第27話 ニーナと殿下 アニマと殿下

 殿下は満面の笑みでニーナに言った。

「ニーナ嬢にバラを差し上げることはできません」

「ではさっき何でバラを取って、期待させる仕草をしたんですか。嫌がらせですかー」

 ニーナの口調がみるみる険しくなっていく。


「ニーナ嬢に楽しんでいただけるかと」

「バッカじゃない! 全く楽しくない! バチェラーというくだらない会にも2日間も参加してあげたのに、この扱いですか! 最低ですね」



 私は立ち上がり、間に入った。

「殿下、妹が失礼なことを言ってしまって――」

「うるさいっっ! 姉さまはだまってて!!!」「アニマ嬢、いまはひっこんでいてください!!」


 殿下とニーナに同時に怒鳴られ、私は座った。

「すみません」


 殿下はため息をついた。

「こちらがお願いした演技も一切してくれないし、それでよく偉そうに自分の意見を言えますね」


「演技させたいなら最初から女優だけ呼べばいいでしょ。聞いてないんだけど。なんでそんな演技やったこともない貴族の令嬢を呼んだの」

 ニーナは目を見ひらき、まくし立てた。


「あなたがそんな態度じゃなくて、下手であっても、こちらの言うとおり挑戦してくれたら、評価をするつもりだったんですが」


「なんで私がやったこともないことをやって、恥をかかなきゃいけないの? これはバチェラーでしょ? 婚活でしょ?  野球するのも意味わかんないしふざけてんの」


 ニーナは殿下につかみかからんばかりに近づいて、にらみつけた。


「皆様がどれぐらいの能力があって、どんなことができるのか知りたいと思いません? 野球は初めての令嬢ばっかりだったと思うんですけど、誰ひとり嫌がらずにやっていました。なぜそんなに恥をかくのが嫌なんですか。生きてたら恥ばかりじゃないですか」


「あはは。殿下が恥ばかり??? って笑っちゃう。今まで贅沢ざんまい。何不自由なく暮らしてきたんでしょう」


「あなたも同じなんじゃないですか。アニマ嬢の犠牲のもとで何不自由なく暮らせてるんですよ。そこは得意の恥だとは思わないんですか。ずいぶん都合のよい恥をお持ちのようだ」

「何なの! 殿下に何がわかるの? 勝手なこと言わないでよ」

 ニーナが殿下に掴みかかろうとしたので、私は無言でニーナの手を握って、押さえ込んだ。



「まず、アニマ嬢に謝って、それから感謝すべきです。あなたが行うすべての不義理の面倒を見ているのは彼女です!! それはなんのためか、タウンゼント家の為です。家族が路頭に迷わないために、アニマ嬢は必死で自分が嫌なことを我慢してやっています。あなたはそんな姉に感謝こそすれ、貴族で働いているからと姉を馬鹿にし、演技ができる方さえ馬鹿にする。いったい何様ですか!!!」

 殿下が声を荒げた。リンジーとハーマイオニーはまだ会場に残っていて、ロイドもこちらを注視している。


「私はタウンゼント子爵令嬢様よ! 姉さまが好きで私の世話を焼いてるの。私のことが好きなのよ。母さまだってそうよ! 殿下が間違っている!!!!! 関係ない人が何も言わないでよ。訳知り顔で人の家庭に踏み込んで、気持ち悪い! きんもちわるいぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」


「聞きましたか? アニマ嬢。あなたの献身は素晴らしい。それがよりによって、ニーナ嬢の自意識を肥大させることになってしまった。その現実にそろそろ向きあう時です」

 

 殿下に急に話を振られ、うろたえた。

「も、申し訳ございません」

「いまはなにに謝っているのですか」

 殿下の口調が強くなった。


「す、すみません。つい……」

 場をごまかすために謝ってしまった。


「アニマ嬢。よく考えてください。あなたは今まで妹やタウンゼントに人生を捧げるしかなかった。それに少しでもおかしいと気づいてしまったのならば、まずはおかしいと声に出すことです。そして、変える行動をしてください。いま言ったことをよく考えて、この1週間を過ごしてください」




 殿下は妹を押さえ込んでいる私の瞳をのぞきこんだ。私のことが怖くないかのように、接近し、その瞳を刻み込んだ。



「殿下! 私と話してるのになんで急に姉さまに話を振るの? 私の話はまだ終わってない! 賠償金を請求するからねっ! バチェラーで恥をかかされた分!!」


「言い値で支払いましょう。新聞にも随分酷くかかれたようですから。いや、まだあなたを表すには生ぬるいですかね。さあ、こちらへ。皆様。お騒がせしました。夜も遅いですし、王城に泊まるか、お帰り頂くか、ロイドに申しつけください。それでは、失礼します」

 私たちは別室に移動した。殿下につかみかかろうとする妹を完全に制圧して、座らせた。殿下は妹の法外な額を支払った。賠償金を払うなど、バチェラーの契約は結んでいなかったので、驚いた。



「ふんっ。金で解決しようったってそうはいかない。いやーな殿下。一生悪口を言いふらしてやるからね」

 捨て台詞を吐いて、ニーナは退席した。


 

「アニマ嬢の家族問題は根深いですね」

「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。賠償金の支払いは大丈夫でしたか」


 殿下は疲れを見せず、笑った。

「いいのです。こちらも失礼なことを言ったので。お金で解決できることであれば。少しはタウンゼント家の足しになってくれたら良いなと思います」

 

