から見ても、あまりにもちいさな屋敷。外壁も雨風で痛み、修繕することもできない。
まるで、私だ。
屋敷にむかって、あたまを下げた。
顔をひくつかせたマシューが一応とばかりに馬車の前で待ってくれていた。
もう一度、タウンゼント家を振りかえると、だれも見送ってもくれず、屋敷は幽霊が住んでいるかのように、ひっそりとしていた。
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