第23話 バチェラー2日目 夜の部②

「では、スタートです」

 ロイドの合図で、馬場にリンジーが入っていく。


 思わず、声を出しそうになった。

 リンジーは化けた。

 目の際にラインを入れて真っ赤で太い口紅をつけている。着ているドレスは黒と紫が合わさってとても大人っぽい。レースやシルクの装飾は最小限に抑えている。


 殿下はリンジーが馬の後ろの鞍に乗るために、手をかした。

  

「リンジー嬢、今までもお綺麗でしたが、今宵は見違えました」

「ありがとう。あたしもそろそろ本気を出して、おばあちゃんに生殿下と謁見させたいなって思っちゃいまして」


 即興劇の設定は、殿下と令嬢とは幼なじみ。互いに憎からず思っている。戦争の指揮の為、1年ほど国を留守にする殿下。生きて帰れるかもわからない殿下に、幼なじみはその思いを告げるシーンだ。幼なじみの設定や、セリフは令嬢が自由に演じる。それを、殿下がアドリブで返す。



 リンジーの幼なじみの設定は、別れるギリギリまで自分の気持ちに気づかず、離れてから初めて気づく令嬢とのこと。

 



「殿下と1年以上会えないのですね。暇だな。遊び相手がいなくなってしまう」

 リンジーは夜空にでも話しかけるように言って、殿下のジャケットの裾をすこし、つまんだ。

 


「すぐ、帰ってくるよ」

 はっと、した。殿下は演技が上手だ。慇懃すぎるきらいのあった表情が和らぎ、声と表情に温かみがこもった。


 殿下は令嬢の演技力を重視していると確信した。自分が演技についてわかるからこそ、大根役者の妃では、国政がうまくいかないと考えているのだろう。



「ほんとですか」

 リンジーは顔を輝かせた。

「あっという間さ。一緒に狩りをしたり、チェスをしたり、相手がいないと大変だろう」

「私がいないと、寂しいですか」

 ふざけるみたいに殿下の肩にあごを乗せる。


 殿下は押し黙った。

「どうしたの」

「そうだな。こんな気持ちになるものだったのだな」

 殿下はリンジーを振りかえり、見つめた。


「平気ですよ。手紙を書きますし。1年なんて、すぐすぐ」

 あはは、と笑って、殿下にからだを寄せた。



 殿下が去って、リンジーの独白がはじまる。

 リンジーは馬場に用意された小道具の椅子に座った。


 誰かと話しているようだ。最初は笑顔だったが、徐々に顔が曇っていく。

 彼女の瞳は、寂しげだが、強がっているように見えた。

 その瞳に時間の流れのようなものを感じた。それは、時間がたてば経つほどに、殿下への思いは強くなるが、その分、面影を忘れていく。声は? お顔は? 

 それが、私に迫ってきた。



 そして、ロイドから殿下が戦地で亡くなったことが知らされる。


 リンジーはロイドの前では泣かなかった。走って走って、走って走って走って。馬場の端、私たちから見えないところまで行った。


 そこで、泣き叫んだ! その嗚咽、嘆きは、演技を超えていた。大好きな人を失い、そして、自分の愚かさを憎み、ままならなさと戦っている強い感情が、私をぶん殴って、支配した。





 リンジーは、泣いた目を擦って、お辞儀カーテシーをした。


 私たちは手が壊れるほどに拍手をした。



 演技経験がないリンジーを私は見誤っていた。

 

  

 彼女はハーマイオニーを並んでもおかしくはない演技力を見せた。



 私は目を閉じた。いったいどうやったら、ニーナを勝たせることができるのだ。







 次はハーマイオニーだ。彼女は情熱的に戦争に行く殿下を止めたがダメだった。そして、大いに悲しんだ。熱のこもった、素晴らしい演技を見せた。

 みんなは割れんばかりに拍手をした。






 次はニーナだ。

 殿下の馬まで歩いて行く。

 ほっとした。

 ひとまず演技はやってくれそうだ。



 ニーナは殿下に笑いかけて言った。

「私は特別にパスでお願いしまーす」

 背筋がぞわりとした。すぐに柵に体をめり込ませて叫んだ。

「ニーナ。ダメよ! 演技をして」


「うるさい! 私は大丈夫なの」

「大丈夫じゃないですよ。演技を見せてください」

 殿下はほほえみ、ニーナに言った。


 ニーナは殿下に笑みを返した。

「殿下大丈夫ですか。私がこのままリタイアしても? 何かしら私に魅力を感じてくれて、バチェラーに招待してくれたのですよね。あー。帰っちゃおうかなー」

 あたまの上で手を組んで、ニーナが首をゆっくり揺らした。



「それは困りましたね」

 殿下は思案顔で空を見上げた。近くの炎が明るいから、それほど星は煌めいて見えない。







「そうでしょう! 私が帰っちゃったら困っちゃいますよね。だからやめましょう。演技なんて」

 ニーナは甘えた声を出した。







 殿下は何度かうなずいた。







 ニーナは満足そうに殿下の真似をして、大げさにうなずいた。







「では帰ってください。ロイド。暗いのでニーナ嬢に護衛をつけて送ってください」

 殿下は馬をなでて、馬から下りた。




 ニーナは殿下を見て、ぽかーんとした表情で固まってしまっている。



 殿下があわてている私に言った。

「次はいよいよアニマ嬢です。よろしくお願いしますね」

 


 ニーナの声が困惑していた。

「えっと。これで終わり? 3日目にまたくればいいでしょうか」

「いえ。演技を放棄したのでこれで終わりです。お疲れ様でした」

「まっ、待ってください! いいのですか。私、失格になってしまいますよ」

 ニーナは困りすぎて、まゆ毛がへの字に曲がってしまった。美しい顔が台なしだった。


「やりたくないと言っているのですから、強制させられないです」

 殿下は笑みをたたえていたが、言葉の温度は冷ややかだった。

 

 私は口もとに力を込めた。

「ニーナ。ひとまず演技をしましょう。私が全部考えるから」


「わかった! やればいいんでしょう? ほんっとにくだらないことをさせるんだからっ」

 ニーナは舌打ちして、殿下をあごでしゃくった。馬に乗れということか。私は柵に寄りかからないと立っていられなかった。

 ドラクロアがそっと、私のからだを支えてくれた。

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