 驚きが表情に出ないように気をつけた。殿下は、あえてニーナに高い賠償金を支払ったのだ。


「お気遣い、感謝申しあげます」

 たちあがり、あたまを下げた。


「お気になさらないでください。しかし……。アニマ嬢はこのままでいいのですか。あなたを大切にしない家族と一生、このまま、生きていくのですか」

 

「……私は長女ですし、家族です。一緒に生きていくしかないですね」

「役者は劇場に所属する方もいれば、劇団で他国に行って演劇をしながら生きていくこともできると聞きました」


 家族にしばられず、自由に他国へ行って演劇をしながら暮らす。それは、どんなに素晴らしいことだろうと思う。


「私には……無理です。こんな顔ですし、演技も……ほとんどの人にはうまく伝わりません。私はこんなにも、こんなにも。無力で。なんと情けないことか」

 いままでの劇団ギルドでの扱い、タウンゼント家での日々。様々なうまくいかなかったことが、浮かび上がっては、私を突き刺した。もう痛みを感じないと思っていたかさぶたが、破れ、血が出てくる。



 泣きはしなかった。泣くほどではなかった。ずっとずっと、あきらめてきたから。色々なことをあきらめることで、手放すことで。私は、なんとか、生きてきたのだから。



「俺が、アニマ嬢を信じている、では、足りませんか。あなたを。そしてあなたの演技を信じている!!」

 殿下は立ち上がり、熱っぽく見つめた。


「殿下……」


「改めて、あなたの演技を見せてもらって、才能のかたまりだと思いました。自分を卑下するのはおやめなさい。それだけの才能、活かせる場所にいけばいいだけ。アニマ嬢を利用するすべての悪を、あなたははね除ける力を持っている!」



「ありがとう、ございます」

 頬が笑みの形を作りそうになるのを必死に抑える。私はとっくに自分に期待することをあきらめていた。


 

「あなたを侮蔑するすべての物が許せない! そして、それを受け入れているアニマ嬢も俺は……許せない! どうか、このことを屋敷に帰って、ゆっくり考えてみてください」

 殿下は力強く言ったあと、椅子に座った。


「私には……もったいないお言葉です」

 あたまを下げる。


 私は、シャンデリアを見た。ろうそくの炎が鏡に反射して綺麗だった。

「ところで殿下は変装がお得意だったのですね。私の劇を変装した殿下が見てくださっていたのに気がつきました」

「ああ……お恥ずかしいですね」


「あれは公務を抜けてハーマイオニー様の劇を見るためだったのですね。私の劇は、たまたまはやく上映していたので、座って見ていただけですね。その女優にほんのすこし見所があるから、ちょっとかまってやろう、と。そんなところでしょうか」

 自分でも思ってもみない卑屈な声音になった。

 


 殿下は何も言わなかった。


「バチェラーで最後に選ばれるのは、ハーマイオニー様です」

 シャンデリアをにらんだ。



「私自身にもっと魅力があれば、殿下の言葉を丸ごと受け止めることができたのですが。申し訳ございません。私に心地良い言葉をかけてくれた方は、皆、私に利用価値がなくなると去っていきました。期待する言葉をかけるのはやめていただけると嬉しいです」


「なにか誤解をさせてしまったのなら、謝ります。申し訳ありません」

 殿下はうろたえた。


「いいえ。謝るのはこちらの方です。殿下がおっしゃってくださった演技に対する評価は忘れません。と、同時に。最初におっしゃった、悪役令嬢が嫌いなこと、私を愛することはないということを忘れたことはありません。ご安心ください。それでは、失礼します」


「アニマ嬢! 必ず、3日目には参加してください! いいですね!!」


 殿下の声から逃げるように王城を出て、外の空気を吸った。夜の星があふれんばかりに瞬き、出むかえてくれた。



 はぁー、と息を吐く。

 すこし寒くて、身震いした。



 頬を張った。



 何度も、何度も、何度も、頬を張った。




 音が遠くの山々まで、響き渡った。





 瞳から流れるものをそのままにしていた。






 タウンゼント家の馬車はやはりなかった。



 「ご令嬢さま、乗っていくかい?」

 白とピンクのかわいくて、豪華な外装の馬車の窓が開いた。ドラクロアだった。ヴィヴィアンも顔を出す。ふたりはヴィヴィアンの馬車に乗っていた。


「バチェラー2日目合格、おめでとう」 

 ふたりが手を叩く。


「夜道はあぶない。送っていくよ」

「いやいや。わたくしの馬車! わたくしのセリフ!!」

 ヴィヴィアンがドラクロアに言った。

「まぁ、細かいことはいいじゃない。減る物じゃないし」

「減ります! わたくしの自尊心と、車輪、馬の体力までが!!」

 ドラクロアとヴィヴィアンはわざとはしゃいでいるように見えた。



「まったく。殿下といい、おふたりといい。なんで私にかまうのか、まったく訳がわかりませんけど」

 言葉を切って、おふたりを見た。

「ありがとうございます。嬉しいです」


「2日目、なにがあった? 聞かせてくれ。なにせ、夜は長いんだ」

 ドラクロアが恭しく扉をあけて、私の手をとった。

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